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第58話 届いた一撃

 獣が咆える。爪牙が閃く。

 漆黒の体躯は薄暗い地下の中では保護色の役割を果たしており、軌道が追いにくい。それでも肌にヒリヒリと突き刺さるような感覚――薄気味悪い邪悪な魔力の気配と培ってきた経験による勘を頼りに捌いていく。


「――――ッらぁ!」


 身体全体を使って大きく、素早く、鋭く。舶刀カットラスを振るい、爪牙を弾く。

 そのまま動作アクションを繋ぎ、刃を振るい終えると同時に一切のラグなく、もう片方の手に掴む拳銃ピストルの引き金を引いた。


 この銃は黒鉄の機構に非ず。精霊の持つ力を魔法で形にしたものであり、見た目通りの機構が働くとは限らない。そのまま引き金を引き続け、魔力の弾丸を連射する。

 連射した数だけ目の前の黒狼が消えてゆくが……キリがない。一気に大玉をぶち込みたいところだが、地下だと崩落の危険性がある。『昇華リミテイジング』も使えない。協力だがその分だけ消耗が激しい。長期戦には向かない。


 俺の契約している精霊……『アルビダ』にしても『アルセーヌ』にしても、一対一タイマンならともかく複数の敵を一度に倒せるだけの殲滅力はない。


「凍えて消えろ――――『華吹雪ブルムザード』!」


 吹きすさぶ氷結の嵐。刃より咲き乱れし氷の華が、眼前の黒狼をまとめて殲滅する。


「室内に誘き出して優位性を取ろうとしたようだが、残念だったな。貴様の魔法とオレの魔法では、そもそも相性が悪い」


 ノエルの契約している精霊『ウンディーネ』は広域攻撃に長けている。

 室内は逃げ場が少ないが、それは向こうも同じ。ノエルの能力が見事に突き刺さった。


「相性が悪い? ククッ……確かに。俺だけなら、な」


 モーガンが口の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。

 直後。ノエルが展開した氷に亀裂が走り、瞬く間に砕け散った。氷の破片が舞う最中、モーガンの側から凶悪なまでの勢いで氷の牙が押し寄せる。それはさながら、氷の牙が内側からノエルの氷を食い破ったかのような光景だった。


「なにっ……!?」


 コツ。コツ。コツ。と、闇の奥より何者かが機械的な足取りでその姿を現した。

 無機質な印象を受ける兜で覆い隠されており、その素顔は定かではない。その華奢な体格的にかろうじて少女だろうかと推測できる程度である。


「あの人が、ノエル様の氷を正面から打ち砕いたのですか……!?」


 シャルが驚くのも無理はない。属性の相性でならともかくとして、同じ氷の力で真正面からノエルの氷を粉砕するなど、凄まじい魔力の持ち主でもなければ不可能だ。

 それにあの氷から感じる気配……間違いない。


「さっきからコソコソして、子供の教育に悪い幻覚を見せてたのはお前か」


「……………………」


 兜の少女は何も答えない。いや、それどころか一切の感情すら伝わってこない。

 嘲笑でも、憎悪でも、敵視でもなく……何も感じない。言うなれば、無だ。


「……おい、ノエル。ここは連携して――――」


 目の前の敵に警戒しつつも、ノエルに連携を促そうとするが、返事がない。


「――――――――」


 ノエルは、兜の少女をただ真っすぐに見ていた。それだけではない。彼の眼は、顔は、煮え滾るような憎悪に染まっていた。


「……ノエル?」


 憎悪。憎しみ。今の彼を表現する言葉は、そんなものしか見つからない。

 歯を食いしばり、荒くなった息が漏れる姿は、己を押さえつけようとしているようにしか見えず。その鎖を解き放ってしまえば、今にも兜の少女を殺してしまいそうなほどに激しい憎悪を燃やしていた。


「なぜ……貴様がここにいる…………!」


「……………………」


「答えろ…………!」


 兜の少女は答えない。ノエルの燃え滾る憎しみなど意にも介さず、氷のように冷たく、無を示し続ける。


「ハッ。うるせぇなァ……ルシルさんが俺に貸し与えてくれたんだよ」


 何の反応リアクションも示さない兜の少女に代わり、モーガンが答えた。

 その出てきた名前に、俺たちは息をのむ。


「ルシルだと?」


「やっぱりここに誘い出したのも、ルシルさんの……?」


「――――嫌ですねぇ。ヘンな誤解しないでくださいよ」


 その声が聞こえてきたのは、俺たちの背後。同じように地下へと続く階段から降りてきたのは、紛れもない……ルシル本人だ。


「この場所の情報は、わたしなりの善意で提供したんですけどね。……ええ。確かに、モーガンさんには妹を貸し与えましたけど、それだけです。たまたま運悪くエンカウントしちゃったからって、何でもかんでもわたしのせいにするのはやめてもらえます?」


「こいつは驚いたぜ。お前みたいな悪魔の女に、善意なんてもんがあったんだな」


「もちろん。これでも人間ですから」


 ルシルは俺に向けて……いや。人間そのものへと向けたような顔で、くすっ、と嗤う。


「……妹と、言ったな…………」


 背後から現れたルシルに対し、ノエルは振り向きもせず、その顔を見せることもなくただ問いを投げた。


「アレは……あの兜の女は、お前の手先だったのか……?」


「言ったじゃないですか、『妹』だって。『手先』だなんて愛がない……ちゃんと『家族』と呼んでくださいな」


「…………!」


 ルシルの言葉に、ノエルは歯を食いしばる。内側で暴れ、のたうつ何かを鎖で縛り付け、抑え込むように。


「……あぁ、そういえばあなたは、うちの妹と縁があるんでしたっけ?」


「――――……ッ……」


「わたしも知ってますよ、あの一件は。いやぁ、残念でしたねぇ……」


 ノエルは一切背後を振り向かない。したがってルシルの表情など見えやしない。それでも。それが分かっていて、ルシルはわざわざ哀れみと愉悦の入り混じる不愉快な顔をしてみせた。


「とても素敵な婚約者だったんでしょ? それが馬車ごと『ラグメント』に襲われてしまって……駆け付けたあなたが見たのは、『ラグメント』に襲われて粉々になった馬車と、燃え盛る炎。そしてその中で佇む、わたしの妹。あなたは愛しの婚約者を失ったというわけで。あはっ……カワイソウに」


「貴様ァァァァァッ!」


 ノエルが咆える。同時に氷結の力を凝縮させた剣を、背後にいるルシルへと――――まずい!


「バカ、よせっ!」


 咄嗟の反応で、舶刀カットラスを下から上へと振り上げる。

 ギリギリのところで間に合った。振り上げた刃はノエルの剣の軌道を上へと逸らすことに成功し、吐き出された氷の力が天井を覆い尽くす。


「邪魔をするな!」


「落ち着け! シャルたちも巻き込むつもりか!」


 ノエルが放とうとした攻撃。その先にいるルシルの位置的に、氷の力を解き放てばシャルたちも巻き込まれる。

 あの悪魔女……!こうなることを分かって煽りやがったな……!


「安心してください、王子様アルフレッドさん。仮にあなたが間に合わなかったとしても、わたしがちゃーんと皆さんを守ってましたよ」


「ふざけたことぬかしてんじゃ……!」


「だって皆さんには、まだ役割が残ってますから……ほらほら。余所見してないで、前から来てますよ」


「…………っ……! くそっ!」


 ルシルに言われるまでもない。迫り来る黒狼の存在の爪牙に向けて銃口を向け、引き金を引く。だが僅かな隙を突かれ、ノエルが俺を振り切ってしまう。その剣には既に氷の力が漲っており、逃げ場のない地下空間に広範囲攻撃を仕掛けることで、一気にルシルを殲滅しようということが見て取れた。

 今のノエルは、憎悪に染まり周りが何も見えていない。ルシルの傍に居るシャルたちを巻き込むことすら気づいていないのだろう。このままだとまずい……!


「『アルセーヌ』!」


 精霊アルビダを解除し、消滅までの間際に黒狼へのけん制に回す。

 そこで生まれた隙間で一気にノエルのもとへと駆け抜けつつ、呼び出した『アルセーヌ』を霊装衣として身に纏った。疾駆しながらすぐさま両の手に剣を構え――――


「『予告する右剣(セルニーヌ)』! 『頂戴する左剣(ペレンナ)』!」


 ――――すれ違いざまに、氷の力を漲らせたノエルの剣を二度、切りつけた。

 切ったといっても、実際には刃が掠ったという程度。しかし、それで問題はない。


「凍えて消えろ! 『華吹ブルムザー』……」


 振るった剣から氷の華が咲き誇ることはなく、ただ冷たき刃が空を切るのみ。

 その違和感の原因をすぐさま看破したノエルは、怒りに満ちた眼差しを俺に向けてくる。


「悪いな。お前の魔法、ちょっと借りるぞ」


 精霊『アルセーヌ』の能力。

 それは『予告する右剣(セルニーヌ)』と『頂戴する左剣(ペレンナ)』で斬った魔法を奪い取る魔法。

 敵だけではなく、使い方によってはこうして味方の魔法を一時的に借りることが出来る。


「第三王子、貴様……!」


「よそ見すんな、来るぞ!」


「くっ……!? 邪魔を……!」


 相手はルシルだけではない。『アルビダ』が消滅したことでフリーになった黒狼の群れが殺到し、ノエルは強制的にその相手をせざるを得なくなった。この間に……!


「ルシルッ!」


 奪った魔法は敢えて使わず、そのまま不敵な笑みを浮かべるルシルに向けて一直線に突っ込む。『アルセーヌ』の機動性を全開にして、このまま一気に仕掛ける――――!


「残念でした」


 瞬間。ルシルの前方に、漆黒の魔力で形作られた円形のシールドが現れた。

 叩きつけた両の刃は強力な漆黒の防御壁に遮られ、ルシルには届かない。このパワー……ノエルの攻撃からシャルたちを守れたっていうのも、あながちウソじゃないか。


「魔法の盾ではなく、魔力で形作っただけの盾なら奪えはしない。あなたの刃は届かない」


「それはどうかな」


「負け惜しみですか?」


 くすっ、と不快な笑みを零すルシル。

 返す言葉は皮肉ではなく、


「『座標交換エクスチェンジ』」


 詠唱一つ。

 直後、俺の姿はシールドによって防がれた先方ではなく、がら空きの後方へと転移していた。そのまま無防備な背中へと剣を叩きつけるが、


「遠隔設置に気づいていないとでも?」


 再び展開された漆黒のシールドによって、剣の一撃が防がれた。


「前じゃダメなら後ろから。本当に、男の子って単純ですね」


 嘲笑……いや。悪しき愉悦に満ちた表情に、ルシルの顔が歪む。

 そのツラ、すぐに叩き潰してやる。


「『昇華リミテイジング』!」


 詠唱一つ。

 直後、『王衣指輪クロスリング』に匹敵する凄まじき力が全身を駆け巡り、双刃を強化する。


「――――……!」


 俺の意図に気づいたのだろう。ルシルの顔から不愉快な笑みが消えるが、


おせぇんだよ!」


「くっ…………!?」


 強化された剣の一撃目で漆黒のシールド叩き割り、間髪入れず二撃目の刃を振りぬいた。

 悪魔の女に一閃が奔る。

 そして確かな手応えと共にルシルの小柄な身体が大きく後ろへと吹き飛んでいき、地下室の冷たい壁に勢いよく叩きつけられた。


「っ……へぇ。今のはちょっとばかり驚きましたよ。意外とやるんですね」


「負け惜しみか?」


「ただの事実です。この程度、ダメージにもなりはしない」


「……いや」


 剣を握りしめる。柄ごしに感じた確かな手応えを頭の中で噛み締め、そして確信を持って目の前の敵へと視線を送る。


「確かに入った」


「………………っ!?」


 悪魔に真実を告げるかのように、ルシルの右肩から鮮血が噴出した。


「がっ……ぐっっ……!?」


 真っ赤に染まる右肩には傷跡が刻まれており、ルシルは右肩を抑えて膝を微かに折る。

 これまでの余裕は明らかに薄れ、愉悦に塗れていたはずの顔は、驚愕と痛みが入り混じったものとなっている。


「あの時とは違う。今の俺の刃は、お前に届く」


「なる……ほど? これは少し……あなたを侮っていましたか」


 王都での戦いの際も、ルシルは血に塗れていた。レオ兄の腕を奪った時の返り血に。

 けれど今は違う。今はあの悪魔の女自身の血に染まっている。

 翻弄されるばかりじゃない。決定打にはならないにしろ、確かに一撃返してやった。


「『昇華リミテイジング』……想像以上に厄介な魔指輪リングのようですね」


(本当ならここで一気に畳みかけたいところだが……)


 今の状況はかなり繊細なバランスの上で成り立っている。

 一見すると俺たちが有利のように見えるが、実際は薄氷の上でかろうじて踏み止まっているに過ぎない。

 地下空間という閉鎖的な場所である以上、何がきっかけで引っくり返されるか分からないのだから。


「くっ……!」


 黒狼を薙ぎ払いながらも兜の少女の一撃に押し戻され、膝をつくノエル。

 憎悪を滾らせた瞳で兜の少女へと斬りかかろうとするが、俺がそれを何とか抑え込む。


「ノエル、一旦退くぞ!」


「ふざけるなッ! 引き下がれというのか……奴を目の前にして!」


 説得している時間はない。俺は半ば強引に、『予告する右剣(セルニーヌ)』と『頂戴する左剣(ペレンナ)』に備わっている魔法、『怪盗乱麻』によって、ノエルから奪った魔法を発動。そこに『昇華リミテイジング』の強化をプラスする。


「『昇華リミテイジング華吹雪ブルムザード』ッ!」


 ルシルを吹っ飛ばしてやったことで位置の問題はクリアした。

 双剣から氷の華吹雪を吐き出し、ルシル、モーガン、兜少女の三人を巻き込みつつ、一気に視界を埋め尽くす。

 強化された氷河の暴威。倒しきることは出来ないにしても、少しは時間が稼げるはずだ。


「『大地鎖縛バインド』!」


「第三王子、貴様……!」


 俺に抗議の眼差しを向けてくるノエル。だが、もはや『大地鎖縛バインド』すらも振り解けないほどに消耗してしまっている。当然だ。地上での黒狼の群れと、地下での大技、それに加えて兜の少女とモーガンの二人を相手取らせてしまった。彼にかかった負担は大きいはず。


(かくいう俺も……そろそろキツイ……!)


 元より『昇華リミテイジング』は消耗の大きい魔法だ。それも今日は短時間で二回も発動させた上に、『昇華リミテイジング華吹雪ブルムザード』……ノエルの大技を更に強化したことで、ごっそりと魔力を持っていかれた。

 やはり撤退を選んで正解だった。あのまま戦っていたら、潰れていたのは俺たちの方だった。


「すぐにこの地下から脱出する!」


 ネネルを取り戻すことに成功した俺たちは、氷が砕かれてしまうその前に、ノエルを連れながら地上へと脱出した。





新年あけましておめでとうございます。


(更新滞ってしまい申し訳ありません)


来月(2月)には書籍版が発売される予定ですので、この作品が更なる飛躍を遂げられる一年になれるよう、がんばっていきます。


今年も「悪役王子の英雄譚」をよろしくお願いいたします。

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