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第33話

 宮殿には王家の秘密の抜け道がある。

 と言う噂は知っていたけれど、私は今日、初めてその地下通路を通った。


 継承権を持つ成人の王族にしか伝えられないらしい。

 継承権どころか、王族ですらなくなった私が知っていいのかと疑問に思わないではないけれど、そこは考えないことにした。

 そもそも、近衛も後ろから追随している。秘密を守ろうという意識は、欠片も感じられない。

 構造的に宮殿側からの一方通行のようだし、王のことだから宮殿まで攻め込まれるようでは国としては終わりだとでも思っているのでしょう。


 王に連れられて長く複雑な通路を抜けると、そこは森の中であった。

 歩いた距離的に考えて、北の森でしょう。北の森は禁足地に指定されていて、誰も踏み入ることはない。


「少し進んだところに神殿跡がある。テレサはそこだ」

「何故このようなところに」


 王自らが案内したのは、やはりこれが秘事だからでしょう。

 分からないのは、こんな王都の近くに留まっている理由。私はもうテレサは、遠くに旅立ったのだと思っていた。

 魔女たちは、人知れぬ地にひっそりと居を構えていることが多いから。


「聖女が魔王を封じても、すぐに魔女となるわけではない。魔王の呪体がなじむまでに数か月はかかる」

「数か月…」


 それだと帰りの旅の時間がちょうど、その期間になるのか。


「完全な魔女になるとき、一時的に昏睡状態に陥り、魔王の防衛本能が表層にでる。近づくものを無差別に排除するこの防衛本能を抑え込むことで、魔女が完成する」


 そうか。

 だから、魔女から生まれた魔王は無防備なんだ。


「この魔女化が今、始まろうとしている。テレサは呪体の侵食が極めて緩やかで、魔女になるまでに何年かかかると思っていたが」


 意味ありげな視線を私に向けてくる。


「心が揺らぐようなことがあったようだな」

「何が言いたいの」

「残酷だとは思わないのか。心のない人形に、わざわざお前は不幸だと教えてやるのは」

「…は?」


 一瞬、何を言われたかさえ理解できなくて、怒ることすらできなかった。

 そして、言葉の意味を理解できると、次にきたのは恐怖にも近い感情だった。

 目の前の兄であった男が、まるで知らない怪物のように見える。


「なに…何を言っているの」

「お前が余計なことをしなければ、あいつも穏やかにいられたのではないかと言っている」


 そんなこと、分かりたくもない。

 その穏やかさは、死んでいるのと何が違うと言うのだろうか。

 だけれど、私の存在がテレサを傷つけたのではないかと思っている自分も、たしかにいたのだ。


「貴方が、それを言うの。王であり、勇者であり、テレサを本当に救えたかもしれない人が」

「そんな人間はいない」


 嘘だ。

 どこかには、誰かは、本当のテレサの救いがあるはずだ。

 私がそれになると決めたけれど、偽物ではない本物が。だって、そうじゃないとこの世界は、本当にテレサを見捨てていることになってしまう。


「テレサと一緒にいてどうする。お前との時間が幸福であるほどに、あいつはいかに自分が不幸であったかを思い知ることになる。そして、お前がいなくなったときに拠り所を失ったあいつはどうなる。その絶望は、世界を滅ぼすかもしれない絶望なんだぞ」


 結局はそれなのね。

 意外とつまらない男。枠にはまった王の言葉なんて、私には何の意味もない。


「世界のことなんて貴方たちが考えればいい。私がいなくなる前に、あの子が望んでくれるなら私が殺すから」

「お前にそれができるのか」

「できる。なぜ、できないと思うの?」


 私はテレサが望むなら、殺してあげることに躊躇いなんてない。

 それどころか、私以外の人のものになるなら、きっと望んでなくても殺してしまう。

 もし、テレサの運命の人が現れたなら、私がテレサを殺してしまう前に殺してもらおう。きっと、私はテレサを誰かに譲ることなんてできないから。


「歪んでるよ、お前」

「ふふっ」


 王の侮蔑の言葉に、思わず私は失笑を漏らした。


「何がおかしい」

「凡庸な言葉。私の頭がおかしいのなんて今さらでしょうに」


 王女と言う規律がなければ、私自身の本質は獣に近いともう分かっている。

 執着するものが少ないから表に出にくいだけで、欲しいものは絶対に手に入れようとするし、そのためには手段を選ばない、と言うよりは手段を考えない。


「くだらない話はおしまい?それなら、私は行くわ」


 吐き捨てるように言って、森の径に歩みを進める。


「待て」


 呼び止める声に振り向くと、王が放り投げてきた革袋を咄嗟に受け止める。

 金物が入っているのか、かなり硬い手ごたえがした。


「なに?」

「餞別だ。持っていけ」


 口を縛る紐を解いて、中を確認する。

 王家の三宝具が入っているのをみて、眉をしかめる。


「どういうつもり?」

「返す必要はないぞ。どうせお前が使うまでは、埃を被っていた代物だ」

「こんなものもらっても…」

「それのないお前が何の役に立つ?魔女の隣に立つつもりなら、それくらいは持っておけ」


 たしかに、あって困るものではない。

 だけど、王家を離れた私が、王家の宝具を持つことには抵抗がある。

 これが本当に必要なものなら、私は何の抵抗もなく使う。だけど、今ここで受け取ってしまうのは、ただの未練なのではないだろうか。


「王家の宝具などと言われているが、それは祖王の血筋が王権を占有することに反発するものたちが、聖剣の絶対性を覆すために造ったものだ。結局は失敗作だが、離反者のお前が持つには相応しいだろう」


 王家の出来損ないが、聖剣の出来損ないを持つ。

 なるほど、お似合いすぎて笑えてくる。


「この剣が貴方たちに向けられないと思うの」

「その時は、格の違いと言うものを思い知らせるだけだ」


 私と王の視線がぶつかる。

 お互いにもう、言葉はない。

 ああ、今のは決別の言葉なのか。


 視線を切り、私は今度こそ背を向けて歩き出す。

 かつて兄だった人。双子だけれども、片割れだと思えたことのない人。手の届かない私の先を歩く人。そして、決定的に道を違えた人。

 それでも、この別れに私はどうしようもない心の欠落を感じていた。

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