【第三十二話(2)】 ただ皆といるだけで(中編)
長年の月日で使われることも少なくなり、風化してしまった滑り台の上。瀬川はただ遊ぶでもなく、階段の上から見える景色を見下ろしていた。
春風が瀬川の頬を撫でる。涙のような温もりを感じる、心地よい風。
そんな春風にどこか瀬川は寂しさとやるせなさと、説明のできない感情がこみ上げる。
「……」
現実から逃げるように配信を提案した一ノ瀬。
それに同意した瀬川自身もどこか、現実から遠ざかりたいという気持ちが無かったと言えば嘘だ。
自分の行動が他人から評価される。他人が自分を認めてくれる。
不特定多数の人々からの称賛の声が、一気に自分に集められるのだ。まるで拍手大喝采の演説をした時のような、満たされた気持ちに依存していたのだと瀬川は自覚した。
だが、配信を繰り返すにつれて、瀬川をあるひとつの考えが取り巻いていく。
——他人の存在と自分の存在は、一体何が違うのか分からない。
他人も自分も本当はこの世界の中にはいなくて、電子媒体の海の中でしか姿を現すことのできない存在なんじゃないかと考えてしまう。
自分とは何か。他人とは何か。
インターネットというもう一つの居場所の存在が、自分の存在を曖昧にしていく。
『そんなダンジョン配信を現実から逃げる手段に使うな!!』
ふと、前園が叫んだ言葉を思い出す。前園は、自分が戦えないのを知っていた。それでも皆の役に立ちたくて、配信ナビゲーターとして自分たちを支援してきた。
思い返せば、一番最初の配信時からそうだ。
『何言ってるの!?セイレイ君!?君は魔物がどれだけ危険なのか知らないわけじゃないでしょ!?どれだけの人があの日死んだと思ってるの、どれだけの人が魔物の前に無力だったと思ってるの!?』
無茶を言って皆を困らせた瀬川を一番心配して。
『……配信準備、いつでもできています。配信中はドローンのスピーカーから適宜指示を送ります』
自分に出来ることを懸命に模索して。
——ふと幼いあの日、初めて図書館で出会った前園の姿を思い出す。
焼け焦げた衣服を身に纏って、大切そうにドローンとパソコンが入ったリュックサックを抱えた彼女の姿を。
『私には、もう、誰も頼る人がいないの。誰か、傍にいてほしいだけなのに……なんで皆いなくなるの……』
「傍にいてほしいだけ……」
ぽつりとその思い出した言葉を空に投げかける。
いつも傍にいることが当たり前になっていたから忘れていた。前園も、瀬川も。そして一ノ瀬も。家族を、大切な人達を喪って、それでも前を向くために一緒にいることを。
今ある当たり前は、いつ無くなってもおかしくないのに。
魔災を通して、それを知っていたはずなのに。
瀬川はやるせない気持ちになって、手すりにもたれかかる。
「穂澄……」
ずっと共に歩んできた幼馴染の名前を呟く。だが、当然と言えば当然だがそこに前園はおらず、反応するものはいない。
これから、瀬川はどうすればいいのか分からなくなっていた。
配信はもはや、瀬川の運命と一蓮托生だ。ディルも船出も、もはや彼を配信から遠ざけるという手段は選ばないのだろう。
しかし、それは一番守りたいはずの前園を苦しめることでもある。
わからない。わからない。わからない。
自分の存在を、インターネット上か、それともここに見出すのか。
どれだけ考えたところで、瀬川の欠けた知識では答えを見つけることはできなかった。
そうしてぐちゃぐちゃに絡まった糸のような感情を閉じ込めるように、瀬川は両膝を抱えて蹲る。
「……瀬川君、ここにいたんですね」
そんな彼に呼びかける声があった。瀬川は滑り台の上から、響かせた声の主を見下ろす。
「森本さん……と、穂澄……?」
森本は後ろに前園を連れて、滑り台の上の瀬川を見上げていた。
「……」
しかし前園は、瀬川から目を逸らすようにして俯いている。瀬川もそんな彼女にいたたまれなくなり、森本の方だけに視線を送った。
ぎくしゃくした二人の様子に森本は苦笑を漏らしながら、瀬川を手招きする。
「少しこちらに来ませんか。良いものがあるんです。特に瀬川君は気に入ると思いますよ?」
「……良いもの?それって?」
「見てからのお楽しみです。ついでに、ゆっくりお話しできたらな、と」
瀬川は逡巡の色を見せた。森本の言う「良いもの」というのは気になる……が。
「……俺は……」
このままではだめだというのは分かっている。前園と、一ノ瀬と。もう一度お互いに話をするべきだというのは頭の中では分かっていた。
でも、向き合うことが怖い。目を逸らし続けていたい。
そんな彼の胸中を読み取ったのか、森本は柔らかな目で瀬川を見上げる。
「大丈夫ですよ瀬川君。私がついています、私は君達の味方ですよ」
「……味方」
「はい。おおよそ一連の話は前園さんから聞いています。何も知らずにここにいるわけではありません、それでも力になりたいからここにいるんです。だから、大丈夫」
”大丈夫。”
その言葉が瀬川の心に染み渡る。
不安定だった瀬川の心が、その言葉だけで補強されたような気持ちになった。
「……分かった、行くよ」
「はい、一緒に行きましょう」
滑り台から滑り降りた瀬川を受け止めるように、森本は瀬川に手を伸ばす。
瀬川はそれを離すまいとしっかりと手を握った。
----
「……おや、一ノ瀬さん」
「……」
道の駅の出入り口の看板近くに、一ノ瀬は静かに立っていた。森本たちの存在に気づいた彼女は黙ったまま、小さく会釈をした。
「……姉ちゃん……」
「……」
瀬川が彼女を呼びかけるが、一ノ瀬は黙ったまま何も言わない。
前園と瀬川を交互に見比べて、しばらくしてから再び目を逸らすように俯く。長い栗色の髪が、彼女の顔を隠した。
「一ノ瀬さんも、一緒に来ますか?少し、見てほしいものがあるんです」
「……っ」
一ノ瀬は静かに首を横に振った。彼女の表情には、陰りの色が見える。
「……また、目を逸らすんですか?」
「……っ、わ、私は……」
静かにその様子を見守っていた前園が、一ノ瀬に問いかける。
「前園さん」
そんな彼女の名前を森本は呼びかけた。諫めるでもなく、ただじっと前園を真っすぐ見つめる森本。
「任せてください」と言わんばかりの視線に、前園はその意図を悟る。
「……すみません」
前園は静かに頭を下げ、それ以上一ノ瀬を問い詰めるようなことはしなかった。
代わりに森本が一ノ瀬の前に一歩進み、静かに語りかける。
「一ノ瀬さん。現実はやはり厳しいものですね。向き合う事は怖く、とても恐ろしいものです」
「……はい」
「私も己の無力さを嫌というほど実感しましたから。どれだけ個人の力が強くても、そこに他人が居なければ何の意味も持たないのだと……」
「……」
一ノ瀬はそこで静かに顔を上げた。不安げな瞳で森本の顔をじっと見る。
そんな彼女の姿に、森本は柔らかな笑みを向けた。
「大丈夫です。一ノ瀬さん。今のあなたは、一人ではありません。一人で責任を負わなくてもいいんです」
「……っ……」
森本のその言葉を聞いた途端、一ノ瀬の瞳に涙が潤み始めた。
一人で責任を負わなくてもいい。それは抱え込むものの多い一ノ瀬がどれほど望んだ言葉だったのだろう。
多くの知識を持ち、多くの戦闘経験を持ち、ただ他人を先導すること。それだけが一ノ瀬の果たす役目だと思っていた。
静かに涙をこぼす一ノ瀬の肩を叩き、森本は言葉を掛ける。
「さて、それでは一緒に行きましょうか」
「……はい……っ」
そんな森本の姿を見ながら、瀬川はぽつりと呟いた。
「……言葉の力……か」
「……?」
瀬川の呟きを聞き取った前園は首を傾げる。だが、今はあまり話しかけたい気分ではなかった為、再び彼女は前へと向き直った。
★★☆☆
森本が招いたのは、とある商店街だった。
身も蓋もない話ではあるが、魔災以前から活気があった訳ではないその商店街に一体何があるというのか。
疑問に感じた瀬川達であったが、森本は気にする様子もなく先へと進む。
だが、その入り口に前園は気になる標識を見つけた。
「……あの、森本さん」
「どうしました?前園さん」
「この、『撮影禁止』って言う看板。商店街って撮っちゃダメだったんですか?」
前園の言葉に森本は初めて標識の存在に気づいたようで、前園の見つめる先に視線を合わせる。
そこには、交通標識のようなデザインで『撮影禁止区間』と大きく示されていた。
「……いや、そんなことはなかった……と思いますが……ここで考えても答えが出ないですね。先へと進みましょう」
「あ、はいっ」
森本は思考することを止め、再び歩みを進める。
しばらくすると、商店街を歩く人影を見つけた。
瀬川達その通りすがる人とすれ違い——それから何かに気づいたように慌てた様子で振り返った。
「えっ!?」
あまりにも、魔災後の世界に似つかわしくない光景だった。瀬川はその歩行者の方へと慌てて振り返る。
だが、その歩行者は瀬川達の様子を気に留めることもなく商店街を通り抜けていった。
「……私も最初は驚きました。てっきりこの商店街も集落の一つかと思いましたが、そうではないようです」
「……?」
森本の言葉の意味を理解することが出来ず、瀬川は首を傾げた。
前園と一ノ瀬も、その光景を不思議そうにきょろきょろと見渡している。一ノ瀬に関しては何か答えに思い至ったようで、顎に手を当てて思考しているようだった。
そんな一ノ瀬の姿に気づいた森本は、くすりと笑みを零す。
「一ノ瀬さんはさすがというか、理解が早くて助かります」
「……森本さん、ここは……この場所は一体……」
「私もそこまでは分かりません。昨日、新たな情報は無いものかと思っていたところで発見しました」
その言葉に、前園は先ほど森本から聞いた言葉を思い出す。
確か、森本は”ホログラムの実体化”と言っていた。つまり、先ほどの歩行者は……。
「……まさか、これはホログラム……ですか?」
前園の言葉に、森本は深く頷いた。
「はい。どういう訳か、この場所では追憶のホログラムが常時作動しているようです」
「……えっ?え?」
衝撃の事実に、瀬川は困惑した様子で目を丸くした。
あまりにも予想通りの反応に、森本は思わず吹き出す。
「ふふっ、瀬川君の反応は分かりやすくていいですね。ですが、これだけではないんです。一度空いている店の中に入ってみましょう」
「……まだ、何かあるの!?」
期待に胸を膨らませた瀬川は、ずいと森本に顔を近づけて食いついた。
そんな彼をなだめるように、森本は瀬川の頭をポンと叩く。
「な、なんだよう」
「そう慌てないでください。配信者として頑張る貴方達へのささやかなご褒美があっても、私は良いと思うんですよ」
森本は、そう言いながら開店している喫茶店へ足を運んだ。
「……思ったよりも、綺麗な店内ですね」
「寂れた商店街ほど、意外とこう言った店はあると思いますよ」
前園が率直な感想を漏らすのに対して、森本は冷静にコメントした。
そこは、全体的にこぢんまりとした喫茶店だった。
ブラウンの木目を基調とした、モダンな雰囲気に商店街の静けさがよく似合う。
誰もいない店内の一角へと森本が先行して、瀬川達を席へと案内する。
全員が腰掛けたのを確認した森本は、次に一ノ瀬に視線を送った。
「一ノ瀬さん。魔石は持っていますね?それを出してもらえますか」
「……はい」
一ノ瀬は素直に”ふくろ”から魔石をいくつか取り出した。
メニュー表を机の上に置きながら、森本は一ノ瀬に礼をする。
「ありがとうございます」
それを受け取った森本。彼は、魔石をメニュー表の上に一つだけ重ねた。
「これを、メニュー表の上に重ねてみますね。見ていてください」
すると、突然魔石が輝きだした。
メニュー表を中心として、プログラミング言語が小さく空を泳ぎ、瀬川達のいる場所を取り巻いていく。
「え、わっ」
「きゃっ!?」
「……森本さん、これは!?」
しばらくして、徐々に光は収束する。メニュー表の上に存在した魔石は姿を消し、代わりに一杯のホットコーヒーが置かれていた。
森本はそのコーヒーのカップを手に取り、口へと運ぶ。
瀬川も、前園も、一ノ瀬も。その状況に脳の処理が追い付かず唖然として森本を見る。
呆けた勇者一行の姿に、森本は子供じみた楽しそうな笑顔を浮かべる。
それから、ホットコーヒーが入ったカップをソーサーの上に置いた。
「これが、”ホログラムの実体化”……魔石の新しい使い方、ですよ」
To Be Continued……




