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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
本編
18/39

(2)

 騒ぎを聞いて慌ただしく自室に戻ったヨルゴスの前には、瞳の中に火のような怒りをたたえたルティリクスが座っていた。燭台の光を反射した彼の赤い髪は、本当に燃えているようにも見えた。薄暗い部屋の中、ヨルゴスは刺すほどに鋭い視線に圧されることなく睨み返した。気持ちがわからないこともないが、今、文句を言いたいのはこちらの方だった。


「僕のいない時にシェリアを拘束って、一体どういうことだ? しかも花嫁衣装詐取の疑いって。いくらなんでも冗談だろう。納得いく説明をしてもらうよ」

「説明しろだと? ──それは俺の台詞だ。どうして狂犬に鎖を付けておかないんだ」


 ルティリクスは「近衛隊から押収物を借りて来た」と机の上に二冊の手帳を放り投げた。


「これを見ろ」


 ヨルゴスは手帳を手に取った。一冊は手帳とは呼べないくらいに古ぼけた紙の束。もう一冊は見覚えがある。それもそのはず、彼女が目の前で花婿候補の一覧表を書き込んでいたのだから。最初の頁をめくると自身の試し書きもある。これは彼がシェリアにあげたものだ。


「これがどうかした?」


 ヨルゴスは新しい方の手帳をめくり続けた。報告書で見慣れたシェリアの筆蹟は、性格をよく表している。美しいがどこかしら尖った印象。本人によく似た字だった。

 メイサとの引継ぎの様子が細かく記述されている。熱心に指導するメイサと、不満を言いながらも真面目に聞いているシェリアの様子が目に浮かぶようで、思わず状況を忘れて熱心にめくっていると、ルティリクスは不機嫌そうに「問題はそっちじゃない」と言う。

 ヨルゴスは不可解に思いながらもう一つの古い手帳をめくり始めた。

 しかし記述内容がどうも日記のように思えて、彼は罪悪感から一度手を止める。勝手に日記を読んだとなると後が恐ろし過ぎる。


「あのさ。本人の了承はとってるわけ?」

「今は気にせず読め。印がついているところだけでいい」


 ルティリクスは強引に訴えた。見ると確かに小さな栞が挟んである。渋々指定の箇所をめくってヨルゴスはこれを読ませられる理由がわかった。そこには妃候補を貶めるさまざまな方法が書かれていた。


『三、女の本性を知らしめる方法』の項目には、『昔の男との関係を暴くこと』『不貞の証拠を掴むこと』と書かれてあり、ヨルゴスはルティリクスの視線を気にしてこほんと咳払いをする。

 シェリアがメイサを寝取れと言っていたのは記憶に新しいが、過去まで探ろうとしていたとは。半年前ならいざ知らず、今さら命がけでメイサを奪い合う必要は全くないし、何も嗅ぎ付けられなくて良かったとヨルゴスはそっと嘆息する。

 次の栞の頁をめくると別の項目が現れる。

『七、女を宮中から追い出す方法』には、『下男との噂話を流すこと』『過去の男をねつ造すること』『少ない衣装を駄目にすること』『殿下に色仕掛けで迫ること』と書かれていて、ヨルゴスは軽い頭痛を感じてこめかみを揉んだ。


「っていうか、……本当にやったのかなこれ。いくつかはやってるか。やっぱり性格悪いなー……でもここまで突き抜けていると面白いかなあ」


 本性を知り尽くしているためか、衝撃がまるでないのが自分でも可笑しい。ああでもない、こうでもないと熱心に計画を練っている姿を思い浮かべるとなんだか微笑ましく思えるくらいだ。所々揶揄しながらめくっていたら、ルティリクスが痺れを切らしたように「一番問題なのはここだ」と頁を指定した。

 状況を思い出して目を滑らせ、ある項目まで辿り着いた時にヨルゴスの顔が曇った。


『十三、花嫁衣装詐取計画』


 思わずルティリクスの顔を見上げると、彼は不快そうな顔をしたまま頷いた。

 ヨルゴスは一瞬瞑目したが、深く息を吐くと腹に力を入れて文章を追う。


『結婚の儀直前に衣装を盗み出す。花嫁の不在で儀式は延期、および中止。決定的ではないが、時間稼ぎにはなるし、痛手を与えることはできる。身代わりの花嫁として潜り込めれば最善』


 メモ書きはそれだけだった。具体的な方法は書かれていない。

 馬鹿馬鹿しいと笑おうとした。だが、ふいに思い浮かぶものがあった。シェリアはまだルティリクスを忘れていないのではないか──。

 頬を強ばらせたヨルゴスの前で、ルティリクスは難しい顔で補足した。


「衣装は二着あったんだ。メイサが……あの馬鹿、シェリアの衣装がないからって、新しいものを用意させていた」

「なんだって? お前──お前がシェリアに服を作ってやったのか?」

「メイサがシェリアに結婚の儀に出て欲しいと言い張った。つまりそれなりの衣装が要る。しかもあいつ、自分の衣装は何でもいいと言うくせに、シェリアの衣装には散々注文をつけやがった」


 珍しく愚痴を言う従弟にヨルゴスは力なく溜息をついた。


(ええと、つまりメイサに押し切られたってわけか)


 力関係が透けて見えて、憐れみを込めた目で見つめると彼はむっと眉間に皺を寄せ、話題を元に戻した。


「──シェリアの衣装だけが、積み荷には残っていた。それはな『身代わりの花嫁』になれるくらいに豪奢な衣装だ」

「馬鹿な」


 ヨルゴスは状況を理解して唖然とする。確かに、犯人はシェリア以外にいないように見えてしまう。


「元妃候補で、動機もある。今までの言動が言動だし、どうしても一番疑わしいのに、あれだけ出てくればどうしようもない。母上も激怒しているし、言い逃れはできないだろう」

「僕には……今さらシェリアがメイサを貶めるとは思えない」


 否定したが、言葉は小さな疑いによって力を持たなかった。万が一メイサを想うよりも強い気持ちでルティリクスの妃になりたいと彼女が願っているならば、話は全く別だった。


(彼女は最後の最後まで諦めなかったのかもしれない。自分の力で幸せを勝ち取ろうとメイサを騙し、僕を騙して──)


 想像はヨルゴスの胸を鈍く抉った。じくじくした痛みを堪えつつ、ヨルゴスは疑いの沼から這い上がる。


(でも……なんだかでき過ぎてるような気がする)


 今の話で引っかかった部分がいくつかあった。


「まずこの古い手帳を近衛隊はどこで手に入れた? シェリアは『無くしたから新しいものが欲しい』と言っていた。それに……そうだ。メイサの性格だとシェリアには衣装のことを言わないはずだ。内緒にして、驚かせる方が彼女らしい。なにより、どうやってシェリアは計画を実行して──花嫁衣装は今どこにある?」


 思わずむきになって訴えると、ルティリクスは眉を上げたあと、僅かに笑った。


「とりあえずあの女のことはお前に任せる。煮るなり焼くなり好きにしろ。俺は構ってる暇がない」


 ヨルゴスの問いには答えずにルティリクスは椅子から立ち上がる。話は終わったとでも言うようだ。


「ルティリクス、じゃあ、君はどうするんだ」


 追いすがるように問うと、ルティリクスは力強い声で言った。


「衣装を探す」

「どうやって? 他に手がかりでもあるのか?」


 やはり答えずにルティリクスは手帳を回収した。そして、扉に向かう途中でふと何かを確認するように振り返り、尋ねた。


「ヨルゴス。お前、メイサが今どうしてるかは気にならなかったんだな?」


 思わず瞠目すると、ルティリクスはにやりと笑う。


「あいつは割合普通にしてる。だが、念のために勝手に動かないように軟禁している。ま、お前は心配してなかったみたいだが」

「いや、してたけれど──……メイサを守るのは僕の役目じゃないから」


 思わず反論したが、自分のあまりのわかりやすさに苦笑いが浮かぶ。もちろん気になっていた。だけど、それ以上にシェリアのことが気になっていただけなのだ。

 ルティリクスは肩をすくめ、風のように部屋を去った。感傷に浸る間もなく、ヨルゴスも後を追って部屋を出た。



 自室を出たヨルゴスは近衛兵に事情を聞こうとしたところ、逆に事情を聞かれるはめになってしまった。しかも、シェリアがいるはずの近衛兵の詰め所ではなく、王の塔の隣に聳える塔のある一室で。


 意を決して閉じていた目を開けると、部屋はずらりと並ぶ燭台のおかげで昼間のように明るかった。たくさんの赤い百合の花に色鮮やかに飾られたひと際豪奢な部屋だ。ヨルゴスが一つ大きな息を吸うと、甘い穏やかな香りが鼻の奥に届き、僅かに心が緩むのがわかる。だが、今から相対する相手はルティリクス以上に手強い相手だった。気を緩めるわけにはいかなかった。


「どういう風の吹き回しでしょうか」

「時間は取らせないつもりよ。そこに座ってくださるかしら」


 ヨルゴスの目の前にいるのは、優美な赤い百合さえも見劣りするほどの存在感を持った女性だった。シャウラ王妃──アウストラリスで一番力を持つ人物と言っていいかもしれない。いわば陰の権力者だ。

 もちろん面識はあるが、特に親しくしているわけではない。こうして二人で話す機会などこれまでに一度もない。王妃とヨルゴスの接点は彼女の息子であるルティリクスだけだからだ。

 赤い髪に砂色の瞳はルティリクスやメイサと同じ色だ。だがルティリクスともメイサともあまり似ていない。線が細く、未だ年若い娘のような外見をしている。一見儚げだが、目を合わせると印象ががらりと変わる。砂色の瞳の放つ眼光は意外にも鋭く、どんな嘘も即座に見抜いてしまうのではないかと思えた。そういった抜け目のなさだけはルティリクスとよく似ている。

 自分とレサトとの違いを考えながらヨルゴスが腰掛けると、早速王妃は切り出した。


「話というのは、拘束されているあなたの女官についてなの」


 聞くや否や、話が早いとヨルゴスは身を乗り出した。


「その話ならば、こちらから伺いたいと思っていました。あの場所はジョイアからの客には相応しくない。確か近衛隊に指示を出されたのが王妃陛下だとお聞きしました。すぐに解放して頂くよう指示して頂けないでしょうか」

「いいえ。それはできないわ。私も以前から彼女については色々聞いているのよ。どう考えても一番疑わしいでしょう? いくらジョイアの客とはいえ、当たり前の指示よ」

「確かに彼女は色々問題行動が多い女性ですが、……荒んでるように見えますけれど、根は素直で、捻くれているようですが、割と一途で……ええと、自分の欲望に正直なだけで」


 王妃が『だから何?』とでも言いそうな不可解な顔をして、ヨルゴスはなんだか全く疑いを晴らせないような気がして来た。それでもなんとか彼女の犯行を否定できないものかとヨルゴスは考えを巡らせる。


(人を陥れる計画はたくさん立てるけれど、実行する度胸や伝がない? ……ええと、小悪党にはなれても、大悪党にはなれない? ……うーん)


 しばし悩んだけれど、ヨルゴスは結局無理に根拠を提示することを諦めた。小さく咳払いをして誤摩化すと、自分の意見──というよりは希望──を端的に述べた。


「……とにかく、花嫁衣装の窃盗など彼女にできるとは思えません」

「一介の女官にどうして肩入れするの? いっそ切り捨ててしまえばいいのに」


 王妃は眉を上げる。


「彼女を信頼して雇っていますから」

「それだけ?」


 今それ以上のことをこの人に言う必要があるのだろうか。質問の意味を計りかねてヨルゴスが黙ると、王妃は僅かに笑う。


「実は私、あなたに直接聞いておきたいことがあったのよ」

「なんでしょうか」


 王妃が自分に? ヨルゴスは首を傾げる。


「単刀直入に言うわ。私はね、あなたが・・・・シェリアに指示したと疑っているのよ」

「は…………?」


 言われた意味がわからず絶句するヨルゴスの前で、王妃は口元に不敵な笑みを浮かべている。


「だってあなたはメイサの婚約者なのですものね。端から見れば、あのシェリアという娘と組んでルティリクスとメイサの仲を妨害していると疑われて当然でしょう? ああ、それよりは、シェリアを利用して全ての罪を被ってもらうように仕掛けた──の方が"女嫌いのヨルゴス王子"らしいかもしれないわね?」


 不穏な話の内容とは裏腹に、王妃はにっこりと艶やかに微笑んだ。


「ルティリクスがさっき確認に行ったでしょう。一度戻って来て『やっぱり見当違いだ』と文句を言って出て行ったけれど、あの子なんだかんだ言ってもあなたのことを慕っているから、いまいち信用ならないのよね。あなた、本当はメイサを忘れていないのでしょう?」


 ヨルゴスは、言われて初めて、ルティリクスがわざわざヨルゴスに会いに来た理由に思い当たった。

 確かに端から見ればメイサを忘れられないヨルゴスと、ルティリクスを諦められないシェリアが共謀したように見えるだろう。今の今まで全く思い当たらなかった自分に驚いた。

 ──それほどにその未来がありえないことになってしまっていたのだ。

 ルティリクスにしても、ヨルゴスが自分を散々罵倒した女に心を奪われるなど想像できなかったはずだ。


「王妃陛下」


 神妙な顔をしたヨルゴスに、王妃は頷いた。


「仕方ないと思うのよ。メイサほどの女はそうそういないんですもの。あなたの苦しみは理解できるわ」


 どうも王妃は自分の息子よりもメイサが可愛いらしい。だからこそ余計に怒っているのだろう。しかも、彼女の中ではすでにヨルゴスは犯人扱いだ。

 思い当たると、失恋した男を思いやるような慈愛に満ちた表情がかえって恐ろしいし、今から言うことでどんな反応が返ってくるかを想像するのも恐ろしい。

 しかし誤解ははっきり解いておかなければならない。


(ああ、なんで本人に告げる前に、周りの人間に知られなければいけないんだろうな……。母といい、ルティリクスといい、あ、ヴェネディクトもいたか)


 王妃の嘘を見抜く目に、彼の告白はどう映るだろうか。


(真面目に受け取ってもらえると良いけれど)


 ヨルゴスは腹を決めて口を開く。


「実は、僕は……シェリアを妃に迎えたいと思っているのです」

「…………はぁ?」


 王妃の顔には失恋男を労る表情に替わって、病人を気遣うような表情が浮かび上がった。


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