第63話『『知恵の神』が生まれた日』
――『知恵の神』アステナ。世界で一番の知識と知恵を持つ女神だ。そんな彼女も、元は普通の人間だった。
「――君に『知恵』の力を与えるよ」
その声を出した男によって、彼女は女神になった。
◆◇◆◇
とある村のとある家でアステナは産まれた。白銀の髪に瞳という、あまり見られないその姿に初めは驚く人ばかりだった。
それほど裕福な家庭ではなかったが、両親と三人だけで仲睦まじく暮らしていた。
幼い頃から我儘を言わず、落ち着いていて何も問題を起こしたことはなかった。
齢二歳頃から大量に文字の書かれた本を読み漁り、周りの人々を驚かせるような知的な発言ばかりしていた。
その様子に村人たちは「神童だ」や「女神だ」などと言って褒めていたが、彼女にとってそんな事はどうでもよかった。彼女はただ本を読みたかっただけ。
毎日毎日、家の近くの木にもたれかかり大好きな本を読み続ける。そんな生活を何年も続けていた。
――齢十歳になった頃、彼女は初めての友達が出来た。元々内向的な性格だったため、村の行事以外で近い年頃の子と話さなかったことでそれまで友達はいなかった。
それは、いつも通り木にもたれかかりながら分厚い本を読んでいた時のことだった。
静かにページをめくり、めくり……そんな状況を隣でずっと見続ける金色の髪と目をした女の子。見たところ、年齢は彼女と同じくらいだろう。目を向けると 、キョトンとした顔でこちらを覗いてくる。
「えっと……何か用かな?」
「あ、ごめん! いつも分厚い本を読んでたから気になっちゃって! 面白い? あたしも今一緒に読んでみたけど難しくて……。でも、楽しそうなお話に感じたよ!」
「そう? じゃあ、もう少し一緒に見る?」
アステナの誘いを聞き、少女は目をキラキラさせて彼女にとって抱きつく。
家族以外から抱きしめられたことがなかったアステナにとって初めての感覚だった。しかし、少女の身体の温かさがアステナに一瞬にして伝わる。
――もう何時間ほど読んでいただろうか。明るかった空は陽が沈み、暗い夜空で星の光だけがこちらを見つめてくる。本来の彼女ならこの程度の厚さの本、陽が沈む前には読み終えられた。
だが、読めば読むほど隣の少女が「ん?」、「あれ?」と言った声を出したためその声が聞こえなくなるまで同じページを読み続けたことで遅くなってしまった。
「あ! もうこんなに暗い!? お母さんに怒られちゃう! また明日ね!」
「あ、うん。また、明日。……あ、ちょっと」
「ん? どうしたの?」
急いで家に帰ろうとする少女を呼び止め、彼女はこちらを振り向く。
「名前、なんて言うの?」
「あたし、リアナっていうの! あなたは?」
「私はアステナだよ」
名前を聞いたリアナはパアッと明るい笑顔になり、小さな手を振りながら走り去っていった。
「バイバイアステナちゃん! 明日も遊ぼうね!」
そんな少女に手を振り返しながらアステナは家に帰る。すると、母親が怒った顔で玄関に立っていた。
「こら、アステナ? 陽が沈む前には帰っておいでって行ったでしょ? 夜は危ないのよ? 気をつけなさいね」
「ごめんなさい。あ、友達できたよ」
唐突な言葉に食卓に向かっていた母と、椅子に座って食事をしていた父は大きな声で驚き、彼女に近づいた。
転びそうになるくらい慌てる二人を見て複雑な気分になるも、嬉しそうな両親を見て何も言わないことにする。
「ついにアステナに友達かー。本読んでばかりで出来るか心配だったけど良かったよ」
「そうねー。ちゃんと仲良くしなさいね」
「言われなくても分かってるよ」
これが、リアナとの初めての出会いだった。
◆◇◆◇
アステナとリアナが齢十八歳になった頃、未だ彼女らの友情は続いていた。子供時代から変わらず同じ木にもたれかかり、分厚い本を何冊も読む。
それを果たして遊びというのか分からないが、二人は遊びだと感じていた。
アステナは言わずもがな、彼女と一緒に本を読み続け多くの知識を付けたリアナ。その二人は村で一、二の頭を持つようになった。
今の彼女たちは大勢の友達がいた。元々、リアナが明るく社交的だったこともあり、彼女のいるところにはどんどん人が集まってきたのだ。
「よーアステナー。まーた本読んでんのか? 本ばっかじゃなくてもっと遊んだりしようぜ」
「別にどうしようが私の勝手だよ」
「そーよそーよ! アステナちゃんは本が大好きなんだから!」
十八歳のアステナはもう村一番の美少女だった。腰まである白銀の髪と白銀の瞳に神秘的な美貌。どれをとっても彼女に勝るものはいない。
それ故に彼女と結婚したい男たちは大勢いたのだ。
しかし、恋愛事に関して全く興味を示さなかった彼女は次から次へと迫る婚姻の願いを断り続けた。
もしかしたら、この時点で誰かの恨みを買って襲われたりしたのかもしれない。だが、あまりに綺麗すぎる彼女の姿はもはや女神と言っても過言では無かった。そんな少女に手を出せる勇気ある男は誰もいなかったのだ。
ただ平和で、何も起こらない村でアステナも、リアナも彼女らの友達も笑いが絶えず、仲良く過ごしていた。
ずっとこのような日々が続けばいいと、誰もが願っていた。
――しかし、そんな願いは一夜にして崩れ落ちた。
◆◇◆◇
次の日のことだった。何やら騒がしい音が外で聞こえてきたのだ。母親に起こされ、アステナは目を覚ました。炎によって木々が焼ける音が二人の鼻に入ってくる。
「ん……お母さん? 外がうるさいね……」
「ええ、一体何があったのかしら。あなた、ちょっと見てきてくれ……え?」
母に言われ、「おう、分かった」と、そう言って父は玄関の扉を開けた。だがその瞬間、ドアごと父は後ろに吹き飛ばされてしまった。
驚く母をよそに、何者かの声が玄関から聞こえてくる。耳をすませば、なんとも恐ろしいことを聞いてしまった。
「あ? 本当にこんな村に女神がいるのかよ。そんなのいるわけないって。どうせ――」
その瞬間、ドアから顔を覗き込んできた男と目が合った。全身の細胞が震え上がるほどの恐怖を男に抱く。
アステナを見るとニヤリと不気味な笑みを浮かべ、のそのそと玄関から入ってくる。
「ハハッ、お前だろ、女神って。こんな綺麗な女、今まで見たことねえぞ」
「あなたたち一体何なんですか!? 私の夫はどうな――って」
「知るか。俺らは女神以外に興味ねえんだよ」
「お、母さん?」
母は一瞬にして机に向かって投げ飛ばされ、もう二度と動くことはないと本能的に理解した。
「さぁて来てもらおうか。にしても綺麗だな。お前みたいな女初めて見たぜ」
恐怖で身体が動かなかった。手を握られ、離そうとしてもあまりの強さに手がちぎれそうになる。その男によって強制的に外に出される。すると、村は炎で燃えていた。家が全部だ。そしてその中には、もちろんリアナの家もあった。
大量の叫び声が周囲から聞こえ、見てみるとアステナを捕まえている男と似たような格好をしている男たちが村の人々を追いかけていたのだ。
追いかけては蹴り飛ばし、殴り飛ばしと、見るも無残な姿になる者ばかり。
そんな中、リアナを見つけた。
「リアナ!!」
このとき、初めて大きな声を出した気がする。リアナは転び、滑るように後ろに下がり目の前の男から逃げようと必死になっている。こちらの声など全く届いていない。
また、初めて身体が強く動いた気がした。
「なっ、てめぇ!!待ちやがれ!!」
掴んでいた男の手を引きちぎり、リアナの元へと向かう。すると、彼女と彼女を襲っていた男の両方がアステナを向く。
「アステナちゃん! ダメ、逃げて!」
泣き叫ぶ親友の言葉を無視しながら、道端に落ちる木の棒を持って彼女の元に走る。迫り来る男どもを棒で殴り倒しながらリアナの手を引く。
「早く! 逃げるよ!」
「う、うん、ありがとうアステナちゃん」
――それからどれだけ走っただろうか。水も食事も得ず、ただ死に物狂いで走り続けた。
だが、着いたのは崖だった。これだけ一生懸命走り、もう体力が無いと言うのにこの男たちは疲れる様子もなくこちらを睨み続けていた。
「ったく、手こずらせやがって。こっちに来い。来たら殺さないでやるぞ」
もう逃げ場もない。右も左も正面も男に囲まれ、これ以上後ろに下がれば転落死だ。
動く気配のない二人を見て、男たちは一斉に襲ってくる。
この量の男に木の棒だけでまともに戦うことなど出来ない。母も父も殺され、もう既に絶望していたアステナはそのまま捕まってしまおうと思った。
でも――
「なっ、落ちた!? う、嘘だろ!?」
「ごめんね……アステナちゃん。アステナちゃんだけでも生きて……。大好きだよ」
アステナが最後に聞き取れた言葉はそこまでだった。ものすごい速度で地面に向かって落ち、このままでは衝突で死んでしまう。再び諦めかけたが、この命はおそらくリアナが最後に託してくれたものだ。何としても生きなければならない。
そう思っていても、出来ることはない。もう地面に接触する……というところで、上から何者かに引っ張られた。
「大丈夫?」
男の声だった。それを聞き、男たちが飛び降りてきたのか、と。そう思っていた。しかし、目の前の男を見ると、彼はただアステナを助けに来たということがわかった。
「え、えっと……」
その男は、真っ白の髪と瞳を持っていた。その姿に神々しさを感じていると、なんと空から男たちが降ってきたのだ。
「ハハッ、生きてるとは運の良い奴だ。こりゃ本当に女神だろ」
「今度は男の仲間か? その女を寄越せ。そして死ね!」
「君たちの要求には答えられないよ。彼女は渡さない」
アステナの手をしっかりと握る白髪の男は平然とそう答えた。
その様子に苛立ったのか、男たち全員が一斉に襲いかかってくる。
「目、瞑ってて」
素早く目を閉じると、ズゥゥン……と、何やら重厚な音が聞こえてきた。ゆっくりと目を開けると、いたはずの男どもは消滅していた。
「もう大丈夫だよ。怪我は……なさそうだね」
「あ、えっと……ありがとうございます」
涙が止まらないアステナの頭に手を置き、優しく撫でる。こんなに涙が止まらないのは初めてだ。そんな感覚を持ちながらも、涙が止まるまでその手で撫でられ続けた。
――数時間が過ぎた頃、ようやくアステナの涙は完全に止まった。そして、それを見た男は微笑み、彼女にとってこう言った。
「突然の事だけれど、俺の力の少しを受け継いでくれないかな?」
あまりに唐突すぎる言動に、アステナの時は固まった――
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