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第54話 境界線

 声をかけると、氷のように冷たい色の髪をした、同じぐらいの年頃の少年が現れた。

 ネネルもあいつには見覚えがあることだろう。森の中で助けてくれた氷の王子、ノエルである。なるほど。気配の正体はこいつだったってわけか。


「ね、ねぇ。『遊んでやる』って……戦うってこと?」


「……………………」


「どうしたの?」


「いや。てっきりシミオンの手下かと思ってたから、そのまま戦う流れになると思って……」


「…………勘違いしたんだね」


「やめろ。恥ずかしいだろ」


 そんなジトッとした目で見ないでくれ。


「か、勘違いとはともかくとしてだ。なんの用だ、氷雪の王子サマ。今朝からずっとつけまわしてただろ。熱心な俺のファンか?」


「お前に興味はない。第三王子」


「ファンとか言って恥ずかしくないの?」


「おいこらガキ。オトナの会話に口を挟むな」


 心なしかネネルの中で俺への評価がどんどん下がっている気がする。

 オトナのシャレってやつが分からないガキだなまったく。


「……興味がないなら、なおさらどうしてつけまわす」


「言ったはずだ。お前に興味はない。が……お前は、ルシルとかいう『ラグメント』の力を操る女と接点があったらしいな」


「俺の後をつけていれば、いずれルシルに辿り着くことが出来るかもしれないと考えたわけか。……って、要するに俺を勝手に餌にしてるってことじゃねーか」


「人手が割かれた婚約者の方よりも、子供連れでお荷物を抱えたお前の方に現れると考えたんだがな……どうやらアテが外れたようだ」


「はっ。とかなんとか言って、実は子供ネネルのことが心配でついてきたんじゃないのか?」


「…………っ……ふざけるな。そんなんじゃない」


 先ほどまで冷静に淡々としていたノエルだが、僅かに動揺を見せた。

 まるで思わぬ反撃を喰らったかことを誤魔化すかのように、ふいっと露骨に視線を逸らす。


 …………えっ。マジ? 言われっぱなしなのも癪だと思ってテキトーに言ってみただけなんだが、意図せずクリーンヒット?


「そういえばお前……俺がネネルを引き取る話をした後も、急に突っかかって来たよな」


「それがどうした。お前の甘さに呆れていただけだ」


「よくよく思い返してみれば、森でのことだって……俺の後を真っ先に追いかけてきたのはお前だったし……あの氷にしたって、顔から下だけを凍らせる緻密な魔力操作ができるなら、ネネルだけを避けて凍らせることも出来ると考えてもおかしくはない……」


「で、でもっ。あたしは犯罪者だから拘束するのは当然だって……」


「そうだなぁ。あれはキツイ物言いだったが、こいつが子供好きだと仮定して言葉を要約すると――――『敵に襲われる前に保護します』ってことなのかもしれない」


「えぇ……なにそれ……わかんないよ」


「勝手に都合の良い解釈をするな!」


 珍しく声を荒げて否定するノエル。

 むしろ、ますます信憑性が増してきた。結局こいつも素直じゃない捻くれ王子なのかもしれない。ここにマキナがいたら「やれやれ。王子様って素直じゃないとダメな決まりでもあるんですかねー。いっそ通訳とかつけたらどうですか?」とか言いそうだ。……あれ? おかしいな。なぜか俺にも効いてきたぞ。


「何度言わせる。俺はただ、お前を餌にしてルシルとかいう女が現れないか見張っていただけだ」


「あっそ。ヘンな勘違いして悪かったな。じゃあお前、子供嫌いなのか?」


「…………」


「嫌いだったらハッキリ嫌いって言えよ。じゃなきゃ俺たちも勘違いしたままだぞ」


「フン。だったらハッキリ言ってやる。子供など……」


「『子供など』?」


「……………………関係ないだろう。そんなことは」


「なるほど。嘘でも『子供が嫌い』なんて口にしたくなかったんだな」


「違う!」


 人に散々『甘い』だのなんだの言っておきながら、お前もたいがい甘いじゃねーか。

 何が『氷雪の王子』だ。『氷菓子の王子』に改名しろ。


「まあ、なんだ。ネネル、あの王子様はちょっと素直じゃないだけだから、もうそんなに怖がる必要はないぞ。色々と許してやってくれ」


「うん……ああいう、女子に対して素直じゃない男子って近所の子にもいたから、別にいいよ」


「だってさ。よかったな」


「貴様ら……オレをなんだと……!」


 氷の仮面がすっかり剥がれ落ちたノエルはまた口を開こうとしたが、これ以上言い争っても形勢不利だと判断したらしい。すっかり不貞腐れたように黙り込んでしまった。

 賢明な判断だ。あのまま言葉を重ねてもどんどんドツボに嵌ることしか出来なかっただろうからな。


「…………くだらん。何でもいい。どうでもいい。オレはお前らを餌にして、ルシルとかいう女を……『ラグメント』を根絶やしに出来れば、それで……」


 ……ちょうどいい。この流れで、気になっていたことでも訊ねておくか。


「なぁ……お前さ、なんでそんなに『ラグメント』を敵視してるんだよ」


 俺の問いにノエルの表情がまた氷のように冷たくなった。

 内側から滲みだしてきた冷たい影がびっしりとあいつの顔に張り付いてしまったように。


「むしろなぜ貴様はそこまで能天気にいられる。奴らは敵だ。この世界を蝕む悪だ。ましてやオレたちは王族。それを根絶やしにするのは責務だ」


「俺だってあいつらを倒さなきゃいけないことは分かってる。……ルシルにだって恨みはあるしな。あいつはレオ兄を玩具にして、弄んだ。あいつだけは許せない。けど、お前のは少し違う。敵意というより……憎しみを抱いてるように見える」


「当然だ」


 ノエルのかおが、触れれば痛みを刻み込まれる氷で覆い尽くされていく。そんな錯覚を出だしてしまうほど、今のノエルの表情は冷たい。


「奴らはオレの大切なものを奪っていった。だから殺す。だから根絶やしにする。奴らが消えてなくなる最後の瞬間まで、オレは奴らを殺し尽くす」


「大切なもの?」


「…………貴様には関係のない話だ。第三王子」


 それだけを言い残し、再び固く口を閉ざす。とてもさっきまでのように軽く話しかけられる雰囲気じゃない。たぶんここから先は、あいつの心に直接踏み入るようなことだ。今の俺が入ることが出来るのはその鼻先ぐらいまで。近いようで遠い。明確な線が敷かれている。……これ以上、俺が踏み込めることじゃないな。


「アルくん!」


 会話が途切れたところで、慌てた様子でシャルたちが駆け寄ってきた。


「探しました。こんなところにいたんですね。……? ノエル王子?」


「ああ、たまたま会ってな。それよりどうした? ずいぶん慌ててるみたいだが」


「それが…………」


 言い淀むシャル。いや、シャルだけじゃない。傍にいるマキナも同じくどこか暗い表情かおをしている。どうやら只事じゃないことが起きたみたいだ。


「…………何があった」


「あのルシルってやつが、シャルとマキナの前に現れたんだよ」


「そのルシルとかいうやつは何処にいる」


 と、言い淀む二人に代わって説明してくれたエリーヌに、ノエルが真っ先に反応する。


「さてね。アタシは結界に閉じ込められてただけだし、気が付いた時にはルシルの痕跡なんざ影も形もなかったよ」


「すみません。私も戦いはしましたが、逃げられてしまいました……」


「いや。むしろ無事でよかった。下手に深追いして取り返しのつかないことになるよりは全然いい」


「そう……ですね……」


 力なく俯くシャル。聖女様の故郷に来ることが出来たとはしゃいでいたシャルの姿はどこにもない。


「……大丈夫か?」


「い、いえっ。何でもありませんっ。はい。えっと、大丈夫です。……ちょっと、疲れただけですから」


 戦闘になったっていうからな。シャルの場合は実戦経験も少ないだろうし、慣れないことして想像以上に負担が蓄積していてもおかしくはない、のか……?


「そ、それより、マキナさんのことも見てあげてください。彼女もルシルさんと接触したみたいですし」


 シャルが視線を向けた先。そこにはマキナが控えていたが、どこかぼーっとしている。

 心ここにあらず、とでも言うべきか。


「……………………」


「マキナ?」


「え? な、なんですか?」


「いや、お前もルシルと接触したんだろ? 大丈夫か? 怪我とかは」


「そ、そうですね。はい……大丈夫です」


 なんだ。マキナの様子が明らかにおかしい。


「……何があった。お前、ルシルに何かされたのか?」


「あははっ。何かってなんですか。こんな何の変哲もない、ただかわいいだけのメイドさんに何かする人なんていませんって。ただ、今日はちょっとお疲れモードなだけで……」


「マキナ」


 いつものように明るく振る舞おうとするマキナの肩を思わず掴む。


「真面目に答えろ。何かあったのか?」


「なん、ですか……だから…………」


「今のお前が、いつも通りのお前じゃないことぐらい分かる。伊達に子供ガキの頃から一緒に居ないだろ」


「……………………いつも通り?」


 正直に言って、シャルとの付き合いはまだ日が浅い。

 昔からレオ兄の婚約者としての付き合いはあったものの、今ほど一緒に居たわけじゃない。婚約者として一緒に居る時間が増えたといっても、レオ兄に比べればまだまだだ。

 これからもっと知らなきゃいけないし、知っていきたいとも思う。

 けれど、マキナは子供の頃から一緒にいる。今のこいつがいつも通りじゃないことぐらいは、俺にだって――――


「いつも通りって、何ですか。……わたしのことなんて、何も知らないくせに」


 ――――今、マキナが零した、とても小さく、か細い声は。

 俺の知っている『いつも通り』とは、違っていて。


「マキナ……?」


「……あはっ。なーんてね。いやー、見抜かれちゃいましたか。流石はアル様ですねー」


 すぐにマキナは『いつも通り』の表情を取り戻した。

 俺の耳に微かに聞こえてきた言葉が幻聴だったような気がするぐらいに。


「まずは危険がないか検証する必要かと思って、渡すかどうか悩んだんですけどね。実はルシルから、こんなものを貰っちゃったんですよ」


 マキナが手渡してきたのは、丸められた羊皮紙。封を解いた痕跡がある。


「一応、わたしの方で確認したんですが、中身には地図が描かれていました。どうやらこの街の物らしいんですけどね。何を指しているのかは、実際に行ってみないと分からないみたいです」


「これを……ルシルがお前に渡したのか?」


「はい。なんでわたしにこんなものを渡してきたのかは……………………分かりません」


 言葉の切れ目に妙な間があった。それがどうしても気になり、


「マキナ。お前、本当に――――」


「何でもいい。情報を掴んだのなら動くまでだ」


 再び問いかける前に、ノエルが地図の描かれた羊皮紙を掴み取る。

 タイミングを逸してしまった俺は再び声をかけようとするが、マキナは意図的に視線を逸らしてきた。その態度から現れる明確な拒絶の意志に、声も、足も、不思議と動かなくなってしまう。


 ふと、屋敷での出来事が頭の中に蘇る。


 ――――言えないんです。わたしの心は、外に出しちゃだめなんです。だから、心配しないでください。


 こんなにも近くにいるのに。昔から一緒だったはずなのに。

 不思議と今は、随分と距離が離れてしまったような――――そんな気がした。





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