第108話 クローディア
闇の中にねじ込んだ拳を開く。俺の名前を叫ぶ声に呼応するように開いた手は重なって、そのまま彼女を闇の奥底から引っ張り上げる。絡めた指に込めたのは決して離さないという決意。そのまま抱き寄せるように、シャルの身体を腕の中に包み込んだ。
「シャル……! シャルっ!」
抱きしめる。腕の中に在る温もりが、確かなものであると確かめたかったから。
「……アルくん」
その声も。温もりも。間違いなくシャルのものだ。
「……ごめん。シャルのこと、守れなかった」
「……違います。私に力がなかったせいです。私が弱いから、アルくんに心配と迷惑をかけちゃいました……だから、謝るなら私の方です。ごめんなさい」
シャルの腕が背中に回り、俺を強く抱きしめる。互いに互いの存在を確かめ合うように。
「…………マキナさん」
「シャル様…………ごめんなさい。わたし……!」
「よかった」
マキナが謝罪を言い終わるよりも早く、俺の腕の中から離れたシャルは安堵の笑顔を綻ばせた。
「マキナさんが戻ってきてくれて……マキナさんの命が助かって……本当に、よかったです」
「……なんで、そんな顔……わたし、裏切ったんですよ」
「……でも、戻ってきてくれました。逃げることもできたはずなのに、逃げた方が楽なはずなのに、ちゃんと戻ってきてくれたじゃないですか。それに私だって、私に力がないせいで、マキナさんを助けることができませんでした」
「…………っ……」
「それに……私、知ってました。マキナさんがアルくんことを、好きだってこと……だからマキナさんのこと、責めるつもりはありません。あなたの気持ちが分かるから。あなたの苦しみが分かるから。私があなたなら、同じ行動をとっていたかもしれないから……」
「…………いくら何でも、甘すぎますよ」
「かもしれませんね。でも、それが私ですから」
再会の余韻を裂くように、瘴気の嵐が吹き荒れる。
「く……ははっ……シャルロット……お前さえ吐き出してしまえば、もはや内側から私に干渉することはできんぞ……!」
先ほどまで再生が阻害されていた傷口が徐々に塞がっていく。
どうやらシャルが瘴気の世界から脱出したことで、奴が自由に動けるようになったらしい。
「アルくん。マキナさん。私と一緒に戦ってください。背中で守られるのではなく、隣で、一緒に」
目の前にある蒼い瞳。そこにはもう迷いは一切なく、揺ぎ無い決意だけが刻まれていた。
そんなシャルの決意に呼応するかのように、俺の右手にはめられていた指輪が力強い、鼓動のような光を放つ。
「…………!」
瞬間。指輪から流れ込んできたのは、聖女がシャルに伝えた言葉。記憶。全ての真実。
……ああ、そうか。そういうことか。
通常、『王衣指輪』の魔法石には精霊が宿っている。
石に宿った精霊との契約を成功させることで、はじめて『王衣指輪』を発動させることができるが……エリーヌがネトスさんの心臓から作ったというこの指輪に宿っていた精霊は、聖女の魂の半身。この魔法石は最初からシャルと繋がっていた。正確にはシャルの魂に宿るもう半分と。だからこそ、瘴気の中に取り込まれたシャルと繋がることができた。彼女の手を掴むことができた。
「……そうだな。そうだよな」
指輪を外し、それをシャルの指へとはめる。その『王衣指輪』は、最初から身に着けていたようにピッタリとシャルの指に収まった。
「一緒に戦おう。一緒に」
「……はいっ!」
指輪から迸るは、シャルがその身に宿す銀の魔力――――否。銀から移り変わった、金色の輝き。
「シャル様の魔力の純度が増した? これなら、精霊との契約も……!」
「必要ありません」
金色の中心に佇みながら、シャルは静かに告げる。
「……感じます。この魔法石に宿っている精霊は……私の魂に宿る際に分かたれた、聖女の半身。魂の半分同士が引き合い、繋がっているなら……契約の必要はありません。私の中にいる半分が、この魔法石に宿れば……それで完成する」
シャルの胸の中から温かい光が浮かび上がり、そのまま指輪の中へと流れ込んでいく。
何が起きているのかは分からない。しかし確かなことは、『王衣指輪』から感じる力が跳ね上がったということ。
「いきます!」
決意したシャルの全身から魔力が迸り、金色の嵐が吹き荒ぶ。
圧倒的な魔力量。並の『ラグメント』ならば触れるだけで皮膚が焼き付くされるだろう。
「輝きを纏え――――『クローディア』!」
契約もなしに発動した『王衣指輪』。そこから召喚された精霊は、世界を照らす輝きの化身。かつて夜の魔女を打ち倒した聖女と、そして目の前の魔女が纏っている精霊と同じ名を持つもの。
そして、シャルが纏う『霊装衣』。その装いは漆黒の魔女が纏うものと同じ形状。異なる点があるとすれば純白……否。純白と漆黒の入り混じった姿となり、武器を剣としているところか。
「クローディア……!」
憎しみに顔を歪める魔女。その身体は、俺が与えたダメージの修復を完了させていた。
「死人の分際でまだ私の邪魔をするか……ならば此度は、我が絶望の闇で食らい尽くしてくれる!」
夜の魔女の全身から瘴気の闇が溢れ、シャルを襲う。
「シャル様!」
「その影に触れるな!」
「大丈夫です」
迫る絶望の影。されどシャルは動揺することなく、全身から光を放つ。
光と影はせめぎ合いながら、どちらかが消えることなく完璧な拮抗と調和を形成した。
「バカな……我が力に触れたものは『絶望』するはず!」
「確かに。あなたの『絶望』はあらゆる力を『停止』させ、『喪失』させるのでしょう……唯一の例外を除いて」
「例外だと……!?」
「これが精霊『クローディア』の力。私の魔法。その能力は――――『希望』」
絶望に対する希望。夜の魔女が操るものとは、表裏一体の力。
「希望とは諦めないこと、歩みを止めたとしても再び歩き出すこと。絶望に抗う光を得ること。私の『希望』の力に触れたものは停止したものが再起し、新たなる力を与えられる」
夜の魔女の操る『絶望』の影が触れたものを『停止』させ、その力を『喪失』させるものに対し、シャルの光は触れたものを『再起』させ、力を『付与』させることができる。相反する二つの力。シャルと魔女の魔法は互いに互いの力を打ち消し合う性質を持っているということか。
「そして、あなたの『絶望』で『喪失』した力も……」
シャルの放つ光が俺とマキナを包み込んだ。
「……私の『希望』の力で『再起』させることができる」
「指輪の力が戻った……『アルビダ』と『アルセーヌ』も……!」
「……すごい。疲労感が消えて、傷も治ってます! それに、全身が魔法で強化されたような感覚も……!」
『再起』とは回復魔法に近い力。『付与』は文字通り、強化魔法の類を付与する力か。
「クローディアの力か……!」
夜の魔女が叫び、周囲に無数の魔法が出現する。
「『再起』だと? 『付与』だと? それがどうした! 所詮はただの回復と強化! ならば圧倒的な魔法の暴威で圧し潰せばいいだけのこと!」
視界を埋め尽くすほどの魔法。業火の球体、雷撃の槍、氷河の刃、岩石の塊。圧倒的な魔力量が可能にする魔法の物量攻撃。躱す隙間など存在することはない、魔力の厄災。
「無垢に『希望』を語り理想を願うだけの小娘如きに、私が止められるものか!」
夜の魔女の激昂と共に意志ある厄災が迫る。しかし、その全てが漆黒の影に包まれた。
「……あなたの言葉は正しい。『希望』だけでは止められない。理想だけでは止まらない」
あの影は夜の魔女から発せられたものではない。その発生源は、傍に居る少女。
「だけど今の私は絶望を知っている。だからあなたを止められる!」
シャルの身体から放たれているものは黒き輝き。紛れもない『第六属性』の魔力であり、その魔法は先ほど夜の魔女が操っていたはずのもの。
「私の精霊『クローディア』が持つ力は『希望』。そして――――『絶望』」
「なんだと…………!? バカな、ありえない! 光と闇を併せ持つなど!」
「光と闇。そのどちらも併せ持つのが人間だからです」
シャルが放った『絶望』の魔法によって『停止』した魔法の群れが瞬く間に『喪失』をはじめ、消え去っていく。
「夜の魔女。あなたは人間を一面でしか見ることができていない。確かに人間の心にはどうしようもない悪意が蠢いている。でも人間はそれだけじゃない。他者への優しさも、善意もある。やり直すことだってできる。それが人間なんです!」
「小娘一人が何を語る!」
「一人じゃありません!」
そう。シャルは一人じゃない。
「シャル様に気を取られて隙だらけってね!」
『機械仕掛けの女神』に搭載されている魔導スラスターによる高速移動。前かがみになりながら地面スレスレを滑るようにして接近したマキナは、即座に下から刃を振り上げる。
「『絶望』しろ!」
闇の影がマキナを襲う。が、シャルから受けた身に纏う『希望』の光が『絶望』の闇と相殺する。
「…………ッ!」
振り上げた機構の刃に咄嗟に反応した魔女。完全な回避とはならなかったものの、身体の表層への浅い傷にダメージを留めた。
「浅いか……!」
「その程度で不意を打ったつもりか、オルケストラの王女!」
「まさか。わたしは王女ではなくメイドですよ? ご主人様をたてますとも」
目を合わせるまでもない。俺が銃口を向け、魔力を蓄積していた時にはもう、マキナは後ろに跳んでその場から離れていた。
「『荒波大砲』!」
シャルの『希望』の魔法によって復活した『アルビダ』。更に『付与』によって強化された魔力の砲弾。マキナの下からの攻撃によって視線が足元に向いていた夜の魔女の背中に向けて、後方上段からの一撃。
「――――――――ッッッ……!」
魔女が気づいた時には既に魔力の砲弾が瘴気で形作られた身体を砕き、全身に亀裂を刻む。
「打ち合わせもアイコンタクトもなしにこの連携……流石はアルくんとマキナさんですね」
俺たちの連携による攻撃で魔女が吹き飛ばされたところに、シャルは既に距離を詰めて踏み込んでいる。
「――――ちょっと嫉妬しちゃいます!」
一閃。光と闇の入り混じったオーラを纏った剣による追撃を、夜の魔女に叩き込んだ。
「がぁぁああああああああああああああああああッ!」
『第五属性』の魔力を込めた一撃は夜の魔女の身体に刻まれていた亀裂をこじ開け、大量の瘴気を噴出させた。
「ご……おっ……ぁあああァァ……!」
瘴気の流出は止まらない。傷口を塞ごうとするように、魔女の身体に闇が集まるが……与えられた傷が深すぎるせいか、再生が上手く為されない。僅かにだが、繕いきれず闇の破片がボロボロと魔女の身体から零れ落ちていく。
「夜の魔女。お前の負けだ」
告げた途端、魔女の眼が怪しく輝く。
「度し難いな、人間ども」
魔女の全身から更に瘴気が広がっていく。波打ち蠢く、触手のような瘴気が空間全体に迸るように伸びた。何らかの攻撃か。俺たちは咄嗟に防御の体勢をとるが……
「勝ちを誇るにはまだ早い」
……迸る瘴気は俺たちを無視し、俺たちから離れた場所に展開していた瘴気の帳を穿ち砕く。脳裏をよぎったのは、レオ兄の腕が千切られた時の光景。
「レオ兄が狙いか!」
「いいや、違うぞアルフレッド! お前の兄など興味はない! なぜなら私には――――素晴らしい娘がいるのだからな!」




