第97話 流星の拳
「破ッ!」
ロベルトが拳を振るうだけで、発生した衝撃波が周囲の騎士を薙ぎ払う。
恐るべきはアレは魔法ではなく元の膂力に練りこんだ魔力を乗せているだけ。つまり、魔法とすらいえないただの力技だという点だ。事実、ロベルトの右拳には指輪がつけられてすらいない。
金髪の人造人間、CT-7110はその冷静な眼差しで、豪快かつ情熱的な男の戦いを観察する。
「さて、これで粗方の騎士は片付けたか。残るはお前だけだな! 金髪の騎士よ!」
「そのようですね」
「はっはっはっ! 追い詰められた割には冷静だな!」
「否定します」
騎士は言葉を否定する。少なくとも現状で、ロベルトの言葉に肯定する要素はなかった。
「ほう? 何か策でもあるのか?」
「前提が違います。そもそも私は、追い詰められてなどいません」
騎士は己の内部に刻まれた魔法を発動させる。
戦闘用の人造人間は指輪を必要としない。彼らの肉体には、オルケストラで開発された魔法石が埋め込まれている。
「……ふむ。盾か」
その手に顕現されたのは、ロベルトが零した通り、盾。
マキナ・オルケストラを守護する騎士、CT-7110専用に開発された防御用の魔道具。
「面白い! その盾、砕いてみせよう!」
魔力を練りこんだ拳。他の騎士たちを諸共に吹き飛ばしてきた一撃を――――
「…………!」
――――鋼鉄の盾は、容易く受け止めた。
「『模倣・災除楯』」
「恐ろしいほど何も響かぬな! ここまで硬い盾ははじめてだが……しかし!」
この盾を前にして、ロベルトは一歩も引かない。
それどころか更に拳を握りしめ、更なる魔力を右腕に注ぎ込む。
「これならば……どうだぁ!」
先ほどとは明らかに桁違いの魔力と膂力。紛れもない本気の一撃であることは明白。
当たれば致命的などとは言うまでもない。掠っただけでもかなりのダメージだろう。
たとえるなら流星。宙より降る岩石が如き拳。
「――――なに……!?」
鋼鉄の盾は流星を飲み干すように、全ての一撃を無に変えた。
「まったく響かん……オレの拳、衝撃。手応えすらもないとは!」
「あなたの攻撃は全て遮断可能と判断しました。『火炎魔法槍』」
「ぐおっ!?」
至近距離で炎の槍を叩き込む。無論、至近距離での攻撃は自分をも巻き込む諸刃の剣。特に火属性の魔法は爆炎が発生する。しかし、この『模倣・災除楯』はそれすらも無効化する。
対し、至近距離で『火炎魔法槍』を叩き込まれたロベルトはその巨体が吹き飛び、地面に転がった。
「……あなたを排除します」
炎に包まれた巨体に近づこうと一歩、足を踏み出したその時。
「はっはっはっ! 今のは効いたぞ!」
爆炎を振り払い、最中からロベルトが悠々とした足取りで姿を現した。
「驚きました。今のを喰らって、まだ立っていられるとは」
「身体の頑丈さには自信がある!」
比喩でも冗談でもないのだろう。第二王子ロベルト。圧倒的な膂力を生み出す彼の肉体は、明らかに突出している。
「しかし、こちらも驚いたぞ! その盾、まさかオレと同じ力で受け止めてくるとは!」
「…………!」
CT-7110が装備する『模倣・災除楯』。
この盾が持つ機能は至極単純。
敵の攻撃を受ける瞬間、盾の表面に相手の攻撃力と同じ量の魔力を放出し、攻撃を相殺させるというものだ。
百の攻撃力なら、百の魔力を。千の攻撃力なら、千の魔力を。
同じ量だけぶつけ、相殺し、完全な虚無へと変える。
たとえそれがどのような属性であろうと、絶対の破壊力を持つものであろうと、必殺の一撃であろうと、ありとあらゆる性質の攻撃・魔法を防ぐ。
ロベルトの攻撃とて同じこと。仮にこれが絶対的な硬度を持つ盾であったとすれば、いずれ強度の限界が訪れ、砕かれていただろう。しかしこの盾は砕けない。彼の攻撃は無になる。無の拳で盾が傷つくことはない。
「感服いたしました。これほど早く見切られるとは」
「見切る、か。少し違うな」
「違うとは?」
「オレは拳を突き合わせれば、たいていのことは見えてくる。たとえそれが剣であろうと盾であろうと、拳越しに感じることができる。しかし……お前の盾から感じるものは、まるで鏡を見ているような感覚だった。オレの力に対し、ただ同じ力で応えるだけだとな」
「あなたは感覚的なものが優れているのですね」
「はっはっはっ! 感覚派だとよく言われる! ……ところで、金髪の騎士よ!」
「なんでしょう」
「見ての通り、オレは頑丈だ! 故に遠慮することはない! お前の持つ本音、本心を、オレにぶつけてくるがいい! 全て受け止めてやるぞ!」
「…………意味を理解しかねます」
ロベルトの突然の言葉に反応が遅れた。彼の言葉に、なぜか身体が硬直する。
「私はただの、空っぽの人造人間に過ぎません」
「ほう。お前には、お前というものがないと?」
「肯定します」
「嘘をつくな」
なぜか己の胸に剣を突き立てられたような錯覚を抱く。
なぜ、という言葉が騎士の頭の中をノイズの嵐となって吹き荒ぶ。
「言ったはずだ。拳を突き合わせれば、たいていのことは見えてくると」
「……何を仰りたいのでしょう?」
「お前は、己の在り方に揺れている」
「何を根拠に。拳とやらで何が分かるのでしょうか」
「本当に空っぽの人間は、己を空っぽの人造人間とは表現しない」
「――――っ」
ただの感覚派。奥底での侮りから、足元をすくわれた。
「……攪乱のつもりですか?」
「はっはっはっ! オレはバカだからな! 頭を使った作戦はめっぽう苦手だ!」
しかし、とロベルトは拳を握る。
「オレは後悔している! 兄上から感じていた壁、苦悩。それがあると分かっていながら、オレはその壁を砕くことをしなかった! 頭の悪いオレでは力になれぬと、悪戯に兄上の心を傷つけてしまうだけだと逃げた! そして兄上は暴走し、腕を失ったと聞いて、死ぬほど後悔した! そして決めたのだ! もう二度と己の頭の悪さを言い訳に、逃げることはしないと! お前のように苦悩する者あらば、力になるとな!」
「私は苦悩しません」
「はっはっはっ! お前も中々に頑固だな! だがオレも頑固だぞ!」
ロベルトは唯一、装備している指輪を輝かせる。
金色の魔力が指輪を通じ、弾けるように世界に響き渡る。
「始まりを告げよ! 『ポリュデウケス』!」
王族が持つ高位指輪。契約した精霊の力を引き出し、その身に纏う『王衣指輪』。現在確認されているものの多くは武器を使用するタイプだったが、ロベルトの手にそれらしい武具は顕現していない。
「オレの武器はこの拳! この身体! そしてここは、オレたちの闘技場となった!」
騎士の心の内を読んだかのように叫ぶロベルト。
彼は肉弾戦を仕掛けてくることは間違いではないのだろうが、ルシルからもたらされた情報によれば、彼の『王衣指輪』の力はこれだけではない。
事実、既に周囲一帯の空間が歪み、この場一体が異なる摂理に支配されたことを知覚する。
背中にチリチリと伝わってくる魔力の壁。魔法で作られた空間に閉じ込められた。
「魔法空間を構築し、敵諸共に己を閉じ込める。あなたが入口を死守するべく単身で残ったことも頷けます。足止めに適した魔法ですね」
「うむ! 入口を明け渡すわけにもいかんからな! 何よりこれで、存分にお前と殴り合える!」
「構いません。私がルシル様から下された真の命令もまた、あなたをここに足止めすることですから」
「はっはっはっ! 違うな! 言っただろう! お前と殴り合える、と!」
このロベルトという男はとことんまで殴り合うつもりだ。盾を構え、防御に徹するスタンスを崩すつもりだ。
(……ありえない)
己は人形だ。空っぽの人造人間だ。
命令こそが絶対で、命令とあらば仕える主すら容易く変わるだけの人形。
「いくぞ!」
「…………!」
掛け声の直後、間髪入れずに拳が盾を叩く。元の規格外の膂力に『王衣指輪』の魔法が合わさり、先ほどまでとは比べ物にならい速く重い一撃。しかし、強化された肉体を持つ戦闘タイプの人造人間による眼と反応速度が防御を完璧に合わせる。
「まだまだぁ!」
拳の雨、否。拳の流星群とも称するべき連撃が襲い来るが、名も無き金髪の騎士は全てを盾で防ぎきる。拳の一発に対して寸分も違わないほど均一の魔力をぶつけ、威力を相殺する。
「無駄です。あなたに私は砕けない」
「無駄だ! お前にオレは止められない!」
先ほどのように『火炎魔法槍』のような攻撃魔法を繰り出せるだけの余裕はない。しかし、防御に徹すれば止められないわけはない。
「はっはっはっ! やはり伝わってくるぞ! オレの拳に! お前の盾から、お前の苦悩が!」
「戯言を」
「お前は自分の騎士としての在り方に苦悩している!」
盾の防御魔法を維持するための魔力は潤沢。
戦闘タイプの人造人間は魔力量を増やすための機能を仕込まれている。
「現在の主に仕える己に対し、怒りを抱いている!」
「…………っ!」
「そう……怒りだ! 少しずつ分かってきたぞ! 貴様の苦悩に込められた心は、怒りなのだな! 金髪の騎士よ!」
ロベルトの言葉などただの攪乱。こちらを動揺させるためのもの。
そう理解しようとしても、言葉の拳は盾をすり抜け心を穿つ。
戦闘タイプ人造人間CT-7110。
彼はマキナ・オルケストラを守護するために造られた。彼女の盾となるべくして造られた。
盾となるために必要な情報の取集として、休眠状態であっても、活動中の『マキナ・オルケストラ』からは常に情報が送られてくる。彼女が過ごした月日。日々。日常。彼女の想いも、何もかもが、情報となって送られていた。
マキナ・オルケストラ。自分と同じ空っぽの人造人間。
だがCT-7110は共に視ていた。彼女が人間となっていく姿を、その軌跡を。
人造人間という枠組みから外れ、心を育んでいく日々を。
護りたいと思った。予め組み込まれた命令ではなく。一人の騎士として、この主に仕え、護ることができる時を夢見ていた。
――――夢から覚めた時、そこに居たのは育んだ心を弄ばれた主だった。
権限を書き換えられ、自分はマキナ・オルケストラの心を砕いた女に仕えることになった。
当然のように従った自分に腹が立った。そう。怒りだ。コレは、怒りなのだ。
マキナ・オルケストラの心を弄んだ悪魔の女への怒り。そんな悪魔へと容易く仕える人形である自分への怒り。人造人間である自分への怒り。
「違う!」
そんなものを抱いてはならない。自分は人造人間なのだから。忠実に、命令だけに従っていればいい。
「違わん!」
咆哮が如き叫び。打たれた拳に、盾が圧された。攻撃に対する魔力の均衡が崩れたのだ。
「怒りがあるなら叫べ! 解き放て! 曝け出せ! 今ならオレが受け止めてやる!」
「私は……空っぽの、人造人間だ……!」
「その割に先ほどからよく喋る!」
均衡の崩壊が止まらない。相手の攻撃力に対し、こちらの魔力が下回っている。
「空っぽの人造人間だと? それが真実であるならば、言葉が溢れることはない! 貴様には言いたいことがあるのだろう? 心に秘めたことがあるのだろう? そうでなければ、言葉が零れるものか!」
「…………! しかし、私は……!」
「苦悩し、怒り、心を壊すぐらいならば、人造人間であることなどやめてしまえ!」
盾の魔力が乱れる。拳が常に護りを超える。言葉の拳が、心に満ちる。
「なぜだ……なぜ、あなたはここまで……!」
「お前はきっと、善いやつだからな!」
「…………っ!?」
「かつての主を思い、悪しきに逆らおうと苦悩するお前は、きっと善いやつだ! 善いやつならば助けねばな!」
それだけ。たったそれだけの理由で、ここまで堂々とぶつかってくるのか。
「あなたは今、世界を賭けた戦いの最中のはずだ」
「そうだ!」
「夜の魔女。王家の宿敵。最も優先すべき敵がいるはずだ」
「そうだ!」
「あなたはきっと、全力を出さずとも私を倒して先に進めたはずだ」
「そうだ!」
「そして私は、あなたの敵だ」
「そうだ!」
「なのに――――善いやつだから助ける。たったそれだけの理由で、わざわざ消耗してまで、私に手を差し伸べるというのか?」
「そうだ!」
言い切った。迷いもなく。
「それがオレの目指す、王としての在り方だからな!」
「は…………」
思わず笑いが漏れた。嘲笑ではない。あまりにもバカバカしくて、その真っすぐさに心からの笑みが零れたのだ。
(ああ、羨ましい)
ここまで真っすぐに心を発露できる目の前の男が。
羨ましいと、思ってしまった。
情けないと、思ってしまった。
この期に及んで命令に逆らえず人形である自分が。
「私は盾だ。盾は逆らうことはない。怒りを抱くことはない。私は盾だ。私が盾である限り、この苦悩と怒りを押し込め、盾に徹する。それが私という人造人間に与えられた使命です」
「やはり頑固だな、お前は!」
「自分ではどうしようもないのです。あなたの言う通り、私はルシルに怒りを抱いている。人形である自分に怒りを抱いている。ですが人造人間とは、そういうものなのです。権限という鎖。命令という呪縛。そうであれと命じられれば、そうであるしかない。マキナ様はイレギュラー。私は彼女のように、自由にはなれない」
「ならば砕く! その盾を! その戒めを!」
恐らくこれが最後の激突。ロベルトの拳に漲る金色の魔力が、渾身の破壊力となって迫る。
「そしてオレが命じよう! お前は今この時、この瞬間から! このオレが認めた戦士であり、人間だ! オレがそう決めた!」
全身に輝きを纏い直進するロベルト。その姿はまさに流星。宙を走る光。
「騎士よ! オレの命令に従い、自由となれ!」
繰り出される拳は盾を砕き、騎士の心を貫き穿つ。
そして感じた。目の前のロベルトという男に惹かれたこと。憧憬という名の拳が、ルシルからの命令を跡形もなく粉砕したことを。




