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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
本編
17/39

消えた花嫁衣装(1)

 季節が本格的な夏に移るなり、王太子の結婚に向けてアウストラリスはこれまでにない賑わいを見せはじめた。それに伴い、ヨルゴスを含む王子達は異国からの客の接待や、王都付近の治安強化対策の会議などで駆り出され始め、シェリアは彼と顔を合わす事が減った。

 気が付けば、結婚式はもう間近に迫っていた。



 その日、シェリアは久々にメイサと昼食をとっていた。

 黙々と米飯を頬張るシェリアの前では、メイサが一口食べては休み、溜息をつきを繰り返している。

 彼女の視線は窓から見える中庭に向けられている。気にしているものはどうやら中央の広場だと気づいて、シェリアは尋ねた。


「何を気にしてるの。広場に何かある? ああ、賓客の到着って今日だったかしら?」


 メイサははっとしてシェリアに向き合った。


「あ、違うの。さすがにお客様はもう城下町にご到着なの。当日までは迎賓館に滞在されるのよ」

「そうなの? じゃあなにが気になっているの?」


 メイサは少し躊躇った後、頬を染めながら微笑んだ。


「ええとね、今日やっと衣装が届くのよ。なんだか楽しみで」


 シェリアは驚いた。二日前など――ギリギリの日程だ。


「随分かかったわね」

「生地が少しだけ足りなかったみたい。これでも急いでもらったのよ」


 メイサは豊かな胸を押さえて情けなさそうに眉を下げた。誇るべきところだとシェリアは思ったが、逆に布が余ってしまう自分が可哀相なので言及を避けた。


「いつ届くの?」

「夕方よ」


 思わず窓から外を見たが木々の影はまだ短い。気の早い話に大きく溜息をつく。


「今から気にしてもしょうがないじゃない。まだ昼になったばかりよ?」

「わかっているんだけど、なんだかそわそわしちゃって」


 一瞬呆れたものの、気持ちがわからなくもないシェリアは顰めた眉を元に戻して微笑んだ。


「とうとうだものね。楽しみね」


 釣られたように頬を緩めたメイサは幸せそうだった。結婚式が近づくにつれ、ますます輝きが増している。

 彼女と接していると男性に愛される事がひどく素晴らしい事に思えてくる。妬みとか嫉みとかではなく、素直に羨ましいのだ。

 触発されるのか、この頃シェリアはふとした時に夢想してしまう。自分にも本当に愛する男性が現れれば。そして愛されれば、メイサみたいに幸せな顔をできるのだろうかと。

 しかし妄想する時に相手の顔を思い浮かべようとすると、どうしてもヨルゴスが出てくるのだ。目の前には以前作った花婿候補の一覧表が置いてあるというのに、現れるのは彼の顔だけで。

 顔がなかったはずの相手に顔が現れると、とたんに妄想は妙な現実味を帯びてしまう。その事に戸惑いを隠せない。


(有り得ないわよ、やっぱり)


 ヨルゴスがシェリアに少しでも触れたのは、あの見舞いが最後だった。ヨルゴスは最後まで医師の顔を崩さずに、薬を飲ませて熱をみて出て行ったのだ。以降接近はない。もしメイサが言うようにシェリアに気があるのならば、もう少し何かあるのではないかと思う。


(でも……)


 シェリアはあの日以来考えてしまう。

 あのとき、シェリアが薬を自分で飲まなかったらどうなったのだろうと。もう一つの未来を想像してしまう。


『口移しって方法があるけれど?』


 シェリアが大人しく目を伏せる。彼は意外そうに眉を上げるけれど、すぐに笑みを浮かべて薬を呷る。彼の筋張った指が頬に触れる。そしてアウストラリスの大地の色をした目が伏せられ、鋼の髪がシェリアの前髪に触れて、それから――


「どうしたの、シェリア?」


 突然妄想を寸断されてシェリアははっとした。怪訝そうな顔のメイサが覗き込んでいる。


(――ああああああ! 私ったら何を……!)


 椅子から転げ落ちそうになりながらシェリアは必死で首を横に振る。長い髪が頬を打つが、とても構っていられなかった。


「な、なななんでもないわよ!」

「あなたがぼんやりするなんて珍しいわね。顔も赤いし――もしかして、体調が悪いの? お仕事忙しいんでしょう? 殿下にお願いして休んでいた方がいいんじゃない? 式に出られなかったら大変だもの」


 メイサはすぐに医者を呼びそうな顔をしている。またヨルゴスを呼ばれては敵わない――シェリアは焦って立ち上がった。


「私の心配はいいから自分の心配をしなさいよね! 準備は全部終わったの? 結婚式はもう明後日なのよ!?」


 シェリアは半ば言い捨てるようにして、首を傾げるメイサを置きざりに食堂を飛び出した。




 中庭に出たシェリアは南端にある城門の方に目を向けた。メイサが気にする荷馬車はまだ到着していない。しかしメイサの気分が移ったかのように心が弾む気がした。


(とうとう、明後日か)


 長い時間をかけて作られた花嫁衣装。明後日にはきっとアウストラリスで一番美しい花嫁ができ上がる。薔薇の地模様の美しい衣に身を包んだメイサはどれだけ綺麗だろうか。思い浮かべるだけで気分が華やいだ。


(まさかこんな気分になるとはね)


 以前からの変化が自分でもおかしくて、くすぐったくて、そっと微笑む。

 天を仰ぐと西の空に珍しく大きな雲が浮いていた。アウストラリスの空では異質な雲だが、ジョイア育ちのシェリアはさほど気にせず、雲を踏むような軽い足取りでヨルゴスの塔へと向かう。

 夕刻の鐘が鳴る頃には、重苦しい色に変化した空からぽつりぽつりと雨が落ちた。

 城門付近の警備をしていた衛兵は空を見上げて、空から飛び込んだ不審者を睨んだ。


「珍しいな、こんな季節に雨なんて」

「いや、そうでもないだろう。もう秋も近いんだ。明後日は晴れるといいがな」


 衛兵が囁き合う中、遠くに荷馬車が現れる。積み荷の不在に城内が騒然となったのは、それからすぐ後の事だった。




 実験部屋の窓から見える景色は紺色に染まり、どこからか夜行性の鳥の声がし始めていた。いつもは日が暮れる頃には自室に戻れるはずなのに、今日はどうも作業が進まずに未だシェリアは小屋にいた。手際が悪いのは昼間に見てしまった妙な幻のせいなのではないかと自分を恥じる。

 妄想を追い出そうと仕事に打ち込むものの、途中作業を休んでしまうと、とたん彼が頭の中に現れてしまうのだ。

 だから今日はシェリアは頭を使わないようにと手帳を仕舞い込み、ヨルゴスに頼まれた薬の調合だけに専念する事にしていた。

 机の上には秋に実ったルベルの赤く細長い実。硝子の器に入れると強い酒と一緒に加熱する。徐々に酒に色が溶け出し、黄色に変色し始める。同時に赤茶せきちゃの匂いを数倍強くしたような刺激臭が漂い出して、咽せそうになったシェリアはハンカチで鼻と口を覆った。色が濃ければ濃い方が効果は高いという事だが、無理はしなくて良いとヨルゴスには言われていた。むしろヴェネディクトに任せても良いとも。だが、仕事もせずに世話になるわけにはいかないので強引に作業を続けさせてもらっている。


(でも、これ何に使うのかしら……)


 最近になって急に調合しはじめたものだった。用途は聞いていないが、これまでの事を考えると、薬の一種である事は間違いないと思う。だが、赤茶でも結構な辛さだったのだ。それ以上の臭いと色なので、ちょっと服用は遠慮したい。皮膚につくとかぶれるかもと言われていたので、シェリアは慎重に作業を進める。


「あとは瓶に小分けすれば出来上がり、ね。少しずつ、こぼさないように……」


 シェリアがぶつぶつと手順を口にしながら作業を進めている時だった。

 ザワと塔の中の空気が揺らいだ気がした。


「殿下かしら」


 なんだか顔を合わせ辛い。シェリアは一瞬退散する事を考えたが、直後違うと自分に言い聞かせる。彼は賓客の接待だ。夕食後にしか戻らないはずだった。


『――いないぞ!?』

『――どこだ?』


 怒号のような声も聞こえ始め、シェリアはひとまず瓶にしっかり蓋をする。手を洗って作業を完全に中断して前掛けを外した。


「何?」


 塔の廊下には大勢の足音が響き渡っている。中庭の小屋にまで響く騒がしさにシェリアは首を傾げた。


「何か事件? それとも……」


(不在を狙っての盗み? まさか。ここは王宮だし……万が一にしても派手過ぎるわよね)


 気になったシェリアは外を覗く事にした。作り終えた薬を戸棚の奥に仕舞って小屋から出ると、ヨルゴスの部屋から続々と現れる衛兵に圧倒されて固まった。


「いたぞ!」


 指を差されて目を見張る。まさかそんな無礼な行為をされるなどとは思いもしない。


「な、なに? なんなのよ!」

「お前達は奥を調べろ!」


 人垣の中から太い声で指示が飛び、シェリアの隣を衛兵の集団が駆け抜けていく。


「失礼しますよ」


 一人遅れた衛兵がにこりと笑うとシェリアの隣をすり抜けた。彼は遠慮なく小屋に踏み込む。シェリアが思わず追いかけて小屋に入ると、彼らは実験道具を掻き分けながら何かを探しているところだった。


「ちょっと!」


 瓶が落ちて硝子が割れる。中身がこぼれて異臭が漂い始めシェリアは慌てた。危険な酸などの原液は無事だったが、調合用の蒸留水と酒が床に溢れてしまっている。また作り直さなければならないが、ひとまずはどちらも比較的安全なものであったことにほっとする。


「危ないってば! あなた達何をやっているかわかっているの!? 火傷するわよ!!」

「――ありました!」


 シェリアを無視して叫んだ衛兵の手にあるのは、引き出しの中にあった彼女の手帳だった。


「ちょっと、それ、私物よ。勝手に触らないでよ!」


 手を伸ばすが、衛兵は全く無視して皆で手帳を囲んだ。おさなのだろうか、中央にいた体格の良い男が胸元から何かを取り出す。シェリアは思わず目を見張った。


(あれは私が無くした手帳じゃない)


 前にヨルゴスの部屋で紛失したものだ。随分汚れてしまっていて、既に古ぼけた紙の束と言った方がいいかもしれない。


(なんでここにあるの)


 呆然とするシェリアの前で、衛兵は二つの手帳を付き合わせている。


「筆蹟は一致しそうです」

「そうか」


 じっとりとした視線を受け、理不尽な扱いに次第に腹が立ってくる。


「ねえ、さっきからあなた達何言って――……大体、何の権限があってこんな事しているって言うの? ここに入るのにヨルゴス殿下の許可は得たの?」


 苛立ちを隠せずにシェリアが言うと、長らしき男は向き直り、片膝を床に突いていやに丁寧な礼をとった。


「申し遅れました。私は城内の警備を担当させて頂いている近衛隊長のニコラスでございます。本来ならばヨルゴス殿下の許しも得て動くところですが、なにぶん時間がございませんので、少々強硬な手段をとらせて頂く事をお許しください」


 そこで言葉を切るとニコラスはシェリアに手を差し出して扉へと促した。シェリアはキッとニコラスを睨んだ。だが彼は手を引こうとはしない。


「シェリア様。お手数ですがご同行願います。説明を聞かせて頂かなければ」

「説明を聞きたいのはこっちよ。一体何があったって言うのよ」


 シェリアがニコラスの手を拒んだまま毅然とした態度で問うと、ニコラスはおやとでも言うように眉を上げる。


「ご存知でしょう? ――王太子殿下の花嫁の衣装が消えたのです」

「え――!? うそ! なんで」


 固まったシェリアをさらに驚かせたのは、ニコラスの吐いたひと言だった。


「――あなたに花嫁衣装搾取の疑いが掛けられております。取り調べを行いますので、どうぞ速やかにご同行願います」


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