59.息子目線の母親像について
「はああああぁ」
激励会から数日が経ったその日、お昼前の図書室にて、私は長いため息を吐く。
「アンズさん、大丈夫ですか?やはり、帰った方が良くないですか?今朝の件もありましたし」
グレイの叔父であり、図書室長でもあるヘラルドさんが心配そうだ。
「今朝?あ、落書きの件ですね」
今朝の件、と言われて、私は一瞬きょとんとしたがすぐに思い当たった。
今朝、図書室ではちょっとした騒動があった。
ヘラルドさんが1番で出勤して来ると、入り口の案内板に私を誹謗中傷する落書きが書かれていたのだ。
落書きの内容は、「バーカ、バーカ」みたいな内容で、子供の悪口のレベルの誹謗中傷。
なので内容自体は、気分が悪いわね、で済むものだったのだけれど、ここはお城の図書室、誰かが忍び込んで書いたのなら問題なので、騎士団に知らせが行き、現場である図書室は少しざわついた。
結局、図書室の窓や出入り口に異常はなく、侵入者の形跡はない、という事で落ち着く。
城に勤める者であれば、朝の出勤時、早めに来て図書室に入る事は可能ではあるので、嫌がらせの類いかなあ、との事。
「アン、今日はもう帰るか?」
嫌がらせ、に落ち着いた所で、グレイが言う(私絡みだったので、団長が来るような案件じゃないけど、もちろん来ている)。
「いえ、ただの嫌がらせなら、帰るほどじゃないです。これだけ、大事になっちゃったし、次からは止めてくれるでしょう」
うん。止めるだろう。
正直、私は今回の事は、図書室の受付レディ達の誰かがやったのかな、と思っている。
レディ達の中には、あんまり私を良く思ってない子もいるので、そういう子がやったんじゃないかなあ、と。それなら、騎士までやって来て、今頃びくびくしてる筈だ。
もう、こんな事はしないだろう。
「働きに来てるんだし、仕事しますよー」
そう言って、グレイを追い返し、「やはり、グレイのいう通り、お休みしては?」と言ってくれるヘラルドさんに「平気です」と返して働いていた所なのだ。
「このため息は、今朝の落書きの事でじゃないです、マリッジブルー的なやつです。いや、違うか、マリッジブルーではないですね。マリッジに向けての悩みですね、ん?それってマリッジブルーですかね?」
こんがらがる私。
グレイとの結婚まで、2ヶ月を切り、最近はその準備でも忙しい。
そして、その事で、今朝の受付レディの落書きなんて、どうでも良くなるくらいの重たい案件があるのだ。
「式に関わる悩みですか?」
「そうですね。式の準備のお手伝いにグレイの両親が、主にお母様が領地からこちらにやって来るんです」
答えてから、私はまた、ため息をつく。
今回の結婚式、神殿で婚姻の儀式を行った後、カサンディオ邸でお披露目の宴を開くのだが、その規模は侯爵家としてはかなり小さいものになる予定だ。
なぜかと言うと、私の交遊関係がとても狭いからだ。
知り合いと親戚だけ来るこじんまりした宴になるのだが、それでも、こちらの世界初心者の私には勝手が分からない事が多い。
もちろん、グレイはいろいろ手伝ってくれるのだけれど、結婚式ってやっぱり花嫁の意見を聞かれる。
ウェディングドレスのトレーンの長さどうする?とか、お花どうする?とか、お花の本数どうする?とか、から、招待客の席順どうする?(こういう所は前の世界と一緒よね)まで。
トレーンの長さ?本数?と、戸惑う事が多い上に、結婚ともなると、時々「実家の両親に知らせてあげたかったなあ」なんてセンチメンタルな気分にもなって、こっそり落ち込んだりしていた。
両親とは20才くらいからすっかり疎遠だったのだけど、結婚ともなると喜んでくれただろうと思う。
そんな私の状況が、どうやらセバスチャンからグレイのお母様に伝わったようだ。
〈もう爵位も譲った息子の嫁であるし、あまり干渉はしないでおこう、とは考えていたけれども、聖女様であるアンズさんは事情が特殊だし、いろいろ不慣れでしょう。顔もまだ合わせていなかったし、これを機会に仲良くしましょう、云々……〉
みたいな丁寧なお手紙が届き、式の1週間前に来るはずだった、グレイの両親が時期を早めてやって来る事になったのだ。
「、という訳で、3日後にご対面なんです。今から緊張してるんです」
「ああ、なるほど」
ヘラルドさんは穏やかに笑う。
そして言いやがる。
「大丈夫ですよ。義姉のチェルシーさんは、とてもいい人ですよ」
にっこり、にこにこ。
ええ、ええ、それ、グレイにも言われておりますよ。
「大丈夫だ、アンズ、母上はとても良い人だ」
とね。
でもさ、でもね。
それ…信用出来るかしら?
出来ないよね、出来ないよ。息子目線の母親像、信用なんて出来ないよ。
絶対に変なフィルターかかってると思う。
もちろん、義弟目線の兄嫁像も然り。
ええ、然り。
グレイは、母親に関しては「とにかく良い方だから心配するな」の一点張り。
おまけに、父親の前侯爵様になると、「父上は少し感じが悪い。すまない、先に謝っておく。アンには関わらせないようにするし、恐らく関わっては来ないから心配しなくていい」と言われてしまった。
ううむ、この対面、怖さしかない。
「はああ、嫁の気持ちなんて、ヘラルドさんには分かりませんよ。前侯爵様は少し怖い方らしいですし……」
「あー、そうですね、兄上は少し取っつきにくい、というか、うーん、感じが悪いです」
やっぱり、そこは、そうなんだ。
息子と弟の語る、父像、兄像はしっかりしてそうなだけに、それも怖い。
「あ、参考までに、お二方の外見ってどんな感じです?」
「外見ですか?」
「はい、そっちの心構えもあった方がいいかな、と。カサンディオ邸には肖像画とか無いんですよね」
前侯爵は肖像画を嫌う方だったらしい。
「ふうむ、チェルシーさんは、そうですね、チャーミングで温かそうな方です」
ふむふむ、温かそう?赤毛なのかしら?
「兄は、そうですねえ。目付きは悪いですね」
「はあ」
ヘラルドさん、こういう描写苦手なのね。
「ヘラルドさんは、前侯爵様の弟さんですよね、ヘラルドさんと前侯爵様は似てますか?」
私は助け船を出してみる。
「どうでしょう、笑った顔が同じだと、子供の頃には言われましたが……目元は似てるかな」
ふむふむ、じゃあ何となく似てるのね。
と言うことは、グレイはお母さん似なのかしらね。グレイとヘラルドさんは似てないものね。
グレイは、ワイルド系イケメンだけど、ヘラルドさんは親しみのある顔立ちというか、何というか、所謂、じゃがいも顔だ。
私は、ヘラルドさんの目付きが悪い版みたいなお義父様と、男顔美人みたいなキリッとしたお義母様を想像する。私の不安を反映してか、お義母様の目付きも鋭くなってしまう。
ふむ、怖そうな2人になってしまったけど、これで3日後に備えてイメージトレーニングでもしよう。
「ありがとうございます、ヘラルドさん、ちょっと元気出てきました」
「それは、良かったです」
そうして、私は仕事の合間に、姑と舅のイメージトレーニングに励んだ。
***
そして3日はあっという間に過ぎる。
今日はグレイの両親と初顔合わせの日。私は朝から侍女長推薦の感じの良いドレスを着て、ソワソワしている。お二人は先ほど屋敷には到着されたようだ。
「アンズ、父と母が着いた。応接室でお待ちだ」
グレイが私を部屋まで迎えに来てくれて、2人で応接室へと向かう。
ふうー、ドキドキするわね。
仲良く出来たらいいな。今さらだけど、やっぱりお義母様は、グレイの語る母親像の通りの人だといいな。
「母はとても良い人だから、何も心配しなくていい」
緊張の面持ちの私に、グレイが再度そのように言ってくれる。
ありがとう、グレイ、でもそれ、まだ信用は出来ないの。なんて思いながら、私は応接室の扉を開けた。




