第60話 歯車、砕ける時
きっかけはルシルという女からの接触。
王都での騒ぎでその正体が露見するよりも前のこと。
彼女は何の前触れもなく、ふらりとシミオンの前に現れた。
「この領地のどこかに存在する、『あるもの』を探してほしいんです」
何の前触れもなく目の前に現れた小娘からの依頼。普通なら受けることはない。
だが、彼女が第一王子であるレオルに取り入っていることは知っていた。そして、レオルが彼女に入れ込んでいることも。
ここで協力すれば第一王子に、より近づくことが出来るだろう。
ルシルの『探し物』に協力したのはそんな打算から。何より彼女は、シミオンが第一王子に取り入るための協力を約束してくれた。それはどんな財宝よりも価値のある報酬だ。
しかし、『あるもの』の調査は難航した。調査の報告を聞きにルシルはことあるごとに領地に顔を出していたことから、その『あるもの』というのはよほど大切なものらしい。
……だが、今思えば。彼女は領地に顔を出した度に、少しずつ『土地神』を汚染させていたのかもしれない。気づいた時には既に遅かったが。
されど。当時のシミオンにとってルシルは依頼主であり、第一王子に取り入るために必要なツテだ。そして彼女は、相手の懐に入るのが非常に上手かった。
「満たされることに焦がれているんでしょう?」
その愛らしくも妖しい笑みは今でも記憶にこびり付いている。
「アナタは生まれた時から恵まれていた。全てが手中。総てが掌。だから、満たされたことがない。だから、満たされてみたい」
何よりも、シミオンの心を的確に見抜く彼女の目と言葉は、忘れられるはずもなかった。
「そのくせ、自分が既に持っているもの、与えられたものを他者に与えようとしない。たとえば、そうですねぇ……親の愛情、とか」
ルシルという平民の少女が、第一王子のレオルをはじめとする未来の権力者たちにどのような方法で取り入ったのか。
その疑問が、実際に会って解けた。正直、シミオンとしては何らかの魔法や魔道具を使用したのではないかと疑っていた。洗脳、或いは幻術による魔法なのかと。だが、すぐにその認識を改めざるを得なかった。
ただ純粋に、彼女は人の心を見抜く術に長けていた。
そしてそれを上手く使う術にも長けていた。
第一王子が気を許すのも無理はなく、単純な己の技量のみでここまで取り入ったその手腕には賞賛を送るに値すると思わされた。
「その割に、アナタのやり方からは欲というものが感じられない」
「……と、言うと?」
「仮にアナタが王家に取り入ることが出来たとして――――たかだか王家の下っ端についた程度で満たされるほど、アナタが腹に肥やした欲望の器は矮小でしょうか?」
その問いに、頭の中で『否』という答えを出すまで悩む時間はなかった。それほどまでにシミオンにとって、その質問は己というものを捉えていた。
「第一王子はアナタのことなんて見てもいませんよ。彼に周りは見えていない。彼の心に寄り添う私のこと以外、なぁんにも目に入っていないんです」
それは、悪魔の囁き。
「レオル君だけじゃない。アナタのことなんて誰も見ていない。つまりそれって、何でもできるってことじゃないですか? たとえば――――この国を手土産にすれば、他の場所で上に行くことだって」
それは、悪魔の施し。
「『異常なし』『異変なし』『何も起こりませんでした』。いいんですよ、それで。どうせ向こうは、何か起こってからじゃないと動かないんですから。その間に、アナタは器を満たす準備をしていればいい。別に、誰かに見てほしいわけじゃないんでしょう?」
「……私に何を望むというのだ」
「別に何も。私はただ、アナタがどう踊るかを見たいだけ。お仕事を兼ねた、ただの娯楽の暇潰し。……一番、私好みの心は、下らなくて安っぽい愛とか恋とか、そういうのなんですけどね。アナタにそれを望んだって仕方がないでしょう?」
嗤いながら、ルシルはシミオンに『ソレ』を寄越した。
「これはなんだ」
「用済みになった机上の空論です。ソレをどう使うかはアナタ次第ですけどね。お望みなら、要らない設備も譲ってあげますよ。これも、探し物の報酬みたいなものだと思ってください」
その『机上の空論』というものに記されていたのは、『禁呪魔指輪』のコピーを生み出すための理論だった。設備として必要な結晶体も寄越してきたが、その『理論』と『設備』が揃っていても、肝心のコピー元となる原型の魔指輪を作り出すことが出来なかった。
そんな時だった。『土地神』が瘴気に侵されはじめ、それを沈めようとした『彫金師』が、ある特別な魔指輪を作り出したのは。
そして――――全ての歯車が噛み合ったかのように計画は進んだ。
進んでいた、はずだった。
「――――なんだと!?」
部下からの報告を受けた瞬間から、ガーランド領領主シミオンの顔は見る見るうちに青ざめ、報告を全て聞き終えた時には豚に青いペンキを頭からぶちまけたような顔になっていた。
「な、な、な……なぜ、奴らがあの地下工房のことを知っている!?」
「わ、分かりません。情報の入手経路が一切不明で……」
「そもそも貴様らは何をしていた! 奴らを監視していたのではなかったのか!?」
「監視の者と連絡がつきません。恐らく、何かあったのかと……」
『不明』。『恐らく』。『何かあった』。
ハッキリとしない物言いに苛立ちばかりが募る。これが普段なら怒鳴りつけて力任せに物を投げつけてやるところだが、今はそんなことをする時間すら惜しい。
「だ、だが、あそこに私に繋がるようなものは何もなかったはずだ……何をどう追及してきたところで……!」
口に出し、言葉に紡ぎ、自分に言い聞かせる。部下が何かを言って来るが、今のシミオンには他人の言葉など一切が耳に入ってこない。
「大丈夫……大丈夫だ……私は恵まれている……特別な人間なんだ……!」
悪寒のようなものが胃の奥底からせり上がってくる。滝のように流れ出る汗。止まらぬ震え。これが未だ感じたことのない恐怖という感情だと、理屈ではなく本能で理解する。
「お困りのようですね、父上」
「…………っ!」
顔を上げた先。そこに在ったのは、娘の顔。
「ロレッタ……!」
シミオンにとっては、か細い希望の糸が目の前に垂らされたようだった。
「よく来たな、我が娘よ……!」
「当然です。私は、父上の娘ですから」
恭しい振る舞いのロレッタを見て、シミオンは己の中に安堵の心と尊大さが再び息を吹き返すことを感じた。
(やはり私は特別な人間だ。ここまで忠実な娘を育て上げたのだからな)
汗を拭きながら、シミオンは滲みだそうとする笑みを押し込めながら、忠実なる娘に向き直る。
「少々面倒なことになった。私の……いや。部下が独断で行っていた何らかの悪事が露見してしまってね。あろうことか、第三王子たちがそれを私がやったものだと言い張っているのだ」
「…………」
ロレッタは何も答えない。恐らく尊敬する父親のため、文句を言うこともなく動いてようという意志の表れなのだろう。
「あの悪名高い第三王子のことだ。きっとその証拠とやらも捏造したものだろう。もしかすると今回の悪事こそ奴の仕業かもしれん。私を嵌めようとしているのだ」
「……………………」
「奴が持つ『証拠』とやらを押さえろ。すぐにだ。何、奴らはお前のことを信頼している。隙など幾らでもあるだろう」
「………………………………」
「何をしている。さっさと動かんか」
それから、ほんの数秒ばかりの沈黙の後。
ロレッタは静かに口を開いた。
「父上。アナタは特別な人間などではない」
「……何だと?」
娘の物言いに首を傾げていると、ロレッタの背後にあった扉が開く。
そこからシミオンを包囲するように執務室へと入り込んできたのは、第三王子が連れてきた、王都からの騎士たちだ。
「ガーランド領領主、シミオン・ガーランド殿。『禁呪魔指輪』製造禁止令の違反により、アナタを拘束させていただきます」
部下の言葉はあれだけ耳に入ってこなかったというのに、騎士の言葉は不思議と頭の中にすっと入りこんできた。やがてシミオンの顔は部下からの報告を聞いた時以上に真っ青に変わっていく。
「どういうことだ、ロレッタ!」
「まだお分かりにならないのですか」
ロレッタは机の上に幾つかの書類を放ってみせた。それらはこの屋敷に密かに保管しておいた、『偽・禁呪魔指輪』製造に関する数々の証拠。
シミオンは全てを理解した。
娘には自分を助けるつもりなど一切ないどころか、罪人として突き出そうとしていることに。
「貴様! 娘のくせに父親を裏切るのか!」
「私はただ、すべきことをしているだけですよ」
「この恩知らずが……! 誰のおかげで王都の学園に通い、剣の腕を磨けたと思っている!」
「その剣の腕も、アナタが捨てさせたんでしょう」
それ以上、娘が父親に対して言葉を発することはなかった。騎士たちに拘束される最中、徐々にその背中は遠ざかっていく。
「待て……待ってくれロレッタ! 私を助けろ! 助けてくれ! 頼む! 望むならいくらでも金をやる! 親子だろう!」
もはや手を伸ばすことすら出来ないまま、娘の姿は扉の向こうへと消えた。
☆
俺たちは脱出を終えると、すぐさま地下工房で発見されたいくつかの証拠を元に騎士団を動かした。
ガーランド領領主、シミオン・ガーランドは拘束され、今回の浄化作業が済み次第、裁判にかけるために王都へと移送されるだろう。『禁呪魔指輪』に関連した罪には、厳しい罰が与えられることになっている。それ故に裁判も、刑の執行も、全て王都で行われるのだ。
「感謝していますよ」
シミオンが騎士たちに連れられて行く様から視線を逸らさぬまま、ロレッタさんは小さく呟いた。
「アナタ方のおかげで父を止めることが出来ました。あの地下工房の場所と、父の名が記された書類を持ち出してくれたおかげです」
「それに関しちゃ偶然ですよ。アンタが屋敷を捜索させてくれたおかげで、証拠を完全にすることが出来たんですし」
実のところ俺たちが持ち出せた書類の量は、証拠とするには不十分だった。最悪の場合は言い逃れされることだってあり得たが、一気に拘束まで踏み切れたのはロレッタさんが屋敷の捜索と証拠となる資料の在りかを教えてくれるなどして、協力してくれたおかげだ。
「けど、よかったんですか。父親に会わず、そのまま騎士団に引き渡すことも出来たはずですが」
「それも考えましたがね。やはり、最後に父の顔を見てみたいと思ったんです」
語る彼女の表情は見えない。無意識の内だろうか。彼女は傷の刻まれた腕を撫でるように触れている。
「そうですか」
……ああ、くそっ。かける言葉が見つからない。
むしろロレッタさんが相手だったら、ルチ姉の出番だろうに。肝心のルチ姉が帰ってきていない。
「……そういえば、ルチ姉がどこに行ったか知りませんか?」
「それは分かりませんが……ルーチェのことです。きっと一人で大暴れしていることでしょう。大丈夫です。彼女の強さは、私が一番よく知っていますから」
ルシルの件がある以上、行方が分からないことに対しての不安と懸念は存在する。しかし、元よりルチ姉とは別行動する予定だった。こちらから連絡を取れる手段がない以上は、信じてみることしか出来ない。
今はシミオンの件があって、捜索に回せるだけの人手がないということもあるが。
「第三王子。どちらにせよ今のアナタには、やるべきことがあるはずだ。今はそれに集中してください」
久々の更新となってしまい申し訳ありません。
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