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第63話 戦いの前に

 体の中を渦巻く倦怠感。流れ込んでくる僅かな風を肺の中に取り込もうと、無意識の内に口が開き、呼吸が荒くなる。そうして何度か、新鮮な空気を取り込んでいくうちに、差し込む日差しの感覚が徐々に鮮明になっていく。


 やがて額に温かくて、柔らかくて、どこかぎこちない感触――――いつの日だったか。体調を崩した時、熱を測るために父が額に手を乗せてきた時のことを、ネネルは思い出した。


「ん…………」


「お、目ぇ覚めたか」


 瞼を開くと、そこに父はいなかった。さらさらとした黒髪。吸い込まれそうになる黒の瞳。


「えろえろ王子……」


「絶対に突っ込まねぇからな」


 アルフレッド・バーグ・レイユエール。

 あの『土地神』を浄化しにやってきた、黒髪黒眼の第三王子。


「…………何が」


 あったのか。

 ネネルが覚えているのはあの地下室に行って、モーガンと再会し、そして……両親が『土地神』に殺されてしまうところを見て――――


「…………っ……」


 無意識の内に自分で自分の身体を抱きしめていた。

 背筋に寒気が走り、震えが止まらない。


「…………ぁっ……」


 くしゃり、とアルフレッドの手がネネルの髪を撫でる。

 そっけない顔をして、頭を撫でる手つきだってお世辞にも丁寧とは言えないのに。それでも気遣っていることは不器用ながらも伝わってくる。


「屋敷に戻った後、お前はすぐ眠っちまったんだよ。覚えてないか」


「……覚えてない」


 力なく首を横に振る。屋敷に着いてからのことは覚えていない。

 覚えているのは両親の死にざまと、モーガンの言葉……。


 ――――ネネル。今なら出来るんだ。ここにある『禁呪魔指輪カースリング』のコピーと、お前の才能をもってすれば、圧倒的な力で『土地神』をねじ伏せられる。家族の仇をとることが出来るんだよ! さあ、この手をとれ!


 差し伸べられた手。闇より出でる手。それをとることを考えた。考えて、しまった。


「…………」


 ふと、自分の手のひらを眺める。

 アルフレッドが遮らなかったら、どうしていたのだろうか。

 差し伸べたモーガンの手をとっていたのだろうか。そうしていた場合、今頃は復讐に加担して、『土地神』を討つことが出来ていたのだろうか。


「ねぇ。これから……『土地神』を浄化しに行くの?」


「……そうだ。俺はこれから、お前の親の仇を助けに行く」


「…………」


 突きつけられた事実に言葉が出ない。

 嫌だったはずなのに。救おうとする連中が憎いはずだったのに。

 その憎しみは今も絶えていない。されど、今ネネルの心に塗られているのは『憎しみ』の一色ではなかった。


 ――――お前、もしかして――――『土地神』を殺さなくてもいいと、安心したんじゃないだろうな?


 モーガンの言葉は図星だった。

 ほんの僅かに期待していた自分がいた。

 両親は領主の思惑に巻き込まれて命を落としたのだと。


 あれは事故ではなく、悲劇でもなく、分かりやすい『悪役』がいて、何も考えずにそれさえ倒してしまえばすべてが解決するような……そんな展開を心のどこかで期待していた。


 だが違った。


 父親は『土地神』を救おうとしていた。しかし汚染された『土地神』は正気を失い、無残にも両親を殺した。だとすれば、ネネルが復讐すべき相手はやはり『土地神』しかありえない。


 殺せばいい。殺すべきだ。単純シンプルな方法をとれば、悩まずにいられる。


(でも……じゃあ、どうして……あたしは悩んでるの……?)


 ――――俺の家族が殺されたんだぞ。なのにあいつらは……『土地神』の事件を、ただの不幸な事故だと思って……無関係だと思って、今日ものうのうと平和に暮らしてやがる! 今も『土地神』に縋りついている! クズ共が! 反吐が出る! 許されるはずが無いだろう! そんなことが!


 微かに記憶の中に在るのは、薄暗い闇の中で爛々と血走った眼を向けてくるモーガンの姿。


 モーガンとは『土地神』の一件がある前からの知り合いだった。

 厳密には父親の友人で、彼には家族もいて、子供もいて。

 あの頃のモーガンは優しかったと思う。ちょっと不愛想なところはあったけれど、家族に見せる顔はとても優しかった。家に遊びに行くとお菓子をくれたこともあって、それを友達と一緒に食べて……しかし、今のモーガンからはその面影すらも失せてしまった。


 怖かった。嬉々として力を、復讐を語る彼の貌が。

 不愛想なりに優しかった近所のおじさんの姿はそこに無く、復讐に憑りつかれた魔物のようにしか見えなかった。

 そして――――そうなることに魅力を感じてしまった自分自身も怖かった。


 少し前なら何も怖くなかったはずだ。同じように嬉々として復讐に身を委ねたはずだ。それしか選択肢がなかったから。それ以外のことなど眼中になく、視界にすら入ってこなかったから。


 今更になって恐れを抱いてしまったのは……分かっている。

 アルフレッドのせいだ。

 彼が示してくれた。他の選択肢があると。


 復讐という闇の中に身を落とすこと以外にも、前を向いて生きるという選択肢を置いてくれた。


 両親が居なくなってしまっても世界は残酷にも回っていて。串焼きは変わらず美味しくて。アルフレッドをからかいながら、こうして残酷な世界でも前を向いて生きるのも悪くないと思ってしまった。


「ねぇ……あたし、どうすればいいの……?」


 気づけば、縋るような声が出ていた。


「あたし、どうすればいいのかな……?」


 答えが欲しかった。

 もう何も考えたくない。どちらかを選びたくない。

 だから分かりやすい答えが欲しかった。


「……お前がどうすればいいかなんて、俺には分からねぇよ」


 アルフレッドは、そんな甘えを切り捨てた。


「それはお前自身で決めなきゃいけないことだ。じゃないと一生後悔する」


 いや。違う。


「何を選んだっていい。どっちを選んだっていい。お前が決めた選択なら、俺は何でも受け止めてやるよ」


 彼は既に告げていた。


 ――――お前が色々なものを見て、知って。それでも復讐を選ぶなら俺はそれを止めない。


「…………もし、あたしが『土地神』を殺したいって言っても、それでいいの?」


「お前が選んだのならな」


「…………ヘンなの。普通、止めるよ。だって、みんなそうだったもん」


 周りの大人はみんながネネルを止めた。

 気持ちは分かるがバカなことはやめろと。可哀そうだが踏み止まれと。

 両親が死んだ直後、そんな『正論』がネネルを囲っていた。


「残念なことに、俺は普通じゃないんだよ」


 アルフレッドは背中にかかっていた自分の黒髪をつまんでみせた。


「今のお前が『土地神』の復讐を選んだのなら、それはきっとよく考えた上でのことだろ。それならそれで構わない」


「…………」


「けど、俺は『土地神』を助ける。それが王族としての使命シゴトだからな。それを邪魔しに来るなら、俺はお前とも戦うし、お前を全力で止める。それがお前の選択を受け止めるってことだと思うし……まぁ、俺なりの責任の取り方ってやつだな」


「……なにそれ。子供相手に大人げないって思わないの」


「自分で道を選んだやつを子供ガキ扱いするかよ」


 その言葉で、色々なものがストンと落ちた。


 子供だから。両親を失ったから――――そんな理由で加減をしたりはしない。

 アルフレッドは全力で、全身全霊で、ネネルのことを受け止めようとしてくれている。

 言い換えればそれは、甘えてもいいということだ。全力でぶつかってもいいということだ。

 落ちてはならないところに落ちる前に、受け止めてくれるということだ。

 突き放しているようで、その実、アルフレッドはネネルに最大限の優しさを提示している。


「…………じゃあ、約束して」


 あまりにも不器用な優しさに、思わず笑みが零れる。


「あたしがどんな道を選んでも……絶対に受け止めてね、アルフレッド」


「…………ああ。約束だ」


     ☆


 ネネルと約束を結び、部屋を出た後、視界の端に見覚えのある背中……ノエルが去っていくのが見えた。


「あいつ……」


 ネネルの様子を見に来ようとしたのだろうか。……昨日はあまり余裕がないように見えたので、少し意外だ。

 今日は落ち着いていると助かるが……厳しいかもしれない。ノエルからすればあいつらは婚約者の仇だ。資料を見た限りでは少なくとも不仲ではなかった。むしろ俺が考えているよりも親密な仲だったのかもしれないということを考えると……。


「……やれるだけやるしかない、か」


 計画当初よりも不穏な要素が増えている。それでも、王族として失敗は許されない。

 瘴気により生まれし異形。『ラグメント』。奴らに対抗できる力を持つのは、王族以外に存在しないのだから。


(……レオ兄はいつも、こんな思いをしてたのか)


 第一王子。やがて王位を継ぐことを約束された者。

 決闘の場でレオ兄が叫んでいたことが、今なら少し分かる。前よりも理解出来る。

 影に徹する……そんな都合の良いことを言って、一番大変なことをレオ兄に押し付けていたのだという己の罪を、自覚できる。


「――――大丈夫」


「えっ……?」


 俺以外、誰も居ないはずの廊下から声が聞こえてきた。

 顔を上げると――――少女が一人。


「シャル……?」


 長い金色の髪。蒼い瞳。その姿はあまりにも儚く、淡く……どこか朧げだ。

 しかもその少女の顔はシャルに似ていた。だけど違う。具体的に言葉にするのは難しいが、彼女は限りなくシャルに似ていて、それでいて違う存在のように思えて……。


「いや、違う……お前は誰だ?」


 少女の存在が徐々に消えていく。それでも彼女は微笑んで、


「…………あなたなら、大丈夫」


 それだけを言い残して、儚げにその姿を消失させた。


「…………」


 しばらく俺はその場に突っ立っていることしか出来なかった。

 夢か。それとも幻か。ルシルたちからの攻撃とも考えたが、不思議とあの少女の姿に嫌な気配はしなかった。



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本日、書籍版「悪役王子の英雄譚」の発売日です!!


各種書店、通販サイト様にて販売開始しておりますので、よろしくお願いいたします!!



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