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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
本編
19/39

(3)

 ヨルゴスの塔から連れ出された後にシェリアが押し込められたのは、王の塔の地下にある暗く狭い部屋だった。

 乾いているアウストラリスにしては湿度が高く、しかし熱風の吹く地上に比べて程よく空気が冷まされている。時折聞こえてくる水音から思うに、王城を駆け巡る泉の水は全てこの辺りから地下に戻るのだろう。


(今何時くらいなのかしら?)


 夕刻の鐘が鳴ってどれだけ時間が経ったかもわからない。シェリアに時を教えてくれるのは空になったままの腹だけだった。

 目の前ではシェリアの二倍はあるのではないかと思えるほどの体格の男――近衛兵のニコラスが口を割らないシェリアに苛立ちを見せ始めていた。


「いい加減に認めたらどうだ」

「何度聞かれても知らないわ。手帳は落として随分経つの。どこからどうやって出て来たかは知らないけれど」


 シェリアからの質問は許されていないため、事情は何もわからないままだった。


「しかし、お前が書いたものには間違いがないのだろう」


 何度目かの一方的で不毛な問いかけにシェリアはとうとう怒りを露にした。


「――お前って言わないで。失敬な」

「立場を考えればそんな風に偉そうにしていられないと思うんだが」


 ニコラスは調書の乗った机の上で、イライラと指を弄んでいる。

 手帳は先ほどどこかへ回収されて行った。問題になった頁には、シェリアが昔企てた花嫁衣装搾取の計画が書かれていた。彼女自身にも覚えのあるものだ。だがそれはジョイアでスピカの結婚の儀を妨害しようとしたもので、実際には実行しなかったものだ。

 しかし、先入観に目の曇った近衛兵には信じてもらえない。いっそ変にぼかさず具体的に名前でも書いてあれば、ジョイアの皇太子妃への嫌がらせであり、実現不可能で断念したものだとわかっただろうにとシェリアは口惜しくてたまらない。


「とにかく衣装が見つからなければお前はここから出られない。俺の仕事も終わらない」

「私を閉じ込めていても見つからないわ。見当違いだもの。大体どうやったら私が衣装を盗めるの? あの日はずっとヨルゴス殿下の実験小屋に籠っていたし、出入り口は殿下の部屋に一つしかないから見張りが気づくでしょう? もし盗んだのなら、衣装はどこにあるっていうの? どうせ私の部屋や殿下の居室は探したんでしょう?」

「…………それを聞くためにここに拘束しているんだろう」

「無駄よ。盗っていないんだから知るわけがない。疑わしいってだけで証拠もないのにこんな風に拘束するなんて野蛮にもほどがあるわ。この国では当たり前のことなの?」

「ジョイアと比べているのか? ここでジョイアのことを言わない方が身のためだぞ?」


 思わずちらりと含めたものにニコラスは敏感に反応して冷たい笑みを浮かべる。瞳の底にジョイアへの積年の恨みを感じ取り、シェリアはさすがに口を閉ざした。そうだった。この国の人間はジョイアの人間が嫌いなのだ。

 ルティリクス王太子の妹であるスピカがジョイアの皇太子に嫁いだことでジョイアとアウストラリスの二国は関係を修復し始めたものの、まだその修繕は始まったばかり。ヨルゴスやメイサに良くしてもらって忘れかけていたが、今シェリアはひしひしとニコラスから滲み出る悪意を感じていた。


「もともとアウストラリスでは罪人の扱いはひどいが、お高く止まったジョイアの女となれば鬱憤を晴らしたい野郎も多いだろうよ」


 冷たい視線がシェリアの体の上を這う気がして、思わずニコラスから目を逸らす。値踏みされるような視線。今までに向けられたことのないような目だった。

 ここにいたくない。シェリアは寒気を抑えられない。

 冷たく重い沈黙にシェリアが耐えきれずに俯いた時、部屋の戸が鳴った。




 尋問室の扉が開かれた半刻ほど後。解放されたシェリアはヨルゴスの部屋に連れて来られていた。いつもと変わらない風景を見ていると、少し前のことが嘘のようにも思えた。違和感があるとすれば、室内が暗いこと、中庭を照らすのが日の光ではなく月の光であること。そしていつも穏やかな笑みを浮かべている顔が、背を向けられていて見えないことだった。

 襟足までの鋼の髪は月明かりに冴え冴えと光っている。まるで鋭い刃のようにも見え、夏だというのにシェリアは寒気を感じていた。どれだけあの大地の色の瞳が彼に温かみを与えていたのか、見えなくなって初めて知る気がした。

 ヨルゴスは黙り続ける。背中を見つめていたシェリアは、息の詰まるような沈黙に耐えきれず、口火を切った。


「どうやって出してくれたわけ? 捜査の状況を覆すような証拠でも見つかったの?」


 真犯人でも見つからなければシェリアが尋問室から出されることはないと思っていたのだ。諦めと覚悟をどこかで感じていたのに、あまりにもあっさりと釈放されて不可解だった。近衛兵ニコラスに「衣装が見つかったの?」と聞いても首を横に振るばかりだったから余計にだ。

 ヨルゴスは一瞬口を開きかけたけれども、迷ったようにまた黙り込んでしまう。促すようにシェリアは尋ねた。


「メイサの衣装は見つかったの?」

「いや、衣装はルティリクスが今探してる。でも君を出すのは簡単だったよ」


 ようやくヨルゴスは口を開いた。軽く言ったつもりなのかもしれないけれど、声はいやに強ばっているように思えた。

 彼は一度大きく息を吸うと、意を決したように言葉を継いだ。


「誤解を解いただけだ。君が望んでいるのは"僕の妃"だって、――そして僕も君を妃に迎えるつもりだって」

「はぁ?」


 シェリアは耳を疑った。じわじわと理解して、まずは自分の気持ちが彼にはそんな風に見えていたのかという羞恥で、そして次に勝手に大事を決定してしまった彼の横暴さへの怒りで頬が染まった。


「何考えてるの、あなた。――そんな嘘、どうして」

「……怒ったの?」

「当然よ!」


 思わず非難の声を上げると、ヨルゴスはシェリアに背を向けたまま、しばし黙り込む。

 ホウホウと鳥の声が数回聞こえた後、彼が出した声にはひどい疲れが滲んでいた。


「君を拘束するように指示されたのは王妃だ。彼女は僕たち・・・が共謀して結婚式を妨害しようとしていると考えられていたんだ」

「僕たち?」


 意外に思って問い返すと、ヨルゴスはうんと頷いて、一枚の紙を差し出す。文字が大量に詰め込まれている。どうやら今回の事件の調書を写したものらしい。あまりの細かさに思わず顔をしかめるシェリアに向かってヨルゴスは続けた。

「僕が疑われるのは僕がメイサを忘れられないと思われているからだし、君が疑われるのは、君がルティリクスの妃を狙っていると思われてるからだろう。疑惑を晴らすには僕も君も古い恋は捨てたと王妃に訴えるのが一番早かった」


 淡々とした説明を終えるとヨルゴスはこちらを振り向いた。だが月を背負った彼の表情は逆光で読めない。


(つまり……王妃の疑いを逸らすために婚約なんて嘘吐いたってわけ? そんな一時しのぎのために?)


 ヨルゴスらしくない安易な方法にシェリアが言葉を失っていると、彼は労るような声を出した。


「女の子には尋問室はきつかったろう? もう夜も更けてる。後は僕に任せて部屋で休んでおけばいいよ」


 彼が話は終わりとでも言うように寝室を指差すが、シェリアは納得いかずに食い下がった。


「待って。妃なんて――そんな大嘘吐いてこれからどうする気なの」


 シェリアが追求するとヨルゴスの顔が僅かに歪んだ。


「どうとでもなるよ。そのまま結婚してもいいし、……君が不満だったら落ち着いた頃に撤回すればいい。婚約破棄なんてよくある話だ」


 飄々とした物言いに、何を考えているかわからない表情に、シェリアは沸き上がる不快感を堪えきれなかった。


(どうしてそんな重大なことを簡単に決めてしまうの? あとで撤回できるからって……つまり、私との約束なんてそのくらい軽いものってこと?)


 ヨルゴスの言動に傷ついている自分をシェリアはもう無視できなかった。以前国に帰れと言われた時よりもさらに深い傷を負った気がした。

 鼻の奥に痛みを感じ、視界がにじみ、息をするのも辛くなる。いたたまれずにシェリアはヨルゴスに背を向けて、逃げるように部屋の出口へと向かう。しかし、扉を開ける手をヨルゴスの声に阻まれた。


「待てよ、どこに行くつもりだ? 婚約って言ったんだから、今日は形だけでもここにいた方がいい」

「尋問室に戻るのよ。ここより何倍もまし」

「せっかく出られたのに? 馬鹿言うなよ」

「馬鹿はあなたよ。こんな方法で助けてもらって誰が嬉しいもんですか。お情けで婚約? 用が済んだら破棄? 軽く見られたもんだわ。私には憐れみなんか必要ないの。それに、あなたみたいな腰抜け、冗談じゃないわ。こっちから願い下げよ!」


 久々に飛び出した暴言に、さすがのヨルゴスの声にも不穏なものが混じった。


「今度あの場所に入ったら出られなくなるよ。それは君だって困るだろう」


 ヨルゴスはいつの間にか扉まで辿り着いていた。シェリアは、扉とヨルゴスの腕と胸で自分が囲われたのに気が付いた。頭の上から振って来る声がいつもと違う距離を感じさせる。威圧感から顔をあげられないままに、シェリアは大理石の床に言葉を吐き捨てる。


「だとしてもあなたじゃない人に縋るわ。ルティリクス殿下でも誰でもいいし!」


 王太子の名が出たとたん、穏やかに思えていたヨルゴスの雰囲気が急激に尖った。


「僕を頼りたくないならそれでいい。――でも、いい加減にあいつのことは諦めろよ」


 強引に手首を掴まれ、シェリアは顔を上げた。とたん髪で隠していた泣き顔が晒され、ヨルゴスが驚いた顔を見せた。まるでシェリアなら何をしても傷つかないとでも思っている顔だった。


(こんな仕打ちに――私が傷つかないとでも思ってたの?)


 カッとなったシェリアは、ヨルゴスの手が緩んだ隙に彼の頬を打っていた。


「大嫌い」


 痛々しい音と扉の軋む音が響き渡る。部屋には呆然として立ち尽くすヨルゴスがぽつんと残された。


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