【第1章終了】現在の心情(ノエル、レイナ、ティアナ)
■ノエルの現在
王都の冒険者ギルド本部、その地下訓練場の奥。
汗の香りと鉄の匂いが混じる静かな空間に、ノエルの気配だけが研ぎ澄まされていた。
彼女は、かつてレオンを追放する決定の場に同席し、それを積極的に支持はしなかったが――反対もしなかった。「スキルがなければ替えるべき」。それが彼女の理屈だった。だが今、拳を突き出すたびに、心の奥底に沈んだわずかな違和感が揺れる。
「(――レオン、あんたがもし戻ってきたら、どんな顔するんだろうね)」
肩をひとつすくめて、ノエルはその雑念を払い落とす。
強さこそがすべて、能力こそが価値。そう信じていた。だが、最近ふと疑問を覚えることもある
仲間の中で誰よりも理屈で動いていたはずなのに、今のロイドのやり方にはどこか重さを感じている。
レオンの追放、フローラの変化、そしてロイドの権力への執着。それがノエルの中に理屈では割り切れない感情をじわじわと溶かしていく。
ふと立ち止まり、手のひらを見つめた。
硬くなった拳の下に、忘れていた“何か”がある気がした。
「……無駄だよな。あたしは、あたしが選んだ結果で今ここにいるんだ」
ノエルは感情で動く人間ではない。
必要とあらば、戦う。引く。笑顔すら、武器として使う。
だからこそ今、彼女は決めたのだ。
次期王になる可能性のあるロイドの“信頼できる女”になる、と。
それが“側室”というかたちであれ、関係ない。
自分にとって有利な道を選び、踏み出す。それがノエルのやり方だった。
「好きとか、そういうのはどうでもいい。生き残るのに必要なら、私は何だって使う」
そうつぶやき、彼女は背を向けて部屋を出ていった。
その足取りは静かで、そして迷いがなかった。
■レイナの現在
王都の南に位置する近衛兵訓練場――そこに立つレイナの姿は、かつてと変わらず静かで
そして冷ややかだった。
新設された王宮直属の近衛師団。その訓練教官として任命されたのは、彼女だった。
剣の腕一本で生きてきた。誰よりも速く、正確に、敵を斬る。それがレイナのすべてであり、言葉はいらなかった。
ロイドが力を得ていく過程で、彼女に声をかけたのも「実力がある」という、それだけの理由だった。
そしてレイナもまた、「自分を戦力として扱う者」を見極めるだけの合理性を持っていた。
「剣が鈍れば斬られるだけだ」
レイナはそう割り切っていた。
彼女にとっては、政治的な駆け引きも、感情の渦も、どうでもいい。
――レオンの追放?
そんなものは、彼女の中でとっくに「過去の処理済みリスト」に入っていた。
彼がいた時も、いなくなった今も、レイナの剣の振るい方に変化はなかった。
ただ一度だけ、ふと剣の手入れをしながら呟いたことがある。
「……料理人のくせに、悪くない目をしてたな」
それ以上の言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。
今の彼女の眼差しにあるのは、王国近衛隊長としての任務。
レイナは静かに剣を収め、無言で窓の外の王都を見つめていた。
王国の中枢に近づく機会――それは、どれほどの戦功を積み重ねても手が届くとは限らない場所だ。
だが今、彼女の前には現実的な道が示されていた。
ロイドの側室として王家の一員となることも含めた立場を選ぶ。
それは単なる感情ではなく、「力を持つ者の傍に在る」という、彼女なりの論理的な選択だった。
「……戦うだけじゃ、得れないものもある」
その囁きは、誰にも届かない。
剣だけでは掴めないものがある。
だからこそ、彼女は自らの意志で一歩を踏み出す。
誇りを捨てたわけではない。ただ、目的のために選んだ――それだけだった。
■ティアナの現在
ロイドの屋敷の一室――王宮から贈られた絹のカーテンが風に揺れ、光の粒が床を踊る。
その中央で、ティアナは鏡の前に静かに座っていた。
部屋の隅には、王宮から送られてきた封書が開いたまま置かれている。
それは、父王――国王の容体が急速に悪化しているという知らせだった。
「余命は、もう幾許もない……そういうことね」
声に出さずとも、彼女は理解していた。
父が倒れれば、王家は新たな中心を必要とする。
そして彼女は、それを迎える準備をすでに終えていた。
ロイドとの婚姻――
それは単なる情事ではなく、王国の中枢を掌握するための布石だった。
次代の王は誰か?
その問いの答えを、ティアナはすでに心に決めていた。
「ロイド……彼しかいないわ」
彼は欲深く、貪欲で、決して満足を知らない。
だがそれこそが、王に必要な資質だとティアナは信じていた。
「欲があるからこそ、人は手に入れようとする。守ろうとする。築こうとする」
慈悲や優しさでは、玉座は保てない。
王という立場は、誰かに好かれるためにあるのではなく、全てを背負い、全てを選び、時に切り捨てる覚悟を持つ者のためにある。
ロイドは、それができる男だった。
何よりも、彼には「私が必要」なのだと、彼女は確信している。
自分が彼の隣に立つことでこそ、王国は完全な形になる。
ならば、たとえその手段が残酷であろうと、迷いはない。
かつてレオンに向けた侮蔑も、今となっては彼女にとってただの通過点にすぎなかった。
必要のないものは切り捨て、王国という“器”を完璧に保つ――それが王族の義務だと、ティアナは信じていた。
「お父様、あなたが遺す国を、私が護ります。そしてロイドが治めることになるのです」




