第107話 魔女と聖女の真実
「やはり貴様の魂は、その娘の中に……! だがなぜ! 出てくることが……!」
「アナタがこの子を喰らい、この瘴気の世界に堕としたからですよ」
「…………!?」
「瘴気に溶けぬまま揺蕩うこの子を完全に取り込もうとしたことが裏目に出ましたね。確かにこの子を完全に取り込んでしまえば、アナタの力はより強くなる。そのために深く入り込んだのでしょうが……中に入ることができるということは、中から出ることができるということ」
「貴様……!」
黒いシャルから瘴気が溢れる。否。この世界そのものが、黒いシャルの怒りに呼応するように鳴動している。
「無駄ですよ」
されど――――金色の輝きが、鳴動する瘴気の全てが霧散した。
「今の私は『第五属性』の魔力の化身。瘴気に取り込まれることのない、抵抗力の塊。アナタはそれが解っているからこそシャルの心を壊し、抵抗する力と意志を摘み取ってから取り込んだのでしょう?」
「…………!」
「下がりなさい。今は、まだ」
金色の光が世界に広がり、黒いシャルの姿は跡形もなく霧散した。
「…………消えた」
「消えることはありません。彼女は永遠の存在です。ただ少し、抑えただけ」
光の少女と改めて向き合う。見れば見るほど、彼女の顔はシャルと瓜二つ。
「あの……アナタは? 先ほど、クローディアと……まさか、本当に?」
「ええ。私の名はクローディア。かつて、仲間たちと共に夜の魔女と戦った者です」
「本当に、聖女様……!? でもそれがなぜ、ここに? なぜ私の中から? 一体、いつから?」
興奮するシャル。対してクローディアは微笑ましくその様子を見守る。
「私はずっと、アナタの中にいましたよ。最初から……アナタが生まれたその時からずっと、アナタの魂に宿っていた」
「えっ……? 私の中にクローディア様が?」
「今の私は魂だけの存在……言わば『精霊』なんです」
「精霊って『王衣指輪』に宿る、あの? ですがクローディア様は人間のはずでは……」
「そもそも精霊とは、こことは異なる世界に存在した魂のこと。神や天使や幻獣もいれば、人間だった者もいます。……全ての人間が精霊となれるわけではありませんが、なれないわけでもない。だからこそ私は今、ここにいる。そして魂の存在だからこそ、アナタの魂に宿ることができた。私と同じ血をひくアナタの魂に」
「…………それって、つまり……く、クローディア様は、私のご先祖様ということですか!? お父様からはそのようなこと、一度もお聞きしたことはありませんが!?」
「正確には私の妹の子孫……ということになりますね。私自身は子を残す前に現世を去りましたし」
「し、知りませんでした…………」
「妹は家族や自分の子を守るため、私に関する記録を残さないようにしていたのでしょう。私は一度、魔女として裁かれてしまいましたから」
聖女クローディア。
今でこそかつて夜の魔女を討伐したパーティーの一員として名を残しているが、夜の魔女が生まれる前は魔女として火炙りを受けていたという記録も残っている。
「…………私は『第五属性』の魔力を持って生まれてきました。今でこそ王族の魔力として受け入れられていますが、当時は多くの者とは異なる色の魔力を持つ『異端者』として扱われていたのです。それでも私は特別な魔力を持って生まれた意味があると信じて、私なりにできることをしてきました。その中で生み出したのが『浄化』の魔法です。当時は魔指輪が生み出され、普及し始めてきたばかりの頃で、彫金師の友人に作ってもらいました」
「……聖女様は各地で起きた災いを聖なる力で祓ったと言われていますが」
「その災いこそが出現し始めていた瘴気であり、そこから生み出される『ラグメント』。聖なる力とはつまり『第五属性』による浄化魔法のこと。ですが当時の人々はまだ瘴気という名の現象も『ラグメント』も受け入れられなかったのです。自分たちの力では倒すことのできない怪物の存在を認めたくなかったのです。そんなものが存在すると認めてしまうのが怖いから。だから私を悪しき魔女として裁き、火炙りにした。私を異端者として、魔女として葬り去ってしまえば、瘴気やラグメントといった存在をなかったことにできるから」
「……………………」
人々の心の弱さ故の愚行。悍ましき所業。シャルは人の持つ善性を信じている。悪性とは一面に過ぎないものでしかない。その結論は変わらない。だが同時に善性もまた一面に過ぎないものでしかないということも、改めて実感していた。この事実から目を逸らさない。そう決めたからこそ、クローディアに問いかける。
「……聖女様は後世に名を残した素晴らしいお方です。しかし、なぜですか? 悪しき魔女として一方的に断じられ、火炙りにされて……なぜ、それでも尚、夜の魔女と戦えたのですか?」
「聖女。今の私がそう呼ばれていることは、アナタを通して知っています……ですが私が夜の魔女と戦ったのは、聖女らしい崇高な目的や理念があったからではありません。責任をとるためです」
「責任?」
「夜の魔女と生み出してしまった者の責任です」
「どういうことですか? 夜の魔女を生み出したのが……聖女様? だって、そんな……聖女様はその魔女と戦った英雄の一人ではないですか」
「……瘴気とは『喰らう現象』。取り込み、喰らった物の情報を再構築し、『ラグメント』として吐き出す力を持っています。ただそれだけの、ただそれだけの現象でしかなかった。ですがあの日……あの夜。私が魔女として火炙りにされた時、瘴気は私を喰らいました」
「――――!」
夜の魔女。魔女として火炙りにされた聖女。偶然の一致などではなかった。
「瘴気が取り込むことができるのは生きたものだけ。火炙りにされた時点で私の肉体は既に死を迎えていたため、瘴気は私の心だけを喰らいました……人類への憎悪に満ちた、私の心を」
「憎悪……」
「悪しき魔女と糾弾され、火炙りにされた時、私は人々が持つ醜悪な心を呪いました。人類そのものを激しく憎悪しました。その心を喰らうことで、本来意志や人格など持たぬ瘴気に、『夜の魔女』という人格が生まれた。人類への激しい憎悪を抱く魔女が誕生してしまった」
「……だから『夜の魔女』は人類に災いを齎す存在となり、『ラグメント』は人を襲う怪物になった」
「激しい負の感情から生まれた魔女と怪物。故に、人の持つ心こそが『夜の魔女』の力となる。『六情の子供』という存在を生み出したのも、六情の心を蒐集したのも、それが彼女の原点であり、力となるから」
聖女クローディアが抱いていた人類への憎悪。それこそが『夜の魔女』や『ラグメント』の正体。
「憎悪。負の感情。私の中は闇で染まった。ですが、私は知っていました。私に『浄化』の指輪を作ってくれた友人がいたように、人は悪性だけではなく、善良なる一面も持ち合わせていると。そうした私の『人の善性を信じる心』が、最期の力を振り絞って自らの魂を精霊に変えた。……あの日、あの夜。『魔女』が生まれたのと同時に『聖女』としての私も誕生したのです」
一人の人間から生まれた魔女と聖女。それが全ての始まりだった。
「精霊となった私は、魔女を生み出してしまった責任をとるため『夜の魔女』と戦う決意をしました。各地で瘴気を浄化しているうちに同じ魔力を持つ者と出会い、やがて私たちは仲間となり、『夜の魔女』に戦いを挑みました。私たちは勝利し、仲間たちは瘴気に苦しむ人々を救うための国を興しました。そして私は力を使い果たし、精霊の世界へと昇った……そして時が経ち、シャルロット。アナタが生まれた。聖女と呼ばれた私に匹敵するほどの魔力を持ったアナタに精霊としての私が共鳴し、アナタの魂に宿った。だからアナタには王族でないにも関わらず『第五属性』の魔力を宿していたのです。……今思えば、『夜の魔女』が動き出すことを本能的に感じ取っていたのかもしれません。ですが一度精霊の世界に昇ってしまった私は、自分の意志で外に顕現することはできなかった。特別な方法でも使わない限りは」
「特別な方法……それが先ほどの?」
「ええ。『夜の魔女』がアナタの中に入り込もうとした隙を利用しての顕現。ですが他にも方法はあります。そしてその方法こそが、アナタに託したい力」
精霊となった聖女クローディアを顕現させる術。
それを聞いて思い浮かんだのは、黒髪黒眼の少年が戦う姿。
「――――『王衣指輪』……!」
「そう。今の私は精霊。指輪によって召喚することも、アナタの力となることもできる」
「……ですが聖女様。私にはそのための魔指輪がありません」
「大丈夫。その指輪なら、アナタの婚約者が届けてくれます」
確信に満ちた聖女の微笑み。その最中、シャルは感じ取っていた。
愛しい人が目の前の絶望を乗り越え、必死に抗い戦っている姿を。
「…………アルくん」
彼ならきっと来てくれる。不思議と、そう信じられた。
「…………ごめんなさい」
「聖女様?」
「…………『夜の魔女』とは私が生み出してしまった厄災。子孫であるアナタたちに役目を押し付けてしまったことは、私の償いきれない過ち。そしてその魔女との戦いを、アナタたちに託すしかないこの状況も、全ては私の罪です。シャル。シャルロット。私はアナタの中で全てを見ていました。アナタがどれだけ辛い思いをしたのかも知っています。ごめんなさい。本当に」
「…………そうですね。辛いことがたくさんありました。でもそれは聖女様だけの責任ではありません。私だってたくさん間違えました」
だから、と。シャルは目を伏せる聖女に対し、迷いなく言い切る。
「私は許します。アナタの罪を。世界中の誰もがアナタを許さなくても、私だけはアナタを許します。だから顔を上げて、歩き出してください。やり直しましょう。もう一度」
「…………本当に、強い子になりましたね」
我が子を見守ってきた母親のような顔を浮かべた聖女に、シャルは微笑みを返したその直後――――果てしなく広がる漆黒の世界に、亀裂が入った。
「どうやら迎えが来たようですね」
クローディアの身体が輝き、光の粒となって解けていく。
「シャル。私は一度、アナタの中に戻ります」
「……はい。次は私の力でアナタを呼び出します。その時はどうか、力を貸してください」
「ええ。共に戦いましょう。アナタが抱く、理想を叶えるために」
光の粒となった聖女はシャルの中に帰り、溶けあうようにして消えた。それを見守ったシャルは広がってゆく亀裂に向かって走り出す。闇の中に少しずつ光が漏れ、こじ開けられるように輝きが溢れて。
「――――シャル!」
「――――アルくん!」
輝きの中から差し出された手をとり、そして――――。




