意外と狭い世間
「落ち着いて! 皆さん、馬が怖がっていますからどうか落ち着いて!」
講師役のキリッとしたお姉さんや、馬小屋の係の人たちがあわあわしているうちに、事態がどんどん悪化していっている。
馬小屋から外に出されていた馬が前足を上げて暴れ、それを見たお嬢たちがキャーキャー言いながら逃げまどう。そのせいでまだ馬小屋にいる畜生どもまで、興奮し始めたよ。
「うへー、こいつは大変だね」
次から次へとヒヒーン、ヒヒーンと大声上げて大合唱しているわ。おまけに足で地面やら柵やらをガンガン叩くもんだから、めっちゃうるさい。
仕方ないね。ここは私が畜生どもに格の違いを見せてやれば、たぶん大人しくなるよ。
動物は強い存在には腹を見せて服従するはずだからね。おらーっと、怒鳴りつけてやろう。
「危険よ、永倉さん。離れていて!」
なんだよ、私がさくっと黙らせてやろうかと思ったのに。
まあ慣れたプロにお任せするか。あんま出しゃばるもんじゃないしね。
言われて後ろに下がったタイミングで、なにか壊れた音がした。
ささっと音の発生源を探してみればだよ。柵がぶっ壊れて、馬が飛び出しちゃったよ。茶色のでっかい馬だ。
「こっちに来ないでーっ」
「イギャアアアアアアー!」
うるさかったお嬢たちが、もっとうるさい悲鳴を上げて逃げまくる。お上品さはどこにいったんだよ。まったく、優雅じゃないわねー。
あきれて見ていたら、またもやぶっ壊れる音が聞こえてきた。しかも連続で。
次々と馬たちが柵を壊して脱走!
さっきのシルバースターもムーンライトも飛び出しちゃった。
「マジかよ、なんなん?」
乗馬場が完全にパニック状態だ。何頭もの馬が興奮した感じで走り回って、逃げるお嬢たちはずっこけたり、はしたなく木に登ったりしている奴までいる。おもしろいわ。
あ、カメラ! 動画をとってあとでうちのみんなに見せてあげよう! まさにいまが最新鋭スマホの出番だよ。
「永倉さん、こっちへ!」
キリッとしたお姉さんに呼ばれてしまった。
いや、私はカメラをねと思ったんだけど。そんなことを言える雰囲気じゃないわ。
ん? あれ、なんか馬どもが私のほうに向かってきてない?
バラバラに暴れていたと思ったのが、群れをなして猛烈な勢いで襲いかかろうとしてない? 気のせいかね。
この私に戦いを挑むなんてね。やっぱり格の違いをわからせてやろう。腹を見せて服従しろい!
「早く!」
「あ、私がおとなしく……」
「いいから早く!」
仕方ないね。急かすもんだから、素直に避難した。言うこと聞かないと怒られそうだし。
でもまあ馬小屋の屋根に上がってしまえば、地面をはいずる畜生どもはなにもできない。無力なもんだね。
お嬢たちもこの隙に避難できたっぽいね。まったく、あいつらが騒がしいからだよ。
「馬は縄張り意識の強い動物よ。よくわからないのだけど、永倉さんの何かがそれを刺激したのかもしれないわね」
「え、私? なんで?」
いやいや、さすがに言いがかりだろ。
「あなたの存在をひどく警戒しているように見えたから。さっき襲われそうになったでしょう?」
この私が畜生どもの縄張りを荒らそうとしたとでも? 意味わからんわ。
「もしかして私ったら、馬には乗れない感じ?」
「わからないけど、これほど激しい反応は初めてね」
係の人たちが、畜生どもを必死になだめている。まだ興奮しているね。
「私も手伝う? あんなの格の違いをわからせてやれば一発だと思うけどね。そうすりゃ乗れるかも」
「いえ、それはやめて。あなたはここで大人しくしていて」
そっか。まあいいけどね。
結局、事態が落ち着くのに1時間くらいかかった。
馬小屋からは離れた場所で集まって、キリッとしたお姉さんが話し始める。
「ごめんなさい、今日の乗馬レッスンは中止になります」
「あの、原因はなんだったのでしょう?」
「まだわかりません。これまでにこういったことはなかったのだけど」
さっき私のせいみたいなことを言ってた気がするけど。やっぱそんなわけはないよね?
「考えようによっては珍しい体験をさせていただきました。普通の交流会では、ここまでエキサイティングなことは起こりませんもの」
「ええ。とても印象に残る日になりました」
おおー、ポジティブシンキングなお嬢たちだよ。
ここにいるのはみんなハンターだからね。トラブルには慣れているし、あんな程度のハプニングを楽しめないようじゃ、ダンジョンハンターはやっていけないよ。
そういうことだよね。
ひと波乱あったあとは、芸術鑑賞のマナー講習ということになった。
みんな結構タフだよね。何事もなかったように、次に進むその精神はなかなかいいわ。
微妙に納得いかない気持ちはあるけど、私も切り替えていくぞ。
とにかく次は芸術だ。そのために紫雲館の中にあるギャラリーに移動した。
これはめっちゃ興味深い講習だよ。いまの私は芸術に興味津々だからね。それにしてもクランハウスの中にギャラリーとかさ、すごすぎるわ。
壁には立派な額縁に入った絵があいだを開けて並んでいる。乗馬の施設といいなんかもう、さすがはトップクランって感じだ。
「芸術作品を鑑賞する時にもマナーがあります。作品や作者に対する敬意、周りの方への配慮は――」
講師役に戻ったおばあちゃんの説明を聞き流しながら、壁の絵を眺めて歩く。
どれもこれもお高そうな感じがするけど、正直よくわからん。でも見るだけで、なんとなくハイソな気分になれるね。
これだよ、これ。私の文明レベルが上昇しているわ。畜生とたわむれるより、こっちのほうがずっといい。
「うおっ」
思わず声が出てしまった。ひとつの絵の前で足が止まる。
どこかの庭園を描いた絵で、色とりどりの花と緑のアーチ、優しい光に包まれた風景。
この絵は駅前のギャラリーで買った絵にそっくりっていうか、ちょっと見える角度を変えたものっぽい。同じ作者の絵で間違いないよね。
作者名を見ると、やっぱり桜野楓だ。うん、この名前は知っているね。
「その絵が気になるのか?」
いつの間にかおばあちゃんが隣に来ていた。
なんか言葉遣いが変わった? 午前までの先生モードとは違う感じだね。
「えっーと、実はこの作者の絵、持ってます。たぶんここと同じ庭園のやつ。めっちゃいい絵ですよね?」
どうしてか、おばあちゃんがニヤリと笑う。お上品なおばあちゃんだと思ったのに、不思議とそんな笑顔が似合うね。
「お買い上げありがとう。お前があの絵を買ったのは知っている」
「うえ? なんで?」
「そりゃあ、私が桜野楓だからさ。購入者名簿にお前の名前が載っていたからね」
マジかよ。え、マジで? うおおおー!
「おばあちゃんが桜野楓だったの!? うわー、すげー偶然だね!」
思わず大きな声を出してしまったわ。周りのお嬢様たちがこっちを見ているけど、そんなの気にしてられないわ。
てゆーかマジで運命じゃん。こんなところにあの絵の作者がいたなんて。サインほしいわ。
「そんなに驚くことか? ハンターを引退してからの趣味でね、もう20年以上やってるよ。褒めてもらえるだけでも嬉しいのに、あんたみたいな若いのが気に入って買ってくれるなんてね」
「いやー、あれはめっちゃいい絵だったから。それにしても、20年? それは趣味の域を超えてるわ。すげーっす!」
「続けてるうちに上達しちゃってね。最初は下手クソだったんだけどさ」
なんだか急に親しみやすい感じになったね。
「私は超すごいやつか、超気に入ったやつしかほしくないんで! あれはホントにいいもんだよ」
「そうかい、そりゃあ嬉しいね。もしよかったら、あとで私のアトリエに案内してやろう。どうだ?」
マジかよ。
「行きたいっす!」
なんてこったい。それは行ってみたい、見物したいに決まってるわ。
そのあとのマナー講習もちゃんと受けつつ、終わったあともなんやかんやと紫雲館に長居してしまった。
おばあちゃんとセーラさんから、ハンターとしての心得とかなんとか、いろいろ注意もされてしまったよ。きっとありがたいことなんだよね。
とにかく次の予定があるのに、遅刻してしまうわ。
えっと『深淵究明会』だっけ? 怪しそうなクランに行く予定が遅れそう。
うおおー、結構やばい。急がないと!




