【第七話(2)】 守る資格を得る為に(中編)
「ぜっ……はぁ……っ」
滴る汗が顎を伝う。瀬川は荒い呼吸を繰り返しながらも、姿勢を崩すまいと懸命に一ノ瀬を見据えた。
彼女は飄々とした立ち姿で彼の姿を観察する。
「少しずつだが、サマになってきたな。初日にしては良い成果だ」
「ほんと……!?でも、まだ……まだ……!」
おぼつかない足元で懸命に立つ彼に、一ノ瀬はゆっくりと近づく。そして、再び足払いを仕掛ける。
すると、瀬川はもはや抵抗することすら出来ずに呆気なく転んでしまった。
「……ぁ」
呆然とする彼の隣に座りこむ一ノ瀬。彼女は懐に入れた麻袋から水筒を取り出した。
「とりあえず休憩だ。ひたすらに努力することも大事だが、学習することにも体力は要るものだ」
「……分かった、ありがとう」
彼女の提案を瀬川は素直に受け入れることにした。水筒に入った煮沸消毒された水を瀬川はがぶ飲みしようとする。
「ごふっ!?」
……そして、案の定、むせ込んだ。一ノ瀬は苦笑いしながらタオルを差し出す。
「バカかお前は……焦らなくても大丈夫だ、確実に技術を磨けば良い」
「ありがとう……そう言えば、姉ちゃんはさ」
「ん?」
「どこで、その技術を覚えたの?」
それは、本当に瀬川の興味本位から出た何気ない質問だった。しかし、一ノ瀬はまるで石化したように全身の筋肉が硬直する。
しばらくして、何かを誤魔化すように空笑いを繰り返し始めた。
「はは、は……どこで……か。そう、だな……」
その明らかな異変を感じ取った瀬川は、慌てて彼女の言葉を遮る。
「いや、姉ちゃんが話したくないなら大丈夫だよ!?」
「……いや、あの配信の時に命を奪うことについて言った以上は、私も身の上の話をするべきだろう……軽蔑されるかも知れないがな」
言い訳がましく、らしくない保険をかけ続ける一ノ瀬。瀬川はそんな彼女の言葉の端々に違和感を感じ取る。
「姉ちゃんが魔物と戦い続けることに関係した話なの?」
「ああ、私はな……」
そこで言葉を切った彼女はどこか遠くを見つめるようにして空を仰ぐ。雲一つ無い快晴の空がそこには広がっていた。
彼女は、二度と取り返すことの出来ない過去を紡ぐ。
「……人を、殺したことがあるんだ」
「……え?」
彼女のカミングアウトに、瀬川は目を丸くした。
魔災に伴い、沢山の命が奪われたあの日から沢山の命と向き合ってきた瀬川。彼にとって、その言葉は自身が築いてきた価値観と相反する世界だった。
途端に、一ノ瀬が得体の知れないものに見える。
瀬川は内に秘めた動揺を隠すことが出来ず、声が震えた。
「……どう、して……?人を殺すのは、駄目なこと……っ、なんだよ……?」
「分かっているさ、私だって殺したくなかった。でも、その時の私にはそうするより他なかったんだ」
そうして彼女は、自身の記憶の追憶に瀬川を連れて行く。
☆☆☆☆
魔災が起きたあの日。
私――一ノ瀬 有紀は、不幸にも寝坊してしまった。友達に勧められたゲームに没頭して夜更かししてしまったからだ。
後輩からは「あんまりゲームとかやらない方が良いタイプだと思います」と釘を刺されていたことを思い出す。
今となってはそれが幸だったのか、不幸だったのか、わからない。
既に両親も仕事や買い出しに出かけていて、家には誰も居ない状態だった。そのまま、二度と帰りを待つ時間を失うなんて思いもしなかった。
私は慌てて身支度を調えて、家を飛び出した。幸いにも、通っていた高校はそう遠くないところにあったから、あとは走るだけだ。
しかし、遠くから学校が見えた瞬間。
大きな地響きと共に世界は暗転した。
いや、暗転したのは私の意識だったのかも知れない。突如何が起こったのかさえ分からず、私の意識はまるでブレーカーのように一瞬で落ちてしまった。
やがて気付いた時には、もう既に世界は失われていた。人々は既に断末魔の叫びを終えた後だったのだろう。燃え盛る炎と、静寂と血飛沫だけがその世界を取り巻いていた。
まるで臨場感溢れる映画でも見ているような気分だった。それはあまりにも、それまでの世界と変わりすぎていたから。
けれど、徐々にそれが現実のものだと気付くことにそう時間は掛からなかった。
どうにか周辺施設の名残りから、通っていた高校へと辿り着いた私はそれを目の当たりにする。
校庭に横たわる数多の骸と化した生徒や教師。校舎を槍のような岩が貫いており、血飛沫が窓ガラスに付着していた。
「ねえっ、答えてよ!ねえ!!」
私はそんな校舎に向けて、名前を叫んだ。
親友の名前を。後輩の名前を。大切な思い人の名前を。
けれど、そのいずれの人達の言葉も、返ってくることは無い。静寂の校舎だけが、答えを示している。
返ってこない言葉は分かっていても、私は何度も彼等の名前を呼んだ。
「お願い、ねえ、答えてよ……私は、皆がいなきゃ……私は……」
彼等が私の名前を呼んでくれることだけが存在証明だったから。皆が私の名前を呼んでくれることだけが、私が私だって思える理由だったから。
きっと、私はその日から名前を失っていたのだろう。
その日から当ても無くさまよい歩く日々が続いた。
何となく、これから先、生きる為には長期保存が効く食事の優先度が高くなることは分かっていた。だから辛うじて形の残っている施設から携帯食料を早々に集めることにした。
そんな中、私は魔物に遭遇する。当時は、当然戦う力なんて無かったから逃げ惑うことに必死だった。
だけどその時、私を助けてくれた男がいた。
それは、元軍人とか言う一人の中年の男性である。
彼は命の恩人であり、今の私のベースであり、そして、私を戦闘マシンに作り替えた張本人でもあった。
私は、その日から彼から数多もの戦闘技術を教わる日々が始まった。
「おい、立てクソ女。女だからって手は抜かねえぞ」
「こんなへっぴり腰じゃ魔物から舐められんぞ!舐められんな、こっちから威嚇しろ」
「この世界じゃ栄養が取れないことが命取りとなる。食べられないものだけまず見極めろ」
この世の中を生き抜くために、様々なサバイバル技術を叩き込まれた。
何故彼がそこまでして私に手を貸してくれるのか、尋ねたこともある。すると、彼はこう言っていた。
「俺の意思を引き継ぐ人間が欲しい。俺は現役を引退した身であり、この世界で後世に残すことの出来る人間が欲しい」
私は当時、彼が発した言葉の意味を完全に理解できなかった。
彼の言葉を理解したのは、私が、私で無くなった時だ。
彼から戦闘技術をひたすらに叩き込まれた。
二年も経ったときには。かなり戦闘技術は今のそれに近いものが出来上がっていた。
しかし、未だに私にはどうしようもない問題が残っている。
それは、「命を奪う」ことへの恐怖が消えないことだ。魔物の攻撃を回避することは出来ても、トドメを刺すことが出来ない。
もちろん、その男からは何度も怒られた。殴られもした。けれど、どうしてもそれを克服することは出来なかった。
そんなある日から、徐々に彼から……いわゆる、男女の関係を求められる日が始まる。
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「男女の関係?」
瀬川はその言葉の真意が分からないようで、キョトンとした顔をした。一ノ瀬は失言した、と言わんばかりに目を逸らす。
「あ、あー……いわゆる、『お前は俺のもんだ』って所有物宣言をする、ってことだ」
「うわっ、それすごく悪い事じゃん」
「……あ、ああ……」
多分彼には正しい意味では通じていないだろうな、そう思いつつも一ノ瀬は中断した話を再開する。
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最初は気の迷いかと思って、私は無視していた。しばらくすれば気もまた晴れるだろう。こんな廃れた世界だ、いつ気が狂ってもおかしくはない。
そう思っていたが、奴からのアプローチは徐々に過激なものになっていく。
私は徐々に理解の出来ない恐怖心に苛まれ、まともに寝ることさえ出来なくなっていった。
そんなある日、ついに私が完成する事件が起きた。
真っ暗闇の夜中、寝れないながらも私は無理やり目を瞑ろうと横になっていた。そんな時、その男はあろうことか私に被さってくる。
完全に私を所有物にしようとしている、そう理解すると私の中にあった本能が必死に暴れ出した。
「いやっ!!やだっ!!やめてっ!!!!」
叫びながら必死に身体を捩らせて逃げようとしたけど、そんなことで解決するような事態ではない。
このままでは、私が私でなくなる。そう思った私は、必死に打開の手段を探した。
そして、見つけたんだ。一振りの短剣を。
「っあああああああああああっ!!!!!!」
私は本能のままに、必死にその男に短剣を振り下ろした。「ぐぁっ」と男の表情が苦悶に満ちていく。頭の片隅には彼の表情が情報として処理されていたが、それよりも私は本能に身を任せた。
何度も短剣を振り下ろした。骨に短剣が弾かれる感覚と、筋肉の間をすり抜ける感覚が交互に繰り返される。
何度も、何度も、何度も。
本能と、理性は徐々に統合されていく。短剣を突き刺す度に、私の中にある理性がこう語りかける。
『ほら、ここにこう刺せばもっと深くまで入るよ?』
もはや、途中からそれは実験になっていた。どの位置に刺せばより深くまで刃まで入るのか。
角度を変えたり、持ち方を変えたり、何度も試した。彼から教わったことを実践するように。
何度もそれを繰り返している内に、私は気付いてしまう。
その男がにやりと嗤っていたことに。そして彼は掠れた声で事切れる前に、こう言った。
「おめでとう。これで、お前は完成した」
その日、私は人殺しの称号を得て、今までの私を捨てる日となる。
彼の命を奪った後、私は見つけてしまった。短剣を砥石で磨いた痕跡。そして、小綺麗に纏められたサバイバル道具一式が綺麗な短剣と共に置かれているのを。
――最初から、私に殺させるつもりだったんだ。
不本意ながらも、その日から私は彼の意思を引き継がざるを得なかった。
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「……姉ちゃん」
瀬川はどう言葉を掛けるべきか、躊躇する。一ノ瀬はそれを遮るように彼の肩を叩いた。
「……すまない、お前にはこの話をすべきでは無かったのかも知れないな……」
「……」
彼女の口元が、自嘲に歪む。
自身の価値を希薄に捉える彼女は、ぽつりぽつりと内に秘めた自身を取り巻く呪いの言葉を漏らす。
「私が魔物と戦う理由……か。魔物を短剣で刺している間だけはな、忘れられるんだ。私が何度も短剣を突き刺したあの日のことを」
「……っ!」
突然、瀬川は彼女を強く抱きしめた。
「……なんだ、何のつもりだ?」
彼の行動の意図が分からず、一ノ瀬は戸惑いの言葉を投げかける。瀬川はそれでも抱擁を解くことは無く、言葉を続けた。
「ずっと前にね、センセーにこうして貰った時。すごく心が温かかったんだ。辛くてもしんどくても、誰かがいるって安心できたんだよ?」
「……先生が?」
「姉ちゃん、自分の話をしている時辛そうだった。ずっと泣きそうな顔をしてた……」
「はっ、私がか?そんなこ、と……」
おどけたように誤魔化そうとした一ノ瀬。だが、彼女は自覚してしまった。したくなかったのに、してしまった。
自分の頬を伝う、温かいものに。
「……離せ」
それを拭おうと、目元を擦ろうとする。しかし、瀬川は抱きしめたまま彼女の行動を押さえつけた。
「泣きたい時は泣かないと駄目なんだよ、辛い時は辛いって言わないと駄目なんだよ。じゃないと、姉ちゃんは本当に死んじゃう」
「わ、私が何、をし、ようと……勝手だろ、私が、いなく、ても……いい、私なんて、どうでも、いい」
「よくないっ!!」
自虐的な言葉を続ける一ノ瀬に、瀬川は強く反発した。
やがて、彼も涙声になっていることに一ノ瀬は気付く。
「自分のことをどうでもいい、なんて言わないで、姉ちゃんのお陰で俺は生きてるんだよ……!!俺にとっての命の恩人が、どうでもいいはずなんて、ないんだよ!!」
その言葉の最後は、もはや慟哭に近かった。
一ノ瀬の目の前には、瀬川の腕が映る。昨日、矢を引き抜いた時に巻いた包帯が映る。
「……あ」
彼女の心を取り巻いていた呪縛が徐々に解けていく。人生を覆っていたノイズが、やがて鮮明になる。
「……っ!う、うう……」
その日、一ノ瀬有紀は大声を上げて、瀬川の胸元で泣いた。
To Be Continued……
千戸先生は、その時出張中だったので、学校から離れていました。
その為に魔災に巻き込まれることなく生き延びることが出来たのです。




