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異世界系における小説設定資料  作者: Twilight
幻想小説を創るための設計図
25/48

世界創生の五手目 ~内政~

文字数(空白・改行含む):7142字

文字数(空白・改行含まない):6759字


 どうも、皆さん。

 今回で世界観についての説明が最後となるでしょう。

 ここまで読んでくださった方々は「色々やることがあるんだなあ」って思ってくださるだけでも頑張ったかいがあって嬉しいです。

 それでは、長々話してても仕方ないので、どうぞ!




【8:政治】

 政治と聞いて皆さんはどのようなモノを思い浮かべるでしょうか?

 日本の「天皇象徴制」ですか? それともアメリカの「大統領制」? もしくは「王政」とか「共和制」とかもありますね。

 もしくは、有名な権力者を連想したでしょうか?


 しかし、どんな集団においても共通しているのが、「力が無いと規律が無い」です。


 日本を例に見てみれば、ボイコットやストライキは起きますが、力で政府を倒そうなんて考える人は今時いませんよね?

 もちろん、他国では独裁を敷いている人に対して、力で対抗せざるを得ない場合もありますが、日本ではまず話し合いがもたれます。

 これを文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、国の政治形態が違えばその対応も違ってくるのです。



 君主制――王政や帝政を含めた一人の支配者が統治する国家形態――では、君主が絶対的な権力者です。

 それはつまり、君主が正しいと思った事は神様が神罰でも与えない限りひっくり返りません。

 そのため、国の政治は、王の判断によって決まると言っても過言ではありません。


 王様が正しい事は正しいと言えば、それは善政を敷いている良き国になるでしょう。

 反対に、王様が間違ったことを正しいと判断すれば、それは悪政を敷いている愚かな王だと揶揄されてしまいます。


 また、善性を敷く良き王だったとしても、次代の王が、もしくはそのさらに次の王が、という具合に王は国民からどのような存在であるか常に見られていると言ってもいいでしょう。


 しかし歴史では、愚王と罵られて死後まで嘲笑われ続ける存在が実在します。


 プランタジネット朝、第3代イングランド王のジョン王です。

 詳しくは言いませんが、無能、裏切り、幾度となく戦争で敗北、自国の土地を失いついには失地王と呼ばれる……など様々です。

 過去の人間はそれはもう酷い罵りようで、少し同情するレベルでした。


 とはいえ、悪政や政治における腐敗が出てしまうのは、そもそもの政治システムに問題があったのです。

 現代でも、長期の政権を維持し続ける総理大臣はほとんどおらず、その首相在職日数も昨今有名になりましたよね?


 安倍晋三さんは佐藤栄作さんの記録を抜き、歴代最長になりましたが、逆に言えば40年間近くも抜かれないくらい在職し続けるというのが珍しい証拠という事です。


 同じ人間が権力を握り続ければ、よからぬ欲を出したり、誤った道へとはずれてしまう事があり得ます。

 だから日本の総理は長続きしないで有名だったのです。


 歴史もそれを証明しており、在位期間が長くなると優秀だった王が段々と荒んでいったり、戦争ばかり仕掛けたり、圧政を敷き、課税して民を苦しめるなど多岐にわたる方法で、国を衰退させて行きました。

 そして、そんな王は国民からクーデターを受けて滅亡、までがワンルーチンでした。

 かの有名な「ナポレオン」もそんな感じで死んでいきましたし。


 しかし、必ずしも戦争ばっかりして、民に課税するから愚王という訳ではありません。


 過去には“暴君”と言われながらも、その政治手腕は認められている者が少なからずいます。

 それは「ピョートル1世」、「ネロ」、「ヴラド・ツェペシュ」、「始皇帝」など時代も国も様々な者たちです。

 特別、擁護や批判をするつもりはありませんが、部分的に見れば国のために行った行為だというのは歴史からきちんと鑑みれます。


 そもそも、暴君と呼ばれる者の最たる理由は、人間不信で疑い深く臆病、権力欲と顕示欲が強い性格の持ち主が権力者になった途端、性格がひん曲がって悪化して家族を殺したり、忠臣を疑ってぶっ殺したりと、ろくでもない事をした結果でそう呼ばれているのです。


 皆さんも政治について考える時はやはり悩まれるでしょうが、何を利用し、何を考え、そして何を目指しているのかを明確化しながら人格を思い浮かべるとイメージしやすいのではないでしょうか。




【9:経済】

 経済を物で例える時、多くの場合人間の体にある血液で例えられますよね。

 具体的なイメージで言うと、「お金」がぐるぐると社会という体の中で巡ることで経済を活発化させている感じです。

 お金は多くてもダメ、少なくてもダメって結構シビアな世界で我々って生きてるんですよね……。


 と冗談はここまでにしておきましょう。


 「経済」について簡単に説明すると、社会が生産活動を調整するシステム、あるいはその生産活動のことを指します。

 つまり、人為的に生産活動を調整するか、売ったり買ったりしている活動を「経済」って呼んでいるだけって意味です。


 まあ、小難しく言ってるだけで、人が社会活動をしていたら我々も経済活動をしているってことになります。

 だってそうですよね? 我々は生きるために食事をし、生きるために仕事をし、生きるために金銭を払っている。

 立派な経済活動じゃないですか。


 そもそも、生活に必要な物やサービスは需要と供給の上に成り立っており、それらの消費のために生産が必要となるんです。

 例えば、私はこの小説投稿サイトでパソコンを使い、キーボードで文字を書いてますけど、もし何かが起きたら小説を発売し、人が買ったらそれはもう経済活動って事になるのですよ(笑)


 買うという需要があれば、売るという供給もそれに比例して増加する訳ですからね。

 

 残念ながら、自給自足をするだけでは経済活動とはみなされませんが、大体の人間が何か物を作ったり、それを売って、誰かが買えばサイクルとして成り立つため、経済のシステムが構築された事になります。


 社会が生育し近代化する過程において、自給自足から生活に必要な物やサービスを交換し合うシステムが構築されることで、このようにさらに豊かになっていったのです。

 この交換を潤滑にするものが金銭ですが、同時に束縛しうるのもまた金銭であり、厳密には貨幣供給システムでもあります。


 【貨幣史】でも少し扱いましたが、物々交換から貨幣へと移り変わった時に、人は経済活動を一歩進めたという事でしょう。

 同時に、貨幣でしか共通価値を見出せなくなったとも言えますけど。


 近代社会における経済は、物やサービスを生産する企業、物やサービスを消費する消費者である家庭、公共的サービスを提供する政府の3つに分けられています。

 仕事をしていれば生産する側に、生きていれば消費者側に、税金を払えば国が勝手にしてくれるのが公共サービスという訳です。


 ここで重要になってくるのが、そもそもの生産する物です!


 ファンタジーでは迷宮とか魔物とか不思議な素材ばっかりありますが、そういう生体資源だけでなく、鉱石や塩、木材など経済を作るにあたって基礎的な素材が重要になります。


 前提として、物語を作る方々は一つの国だけでなく、様々な国を登場させますよね?

 中には、一つの国だけで完結した世界観もあるかもしれませんが、例外は置いておきましょう。


 無数の国が存在するという事は、他者と競争しているという証です。

 それが個人であっても国であっても変わりません。


 自国ではたくさん作られていて、他国ではあまり作れない様な物品などは特に格好の獲物ですね。

 人は見慣れたモノよりも見慣れないものに価値をつけがちです。


 それが胡椒などの香辛料や甘味料である砂糖、特定地域でしか得られない海産物やガラスなどの商品であれば、経済においても重要な役目を担うでしょう。


 経済力が強いということは、他国よりも金があるという事。

 他国よりも金があるという事は、自国の事に金を掛けられるという事。


 自国に金をかけるなら、まず真っ先に候補に上がるのが軍事力ですね。主に武器や人員を増加するでしょう。

 魔物という外敵、他国という脅威が存在するならば、たとえ同盟国であろうとも弱みを見せてはいけないのです。

 技術を磨き、力を磨き、緊急時に対して備えるのが経済の役目と言ってもいいでしょう。


 二番目に、街のインフラについてでしょうか。

 魔物によって壊された道具や壁、老朽化した建物の改築や道路の舗装、水道管とか魔力に関する設備など色々工夫のしようがありますね。

 もしくは既存の設備を増設させたり、新規事業への設備投資なども行うかもしれません。


 そして三番目に、ようやく社会保障についてでしょうね。

 しかも、冒険者のような街に定住しない人間では無く、町に住み続ける住民や職人、役人や騎士、あとは貧しい者に対する配給とかでしょうか。


 そこら辺は作者の腕の見せ所でしょうが、最悪の場合、別にインフラなんて無くても良いんです。

 だって、軍備を増やして外敵からの防衛と 年に一度の森への遠征とかを行えば、その時に狩って来た獲物を街の人間に配ってやればいいんですから(ゲス顔)

 町の人間は大層喜ぶでしょうね。

 魔物の脅威を減らしながら、飯が無料で食べれるんですから。ついでにこの時の祭りの名前を「収穫祭」とでも名付ければ、いい感じにイベントの出来上がりですよ(笑)


 経済から異世界を見てみるのも、案外一興かもしれませんね。




【10:宗教】

 さて、残すこと最後の一つとなった宗教ですが、難しいですね……。

 適当な事を書いたら、宗教に詳しい方々に怒られてしまいますから(笑)


 とりあえず、日本の宗教観から見ていきましょう。

 よく取り沙汰される日本の宗教観ですが、日本には様々なイベントがありますね。


 大晦日は神社で参拝。

 お盆になるとお墓参りをしてお経を唱え、葬式では仏式を使い供養。

 10月31日には異教徒の祭りであるハロウィンを行い。

 結婚式では教会を使用し、クリスマスではイエス・キリストの誕生を祝う。


 神道、仏教、キリスト教などなど。

 他にも、イースターやバレンタインデーなどのイベントだけでなく、「いただきます」や「落とし物を届ける」など宗教というよりは死生観や倫理観と言った方が良いかもしれませんね。


 そんな多宗教入り乱れる日本ですが、とある質問を日本人にした時、こう答えることが多いそうです。


「あなたの宗教はなんですか?」


「無神論です」と――


 面白いですよね。こんなにも宗教行事に囲まれ生きてきた日本人が、こと宗教の事になると半数以上の方が「自分は神は信じていない」と言うのです。

 しかし生きていれば皆さん、神頼みをしたり、神様に誓ったりしたことがあると思うんです。

 だって子供の時に一度は初詣や参拝に行きませんでした?

 それ、祈っている対象は仏様/神様ですよ?


 だというのに、なぜ日本人は無神論者であると答えるのか。


 その理由は簡単で、「無神論」と「無宗教」を勘違いしている方が多いんですよね。

 かくいう私も調べるまで大した違いに気付きませんでした。


 【無神論】とは、神が存在しないことを主張すること。

 【無宗教】とは、特定の宗教を支持しない状況のこと。


 つまり、これらは混同されがちですが、全く異質の概念として考えられるべきなのです。

 唯物論や機械論を無神論とみなす者もいますが、これらの理論は霊魂や物質世界への超越的な力の介入を否定しているのであって、必ずしも神の存在を否定している訳ではありません。


 無神論は一般的には既存宗教と対立するとみなされる考え方であり、両者の間には軋轢が生じることも多いですが、近年では科学の発展や浸透に伴って唯物論的な考え方が一般に受け入れられてきており、無神論に対する風当たりは弱まってきているとされています。

 一方で、保守的な地域では無神論に対する根強い不信感もまだあります。


 社会主義国における宗教の弾圧や虐殺などが無神論と結び付けられることも多いなど、日本と比べ、世界における無神論者は非道徳の持ち主のような扱われ方です。


 とはいえ、無神論については広義と狭義があり、そのせいで分かりにくく感じてしまうのでしょう。


 広義、もしくは歴史的には「一神教におけるような唯一絶対の造物主を認めない立場」を指す。

 狭義には、「神もしくはその他の類似の名前の付いた、人間や自然を超えた存在すべてを認めない立場」を指して無神論と呼ぶ。


 広義の定義に当てはめれば、仏教や儒教は無神論的宗教であるが、狭義の定義に当てはめれば有神論的宗教とみなされる。

 現在のキリスト教的世界観では広義の定義が定着していると言えるが、多神教的世界観では狭義の定義が一般的な無神論の定義として扱われることが多いのです。


 つまり、「一神教の唯一絶対の神様を認めない奴」と、「そもそも神様みたいな存在はいないでしょ」と考えている二通りの人間を無神論者と総合して呼んでいるんですね。

 大体の方が狭義の方を無神論者だと感じると思うのですが、どうですかね?




 日本人の根底にある宗教は何だろう、と考えた時、まず初めに想像するのが神道です。

 別に神道を推している訳ではなく、この考え方に日本人の在り方があると考えているのです。


 それが【八百万やおよろずの神】です。

 アニミズムと言ってもいいかもしれません。


 この世にある自然のもの全てに神が宿っているというのが、八百万の神の考え方です。

 日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様、火の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきました。

 そうした自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えたことから八百万の神と言われるようになりました。


 この八百万という数字もその名の通り、無限に近い神がいることを表しています。

 だからこそ、他国や他宗教の神の概念が入って来ても、日本人は否定せずに受け入れ、むしろ吸収して勝手に偶像化まで行うのです(笑)


 昨今では、アプリのゲームに数多の神話の神々が性別関係なく女性化させられるなど、手当たり次第だったりしますが、そんな節操のないところもアニミズムの影響でしょうかね?


 小説家の芥川龍之介は、「日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から【八百万の神】を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦もイエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる」といった主旨のことを短編小説「神神の微笑」の中で登場人物に語らせており、また同時に、日本人が海外の思想に変化を加えて自分のものにする様子を「造りかへる力」とも表現しています。


 他にも、こういった性格から特定の能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがありますね。

 「バスケの神様」やネット用語における「ネ申」はこういった考え方によって身近に使われているのでしょう。



 日本人の宗教に対する寛容さはここからきてるんでしょうね。

 しかし、日常生活で宗教への勧誘となったら話しが変わってきます。


 自分の家のインターホンを押して、


「宗教に興味がありませんか?」


 って笑顔で言われたら、多くの方が「うわ、何か来た……」と感じる事でしょう。


 これは、オウム真理教による地下鉄サリン事件やイスラム原理主義組織によるアメリカ同時多発テロの影響などにより、宗教へのイメージが致命的に悪化し、伝統宗教・新興宗教の区別なく宗教活動への過度の傾倒を危険視する認識が広まった結果だと思われます。

 そのため、宗教に熱心な人は危険人物と見なされる傾向にあり、宗教そのものも危険思想として見なされつつあるのです。

 特に日本ではお金儲けのためではない、真剣な信仰者というのは、テレビを見ていれば絶滅危惧種のように感じるのも致し方ないのかもしれません。


 別に宗教が悪なのではなく、それを利用する人間がおかしなことをするのが原因なんですが、難しい問題ですね……。


 神道が他の宗教と違う点がもう一つあります。

 それは、神道において、経典も具体的な教えも開祖すら存在しない事です。

 だからこそ日本人は特定の存在を崇めたり、経典に書かれたものに対する論争をせず、あるがままを受け入れ、正しき行いを追い求め続けるのかもしれませんね。




◆引用文献◆


https://ja.wikipedia.org/wiki/政治

https://ja.wikipedia.org/wiki/ネロ

https://ja.wikipedia.org/wiki/ピョートル1世

https://ja.wikipedia.org/wiki/経済

https://ja.wikipedia.org/wiki/無神論

https://ja.wikipedia.org/wiki/神道

https://ja.wikipedia.org/wiki/インテリジェント・デザイン

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の宗教


ノマドクリエイター 様より 一部抜粋・転載

https://xn--eckhu0e2b3a6i6dsh.net/how-to-make-novel-worldview/#i


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