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第86話 姉と弟

「――――……」


 ぼんやりとしていた意識が徐々に鮮明になっていく。全身の感覚が戻り、気力が駆け巡るような感覚。


 現実の世界があたしを呼んでいるような気がして、その求めに応じるように瞼を開くと――――


「おぉ、起きたか姉上! これはめでたい! はっはっはっ!」


「………………………………」


 弟の喧しいツラがあたしを出迎えた。


「む? どうした、疲れきったような顔をして」


「そりゃァね。病み上がりに拝みたいツラじゃないでしょうよ」


 第二王子のロベルト。留学に行っていたはずの、あたしの弟。

 その無駄にデカい身体の傍にあるテーブルには見覚えのあるデザインの、機械仕掛けの犬が大人しく座っていた。


「……ソフィも帰ってきてたのね」


「うむ! 色々とあってな! どんな色々かはだいたい忘れてしまったが!」


「あぁ、留学に行ってもその頭は改善されなかったのね。姉として電撃的に嘆かせてもらうわ」


 この調子だと、ロベルトの側近であるクリフォードも相変わらず苦労しているようだ。

 とはいえクリフォードのロベルトに対する忠義は、行き過ぎていると言っていいぐらいだから、本人からすれば満足なんでしょうけど。


「あんたも驚いたでしょ。レオルのこととか、色々と」


「帰ってきたら兄上があんなことになっていたのは、正直言って驚いたし、今となっては悔いてもいる。オレは確かにバカだが、何かできることがあったのではないかとな」


「…………そうね。その点に関しては同意よ」


 レオルのバカがあたしたち家族に対して劣等感を抱いていたのは知っていた。

 ただ、それはあたしたちじゃどうにもできないことだとも思った……いや。違う。


 あたしは、心の底ではレオルに対して嫉妬していた。


 生まれた時点で王になることが約束されていた。あたしが欲しい物を持っていた。だから、あの子の苦しみから目を逸らしていたんだ。


 ……同じだ。ロレッタのことも、同じだ。


 あの子の家のことは知っていた。クソみたいな父親のことも知っていたのに。

 苦しんでいたはずなのに。あたしは何も気づくことができなかった。親友があそこまで歪んでいたことに気づかなかった。


(はっ……クソだわ、ホント)


 欲しいものは、それが一番輝いている状態で手元に置いておきたい。

 周りの人たちに幸せになってほしい。


 だけど。あたしはいつだって、一番近くにいるものが見えていない。


 レオルのことも――――親友ロレッタのことも。


 何も。何も、見えていなかった。


「そう考えると…………アルフレッドは偉いわね」


「フッ……確かにな。オレたちの中で、最も兄上に懐いていたのがアルフレッドだったからな。だというのに、自ら正面をきって喧嘩した。レオル兄上の心と直接ぶつかりあい、傷つけあった」


 あたしにはできなかったこと。それをあの弟はやってのけた。


「親しき者と本音でぶつかうのは、誰でもできることではない。うむ! 我が弟ながら天晴あっぱれだ!」


 こうして素直に称賛することができるのは、ロベルトの良いところね。

 あたしもアルフレッドを称賛する気持ちはあるけれど、やはりどうしても悔しさも滲ませてしまう。


「男子三日会わざればなんとやらというやつだな!」


「……あの子が変わったのはシャルロットちゃんの力が大きいわ。そこんとこ、忘れないであげてよね」


「解っているとも! 影を知るアルフレッドと、光を持つシャルロット嬢。二人は互いを補い合える、良きパートナーとなる……可能性がある!」


「可能性、ね……」


「うむ。なんというかな。あのご令嬢は…………あんぶる……あんぶるさる?」


「アンバランス」


「それだ!」


 せめてもう少し掠めなさいよ。


「……あんたの言いたいことは、あたしも解るわ」


 影と光。きっと、どちらかだけではダメだったはずだ。

 二人が揃っていたからこそ、欠落を補い合っていたからこそ、レオルとの一件は解決できたものなのだと思う。


「アルフレッド。あいつは影として立ち回った経験や相応の実力がある。けどシャルちゃんは、備わっている力に対してまだまだ足りないものが多い……」


「うむ。影を知り、光を知り始めたアルフレッドに対し、あの婚約破棄の一件を考慮しても、シャルロット嬢はまだ影を知らん」


 影を知り、光を知り始めたアルフレッド。

 光を知り、影を知らぬままのシャルちゃん。


 一見上手く噛み合っているようで、その均衡は危うい。何よりアルフレッドはここ最近、実力を伸ばしてきている。経験が足りないシャルちゃんを置き去りにするように。


「あの子、ちょっと真面目過ぎるところがあるから……ちょっと心配だわ」


「はっはっはっ! 相も変わらず、姉上は優しいな!」


「あたしはいつだって電撃的に優しいお姉さまでしょ」


「………………………………そうだな!」


 なによその間は。


「しかし、成長しているとはいえ今回ばかりはアルフレッドのことも心配だがな」


「マキナちゃんの件ね……」


 彼女のことは以前から危惧していたことではある。

 あの子がアルフレッドに対して恋心を抱いていたことは知っていた。それを自分の心の中に押し込めていたことも。

 今まで似たような子を見てきたことがある。だからこそ、いつか何かの形で爆発する前に、何とかしたいと思っていたけれど……まさかこんな最悪な形で爆発するとは、さすがのあたしにも予想がつかなかった。


 ……恐らく、レオルの時と同様に、ルシルに心の隙間をつかれたのだろう。


 本当に厄介な相手だ。普通に強いだけならそっちの方が簡単だ。団結を以て倒せばいい。

 しかし、人間が持つ心を巧みに弄んでくるルシルのやり方は、ただ強いだけの怪物よりも脅威と言わざるを得ない。


 彼女のことを責めることはできない。だって、心なんてものは自分ですら制御がきかない代物なのだから。あたしだっていつ、同じようになるか分からない。それは人間だったら、心を持つ者なら誰だってそうだ。責めるとすれば、人の心を踏み躙るルシルの卑劣さを責めるべきだろう。


「……ただ弟の身を案じている、ってわけじゃあないんでしょう?」


「流石は姉上だな。お見通しか」


「やめなさい。見えたって、目を逸らすような臆病者の姉なんだから」


「オレにとっては尊敬できる姉だとも」


 こういう時、いつも思う。

 レオルはきっと、ロベルトのこういうところに劣等感を抱いていたのだろう。


「今回の敵はこれまでとは違う。……いや。あいつの中で、マキナというメイドは『敵』にすらなっていない。『被害者』。『取り戻すべき仲間』。今も尚、その認識だろう」


「実際そういう面もあると思うわよ」


「だが、そのメイドは自らの意志で『六情の子供』と共に去った。ならば我ら王家の者にとって、倒すべき敵であるはずだ」


「…………分かってる」


 復讐心を煽られ、ただ『土地神』に対して復讐しようとした、平民。かつ、幼い子供であるネネルちゃんとは話が違う。

 アルフレッドという第三王子に仕えていながら、敵である『六情の子供』に自らの意志で協力を示した。


 ロベルトの言った通り、現在いまのマキナ・オルケストラは――――あたしたちの敵だ。


「マキナちゃんの話を聞いた時から、決めてたもの。もしその時がきたらあたしが確かめてやるってね」


「うむ。実はな、それを言いに来たのだ」


 ロベルトは立ち上がると、自らの拳を掌に打ち付ける。


「その役目はオレが担う、とな」


「なによ。せっかく電撃的に姉らしいことをやってやろうっていうのに、横取りする気?」


「はっはっはっ! そうしたくはなかったのだがな、その身体で無茶はさせられまい! ……いや、違うな。無茶をするのは構わない。が、その無茶は温存しておくべきだ。姉上には決着をつけねばならぬ者がいるのだろう?」


「余計な気ぃまわしてんじゃないわよ」


「弟だからな!」


 本当にそのために来たのだろう。ロベルトはあたしに背を向けると、最後に「せっかくの弟の気遣いだ。ゆっくり休んでいてくれ!」と言い残し、そのまま部屋を出ていった。


「…………気合入れなさいよ。アルフレッド」


 でないと、ロベルトのやつにぶっ飛ばされるわよ。




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