七 彼を巡る愛憎②
それから数日。焔幽は乳母の幽鬼のことなどなかったかのように、精力的に政務をこなしているようだ。夏飛と話し合い、焔幽の護衛は彼に任せることにした。
香蘭は現在の任務である琥珀宮の護衛をしっかりとこなす。いつ幽鬼が出てもいいように、気を張りつめて過ごしているのだが、それをあざ笑うかのように幽鬼はぱたりと現れなくなった。
(う~ん、幽鬼ですから気まぐれなのでしょうか)
気合いが空回りして、なんとも歯がゆい。仕方なくあり余るやる気を琥珀宮の庭掃除に注いでいる。
「まぁ、蘭楊さま。こっちは女官の仕事ですので結構ですよ」
「ついでですから。手伝いますよ」
雑事は宦官と女官で分担しているが、ざっくりと場所で分けているので女性の身ではなかなか大変な力仕事も多い。
(まぁ、一応私も女性の身体なんですけどね。宦官姿になじみすぎてしまいました)
「でも……」
申し訳なさそうにする彼女の手を取り、優しくほほ笑む。
「こんなに華奢で美しい腕に、無理はさせられませんので」
女官はほぅと魂を抜かれたような顔をする。
「おや」
香蘭はふと、自分が握っている彼女の手に目を向けた。なにかがキラリと光ったからだ。細い手首に、ガラス玉の飾りがついた鮮やかな色の組み紐が巻かれている。高級品ではないだろうが、かわいらしい。
「素敵な腕輪ですね」
「あぁ、これですか?」
彼女は指先でガラス玉を撫でる。
「流行っているんですか? 似たようなものをつけている子を何人か見かけましたね」
女性が多く集まっている場所なので、流行の変化はすさまじい。あっという間に千華宮中で流行ったかと思うと、ひと月後には『時代遅れ』になっているのだ。
「えぇ! 今、女官たちはみんなつけています。かわいいし、なにより……」
彼女はふふっと照れたように笑う。
「夜に、この玉を撫でながら願いを唱えると叶うらしいんです」
「へぇ。素敵なおまじないですね」
「蘭楊さまに好きになってもらえますように。そう願っている女官は多いと思いますよ」
クスクスと彼女は笑う。
「……懐かしいこと」
香蘭は思わずつぶやいて、ハッと口をつぐんだ。幸い、彼女には聞こえていなかったようだ。
彼女の手首を彩る腕輪には見覚えがあった。蘭朱の時代にも流行したのだ。あの中央のガラス玉に神力があり、懸命に願い続ければ叶うと当時から言われていた。
(まぁ、時代を問わず女性はそういうものが好きですしね。流行が繰り返したということなのでしょう)
うらないやまじないは女性の大好物、真偽のほどは二の次なのだろう。
(でも、あの腕輪は……)
香蘭は前世で聞いた話を思い出す。あの腕輪にはルーツがあり、もともとは〝本物〟だったはず。もちろん商人が大量にさばいている品のなかに本物はないと思うが――。
「ちょっと教えてほしいのだけれど」
香蘭が女官に質問しようとしたところで「こら~!」という怒声が届いた。声のほうを振り向くと、彼女の先輩女官らしき人物が腰に手を当て仁王立ちしている。
「蘭楊さまをひとり占めしておしゃべりだなんて、ずいぶんと余裕ねぇ。月麗さまに言いつけてやろうかしら?」
「そ、それだけは勘弁してください~」
「なら、さっさとこっちを手伝ってよ!」
「は、はい!」
ピシッと背筋を伸ばして彼女は答えた。
「すみません、蘭楊さま。私はこれで――」
一刻も早く先輩のもとに向かいたい彼女の気持ちは痛いほどにわかったが、香蘭は彼女の腕を取って引き止めた。
「すみません、ひとつだけ! この腕輪はどこで手に入れたんでしょうか?」
「あぁ、明琳さまからの贈りものです。先日、琥珀宮にいらっしゃったときに女官たちへの土産だとおっしゃって。私もそのうちのひとつをいただきました」
早口で答えると、彼女はにらみをきかせている先輩のもとへ全力で駆けていった。
残された香蘭は小さくつぶやく。
「明琳さま……」
(陛下に本気で恋をしているらしい明琳さま。そして、陛下に執着する幽鬼)
なにか見えてきそうで、でもまだ見えない。香蘭は「う~ん」とうなり声をあげてしまった。




