バディ 7 100:計測不可
壁一面、防弾ガラスになっている向こう側に、無機質なカプセルが一台設置されている。
先ほどまでラボ内の救護チームが手術と処置をするために騒然としていたが、やっといつもの静かさに戻った所だ。
エレナ・クリフトフの助手ネイサンは長い長いため息をついて、先ほどから震え続けているインカムをコンソールに置いたまま防弾ガラス側へと続く重い扉を開けて中に入る。
「ドクター、ミスター・ジェイクから何度もコールが来ているのですが」
カプセルの中に入っているエレナ・クリフトフにかがみながら話しかける長身の男は、一つにまとめた黒髪が前に垂れてくるのを払いながら不機嫌な声でさらに話しかける。
「一日二回までの実体化を三回もしてさらに銃弾の前に立って負傷とか? ありえないを通り越してドン引きなんですが、ドクター」
目の前のエレナはピクリとも動かないが、代わりにサイドボードに置かれたパソコンのディスプレイから『ごめんなさいー』となんとも気楽な緑色の文字が浮かび上がる。
「スタッフや相棒にもきちんと起きた事を話して謝罪を」
かがんでズレた銀縁の眼鏡を上げながら、ネイサンは地をはうような声で陳謝を求める。
『ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい。でもジェイクの危機だったし、三回目も出来ることが分かったのは新たな発見だし、結構いい感じなんじゃないかと自分では思っているのだけど』
はぁ、とネイサンは昨日から数えて三十回目のため息をついた。
「却下です、理由はご自分でお分かりでしょう?」
『うぅ……』
現在エレナは本体も含め、絶対安静となっている。必要以上に実体化した事による精神へのストレスが高く、また実体化での負傷を脳がトレースし本体へ繋いだ為、どちらも予断のならない状況だ。
『でも実体化の回数や継続時間は増やしていきたいから今後もトライするわよ? も、もちろん、無理はしないで! でもこれから実体化した時に負傷したらオペが必要になるかも』
今までも実体化に慣れない時に転んでしまった事があった。打身程度の軽いものは痛みも感じず、本体に傷がつくこともなかったのだが。
〝撃たれた〟という視覚や感覚的な衝撃を、シナプスは事実と認識し脳に直結してしまった。
「言っときますけど、そんな生やさしい事でもないですからね?! 実体化したあなたが、自分は死んでしまった、と思ってしまったら本体も脳死してしまうって事ですよ? 分かってます?!」
『ごめんなさいー』
「ごめんですむなら、警察いらないんですよ! こっちのスタッフの身にもなってください!」
『すみませんっ』
まったく! と苛立ちを吐き出したネイサンは、それで? 痛みはまだ継続中ですか? と腕を組みながら聞いてくる。
『そうね、もちろん実体で受けた衝撃よりはマシでしょうし、回復も速いとは思うけれど……熱い痛みはまだ感じるかな。受けた時よりは引いてはきているけれど』
「記憶は身体を刻む、というのは誰の言葉か知りませんが、バッチリ銃槍が残っていますから。以後気をつけください」
『え! ほんとに?! 実体化しても残っちゃうかな……』
「脳に刻まれていたらおそらくは」
『刻まない、刻まない。はい、何にもない。……消えた?』
「本体の損傷は消えませんよ、実体化時に傷が残るかどうかは次の実地時に確認してください」
『はぁい』
実体化していれば肩をすくめているであろう気のない返事に、ネイサンの片眉がピクリと上がる。
その様子に気づいたエレナは誤魔化すように、ジェイクにメール打たなきゃ、と呟きをタイピングしてきた。
『今日はおつかれさま、心配しないで、明日また連絡します、と。でもきっと見ないんだろうなぁ、ジェイクってばアナログ人間なんだもの』
「彼との契約はそのまま続けていくのですか?」
『え? もちろん』
「また貴女の身体が傷つく事になっても?」
『そうならないように気をつけるわ。ジェイクとの関わりが深まれば今回のような事態は避けられると試算もでているから』
「しかし」
『それにね、ネイサン。私たち、もうサインしているから』
エレナの弾むようなタイピングに、ネイサンは二週間前の光景が目に浮かんでくる。
ラボに送られてきた契約書をみたエレナは、それは嬉しそうに記名された字をなぞっていた。
『契約期間、欲張って百二十年とかしちゃったけど、私の身体がもたなそうだしね。解除されるとするならば〝死が二人を分かつまで〟よ』
それまでよろしくね! と軽く頼まれた助手はかくりと首をたれ、三十一回目の長いため息をつくのであった。
****
チョコを片手にダイナーを出たジェイクは、通りを左に折れた先にある州立公園に歩いていく。殺伐とした仕事が終わった後につい足を向ける場所だ。
夕焼けから夕闇に移る時間は、遊び疲れた幼児を抱いた家族連れやイヌの散歩から帰る人々が多い。その流れに逆行して公園に入っていくと、いつものベンチに座って空を見上げた。
どすりと座ったからか、反動で首元にあるドッグタグが揺れる。ジェイクは赤紫に染まっていく空に向かって呟いた。
「同じ事いいやがるバカやろうがこの世に二人もいたぜ、オルソン。お前の親戚か?」
褐色の肌に柔和な笑みを浮かべている脳裏の中のオルソンは「そんな訳ないだろ」と肩をすくめている。
「だよな、ほんとなんなんだアイツ」
かつてジェイクの相棒だったオルソン。新人教育研修だとかで俺なんかと組まされた運の悪い男。明るくて誰からも愛されていて、気の優しい、危機的状況で俺を庇うような……バカな奴。
ラテン系のオルソンと北欧系のエレナでは姿や顔の形も全く違うというのに、まとう空気が近くて余計にイライラする。
「俺に構ってきやがる所もそっくりだよ、勘弁してくれ」
「そんなの無理よ、だってバディだもの」
「!」
ふわりとジャスミンの香りがした。いつの間にか隣に白金の髪を細い手で押さえながら白いワンピース姿の少女が座っている。
いつ来た、とか、今、身体構築したのかよ、とか、そんな事は全て吹っ飛んでジェイクはエレナの肩を掴んで脇腹を服の上から探った。
「ちょっと! なにするの?!」
「傷は?! 痛みとかあんのか?!」
腕を伸ばしてジェイクの手から逃れようとしていたエレナは、ジェイクの言葉に驚いて見上げる。見開いたアクアマリンの瞳を覗き込んでくるジェイクの眼差しは真摯なもので、その様子に薄い唇がふわりと笑みを浮かべた。
「大丈夫、もうないわ。再構築したから。今つかまれている肩の方が痛いかも?」
おどけたような口調のエレナに、ジェイクは脱力して手を離した。深くベンチに座って大きく息を吐いてしまう。そんなジェイクの肩に、少女はこてんと頭を預けてくるのだ。その小さな重みを、ジェイクはなぜか払うことが出来ない。
「心配かけてごめんなさい。今度はもっと慎重に動くわ。初めてだったから、ジェイクの危機に動揺したの」
「次はないといっただろ。連携の取れない相棒とバディは組めない。解消だ」
硬い声とは裏腹に、甘えて預けた頭をそのままにしてくれる。
ジェイクって、なんだかんだ優しいの。自分で自覚あるのかしら。
エレナはアクアマリンの瞳を細めて、によによしそうになる口元をなんとかおさえる。
「ジェイクは契約書にサインしたから解消はむりよ。あと連携が取れていないほどではなかったと自負してるわ。現場をこなせばもっと良くなる。って、知ってるでしょ元新人教官さん」
「おまえっ」
「あなたの事は、データとしてよく知っているわ。でもそれだけじゃダメでしょ? あなたに認められるバディになるには、もっと一緒にいなきゃ」
「必要ない」
「ダメ、バディだし。それに」
ふっと頭を上げて、エレナはジェイクを見上げた。
「ね、ほんとうに契約書見ていないの?」
「あんな分厚い本、全部みれるか」
「一応、サインするページにも文言を載せていたんだけど」
「何の話だ」
はぁ、と外見年齢に似合わないため息をつくと、エレナは残念な人だとでもいうようにジェイクを見つめ、ゆっくりと言葉にする。
「私、もうエレナ・クリフトフじゃないの。だからバディ解消は無理。それに、取り逃したあの少年も捕まえなきゃ。ジェイクが捕まえた男の人からも情報を得られなかったみたいだし」
ランダー教会で少年と連携しジェイクを背後から襲った男はかなり強いマインドコントロールをかけられていたようだ。
ランダー教会の信者でホセの代わりにミサの準備に来ていた所、何者かに襲われ、その後の記憶がないらしい。もちろん少年の事も覚えていなかった。
「彼を捕まえるのに私の能力は有用よ。それはジェイクもわかっていると思うけれど?」
「意思疎通のできないバディはいらない」
「もう少し実体化出来る時間を伸ばそうと思っているわ、回数をこなせば伸びていくから」
「ちげぇ! 俺がいっているのは話が通じないって意味だ! 相方の危機だからって銃口の前に立つ奴なんかとバディなんぞ組める訳ないだろっ、二度と御免だ」
睨みつけるような灰青色の瞳の中にあるのは苛立ちだけではない。その事を、エレナは十分に理解していた。
ジェイクは過去にオルソンを新人から教育し、相棒として叩き上げた後に亡くしている。それをきっかけに別のバディを当てても現場では常に前に立ち、自分の命を顧みない行動が懸念されていた。カウンセリングは本人拒否のため行われていないが、状況からするに自傷行為に近いとのコメントが上司側からのデータには記載されている。
ジェイクという人間をよく見て知ってほしい、とラルクも事前の打ち合わせでよく言っていた。
バディとなる者をぞんざいに扱うのは、また失うのを恐れているからだ。ジェイクの内にある心の壁をくずさない事には、本当の意味でのバディにはなれない。
エレナはジェイクの鋭い視線を受け止めながら、にっこりと微笑む。
「大丈夫。ジェイクを危機的状態にしなければ私が前に出ることはないから。その為にはあなたの行動、思考を知り、私とのコンビネーションをもっと深めないと。だから、これからもよろしく」
エレナはそれだけを言いすっと立ち上がったが、一瞬顔をゆがめ、ふらりと揺らめいた。ジェイクはとっさに腕を掴んで支えると、掌に伝わる温度に眉をしかめた。
「おまえ、やっぱり無理してっ」
「あー、安静に、って言われてたの。でも大丈夫、もらった休暇の間はじっとしてるから」
微笑みをたやさないエレナの顔色は悪い。おそらく熱が上がってきているのだ。チッと舌打ちをして移動させようとする腕をエレナは止めるように掴む。
「えーっと、もし心配してくれているのなら……休暇中出動しないでくれると嬉しいかな。それこそ無理して私も出てこなきゃいけないから。あ! あと、今度なにかの契約書にサインするときは私を呼んで? ちゃんと読まないなんて……とても心配」
高熱を発している娘に心配される筋合いはないのだが、頷くまではここを離れないとでも言うように、腕とは反対の手で服の端を掴んでいる。
確約はしねぇ、と呟くジェイクの声色は言葉とは裏腹に気遣う気配に満ちていた。エレナはふわりと笑みを浮かべて、身体を弛緩させた。安心して、ジェイクの胸元に身をゆだねる。
「ふふ……ありがとう」
「おいっ」
どんどんと力がなくなっていくエレナの身体を抱き支えながら、ジェイクは焦って腕の中で目を瞑り出した少女を揺さぶる。
「おいっ、ラボってどこだ!」
「大丈夫、近くに助手が待機しているから。ちょうどいいわジェイク、そのまま腕で囲ってくれる? 私の存在を認識して見てる人はいないと思うけれど、突然消えるとびっくりするでしょ?」
何度目かな舌打ちをしながらもジェイクは着ていたジャンパーをぬいでエレナに頭から被せる。どんなに突き放したような言葉をいっていても、側にいる人を蔑ろにはしない。そんな人柄に、エレナはまるで眠る前の心地よさを感じながら話しかける。
足元がもう揺らいできているから、早く伝えなければ。今回ばかりは意識も飛んでしまうから。
「ジェイク、休暇中もメッセージ送るからメールはみて。近くに来たら声かけるから、昼間はインカムをつけて」
「約束はしねぇ!」
「じゃあナイショで隣にいても絶対怒らないでね? ジェイクもちゃんと身体休めて」
またね、とすこし息苦しそうな声と共に目の前の熱源が消えた。手に残るジャンパーを握りながらジェイクは周りを見渡すと、通りに近い公園の入り口に黒髪に眼鏡の男がこちらを見ている。
あいつが助手か、とジェイクが視線を投げると、男は会釈をし側にある黒塗りの車に乗り込み去っていった。
終始ゆずらないエレナの態度に頭を掻きながらジェイクは自宅に戻ると、雑誌と共にデスクに置きっぱなしにしていた厚さのあるエレナとの契約書を引っ張り出した。
「サインサインて、うるせぇってんだよ、どこだ? 最後か?」
片手で顎を支えながらうろんな目で後ろのページを開くと、堅苦しい文面が連なった最後に二人分のサインが載っていた。
「契約期間は百二十年ってバカじゃねえの、そんな長生きする訳ないだろ。あいつ頭いいのになんかネジ外れてんだよな、って……は……なんだコレ」
ジェイクはエレナにぶちぶち文句を言いながら最後の文面を読んだ瞬間、がばりと上体を起こした。身を乗り出してその文言を見る。
〝なお、マレキュラル・バディの実体化や生活様式(分子状態で常に側に居る実態)をふまえて、契約開始と共に婚姻も伴う事とする〟
「バカやろうっ!! アイツっっ!!」
デスクに置いていたインカムを付けて何度もエレナにコールするが出ない。
肝心な時に通信不能なこの機器を本日二回も投げ飛ばすのだが、エレナお墨付きの強度を持つインカムは休暇明けの二日後にきちんと震え出すのであった。
次が最終話かな。まとめられるようにがんばります。読んでくださってありがとうございます。




