バディ 8 100 : 50 最終話
「グラー……グラーティー」
「グラティアス」
「グラ……グラティアス?」
「そう。正しくはグラティアス ティービ」
「えー、グラティーって伸ばさないのー? むずかしい! 一回見ただけじゃ全然覚えられないよ、似ているようで全然ちがうんだもの」
ため息をついてペンを放り出すオリビアに、ホセはくすりと笑った。
リビングの窓から差し込まれた、午後の柔らかな光にさらされているオリビアの細い二の腕が眩しい。
意識して見ないようにしながら、ホセは席を立つ。
「勉強し始めて四十分は経ったね、少し休憩しようか。クッキーがあるよ」
「また子供扱いして。塾じゃ五十分授業よ、まだ全然イケる」
ぷくっと頬をふくらます彼女をみて子供扱いしないのはとても難しい。
でもそんな事をいったらますます膨れてしまうね。
「集中力が切れた状態でやってもね。難しい事を頭に入れるには糖分が必要だと塾の先生にも教えてあげたらいいさ」
それらしい事をいって片目を瞑ると、オリビアは「もう! またそうやってホセは乗せるのが上手いんだから」と大人顔負けな台詞が飛ぶ。
ホセは笑いながら近くのコンビニで買ったチョコチップクッキーを皿に出し、オリビアにはオレンジを自分用にはコーヒーをとキッチンへ向かい、ケトルに火をかける。
憎まれ口を叩きながら、目の前の固いクッキーを美味しそうに頬張っている彼女がほほえましい。
ずいぶん前にこんな安っぽい菓子しか出せなくて、と苦笑いしたら、子供なんて甘ければ満足なんだからそれでいいと笑ったオリビア。
家に帰ればここらでは売っていない流行りのケーキを食べているだろうに、ハイソサエティを目指す両親とはかけ離れた資質の持ち主に好感を持たないようにするのは至難の技だ。
「それにホセは一緒に食べてくれるじゃない。それが一番のご馳走なの。いくら美味しいお菓子でも、一人で食べてちゃなんにも感じないもの」
笑いながら眉をハの字にする彼女を抱きしめたくなる気持ちを抑えるにはどうしたらいい?
彼女を取り込まなくてはいけないのに、私は……。年齢を理由に先延ばしにするのももう限界だ。彼に言わなくてはならない。私の選択を。
それがおそらく、彼女を守る最善の策だ。
****
出窓の近くに置かれていた、半分しか書かれていない厚い日記帳をエレナは静かに閉じた。
休暇明け、暗殺者ヨアヒムとの絡みを探す為にジェイクとエレナはホセの家にきていた。
カレンダー、メモ、ラテン語の教材など、本人が書いたと思われる書類を片っ端から見ているのだが、ヨアヒムや教会内の仕事を書いた記述は見当たらない。ただホセの日記にだけ、揺れる心情が書かれている。
「何か分かったか」
「はっきりとしたことは何も。ただ、ホセは迷っていたようね、オリビアを自分たち側へ導くかどうか」
灯る恋心ゆえに、といったらジェイクは鼻で笑うだろうか。色恋沙汰というよりも、年の差が理解できないのだ。恋愛に関しては脳筋でできているこの男に、いけないと思いつつも傾いてしまう心の機微など分かるはずもない。
ジェイクってばそういう所、ぜんぜんダメなんだもの。恋愛、したことがないかも……?
バディを組む前に送られてきたデータにはその辺のプライベートな事は書いていなかった。こればっかりは本人に問うしかないのだが、まだそこまでの信頼関係じゃないのがエレナの一番の悩みだ。
「迷っただけで殺された? 動機にしては弱いな」
「もしかしたらホセは案外重要なポジションにいたのかも。教会への誘導はもちろんだけど、取り込んでマインドコントロールをかける人とか」
「こんな小さな区画のラテン語教師がか?」
「教師はいろんな世代と繋がれるから」
「ふん、何も知らない子どもにもすり寄れるか」
エレナは苦く笑いながら微笑み、ジェイクの言葉を肯定した。
「オリビアが、心配ね」
出窓の先をみると、庭の木の向こうにオリビアの自宅が見える。こちら側に面している窓は全て閉められ、カーテンが引かれていた。
「ホセの葬儀の時に涙も見せなかったんだぞ? マインドコントロールとかの問題じゃねぇだろ、淡い恋心とやらも冷めてさっさと忘れて新しいボーイフレンドでも作るだろうさ」
「ジェイクってほんと、乙女心をわかってないよね……」
「なにおぅ⁈」
ばっさばっさと語学ファイルをめくりながらこちらへ目を剥いてくるジェイクに、エレナは肩をすくめる。
「オリビアが落ち着くまでしばらく様子をみるわ。あ、もちろんプライベートで動くからジェイクには迷惑かけないようにする」
「おい、初めての捜査だからってのめり込むな。ホセが死んだのはお前の所為じゃない」
いつのまに近くに来たのか、ジェイクは出窓に腰かけているエレナのすべらかな頬をつまんだ。
「じぇーく、いひゃい」
「痛くしてんだバカ、辛気臭せぇ顔してんじゃねぇ。事件はまだ終わっちゃいねぇし、嬢ちゃんの無念を思うのならまだやる事があるだろ」
「ヨアヒムを捕まえる」
「ああ、奴のためにもな。それに、時間だ」
ジェイクは時計を見ながらエレナの頬をぺしりと痛くない程度に叩いた。
「まだ大丈夫なのに」
「微熱出してやがる子どもが我儘言うんじゃねぇ」
「このサイズなだけで子どもじゃ」
「チッ わぁってるよ」
バサリとジェイクのジャンパーが頭から降ってくる。エレナの実体化はまだ二十分と持たない。少しずつ時間を伸ばす為に脳に負荷をかけてでも保とうとしているのだが、ジェイクはそれが気に入らないらしい。
「わざわざ出てこなくったって捜査は出来るだろう」
「でも、それじゃ認識してもらえないでしょ? ……相棒として」
「はん? そんなん居ても居なくても変わりねぇ」
「もう! そんなだからよ」
相棒としてはもちろんだが、このままでは永遠と子ども扱いされて恋のコの字も始まりそうにない。回数を重ねればサイズ感も本来の自分に近くなることは検証で立証されているので、可能な限り実体化したいのだ。
心の距離を縮めるには、通信だけのコミュニケーションじゃダメなんだから。
だってエレナは知ってしまった。頬にかかるジェイクの指の温かさを、寄りかかる肩があることの安堵と愛しさを。
そうこうしている内に本当に身体が保てなくなってきた。エレナは立ち上がると、ことり、とジェイクの胸元辺りに頭を寄せる。
「あなたに認めてもらうまでは、やめないんだから、ね……!」
息苦しくなりながらもそれだけを告げると、エレナは身体を保つイメージを霧散させた。と同時に身体は霧のように消えてなくなり、ジェイクのジャンパーは床に落ちる。
「ホイホイ消えやがって……。こっちの身にもなってみろってんだ」
ジェイクは唇を固く結びしばらくそのまま動かなかったが、やがてくたびれたジャンパーを拾い腕を通すと部屋を出ていった。
しかしジェイクは失念していたのである。
エレナは実体を解いてもその場にいる事ができることを。
『……え……っえ?! まって、ジェイクって、もしかして私が消えるのやなの? それって……!』
慌ててジェイクのインカムにコールするが相変わらず仕事が終わった後は出ない。
『あぁ! しかも置いていったー! わたし、乗せてもらわないと移動できないのにー!』
マスタングのエンジン音が唸りながら去っていく。エレナはラボに迎えを連絡しながらホセの家のドアをすり抜けた。
ネイサンに文句を言われつつふと背中に感じる風を受けて振り向けば、ホセの家に曇天の雲の切間からわずかに光が刺している。
『あなたが守ろうとした人、私も守るから……ジェイクと一緒に』
エレナはそうつぶやくと、整えられた並木の道を歩きだした。
了
最後までお読み下さり、ありがとうございます。
本作は秋月忍さま主催『男女バディ祭』の企画に合わせて書かせて頂きました。
ジェイク、エレナ、そしてヨアヒムの今後はまた改めて書き下ろしたいと思います。
また、XIさま主催『読み合い企画』にも参加しております。
それぞれの企画にはこの他にも素敵な作家さまの作品が数多く寄せられています。
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寒さ厳しい中ですが、どうか温かくしてワクワクする読書時間をお過ごしください。
ありがとうございました!
なななん




