第62話 夜空は影を覆い隠す
外で熱心に剣を振るうシャルに差し入れを用意すべくマキナを呼び出そうとしたところで――――ついさっき、ロスがマキナと話をしに行ったことを思い出した。
もはや癖として染み付いているまでに、俺はマキナを右腕として頼りにしている。それだけにあいつの様子がおかしいことがどうにも気がかりだ。
最初はルシルとの接触が原因なのかと思ったが、それよりも前からあいつの様子はちょっと変だった。それを探ろうとしても、あいつは俺に対して何でもないかのように振る舞おうとする。……いや。違うか。俺に対してというよりは、俺にだけは何も知らせたくないと言わんばかりの強固さを感じた。
それがどうにも寂しくもあり……ショックでもある。
俺とマキナは同い年の異性で、だからこそ言い出しづらいことだってあるだろう。俺だって隠し事をするなと言うつもりはない。誰にだって隠し事の一つや二つはあるだろうし、無理に暴いてはいけないことだってあるだろう。
だけどマキナのあの様子はちょっと違う。
隠し事は隠し事でも、俺に対する明確な『拒絶』の意志を感じた。
今よりもっと小さい……ガキの頃から一緒にいて、一緒にやってきた。右腕として信頼してもいる。そんなマキナからあそこまで拒絶されたことは……俺の中では、思っていた以上にショックな出来事だったらしいと、自分でも驚いている。
本当は問いただしたい。でも、今のまま俺がマキナに問うてもまたあいつは誤魔化すし、はぐらかすだろう。あいつはそういう態度をとるのが得意だ。
ここは親代わりのロスに任せて、話してくれる気になるのを待つしか……。
(……いや。違う。それだとレオ兄の時と同じだ)
差し入れを用意して外に出たところで、ふと足が止まる。
頭の中でレオ兄と戦った時のことが過ぎる。あんなことがあって、あんな思いがあって、俺はまた同じ過ちを繰り返しそうになっている。
……身近な人と向き合うことに、俺はまだ怯えを感じているのか。
「あー……くそっ。バカだ。俺は」
「アルくん?」
「…………っ!」
既に鍛錬を終えたであろうシャルが、ぼーっと立ち止まっている俺の前で目を丸くしていた。
「どうしたんですか? こんなところで、一人で立ち尽くして……」
「差し入れ……を、持ってきたんだけど、ちょっと遅かったか」
「そんなことありません。……ありがとうございます。嬉しいです」
差し入れ(と言ってもただの水と汗を拭うためのタオルだが)を受け取るシャルだが、その表情はどこかぎこちない。
「何か悩んでる事があるんですか?」
「……なんでそう思った?」
「そう見えたんです。それに自分のことをバカだって言ってたので、心配になって……」
……どうやらさっきの独り言はシャルの耳に入っていたらしい。
なるほど。つまり自分の婚約者に変な独り言を聞かれてしまったのか。
「死にてぇ……」
「えぇっ!? な、なんで急に……!?」
「……いや。気にしないでくれ。こっちの羞恥心の問題だから」
恥ずかしすぎる。しかし、マキナが傍に居ないのは助かった。あいつに見られようもんなら「アル様もお年頃ですからねー。そういう時期もありますよね」なんて言われてからかわれていたことは間違いない――――。
「…………」
「アルくん?」
レオ兄とのことが頭の中に浮かんで、同じ過ちを繰り返している自分にも気づいて。
ここでまた自分の中に抑え込んで押し込んだってロクな結果にはならないことぐらい、俺にだって分かる。
「……そうだな。悩んでる」
「話を聞くだけなら私でも出来ますよ。それぐらいなら、私にも……」
「分かってる。むしろ、シャルだから聞いてほしい」
「――――っ……そ、そうですか」
「……悪い。迷惑だったか?」
「そんなことありませんっ! そうじゃなくて……」
シャルはどこか恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……嬉しかっただけです。アルくんに頼ってもらえることが。特に今は、自分の無力さを痛感していたところだったので……」
「無力さもなにも、シャルは強いと思うけどな。少なくとも俺なんかよりも」
「……えっ?」
「エリーヌのことを引っ張り込めたのはシャルがあいつの心と向き合ったからだし、王都での事件だって、騎士たちの心を一つにしてくれただろ。俺には出来なかったことだし、それはシャルの持ってる強さだと思う」
「…………」
「……ホント、俺は幸せ者だよ。俺には無い強さを持ってるシャルが婚約者になったんだから」
「……………………」
「シャル? どうした?」
「……アルくんは、ちょっとずるいです」
「ずるい?」
「なんでもありません」
シャルが目を合わせてくれない。もしかして変なことでも口走ってしまったのだろうか。
「……ありがとうございます。ちょっとだけ、心が楽になりました」
微かにだがシャルの顔が綻んだ。俺の言葉で何か助けになれたのなら嬉しいけど。
「あの。お話ですけど、ここで続けてもいいですか?」
「それはいいけど、外で良いのか? 部屋の中で椅子に座りながらでも……」
「いいんです。今は少し、顔を冷ましたい気分なので……」
「?」
俺も別に外のままでも異論はないので深くは追及しなかった。その後、俺たちは何となく壁に背を預けながら地面に腰を下ろし、頭上の夜空には目もくれず、視線は暗い地面に向いていた。
「マキナが、なんつーか……様子がおかしいだろ。ルシルのことがあったのもそうだけど、それよりも前からおかしかったっていうか……それで……」
素直に悩みを吐き出すことに慣れていないせいか、上手く言葉を紡げなかった。
それでもシャルは黙って待ってくれている。その気遣いと優しさが妙にこそばゆい。
「……あいつから『拒絶』されてる感じがして。それでロス……あいつを育ててくれた親代わりのやつに任せてみたんだけど……それも結局、レオ兄の時と同じ間違いをしている気がして……」
これを認めるのは癪だけど、認めなくちゃいけないんだろう。
「……端的に言えば、あいつと真正面から向き合うのに、ビビった」
自分で言ってて情けなくなる。あれだけのことがあったのに、また同じことを繰り返している。それをこうして弱さとして吐き出すことにも恐れている自分がいる。
「アルくん」
「……ん」
「それはちょっとかっこ悪いと思います」
「そ…………う、だな……!」
耐えた。なんとか耐えたぞ。婚約者からの「かっこ悪い」発言にめちゃくちゃへこみそうになったが、ギリギリ耐えた。
「その様子だと、アルくんが話しかけても逆効果になるという考えは理解できます。まずは他の人に任せるという判断も間違ってはないと思います。でも……」
シャルは目を閉じる。その瞼の下で何を考えているのか。思っているのか。俺には分からない。それがたまらなくもどかしい。
「……マキナさんに一番必要なのは、アルくんです」
その言葉には妙に確信がこもっていた。
「後でもいいです。ちょっとぐらい怖がってもいいです。……でも最後には絶対、彼女を受け止めて、彼女の気持ちと向き合ってあげてください」
「……ありがとう。シャル」
確かにかっこ悪いな、俺は。大切な人と向き合うために、こうして背中を押してもらってるんだから。
……でも嫌な気分じゃない。かっこ悪くなれたことが、今は少し嬉しい。
それはきっと前までの俺にはできなかったことだから。シャルが隣にいるから、出来たことだから。
「そうだな。うん。気合入った」
立ち上がり、顔を上げると、夜空には数多の輝きで彩られていた。
下を向いてばかりいては目に入らなかったもの。思い切って顔を上げなければ、視えなかったもの。
「明日の浄化作業が終わったら、改めてあいつと話してみるよ」
「それがいいと思います」
少しだけ心が楽になって……マキナのことを考えていたからだろうか。
(こんな時、あいつなら言いそうだな。この流れでデートの一つぐらい誘えばいいのに、とか)
一人で苦笑しながら、あらためてシャルに向き直る。
「……せっかくだし。ちょっと散歩するか?」
俺の提案と共に差し伸べられた手を見てシャルは一瞬、驚いたようにしながらも、
「……はい。私も、今はアルくんと一緒に歩きたい気分でしたから」
はにかみながら、手をとってくれた。
☆
「やはりここにいたか、マキナ」
顔を背けたいぐらい眩しい夜空の下で景色を眺めていると、全身黒ずくめの男が音もなく現れた。見慣れた仮面をつけて素顔を隠しているその人はわたしの育ての親であり、あらゆる技術を教えてくれた師でもある人。
「やはり屋根の上にいたか。相も変わらずだな。何かあると高いところに登る癖は」
「……何か用でも?」
「頼まれ事だ。我が主からのな」
アル様から頼まれた、というロスの言葉に心が揺れる。
僅かな動揺が表情にも出てしまったという自覚が遅れてやってきて、自分に苛立ちが募る。
「動揺しても構わん。だがそれを表に出すなと、教えたはずだ」
「……うるさい。そっちと違って、わたしは仮面で素顔を隠しちゃいないんだから」
「これが反抗期というやつか」
「面白がるな」
仮面の下ではくつくつと笑っていることが容易に想像できるのがまた腹立たしい。
「……で、なに。アル様からの頼まれ事って」
「お前のことを心配なさっていた。このところ、様子がおかしいとな」
「…………」
見抜かれていた。いや、それも当然だ。自分でも抑えきれなくなっていたことは分かっている。アル様にも気づかれてしまうほどに。
「…………別に。何でもない。何も問題はないって、報告しといて」
「生憎と、私はお前と違い主に対し嘘をつくことには慣れていない」
「…………っ……」
嘘。
その言葉に息が詰まる。言葉が出ない。胸が苦しい。
……分かってる。わたしは、アル様にずっと嘘をついていた。
本当の気持ちを隠してきた。抑えて、しまい込んで、悟られないようにして。
「……あんたが教えた技術でしょ。使って何が悪いの」
「しかし、こうも言ったはずだ。『自分の心にだけは嘘をつくな』と」
「……わたしが、自分に嘘をついてるって?」
「そのようにしか見えんがな」
「……別にいいでしょ。そうしないといけないんだから」
言えない。言えるわけがない。だからこんなにも苦しいんだ。
「そっちだって自分に嘘をついてるくせに」
気づけば、言葉が溢れていた。
「騎士にも騎士団にも未練があるくせに。それを隠して、押し込めて、何でもないように振る舞ってるくせに。『自分の心にだけは嘘をつくな』? よく言うよ。自分の心に嘘ついてるのはそっちも同じでしょ」
…………だめだ。酷いこと言った。言ってはいけないことを言ってしまった。傷つけた。
なんで。こんなの。こんなこと。嫌だ。もう。自分が嫌になる。
「……そうだな。騎士に未練がないと言えば、嘘になる」
「ぁ…………」
ロスの声は優しかった。
「ご、ごめ……そんな、つもりじゃ……」
「分かっている」
傷ついたはずなのに。わたしが傷つけてしまったはずなのに。
「……オレはもう騎士になることは出来ない。その資格は永久に剥奪されてしまった。だが、この道は自分で選んだ。悔いはない」
どこまでも優しくて…………どこまでも自分が嫌いになる。
「だから、あまり自分を追い詰めてやるな。お前が壊れてしまうことをアルフレッド様は望んでいない」
「…………うん。ありがと」
ロスの顔を見ることが出来ない。今、きっとわたしを気遣ってくれている。
わたしを育ててくれた人は、そういう人だ。けど今は見たくない。そんな優しい人のことなんか。自分の嫌なところが抉りだされるような気持ちになるから。
「……ごめん。いま、独りになりたい。じゃないと、わたし…………」
もっとひどいこと、言っちゃいそうだから。
「……分かった。先に戻っている」
言葉にせずともそれは伝わったのか、ロスは最後にそれだけを言って音もなく消えた。
まだわたしを独りにして落ち着かせる必要があると判断したのだろうか。……いや。違う。きっと自分じゃダメだって、思ったのかもしれない。
心配かけてる。周りの人たちに。アル様の影失格だ。
――――マキナさん。私は、アナタの望みを知っています。そしてその望みを叶える方法もね。簡単なことです。だって……アナタには、王家の血が流れているんですから。
「…………っ……」
何度も。何度も、ルシルの言葉が頭の中で反響する。止まらない。浅ましい考えが止まらない。ただのメイドのくせに。アル様の視界にも入っていないくせに。
「……っ……ぅ……うぅぅ…………!」
胸を抑える。苦しい。外傷はないはずなのに、こんなにも心が苦しい。
そうして、うな垂れながら胸を抑えていると――――
「――――ぁ……」
この屋敷の屋根の上から、ソレが視界に入った。
アル様とシャル様がいる。二人で、手を繋いで。
月明かりに照らされたキレイな庭の中を歩いていて……それがとても、お似合いに見えて。
「あ、れ…………? おかしい、な……良いコトのはずなのに……なんで……」
胸が苦しくなる。黒くて、嫌なものが溢れてくる。
ルシルの言葉が何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――――私の中に響いてきて。頭の中を塗り潰してきて。
「…………消えろ。こんな気持ち、消えろ。消えろ。消えろ……」
いつもみたいに。いつも通りに。いつものバカメイドになれ。
(わたしの中に、本当に王家の血が流れているの?)
そんなわけない。
(王家の血が流れているのなら、アル様の隣にいていいの?)
余計なことを考えるな。
(アル様にこの気持ちを伝えてもいいの?)
いいわけがない。
(シャル様に嫉妬しなくて済むの?)
消えろ。消えろ。こんな気持ち、消えろ。
消えて、ほしいのに……。
「なんで………………消えてくれないの……?」
わたしが選ぶ道。
それはきっと――――影の中にしかない。
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