第20話「運命とは、自らの手で掴み取る物である」①
――夏は徐々に終わりに近づき、日の傾きと共にうだるような熱気も鳴りを潜めていく。私こと姫川詩子は、夜を拓くように電灯で照らされた自室で、彼氏であり婚約者でもある男、真白と共にゲームへと興じていた。
「ッッしゃあああああ!!!! パ〇ーゲイザー決まったアァァァァ!!!!!」
「詩子、ちょっと待って詩子。崖上がりにそれ連打するのは卑怯だって」
「勝負に卑怯なんて言葉はねぇ!!! 勝ったモンが正義なんだヨォォォォォ!!!!!」
私はゲラゲラと笑いながら、画面内にいる真白の操作キャラをぶち飛ばす。真白は「ぐあああ、負けたぁ」と座椅子の背もたれにもたれかかり、私はそれを見て、「ギャハハハハハ! そんじゃあ今日はアンタが皿洗いな!」と勝ち誇った。
真白は「ったく」と悔しそうながらも、仕方がないな、と笑いながら立ち上がり、キッチンの洗い場へと急ぐ。私はそれを傍目に見ながら、ゲームを止めて、スマートフォンをいじり始める。
カチャカチャと、陶器を触る音と、水の流れる音。なんてことのない会話に、さながら友達であるかのようなバカ騒ぎ。私はそれらを一身に受けながら、思いに耽る。
――ああ。日常だ。何事もないカップルの、これと言って言うべきことのない、そんな、ただの日常。
だけど同時に、失いかけて、必死で取り戻した日常。これが私なんだって、そう胸を張って言えるような、そんな、かけがえのない日常。
「詩子、今日はどうするの? また泊まって行く?」
「泊まってく~。ハハ、ていうか、もう夏休み中大体どっちかの家にいるじゃん」
私はへらへらと笑いながら、ごろりと地面に寝転がる。「っはぁ~」とおっさんのようなため息を吐いてから、ぽりぽりと首筋を掻いて天井を眺める。
――真白の家族とひと悶着が起きてから、おおよそ1か月程度が経っていた。
あの後の顛末としては――結局、真白の両親の離婚は成立してしまい、真白は母親の姓になり、お兄さんは父親の姓になったようだ。
離婚に伴いしち面倒臭いやり取りや手続きなどはあったようだが、真白と他の家族は最低限以上の関わりはしなかったようで、特に滞りなく話がまとまったらしい。私はそれを聞いて、家族という関係性がいかに脆いのかを実感した。
……私がこの一件から学んだことは、『運命の恋』なんてものは、この世に存在しない、ということだった。
元より、『運命の恋~? うおw頭空っぽの女さんが好きそうな言葉w』という捻くれた立場を取っている人間ではあったが、そんな中身空っぽの冷笑陰キャくんみたいな意味ではなく、もっとちゃんとした、教訓としての意味がある。
とどのつまり――人と人との関係というのは、あまりにも脆い、ということだ。
自分の体裁を気にしているだとか。隠していた秘密をバラされたとか。恋と友情の狭間で揺れ動いただとか。好きな人の家族が気に食わなかっただとか。私たちの関係性というのは、いつだってひび割れたガラスの上に成り立っていて、ほんの些細なきっかけで、全部が砕けてバラバラになってしまう。それはきっと、『家族』という関係性だって。
だからこそ私たちは、互いに関係し合うことを、やめてはいけないのだろう。
自分が悪かったのなら素直に謝る。その場では謝れないこともあるかもしれないけれど、どこかで絶対に頭を下げて、心からの誠意を見せる。
相手が嫌がることはしないようにする。だから相手のことをよく見て、何が嫌で、何が大丈夫なのかを互いに推し量る。
だけど、人間は完璧じゃない。多少の齟齬は許し合って、また次から気を付けるようにすればいい。
中には変えられないことだってあるだろう。そんな時は、『自分も、完璧じゃないし』と言って、笑って済ませよう。
結局のところ、人間関係なんてものは、どこまで行っても、そんな基本的なコミュニケーションの積み重ねでしかない。男も、女も、友達も、恋人も、家族ですらも、この前提は変わらないのだ。
誰かと結婚さえすれば、『末永く幸せに暮らしましたとさ』となるわけではない。むしろ人生とは、そこからが始まりで、私たちは、私たちが末永く続くよう、お互いに努力し合わないといけないのだろう。
結局のところ、『運命』とやらに運んで来てもらった恋なんて、良い物じゃないのだろう。私たちは、私たちの手で、自分の選んだ恋を、運命にしていく必要があるのだ。
――だから、私は。
耽る思いに一区切りをつけ、私はチラリと、真白の方を向いた。
変わらずカチャカチャと、流し台に置かれた食器を洗っている。私はじわりと、母親に言われた言葉を思い出したが、今日は賭けで押し付けたからまあいいかと、生まれた罪悪感に言い訳をする。
……そう言えば。ふと私は、ずっと抱いていたある感情を思い出した。
――やっべぇ。すっっっっげぇセックスしてぇ。
そうだった。私がずっと抱いていた悩みって、別にコイツの家族がどうとか、結婚がどうとか、そんな頭が痛くなるようなことじゃなくて、ただ一時の快楽に身を任せてエロいことがしたいって言う、クソみたいにくだらないことだった。
いや。覚えてはいた。ただあの一件以降、なんか切り出すこともできず、ずっと悶々と抑え込んでいただけだ。
だって、なんかそういう空気にならなかったんだもん。シリアスモード一直線で、こんなしょうもないことを言う機会に恵まれなかったんだもん。
それに、真白はどうやら、『責任のない行為はしたくない』らしいし。ちゃんと社会に出て、収入が安定してからじゃないと、子供ができるかもしれない行為はするべきじゃない、と。
いや、まあ、それは確かにそうなんだけどさ。でもだとしたら、あとどれくらい時間がかかるのだろう。1か月とか2か月じゃあ絶対済まないよな?
今が四回生で、来年の3月に卒業だとして……お互い就職先は決まっているから、春から働いたとして、収入が安定したと言い切れるのは……まあ、7月か8月くらいだろう。
え……? じゃああと1年近く我慢しなきゃならないの、私? 私は気の遠くなるような禁欲生活に萎え萎むのを感じた。
――まあ、でも。真白の言っている事の方がまあ、正しいっちゃ正しいし。それに、真白は私に色々な事を合わせてくれている。
だとしたら、私からもまあ、合わせなくちゃいけないこともあるだろう。別に、コイツ以外のち〇ぽなんて別に欲しくもないし。
――仕方がないかぁ。私は萎え萎んだ感情に無理矢理納得して、「はぁ」とため息を吐いた。
「……ん、終わったよ、詩子」
と。皿洗いを終えた真白がそう言って、手を拭いた。私はそれを聞くと、ぐいっと体を起こして、「んあ~……」と伸びをしてから、「っしょいとっと」と床から立ち上がった。
「ありがとう、真白。片づけは明日の朝にでも私がやるから、あとは任せて」
私はあくびをしてから、真白にそう笑いかける。すると真白は、「えっ、と……」とやけに口ごもってから、緊張した面持ちで私に目を向けた。
「……だ、大事な話が、ある……」
真白の言葉に、私は首を傾げる。真白は頬を人差し指でかりかりと掻くと、「えっ、と……えっと、」と意味のない言葉を言い、大事な話のその内容をずっと言い淀んでいた。
「……なに? 別に、緊張しなくていいよ。ちゃんと聞くから」
「……その。……い、いきなり、変なことを言うよ?」
「変なことって……。一体なんなのよ、真白」
私は真白の意図がわからず、ほんの少しだけむず痒いイライラが溜まって来た。すると真白は、「えっ……と……あっ、」と呟くと、慌てるように床に落ちている自分のボディバッグへと駆け寄り、そしてごそごそと中を漁ると、ゆっくりと何かを取り出した。
「……その……。……こ、こういうこと……って、言うか――」
顔を真っ赤にさせた真白の手にあったのは――
デカデカと『0.01』と言う数字の書かれた、真っ赤なコンドームの箱だった。
「――え?」
私は突然の物体に理解が追い付かず、ピシリと体を固めた。
真白と私の間に、得体の知れない沈黙が流れる。こくこくと時間が過ぎる度、真白は徐々に、徐々に表情を下げていき。
「……真白さん。それは、なに?」
「え……い、いや。その、み、見ての通り……ゴ、ゴム、と言うか」
「ホワーイ? それはつまり? 誘っているということデスか? 私を、セクースに?」
真白はぷるぷると震えながら、ゆっっっっっくりと首を縦に振った。
「――って、アホか!」
そして私は、あまりにも下手すぎる真白のアプローチに思わずツッコんでしまった。
「おま、お前さぁ! こういうのはこう、もっとムードってのがあるだろうが! 自然なボディタッチでその気にさせるとか!」
「いや……か、カップルだからって、そんな、変な手つきでボディタッチって言うのは……」
「このクソ童貞が! いくらなんでもマジメ過ぎんだろ! 確かに今の時代、恋人でも男が変に女に触んのはご法度だけどさぁ!」
「あ……じゃ、じゃあ、ごめんなさい。やっぱり、イイです。やめておきましょう、ハイ」
「誰がしねぇっつった誰が! 謝んなくていいし片付けなくてもいい! 上等じゃねぇか、おっぱじめんぞオラァ!」
私の鬼気迫る変なテンションに真白は「ええぇぇ……」と引き切っていた。なんでテメェがドン引きしてんだよ、引きてぇのは私の方だっての。
つって、ムードだのなんだの、そんな贅沢なことを言い始めたらこのままプラトニックコース一直線だ。生憎と私は愛情だけじゃなく肉欲も満たしたい。
「つーか、アンタいつの間にそんなモン買ってきてたんだよ」
「ず、ずっと前から……。いや、違くて。実は四郎から同じ物を貰ってたんだけど、なんかそれ使うの嫌だなって思って、わざわざ遠くの薬局まで行って買ってきたって言うか、」
「いらんわそんな背景情報! いや、でも、なんだ。私のために恥ずかしい思いをしてきたのは、素直に感謝する。ありがとう」
私はそう言いながら、のそり、のそりと真白へ近づく。真白は私のベッドの近くで、擦り寄る私の体を受け止めると、ギュッと抱き締めながら、私の顔を真正面に顔を捉えて、互いに眼を、見つめ合う。
「そ、その、避妊は、絶対する。当然」
「う、うん。当たり前」
「そ、それと、その……な、情けないけど……は、初めてだから。い、色々と、その、至らなかったら、ご、ごめん」
「う、ううん。それは、私も同じ。仕方ない」
ドクン、ドクンと、くっついた体を通して、互いの鼓動が反響し合う。さっきまでのムードの無さはどこへやらで、気が付けば私たちは、お互いの体から感じる熱に、心を、体を、脳をほだされ、これから始まる一幕を受け入れていく。
「そ、それと――。
……万が一――いや、しっかり勉強して来たから、無いとは思うけど。でも、もしも、万が一、その、避妊に失敗したら……。
――責任は、絶対に取る。だから、安心して欲しい」
真白の真剣な目が、私を捉える。私は、あまりにも真白らしいその言葉にふわりと安心すると、「――う、うん。わかった」と、一層彼の体を強く抱き絞め。
――運命の恋。私の人生を大きく変えた、一人の男との恋。これから形作っていく、私と、コイツとの運命。
私はそれを確かに感じながら――私の、人生のパートナーと、ゆっくりと唇を重ねた。




