第99話 成神
「神に成る魔法だと? ただの傲慢な物言いだろう!」
ロレッタは踏み込み、暴威の風を纏う剣を突き出したが、その切っ先は何も捉えはしない。
「消え…………がぁっ!?」
驚愕の表情に成っている間に、あたしはもうロレッタの懐に飛び込み、拳を叩き込んでいた。
「いま、の……感触は……精霊……!? ルーチェ、まさか、君は……!?」
一撃喰らって気づいたらしい。そこは流石と言わざるを得ない。
「そう。『成神』は精霊と一体化する魔法。つまり今のあたしは、精霊そのもの。『人』を侵す病が、『神』に効きやしない」
そもそも『王衣指輪』とは精霊の力を『纏う』魔法。
あたしの『成神』は更にその先――――精霊との『融合』を果たす。
アルフレッドやレオルたちみたいに、『王衣指輪』使用後は顕現する武器が、あたしにはないのもそのため。あたしの場合は、この身体、全身、存在そのものが武器になるからだ。
「そんな魔法が、あったとはね……! 知らなかったよ」
「留学してる間に身に着けた魔法だから。あんたが知らないのも無理ないわ」
本当は、使いたくなかった。
「本当は使いたくなかったんだけどね。魔力の消耗が激しすぎる上に、使った後は全身が痺れて三日間はまともに戦えなくなるから」
あんた相手に、使いたくなかった。あんたと戦うために身に着けた魔法じゃなかったのに。
「『万雷』」
精霊状態で放つ万雷。幾千幾万もの雷の雨が降り注ぐ。ロレッタはステップでかわそうとするが――――無駄だ。
この雷の雨は直線ではなく、軌道を幾らでも修正し、狙った場所に必ず当たる。
「がぁああああああああああああ!?」
降り注ぐ閃光が殺到する。躱せないとロレッタは瘴気の風で防御を張るが、それでも貫通した雷がその身を焦がし、今度はロレッタが膝をついた。
「くっ……! 今のは、効いたよ」
『六情の子供』になった効果だろうか。かなり頑丈な肉体になっているらしい。普通の人間なら、今ので気絶ぐらいはしてたはず。
「……ねぇ、ロレッタ。他人の不幸を喜ぶ気持ちは、あたしにも解るわ」
レオルが王になれないと聞いた時、知った時、分かった時。
あいつに同情もしたけれど、そこに喜びが無かったと言えば嘘になる。
「あたしの中にもそういう黒い心はあって……そういう暗い喜びはあった」
これであたしも王様になれるかもしれない。そう思わなかったと言えば、嘘になる。
「でもね……『助けてくれてありがとう』って言われると嬉しいし、友達が魔導技術研究所の試験に合格した時も、自分のことみたいに嬉しかったし、あんたがあたしの歌を褒めてくれた時も、最高に嬉しかった。心の底から喜べた」
瞼を閉じるだけで、こんなにも出てくる。嬉しかったこと。喜んだこと。
学園の実習中、魔物に襲われてる商人をロレッタと一緒に助けて、『助けてくれてありがとう』って言われた。
魔導技術研究所の試験勉強をする友達を、ロレッタと一緒に手伝った。合格発表の時は三人で泣いたっけ。
歌を褒められることもたくさんあったけど、ロレッタから褒められるのが一番嬉しかった。
「この喜びはね。全部……あんたに教えてもらったことよ」
「私はまったく喜べなかったよ。君たちに合わせて喜んでいただけ。あの頃は、まだ自分のことがよく分かっていなかったからなぁ……今思うと、くだらないとすら思っていたんだろうね」
それがあんたの本音か。残念だ。本当に。
「あんたの言い分も理解はできる。でも、それだが喜びとは思えない」
「……やはり無理か。君は前から殺してやりたかったけど、分かり合えるとは思っていたのに」
「あたしが一番の夢を叶えられないから?」
「そうさ。レオルという不出来な弟が『男』であるというだけで王位を継げない。ならばレオルに不幸が起きた時、君はきっと喜びを抱く。暗く、どす黒い喜び。その一点において、分かり合えるとは思っていた」
「そうね。嬉しくなかったといえば嘘になるけど、心の底からは喜べなかったわ。……それとね、ロレッタ。あんた一つだけ間違ってるわよ」
「なに?」
「あたしはまだ、王位を諦めていない」
「――――は?」
やっと言えた。あたしとしたことが、身体が少し震えてる。
まだ誰にも言ってないこと。誰にも言えなかったことを、ついに口に出せた。
「ううん。違うわね。正確には……諦めないことにした」
……まったく。アルフレッドのやつ。我が弟ながら凄いわね。
黒髪黒眼で国中から忌むべき者と呼ばれている身でありながら、こんな風に堂々と、あたしに宣言してみせたんだもの。こんなにも怖いコトを、堂々と。
「待て。君は、何を言っている?」
「あたしは王様になる。もう諦めない。あたしの一番欲しい最善を、この手で掴む。そして……あたしやあんたみたいに、夢を自由に持つこともできない子を少しでも失くしたいから。それがあたしの叶えたい夢」
「だから……!」
「弟に倣って、諦めることをやめにしたの。今日は、これをあんたに言いに来た。これだけは、伝えておきたかった」
「――――黙れ!」
ロレッタが咆えた。これまで見せたことのないような顔をした。
「やっと、見たことのない面を見せてくれたわね」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 何が夢だ! 何を……今更! そんな綺麗事! くそっ! 今更なんだよ! 全部! 何もかも! やっぱり君は最低の女だ! 恵まれていることに胡坐をかいて、そんな戯言ッ! 見下して!」
「あたしは恵まれてる。そこは否定しない」
「それが本音か! 本性か! やはり君は、下々の者のことなど理解できやしないのさ!」
あたしが傲慢だったのは、親友のことを理解してやれると思っていたところだ。
そんなことは最初から無理だった。親友だろうが家族だろうが、全てを理解することなんて、できない。
「それは裏を返せば、あんただってあたしの気持ちなんか理解してないってことでしょ」
今のあたしがどんな気持ちでここにいるのか。あんたと戦っているのか。
それを理解していないのは、ロレッタ。あんただって同じだ。
「恵まれているからって、全部が上手くいくわけじゃない。苦しんだりしないわけじゃない。傷つかないわけじゃ、ない……」
分かってないんでしょう? 今、あたしがどれだけ苦しんでいるかなんて。
「何を言い出すかと思えば……くだらない! 恵まれている者の気持ちなんて理解する必要はない! ただ黙って私に殺されていればそれでいい!」
「…………そう」
「もう殺すだけだ。不愉快な戯言を吐く、その口を閉ざすだけだ!」
「もう親友とは思えない?」
「思いたくもない!」
ロレッタの剣から風が溢れ、そして刃を中心として渦を巻く。
さながら暴威の嵐。触れるもの全てを飲み込み、切り刻む牙が如き瘴気の暴風。
「私の前から消えろよ!」
「消えてやらない。絶対に」
あたしの渾身。あたしの全力。
「あたしは恵まれてる。それは変わらない。だったら恵まれてるなりに、これからはやれることをやっていく。恨まれたって傷つけられたってね」
「黙れと言った!」
この右手に魔力を集め、全てを込める。練り上げ、凝縮した雷の魔力が高密度の紫電となって、一筋の閃光と化す。
「『噛風』!」
「『雷霆』!」
風と雷。
魔法同士の激突は轟音を奏で、この空間一帯を大きく揺らし、鳴動する。
均衡も、決着すらも、一瞬だった。瘴気の闇が裂け、視界が真っ白に染まって――――あたしの目の前で、人影が床に倒れ伏した。
「やっぱ強いわ、あんた」
「それは…………嫌味かな?」
「あんたが心を乱していなければ、もう少しでこっちの魔法が裂かれた。力じゃなくて、練り上げられた剣の技でね。……『成神』を使ったあたしが紙一重の段階まで追い詰められるなんて、普通はあり得ないから」
「やっぱり嫌味だ。殺さないように魔力を加減してたくせに」
ロレッタの声には悔しさが滲んでいた。こんなにも余裕が無くて、悔しさを剥き出しにした声は、今まで聞いたことのないものだ。
「なぜ殺さなかった。私を殺しに来たんじゃないのか」
「……ここに来た時は、あんたを殺すつもりだった。でもそれはね、逃げてただけなのよ。親友だと思っていたあんたの本音から……逃げてただけ。怖かった。向き合えなかったから、殺して終わりにしようとした。怖い思いをするぐらいなら、って……ガキよね。ほんと」
「殺せばいい。言ったはずだ。私は君を殺したいと思っていた。ずっとだ」
「嫌よ。殺してあげない」
「なぜだ」
「……あんたのことも、諦めないことにしたから。自分の夢を諦めないって決めたように」
「なんだよ…………それ……」
ロレッタの声が震えたかと思うと、やがて左目から透明な雫が零れ、頬を伝う。
「くそっ……くそぉ……なんだよ……今更になって諦めない、なんて……なんだ、それは……なぜ君は、先に行ってしまうんだ……」
「……ごめん」
「私たちは、同じだったはずだろう……同じ、諦めた者同士だったはずなのに……一番の夢は、最善は掴めなくて、次善を追いかける……地の底で、一緒に見上げてくれるんじゃなかったのか……」
「ごめんね。あたしはもう、あんたと一緒の場所には居られない」
「私を……置いて、いくな……置いていくなよ……ルーチェ……自分だけ、前に進むなんて……ズルいじゃないか……」
心を乱すほど許せなかったのだろう。
あたしだけが諦めることをやめて、前を向いて、先に行ってしまうことが。
結局のところ、ロレッタはあたしに一緒に堕ちてほしかったんだ。
掴めなかった者同士、地の底で、見上げるだけの存在でいてほしかった。
自分と同じように、不幸なままでいてほしかった。
世界中の誰もが、自分と同じように不幸でいてほしかった。
……今になって、分かるなんてね。いや。これも分かった気になっているだけかもしれないけど。
「あたしは、先に行く」
「待て……待てよ、ルーチェ……!」
ロレッタは今、どんな顔をしているのだろう。手を伸ばしているのだろうか。解らない。
私は前だけを見て、あいつには背を向けているから。その表情を見ることはできない。
「待って…………私を、置いていくなぁあああああああああ!」




