第42話 氷
王宮殺人クッキー事件から一夜が明けて。
俺はあの世から見事に生還し、被害者と共に命の素晴らしさを噛み締めていた。
「明日っていうのは、当たり前に来るものじゃないんだなぁ……」
「お日様の光が心に染みますねぇ……」
廊下の窓から差し込んでくる太陽の光が眩しい。クッキーを食べた後に見た景色はもっとこう、暗くて寒くて冷たくて……あ、考えるのやめよう。絶対ロクでもないやつだこれ。
「いやー。ルーチェ様の殺人料理をくらったのは久々でしたけど、やっぱりきょーれつですねぇ。うっかりあの世にお邪魔してしまうところでしたよ」
「お前は何だかんだルチ姉の料理を回避してきたからな。まだまだ経験が浅い」
「アル様は被害者常連ですもんね」
「あぁ。ルチ姉の料理を食べた回数なら誰にも負けねぇ」
「臨死体験の回数を誇られても……」
おいやめろ。そんな哀れむような目で見るな。
「だが、そのおかげで今回は助かったんだ。あの世に行かないための対処法を編み出したからな」
「あの殺人クッキーに対処法なんてあったんですか!?」
「ある。ようするに、あの世に迷い込まず生還すればいいんだ」
「これ食料の話ですよね?」
「そこで俺は考えた……現世に戻りたいなら、現世への道を知ってる人に案内してもらえばいい、と」
「ほうほう」
「つまり――――鎌を持った親切な人についていった俺の判断は間違ってなかった!」
「アル様。それ死神です」
……細かいことはさておいて、今はこの温かい生というものを噛み締めよう。
「にしても、あのクソ親父……ルチ姉が帰ってくるなら先に一言入れとけって何度も言ってるってのに」
「今回は本当に急でしたねぇ。ルーチェ様らしいといえばらしいですけど」
「おかげで胃袋と心の準備が出来なかった」
「あぁ……殺人料理を食べるのは確定してるんですね……」
メイドからの哀れみの視線が辛い。
「くっ……それもこれもルチ姉が帰ってくる時に一言入れなかった親父が悪い! ……おい親父! 何の用件で呼び出したのかは知らないが、まずは文句の一つでも聞いてもらおうか!」
殺人料理の不意打ちを受けた腹いせに親父に文句を入れてやろうと、執務室の扉を叩き開けたその先で――――
「…………………………………………」
物言わぬ屍(親父)が机に突っ伏していた。
ちなみに屍の傍にはクッキーの欠片と思われるものが落ちており、ついでにルチ姉とシャルの二人が不思議そうな顔をして佇んでいる。
「あら二人とも。遅かったわね」
「おはようございます、アルくん。マキナさん」
「あ、ああ……おはよう……えっ。親父、どうした?」
「ルーチェ様と一緒に作ったクッキーを召し上がっていただいたところだったんですけど……」
「お父様も歳なのかしらねー。お腹が膨れて眠くなったのか、急に寝ちゃったのよ」
「そ、そうかぁ…………寝ちゃったのかぁ……」
「あはは。寝ちゃったのなら仕方がないですねぇ。あはははははははは」
一人で思わず遠い眼をしていると、隣ではマキナが表情を一切変えないままガタガタと身体を震わせている。どうやら死の恐怖が身体に刻まれているらしい。
無理もない。死の淵からかろうじて生還したばかりだもんな。
(たぶん、シャル様の手作りだと思って油断しちゃったんでしょうね……)
(哀れなる親父よ、安らかに……)
シャルの調理工程は死の嵐を巻き起こすほどに不器用だが、これまた不思議。不思議も不思議。出来上がる料理はとても美味い。だがそこにルチ姉が混ざることで劇薬に変わる。
ひとまず親父のご冥福を祈っておこう。
(しかし……シャルのやつはよく無事でいられたな)
(たぶんシャル様は味見をしなかったんでしょう。それで知らずの内に難を逃れたと)
ルチ姉の厄介なところは味見をしているという点だ。それでいて「美味しい」と思っているのだから絶望しかない。
だが、あの劇薬をルチ姉以外の人間が食して生きていられる可能性は、ほぼゼロに等しい。シャルが味見をしていたら生きてここにいるはずがないだろうから。
それこそ、不可能を可能にでもしない限り……。
「昨日のアルくんと同じで、ルーチェ様の手作りクッキーが美味しすぎたのかもしれませんね。私も味見で一口いただいた時は、斬新な味付けに感動してしまいましたし」
するんかい!!
(……………………………………???)
あまりの衝撃発言にマキナは頭の処理が追い付いていないようだ。
気持ちは分かる。俺もあの劇薬を口にして生きていられる人間がルチ姉以外に存在するとは思わなかったから。それもこんなにも身近に。
「まさかクッキーにあのような材料を使うとは……知らない世界の扉が開いたような感覚です」
閉じてくれ。
「ふふふ……シャルちゃんには電撃的な感動を与えちゃったみたいね。尊敬してもいいわよ?」
「尊敬します!」
するな。
「次の機会があれば、また教えを乞いたいぐらいです」
乞うな。
(今度からシャル様とルーチェ様の予定、しっかり把握しときます)
(頼む。俺たちの命を守るためにも)
不思議だ。部下との絆が深まった気がする。マキナも命は惜しいだろうからな。
☆
「………………………………全員、揃ったようだな」
なんとか親父の蘇生に成功した後(ルチ姉に頼んでうってもらった電気ショックが効いたようだ)、ようやく本題に入ることが出来た。臨死体験に免じて文句を言うのはやめておいてやろう。
「まずはルーチェ。此度の留学、ご苦労だったな。お前の働きは全て報告書で読ませてもらったぞ」
「ご苦労、ってほどでもないわ。向こうでの生活も中々に刺激的で楽しかったし」
「…………随分と暴れたようだが」
「暴れた? 失礼ね、お父様。あたしは王族よ? 第一王女様よ? 暴れる、なんていう野蛮な表現をされるようなことをした覚えがないわ」
「ほう。留学早々に向こうの生徒と決闘を行い、五十人余りを医務室送りにしたそうだが」
「握手会ね。今となっては懐かしい……中々に痺れた体験だったわ」
「…………医務室送りになった生徒が軒並みお前のしもべになっているとの話も聞いているが?」
「失礼ね。『しもべ』じゃなくて、あたしを応援してくれる『ファン』よ。そこを間違えないで」
「…………講堂を占拠して騒ぎを起こしたともあるが」
「騒ぎ? なんて刺激のない無粋な表現なのかしら。正しくは『ライブ』よ。その報告書、電撃的な速さで訂正しておくことをオススメするわ」
「…………………………………………」
親父は色々なものを諦めたのか天を仰いでいる。
どうやらルチ姉は向こうでも大暴れだったようだな。
「ふっ……お父様も、あたしの電撃的な活躍に感動して言葉も出ないようね。文句のつけようもない、といったところかしら」
「…………………………………………!!!」
親父はまさにその文句を必死に飲み込んでいる最中らしい。
自信に満ち溢れた顔をしているルチ姉はまったく気づいていないが。
「…………まあ、お前が留学したことで『ラグメント』の討伐効率が格段に向上したとの報告も上がっている。戦果も上々。三つある留学先の中で最も早く『ラグメント』発生率を抑えたのは流石だな」
「のんびりモタモタするのは趣味じゃないからね。電撃的に終わらせてきたわ。それより……」
ルチ姉の目が、俺とシャルに向けられる。
「あたしが離れてる間に、こっちは随分と電撃的なことが起こったみたいじゃない?」
レオ兄との決闘。ルシルという少女を発端とする巨大『ラグメント』による襲撃と、『王衣指輪』の強奪。
「ごめんね、シャルちゃん。うちのレオルが貴方を傷つけて。あのバカに代わって謝罪させてちょうだい」
「いえ……レオル様がああなってしまったのは、あの方の苦しみに気づいてあげられなかった私の責任でもあります」
「貴方がそこまで責任感じる必要はないのよ。独りで背負いこもうとしたのはあのバカだし、止められなかった責任はあたしたち王家だけのもの。そこをシャルちゃんに分けてやるつもりはないんだから」
「……ルーチェ様」
「そういうわけだし、かわいいかわいいシャルちゃんは、気兼ねなくあたしの義妹になりなさい。……けどまさか、アルフレッドの婚約者になるとはねぇ。この報告を受けた時はさしものあたしにも電撃がはしったわ」
色々とはっちゃけているようではあるが、ルチ姉は勘が鋭い。本質を見抜く力に長けてもいる。そんなルチ姉の目が……全てを見透かしたような目が、今度は俺に向けられる。
「…………あんたは変わったようね。アルフレッド。あたしに何か言いたいことでもあるんじゃないの?」
たぶん、ルチ姉はまだ知らない。レオ兄との決闘。あの日にした俺の決意を。それでも既に、『何かある』と勘づいている。
別に隠すつもりはなかったけど、相変わらず……この人に隠し事は出来ないな。
「遠慮なく言ってみなさい。どれだけ電撃的なことでも、心穏やかに受け止めてあげるわ」
じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく言ってしまおう。
「ルチ姉。俺、決めたよ。レオ兄に代わって、王様になる!」
「えっ!? うっそマジで!!? ちょー電撃発表じゃないのよそれ!!」
穏やかどこいった。
「へぇー。あんたが王様にねぇ……ふーん?」
物珍しそうに、しげしげと俺のことを眺めながら考え込むルチ姉。
「…………ああ、なるほど? だからお父様は、あいつをこっちに寄越すよう言ってきたってわけか」
「そういうことだ」
「あいつ? 誰のことだ?」
「ん。そーいえばあんたとマキナちゃんはさっきまで寝てたから、挨拶出来なかったんだっけ。ふぅ……美味しすぎるクッキーっていうのも考え物ね」
色々と突っ込みたいところはあるけどここは黙っておこう。いつまでたっても話が前に進まない。色々と突っ込みたいところは本当にあるけど。
「…………待て」
不意に、部屋の中に一羽の小鳥が舞い降りた。
全身を淡い光で覆われているそれは魔指輪の力で召喚されたであろう『使い魔』。
「『ラグメント』だ。北東の外壁付近に現れたらしい」
「王都の外壁には『ラグメント』の発生を防ぐ結界があったはずだけど……ああ、襲撃騒ぎの時に壊れちゃったのね」
「北東の外壁はまだ修復が終わってないんだ。それでもこの一ヶ月は何ともなかったんだけど……いや、とにかく行ってくる」
かつて夜の魔女が世界に遺した呪い――――『ラグメント』。
王族が持つ『第五属性』の魔力なくしては対抗できない異形の怪物。
俺が持つのは夜の魔女と同じ『第六属性』の魔力だ。この忌むべき力もまた、『ラグメント』に対抗できる手段であることに変わりはない。
「アルくん。私も同行させていただきます」
この一ヶ月。『ラグメント』が出現した際にはシャルも同行することが多くなっていた。
彼女が『第五属性』の魔力を持っているということもあるが、回復魔法の使い手でもある。負傷者に対して迅速な手当が出来る人材というのはありがたい。
「分かった、頼む。ルチ姉は――――」
「そうね。成長した弟のお手並みを拝見させてもらおうかしら。でもまあ…………あたしどころか、あんたの出番すらないかもしれないけどね」
「えっ……?」
「なんでもないわ。さ、早く行きましょ。民を護るのが、王族ってやつの務めでしょ」
☆
「『アルセーヌ』!」
窓から飛び出し、空へと飛び出した直後。口にした名に呼応するように指輪が輝いた。
王族が持つ特別な魔指輪……『王衣指輪』から、俺が契約した精霊『アルセーヌ』が現出し、空を舞う。
やがて精霊は契約者たる俺の身体を覆い、精霊が持つ力から構成された衣や装備……『霊装衣』と化した。
この『アルセーヌ』の特徴は両手の剣と速度だ。
民家の屋根に着地した直後、『ラグメント』が出現した北東へとめがけて疾走する。
復興途中の王都の景色が流れるように過ぎてゆき、グングンと現場との距離が詰まっていく。
「――――グォォォオオオオオオオッ!!!」
まだ修復も済んでいない北東の外壁。その復興現場は漆黒の炎に蝕まれていた。
人々の悲鳴と叫びが渦巻き、築き上げてきた文明を焼き尽くす不愉快な匂いが漂っている。
漆黒の鱗を纏う人型蜥蜴。
一ヶ月前の事件でも王都を蹂躙した巨人の『ラグメント』も人型蜥蜴だった。傷も癒えきっていない現状では、ただ居るだけで人々に恐怖を与えることが出来るであろう種類だ。
「…………!」
人型蜥蜴のすぐ近く。
地面に足を躓いて転んでいる民がいる。一ヶ月前の事件でのトラウマが蘇り、足が上手く動かなかったのだろうか。あれじゃあ、ただの良い的だ。
「ひぃっ……!」
「だ、誰か……誰かぁ…………!」
屋根を蹴り、空を飛ぶ。炎をまき散らす人型蜥蜴めがけて弧を描くように落下しながら、身体に回転を加え……斬る!
「――――ッッッ!!」
双剣の刃を叩きつけられ、割かれた漆黒の鱗から血飛沫のように瘴気が噴き出た。
「あ……だ、第三王子……?」
「さっさと逃げろ」
「は、はいっ! ありがとうございます……!」
もつれるようにしながらも、逃げ遅れていた民は再び足を動かし、走り出していった。
「ふーん? 鍛錬はサボらずに続けてたみたいね。ま、あんたそーいうところは昔っから真面目よねぇ」
結構とばしたつもりだったんだけど……ルチ姉はもう追いついてきたのか。
「もう大丈夫ですよ。すぐに回復しますから……『回復付与』!」
近くではシャルが動けない負傷者を回復魔法で治療している。
……ルチ姉に運んでもらったのか。シャルを抱えながら『アルセーヌ』のスピードに追い付くんだから、相変わらずルチ姉の電撃的な速度は凄まじいな。
「ガァァァァァァァアッ!!」
獣のような荒々しい咆哮。同時に、熱気が膨れ上がった。
「…………まずい!」
気づくのが遅れた。人型蜥蜴は全身から炎を放出し、全方位、遍くを焼き尽くさんと漆黒の火炎をまき散らす。
咄嗟に、治療に専念していたシャルを護るように立ちふさがり、二刀で漆黒の炎を切り裂くが……たったの二刀では追いつかないほどに、周囲一帯へと炎が這いずる。
辺りはたちまち漆黒の灼熱に覆われ、熱気が肌を焦がす。まさに現世に生まれた灼熱地獄のような有様だ。
「くそっ! 熱ぃなオイ……!」
復興途中ということもあってか、周囲に資材が固まっていたのが不運だったか。圧倒的な速度で民家にも燃え広がってしまった。
この炎は『ラグメント』を倒しても消えない。すぐに水属性魔法による消火が必要なのだろうが、先に根元を絶たないと。
「ルチ姉! 周りにいるやつらの避難を――――」
「…………いや。もう必要ないわ」
燃え盛る周辺とは対照的に、ルチ姉の声はひどく冷静だった。
その言葉の意味を問いかける前に、世界が変わる。
「――――顕現しろ。『ウンディーネ』」
どこからか響く声。そして吹き荒ぶ、冷気。
ほんの一瞬。瞼が下りたその間に、一切の灼熱が消え失せ、辺り一帯を凍てつく氷河が埋め尽くしていた。
「これは…………っ……!?」
冷気の靄が視界を覆う。それがすぐに晴れた後……。
「――――――――……」
先ほどまで灼熱の暴威をまき散らしていた人型蜥蜴は、物言わぬ氷像と化していた。
「お父様が留学先から呼び寄せたのは、あたし一人じゃないわ」
いつの間にか隣に佇んでいたルチ姉が、白い吐息と共に言葉を紡ぐ。
「『第五属性』の魔力を宿した王族が統べる同盟国。その内の一つが北の大国、イヴェルぺ王国……」
氷漬けになった『ラグメント』に亀裂が広がり、砕け散った。
欠片が風に煽られる最中、一人の少年が佇んでいる。
「あそこにいるのが、そこの第二王子――――ノエル・ノル・イヴェルぺ」
佇む少年はまるで鋭く冷え切った剣のような雰囲気を全身から漂わせている。
冷静かつ冷徹さを持った表情。それでいて、蒼い瞳は氷を彷彿とさせているのに、なぜかその奥に燃え滾る熱を感じさせた。
「北の大国が誇る氷の王子様にして、あんたと同い年の第二王子でありながら……今もっとも王座に近いとされている男よ」




