第45話 心の変化
わたしが止める間もなく、アル様は茂みの向こうへと消えてしまった。わざわざ強化魔法まで使って追いかけるあたり大人げない。
「はぁ……追いかける方の身にもなってくださいよ」
アル様……というか、この国の王族において戦闘力は必須といえる。過去の歴史を遡っても護衛よりも強いなんてことも珍しくなかったらしい。
そりゃあそうだ。『ラグメント』という、王族たちでしか倒せない異形の怪物との戦いを使命として定められている存在なのだから。
とはいえ。とはいえ、だ。
護衛としては追いかけないわけにもいかないし、『ラグメント』に対抗できる貴重な魔力の持ち主にもしものことがあってはいけない。
レオル様との決闘の時とは違って今回は正式な公務。護衛は連れているし、数も足りている。だとすれば、単独で飛び出した困った王子様を追いかけるのはメイドの務めだろう。
「じゃあ、わたしはアル様を捕まえに行きますね。さっきのアレも、どうせ照れ隠しみたいなもんでしょうし」
「そうね。あのバカを捕まえるのは、マキナちゃんが一番手慣れてるだろうし」
「伊達に昔っから仕えてませんから」
わたしは昔からアル様に仕えてきた。だから今、こうして表舞台に立って公務に参加されているアル様を見ているだけで……どこか胸にこみあげてくるものがある。
本人もまだ慣れてはいないのだろう。だからあの小さな子供を追いかけて行ったアレは、ちょっとした照れ隠しのようなものだということぐらい、分かる。
「ここはマキナちゃんに任せあれ、って感じなので。皆さんは休んでてくださいな」
「そうね。……ついでに、さっきの子供から話が聞けるなら聞いておいてもらえるかしら?」
「ですねー。王族の乗った馬車だと分かった上で狙ったっぽいですし……あれだけのセンスを持った子です。『使われた』可能性がありますから」
「上出来。こんなにも優秀なメイドさんを持てて、我が弟ながら幸せ者ねー」
うんうんと頷きつつ、ルーチェ様はさり気なく距離を詰める。
そしてわたしの耳元で囁くように、
「いっそ、マキナちゃんもアルと結婚しちゃう?」
「――――んなっ!?」
ルーチェ様的に言えば。それはまさに電撃的な不意打ち、というやつだった。
「な、なにを言っておられるのでしょうか?」
「『ラグメント』に対抗する戦力を揃えるという意味でも、王族の子供って数が要るでしょう? わたしとアルも第二王妃の子供だし。仮にあの子が王様になるとしても、妻は複数人必要になるだろうし。だったらあたし的には、そのポジションはマキナちゃんになるのがベストなんだけど」
ルーチェ様は根っからの女王様気質だ。
気に入った人間は傍に置きたがる。しかしそれは必ずしも手の届く場所ではない。ルーチェ様曰く、「本人が喜べるような場所であることが重要」なのだという。
具体的に言えば、『気に入った人間は自分の傍に置きたい。だけど相手がハッピーじゃなきゃ意味がない』みたいな感じだろうか。
有無を言わさず相手に幸福を強制する。
それがルーチェ様であり、支持者が多い理由。仮にルーチェ様が男性であったならば、内外の支持率はレオル様を超えていただろう。
「そしてシャルちゃんとマキナちゃんの両手に花で過ごすのがあたしの壮大なる人生設計だったりしちゃってるわけよ! むふふ」
「……お戯れはやめてくださいよー。目をかけてくださってるのは嬉しいですけど」
「あたし、これでも見る目はある方よ?」
知ってますよ。だから反応に困ってるんじゃないですか。
「残念でしたねルーチェ様。わたしはもう将来設計が決まってるのです。高収入で高身長なイケメンのお婿さんになるために、今はメイドという役職に甘んじちゃってるのですよ。このポジションなら、将来有望な貴族を物色するにも困りませんし」
「ありゃ。どうやらまた失敗しちゃったみたいねー。マキナちゃんったら相変わらず電撃的に手強いんだから」
でも、と。ルーチェ様はわたしの目を見てくる。全てを見透かしたような。そんな目だ。
「あたし、気に入った相手のハッピーは諦めない主義なのよね」
華麗なウインクと共に飛んできた言葉に曖昧な返事をすることも出来ず、わたしはアル様を探しに、逃げるように茂みの中へと飛び込んだ。
アル様の足跡を追う。もはや体に染みついた動き。だからこそ、今こうして頭の中でぐるぐると考え事をしながらでも追いかけることが出来ている。
「…………簡単に言わないでくださいよ」
ルーチェ様は簡単に言うけれど。わたしは自分の身分ぐらい弁えている。
過去の記憶もない、ただの薄汚れた子供。アル様に救ってもらわなければ、ボロ雑巾のように野垂れ死んでいたであろう子供。それがわたし。
貴族のように高貴な血の一つでも流れていたら。
そうでなくても、『第五属性』の魔力があれば。
わたしも婚約者になれたのだろうか。
「あー……だめだ。変なコト考えちゃってる。うん。らしくないぞ、わたし」
足を止めて軽く頬を叩く。
ずっとずっと心の奥底に入れて、包み込んで、隠していた感情。
大好きな家族のため、影に徹すると決めたアル様。わたしを救ってくれたアル様。そんなアル様の足を引っ張るようなものになりたくない。だから、この感情は閉まっておくと決めた。わたしなんかよりもずっとずっと相応しい人がいるから。そんな人たちを支えると決めたから。
「…………わたしの心は、邪魔だ」
さっき馬車が傾いた時、アル様の身体に触れたせいだろうか。男の子らしくて、逞しい身体に受け止めてもらって。不意に胸が高鳴っちゃって。一瞬の出来事だったけれど、せめてもう少しこのままだとか。そんなことを、思ってしまったせいだろうか。閉まっていたものが、性懲りもなく顔を出してきた。
「はぁ……あの女の子に八つ当たりのお仕置き……をするわけにもいかないですし、ここはアル様をおちょくってストレス解消でもしますかねー」
主人をおちょくる騒がしいメイド。
それがわたしが演じるべき役割なのだから。
☆
「…………ちと急すぎたかしら」
残念ながらマキナちゃんには逃げられてしまった。しばらく顔を合わせてなかったから、これを機に詰めておきたいと思ったんだけれど。このルーチェ様ともあろうものが、どうやら柄にもなく焦ってしまったようだ。
「お節介が趣味なのかい?」
「あら。エルフ族って電撃的に耳がいいんですね」
「風に乗って聞こえてきただけさ」
肩を竦めるエリーヌさん。アルの話だと王族嫌いらしいけれど、あたしには普通に話しかけてはくれるらしい。
「…………ああいう、手の届くところにあるものを諦めてる子を見てると、我慢できずつい口出しちゃうんです。マキナちゃんのことは幼い頃から見てきてますし、なおさらね。それに加えて、弟がバカ正直に『王様になります』なんてことを抜かす阿呆でしょう? 信頼できる子をつけておかないと、姉としては夜も不安で眠れなくなっちゃうわけですよ」
手の届くところにあるものをなぜ掴まないのだろう。なぜ掴もうとしないのだろう。
あたしはそれが分からない。手を伸ばしても、届かぬものだってあるというのに。
(王様になる、ね……)
そんな選択肢、あたしには最初から与えられてはいなかった。
女性が王になるなど、周囲が許さない。伝統と歴史が許してはくれない。
夜空で星のように輝く冠は、あたしがどれだけ手を伸ばしても届かないモノなのだ。
だから、なのかもしれない。あたしが気に入ったものを手の届く範囲に置きたがるのは。
一番欲しいものは届かないから、それ以外の欲しいものは傍に置きたいと思ってしまう。
でも、ただ手元に置くだけなんてつまらない。やっぱりその子が一番輝いている状態でないと。そういう意味ではシャルちゃんがアルの婚約者に収まったのは、あたし的には良かったのよね。レオルの婚約者だった頃はなんか固い感じだったし……っと、
(…………シャルちゃん、さっきから妙に大人しいわね)
見てみると、そのシャルちゃん本人はさっきから、ぼーっとしたまま立ち尽くしている。
飛び出していったアルに呆れた……わけじゃなさそうね。
「シャルちゃん?」
「…………あ。ルーチェ様」
「どうしたの? さっきから、ぼーっとしてるみたいだけど」
「あはは……緊張が解けて、ほっとしちゃったのかもしれません」
「緊張?」
今回の公務はシャルちゃんにとっては大仕事。緊張するのも無理はないけれど……そういうのじゃなさそうなのよね。むしろ土壇場では結構、肝が据わってる。聞いた話だと騎士たちの意志をまとめるために背中を斬っていい、なんて啖呵をきったらしいし、巨大ラグメントにも臆さず突っ込んでいける。
今回の公務にしたって、そりゃあ多少の緊張はあるだろうけど、ここまで緊張するというのもイメージに合わない。……でも、それはあくまでもイメージの話。あたしのイメージに合わないというだけで、実際はとても緊張していたのかもしれない。
それはいけないわ。シャルちゃんはあたしの両手に収まる花。マキナちゃんと同じように、笑顔かつハッピーでいてもらわなくちゃ。ここは姉力の見せどころね。
「緊張してるっていうなら、話しぐらい聞くわよ? 傾いた馬車を元に戻したり、周りの安全を確かめるまで少し時間はかかるだろうし」
「…………実は最近、ヘンなんです」
シャルちゃんは俯きながらも、内に秘めた『何か』を確かめるように自分の胸に手を当て……でっか。また育って……じゃない。いや今晩の湯浴みの時にでもマキナちゃんのと一緒に直に確かめて……じゃない。今は集中よ、集中。電撃的に集中しなさいルーチェ。
「それって、成長痛的な?」
「いえ。成長痛は全く関係ありませんが……」
ごめんねシャルちゃん。困惑させて。個人的興味で確認しただけだから気にしないで。
「ま、冗談はさておいて。ヘン、っていうのは……精神的な話かしら?」
「そうですね……そうだと思います。胸がドキドキして、体が熱くなって……緊張して、いつも通りにすることが出来なくて」
「ふーん。まるで恋する乙女みたいな反応ね」
「…………っ……」
「えっ。うそ。マジで?」
どうやら姉としての勘が電撃的に働いたらしい。
何気なく言ったコトバがクリーンヒットしたようだ。
いや頬を赤らめるシャルちゃんかわいいわね。お持ち帰りしたいんだけど。
(しかしこれは……どうしたもんかしらね)
お互いの顔を知らぬまま婚約が結ばれることも多い貴族社会だ。
むしろ恋愛結婚の方が少数派ではある。多くの場合は己の家のため、貴族としての義務として粛々と婚約を受け入れるケースが殆どだ。あたしにすらいるしね。婚約者。
まあ、だからといって、貴族女性に恋心が生まれないわけではないし、恋愛結婚に対する憧れを持つ子も珍しくはない。
道ならぬ恋に落ちる貴族女性の話もなかったわけじゃあないし、シャルちゃんが婚約者がいる身で恋心を抱くことがあっても不思議じゃない。
とはいえ、アルにとっては不憫な話だし、あたしも王族の一員として上手く嗜めるというのが義務…………なんだけど別にいいや。シャルちゃんかわいいし。むしろマキナちゃんと両手に花のアルがちょっとムカついてきたぐらいだし。一輪ぐらいあたしにくれてもよくない?
「そっか。まあ、いいんじゃない? 少なくともあたしはかわいいシャルちゃんの味方よ。……ちなみに相手は誰?」
「それは、その…………」
シャルちゃんが恋心を抱く相手。レオル……は、ないか。あんなことされて恋心を抱けるのは、やや一般的とは言い難い性癖をお持ちの方だけだろうし。とすれば……ロベルト? うーん……あたしが嫌。じゃあ大穴で……ノエルとか? それもないか。
「あ…………」
「『あ』?」
シャルちゃんは頬を赤らめながら、とても緊張した様子で、
「アルくん、です…………」
「…………なるほど?」
さしもの姉力を以てしても、それは読めなかったわ。いや、深読みし過ぎた、というべきかしら。
「実は最近になって、アルくんに……こ、恋をしていると、自覚してしまって……。それから、ヘンなんです。前までは同じ馬車に乗っても、距離が近くても……ここまで緊張することはなかったのに、緊張してしまって……景色に集中して落ち着こうと思っても、なかなか落ち着けなかったり……さっき馬車が転んだ時も、アルくんが目の前にいて、頭がどうにかなっちゃいそうになって……」
シャルちゃんは自分でも自分の変化に困惑して、戸惑っているらしい。
頭の上に無数の「?」マークが見えるようだわ。
「ヘンですよね? 私、急にこんなことになって……それとも、これが恋というものなのでしょうか? 絵本や小説の中ではよく見てはいたのですが、自分が恋というものになったことが、初めてなので……勝手がよく分からなくて……」
思えばシャルちゃんは、生まれた時から『第五属性』の魔力を持っていたが故に将来を有望視されて、婚約まで決められて。将来の王妃となるべく厳しい教育を受けて育ってきた。そうでなくとも努力家だしね。自分に対しても厳しかったはずでしょうし。
それ故に、こういう『王妃として不要な感情』には不慣れなのだろう。
まとめると――――ようは惚気ね。これ。
「一応、普通に接するように心がけてるんですけど……これでいいのかもよく分からなくて」
「別にいいと思うわよ。シャルちゃんの思うようにすれば。そういう悩みも含めて楽しみなさいな」
「思うように……それが、難しくて……」
「大丈夫よ。元々、心なんて思い通りにいかないものだしね。恋心なんて特にそう。放っておいても、勝手に動いてくれるわ。……むしろそういう感情を無理やり留めておくのは心にとって不健全なものだし」
だから、マキナちゃんも心配だったりするのよね。
自分の心を押し留めることの辛さも痛さも、あたしは嫌というほど知っている。
マキナちゃんにちょっかいかけたくなっちゃうのは、そうしていつか心が壊れてしまいそうだから。
「人の心と向き合う王様。アルと一緒にそれを目指すのなら、勉強だと思って振り回されてみなさい」
恋。その言葉を聞いて、ふと思い浮かべたのは、同盟国からやってきた氷の王子様だ。
ある意味ではあいつも『恋』というものに振り回されて生きている。いや、縛られているといった方が正しいのかもしれない。
「…………ん?」
辺りを見渡してみる。が、その姿は見当たらない。
「ノエル……どこ行った?」




