第32話 光が身を焦がそうとも
「親父のやつ、結局観に来るのか」
――――御前試合当日が訪れた。
御前試合の会場となるのは学園内にある闘技場だ。観客席には既に生徒や外部からの人々で満員になっており、試合が始まるのを待っている。
元々この御前試合は年二回、半期に一度ずつ開かれるもの。
今回は前期の試合であり、新入生たちのモチベーション向上を目的とした歓迎会的な意味合いが強い……のだが、今日は意味合いが少し異なる。
レオ兄からすれば俺に罪を認めさせるための裁きの場。学園の生徒たちもそれを望んでいる。
この控室にも、そんな空気がひしひしと伝わってくるほどだ。
「そりゃー、御前試合ですからねぇ。王様が来なけりゃ話になりませんよ」
「大型『ラグメント』の調査はまだ続いてるんだろ? てっきり来れないもんかと思ってたが」
「調査の方はまだ続いてるようです。今日も御前試合が終わって諸々の処理が済み次第、戻るそうですよ」
「そっちに専念してりゃよかったのになァ」
学園の制服に袖を通す。今日の御前試合は年二回開催される学園行事。サボりっぱなしとはいえ俺も学園に籍を置いている生徒なので、制服に袖を通すのは義務みたいなものだ。
次は、テーブルの上に転がしておいた魔指輪から今回の試合に使う編成を組んでいく。相手がレオ兄となると、当然『アルビダ』は必要となるだろう。あとは……。
「…………」
手に取ったその魔指輪を左手に着けようとして――――制服のポケットに収める……代わりに別の魔指輪を装備し、俺は編成を終えた。
「……アル様」
「ん?」
「アル様は――――レオル様に勝つ気はありますか?」
俺の答えは、変わらない。
「……前にも言ったろ。やってみないと分かねぇ、ってな。レオ兄と本気で戦ったことはないんだから。ようは出たとこ勝負だ」
「……そうですか」
俺の答えが分かっていたかのように、マキナは目を伏せる。
「アル様がそう言うなら、わたしはそれに従いますよ」
その言葉の意味を深く追求することはしなかった。……いや、もしも追及していたら言葉に詰まるのは俺の方だっただろう。
分かっていながらもついてきてくれるマキナには本当に感謝しかない。
「そんじゃ、行ってくるわ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
俺は背を向けているので、マキナがどんな仕草をしているのかは分からない。
「ご武運を」
けれどきっと、いつもと変わらぬ優雅な一礼を見せてくれていることだけは、見ずとも分かっていた。
☆
試合の場へと続く長い廊下を独りで歩む。一歩ずつ前へと進む度に、会場の熱気が肌をじわじわと焼き焦がしていた。
「……アルくん」
その廊下で、シャルは一人佇んでいた。
どうやらわざわざ俺のことを待ってくれていたらしい。
「よぉ。どうしたんだ、こんなところで」
「試合の前に、少しだけお話ししたくて」
「話?」
シャルは頷き、俺と目線を合わせる。
彼女の蒼い瞳は澄み切った空のように純粋で、透き通っていて。
いつも眩しさのようなものを感じてしまう。
「……ありがとうございます」
「……なんだよ。急に」
「改めて、お礼を言っておこうと思って。あの時……アルくんが助けてくれなかったら、私はきっとここにはいませんでした。冤罪を晴らせないまま、ただ処分を受けているだけでした。何もかもを諦めて、立ち止まっていたと思います」
「いや。別に俺が介入しなくたって、シャルなら何だかんだ立ち上がってたさ。諦めの悪さは、この二週間で嫌というほど見てきたからな」
エリーヌを説得できたのは、シャルが諦めなかったからだ。
それがなければエヴラールもこちら側に引き入れることも出来なかっただろう。エリーヌだって立ち止まったままだっただろう。
「そんなことありません。あの時ばかりは、本当に諦めてしまいそうになっていましたから。……でも今となっては、婚約破棄されて良かったと思っています」
「良かった? 婚約破棄されて?」
「……以前の私は、空っぽでした。正しく在ればそれでいい。誰もがついてきてくれる。そうすればきっと夢に近づける……そう盲目的に信じていました。でも実際は、何も見えていなかったんです。アルくんが陰で頑張っていたことも……見えていなかったんです」
「そりゃあ、見えないようにやってたからな。気にすることじゃない」
「気にしますよ。……そうして遠くにあるものばかり見ているから、私は色々な物を取りこぼしてきたんでしょうね。レオル様からすれば、婚約破棄という決断に踏み切ったのも、今なら理解できます」
あんな目に遭ったっていうのにこれを言えるんだから、シャルも強いな。……ホント、俺には眩しすぎる。
「でもアルくんの婚約者になってからは、私も少しずつ変われたような気がしているんです」
俺とシャルが婚約者になってから、約二週間程度しか経っていない。そんな短い期間の中で、シャルは色々なことを感じ取ったらしい。
「マキナさんと話して、アルくんがずっと陰で頑張っていたことを知りました。エリーヌさんと話して、人はみんな、それぞれの想いを抱えていることを知りました。ドルドさんやフィルガさんと話して、理解してもらえないことの悲しさを知りました」
彼女の口から語られるのは、この二週間で得たもの。
夢へと進むシャルの背中を押したものだ。
「……アルくんと話して、他人のために戦う強さを知りました」
「他人のため? そりゃ勘違いだ。俺はいつだって、自分の為に戦ってるよ。他人のことを考えるような王子様なら、悪役王子にはなってない。どこにでもいる、自分勝手な人間さ」
「アルくんが素直じゃないことも、今はもう知ってますよ」
ここにマキナがいたら頷いてそうなセリフだな。
「……家族のために自分を殺して影に徹する。言葉にするのは簡単ですけど、実行するのは容易いことではありません。マキナさんたち部下のことだってそうです。放っておけなくて、見捨てられなくて、関係のない他人に、手を差し伸べる……アルくんはいつもそうしてきたんでしょう?」
「…………」
「アルくんの言う通り、人間は自分勝手だと思います。でもアルくんは……自分のためと言いながら、いつだって他人のために戦ってきました。他人のために戦えるアルくんが、弱いわけないじゃないですか」
シャルはきっと、ちゃんと見えてるんだ。
「――――嫌なんですよね?」
俺の、気持ちが。
「アルくんはきっと……レオル様と戦うのが、嫌なんですよね?」
「……なんで、そう思うんだよ」
「大切な家族のために自分を殺して、影に徹してきたアルくんが、家族と戦うことを望むはずがない……そう思ったんです」
そうか……シャルは、ちゃんと俺のことを見てくれていたんだな。
「……そうだな。俺は、嫌だ。本当は……レオ兄と戦いたくはない。こんな試合なんかやりたくないし、本当は今すぐにでも逃げ出したい」
俺の手は自然と、ポケットの中に収めた魔指輪を握っていた。
「だったら、無理する必要はありません。この試合から逃げ出したっていいんです。あとのことは……私がなんとかします」
シャルは俺の手を、温もりで包み込む。
「たった二週間ですけど、アルくんと一緒に過ごして、私も少しは強くなったんですよ? もうあの時の、助けられるだけの私じゃありません。使えるものはなんでも使って、アルくんがレオル様と争わなくてもいいようになんとかします。……私が全ての罪を被れば、レオル様だって――――」
「そんなこと、シャルにさせるわけはいかない」
……ああ、そうか。シャルやマキナは、こんな気持ちだったのか。
確かにあまり気分の良いものじゃないな。
「私はもう、アルくんに傷ついてほしくないんです。大切な家族と戦って、傷ついてほしくないんです。だから――――」
「違うよ、シャル。俺は傷つかなきゃならないんだ」
分かったんだ。こうしてシャルが、俺の気持ちを見てくれたことで。
「……俺は今まで、ずっと逃げてきたんだ。傷つくのを恐れて逃げ続けてきた。それじゃあダメなんだよな。きっと」
左手の魔指輪を一つ外し、代わりにポケットに入れていた魔指輪を取り出す。
「シャルが俺を見てくれたみたいに……俺もきっと、レオ兄と向き合わなくちゃいけないんだと思う」
そして俺は、取り出した魔指輪を左手に装備した。
「今までの俺は、家族と本気でぶつかって、本気で傷つけたり、傷つけられる覚悟が足りなかったんだ。それが怖くて、覚悟が無くて……諦めた。だから影になった」
でも今は違う。陰に徹するのはもう終わった。
「俺がやらなくちゃいけないのは、レオ兄と本気でぶつかること。自分の心を声にして叫ぶこと。決して諦めないこと。シャルがそれを教えてくれた……ありがとう」
諦めていた。ずっとずっと、諦めていた。
だけどシャルは決して諦めなかった。最後には俺の心とだって向き合って、本音を言い当てて見せた。その姿に勇気づけられた。助けられたのは、俺の方なんだ。
「……いってらっしゃい、アルくん」
もはや言葉は語らなかった。シャルはただ、見送ってくれた。
「……いってくる」
光の下へと歩を進める。たとえその光が、身を焦がそうとも。
この先に待ち受ける戦いから、逃げてはいけない。




