第18話「愛と友情は紙一重」②
「……真白さん。少し、外にでも出ませんかね? お話がしたくて」
夕食を食べ、片付けを済ませた後。詩子のお父さんが、突然僕に話しかけてきた。
リビングには未だ詩子と詩子のお母さんがいる。2人とも特に会話もなく、何もない穏やかな余暇がこくこくと過ぎていた。
――わざわざ僕を呼んだと言うことは、2人だけで話がしたい、と言うことだろう。僕は少しだけ考え込んでから、「はい」と返事をし、そしてお父さんと共に家を出た。
黄昏時も過ぎ、空にほのかな紫が掛かる。夕とも夜とも言えない時間の空を、僕と詩子のお父さんは、何を言うわけでもなく歩いていた。
――一体、どうしたと言うのだろう。僕は身を締め付けるような緊張感に心臓をバクバクと高鳴らせた。
――と、
「真白さん」
詩子のお父さんが、とうとう、僕に声を掛けて来た。僕は「はい」と固く答えながら、隣を歩く彼と視線を合わせる。
「お尋ねしたいのですが――真白さんは、詩子のどういう所を好きになったのですか?」
お父さんは優しく微笑みながら、僕に尋ねた。穏やかで温かい目をしていた彼だったが、僕はどことなく彼の眼光が、僕と言う人間を見定めようとしているようにも見えた。
――どういう所を、好きになったのか、か。僕は、お父さんの言葉を受け止めると、息を大きく吸い、少しばかり言葉を思案する。
……詩子と出会ってから。僕は、彼女と言う存在をずっと見て来ていた。
最初は、面倒臭い女だとか、立場や外面に囚われた哀れな人間だなと、あまり好意的な印象を持っていなかった。そう言う人間は、他人に迷惑を掛けても、それを棚に上げて自分を正当化すると相場は決まっていたからだ。
だけど、僕が見て来た詩子はそうじゃなかった。自分の在り方に悩み、生き方に悩みながらも、誰かと衝突しても向き合い続けられる、そんな弱さと強さを兼ね備えた、芯の通った女性だった。
――僕が彼女の、どういう所を好きになったのか。その答えを言い表すのに、言葉の思案は必要なれど、意味を練る必要は、全くなかった。
「……生き様、です」
ぽつりと、だけど誰の耳にも届くようにハッキリと、僕はお父さんに受け答えた。
「彼女は――何があっても、僕と向き合うことを諦めませんでした。……そうして彼女は、誰よりも――僕や、僕の家族よりも、僕の事を理解してくれて、僕を支えてくれました。……僕の内面を見ても拒絶せず、僕の内面を好きだと言ってくれました。……彼女も彼女なりに、弱さや醜さを抱えていながらも、それでも、自分や僕と向き合ってくれるその心の強さに――僕は、惹かれたのです」
僕は空を見上げながら、思い浮かぶがままに言葉を紡いで行く。お父さんは一切口を割り込むことなく、僕の話を、ずっと聞いていてくれた。
「アイツに『結婚しよう』と言われた時……僕はようやく、自分の中にあった感情に気が付きました。……僕はきっと、誰か、寄り掛かれる人を探していたんだって。
……家族ですら頼りに出来なかった僕が、ずっと、ずっと心の中に、色々な思いを溜め込み続けて来た僕が――自分のパートナーに求めていたのは、自分の弱さを見せても受け入れてくれるような、そんな心の強さだったんだって」
「……」
「だけど、きっと、それだけじゃあ行けないんだって」
僕がそう言葉を繋げると、お父さんは、「――ふむ」とだけ、相槌を打った。
「僕は、詩子のことが好きです。……だからこそ、僕はアイツの負担にはなりたくない。……僕も、変わらなくっちゃいけないんだって。……弱い僕を受け入れてくれるからと言って、弱い事に甘えていてはいけないんだって――。……彼女はずっと、僕と共に成長してきてくれました。だから僕も、彼女と共に成長していきたいって……彼女となら、それが出来るって、そう、確信しています」
僕は言葉を言い切ると、お父さんを再び見つめた。お父さんは「ふむ――」と呟きながら顎を撫でると、やがてクスリと笑い、穏やかな視線を僕へと送った。
「……凄く、熱く語ってくれましたね。どこが好きかなんて、最初の一言だけでも良かったのに」
「……あっ、す、すみません……」
「いやいや、何も悪くないですよ。……むしろ、あなたの詩子への想いを理解出来て良かったです。人間、好きな物には熱が入ってしまう物ですから」
詩子のお父さんはそう言うと、嬉しそうに「はっはっは」と声を出して笑った。僕は彼の言葉がどことなく照れ臭く、顔に熱を感じながら視線を僅かに外した。
「いや、でも……あなたのような人が詩子の彼氏になってくれて良かったです」
と、お父さんの声色がどことなく違う色を帯びた。僕は照れ臭い感情をすぐに打ち消すと、スッと、空を見上げる彼の横顔へと視線を向けた。
「父親と言う立場で、こんなことを言うのは良くないですが――あの子、その、良い体をしているじゃないですか。その、大きいと言うか」
「そ――それは……そうですね」
「だから、その――体目当ての男だったらどうしようかと、少し不安だったのですよ。……妻からも、胸の大きい女性の苦労は聞いていましたから。きっとあの子も、そうした苦労はそれなりにしているのだろうなぁ、と」
僕はバツが悪そうに笑うお父さんに「ああ……」と口角を引きつらせながら答えた。
くだらない話にも聞こえるが、実際、詩子の父親という立場からすれば、深刻な問題だったのだろう。
そりゃあ、当然だ。自分の愛している娘が、男の「性」に弄ばれてしまうなど、ともすれば殺してしまいたくなるほどだろう。
客観的に見て、娘が「女」として魅力的だからこそ、この人は僕を見定めようとしたのだ。……それは、純粋な彼の父親としての愛情が故だろう。
「……真白さん。少し、私の考え方を聞いてくれませんか?」
と、詩子のお父さんが、少しマジメな顔つきになって僕へと向き合った。僕は真っすぐに彼の目を見つめると、「はい」と言いながら、こくりと顔を縦へと振る。
「……男にとってね。恋心って言うのは、きっと、性欲に近い感情なのだと思うのです」
僕は口火を切った彼の言葉に、色々な思いを巡らせながらも、共感を感じまたこくりと相槌を打った。
「いや、今の時代に男だ女だって言うのは良くないとは思うのですが。……私も男故に、理解出来る所があります。……と言うか、正直、妻に対して抱いていた感情が、まさにそうでしたから。
やっぱり、我々には性欲と言うのがあります。……これはきっと、掻き消せない感情でしょう。ですが我々は、その感情を、恋心なのだと勘違いしてしまうのです」
僕は彼の言葉に更に頷く。詩子のお父さんは、「まあ、昔読んだ漫画の受け売りなのですがね」と笑いながら頬を掻くと、更に言葉を繋げて、自論を述べていった。
「ですが、恋と性欲には確かな違いがある。……しかし、その違いを認識できる男性は少ない。いや、と言うより、恐らく、性欲は恋の始まりなのです。それが時間を掛けて、性欲から恋へと感情が変わっていくのだろう、と。
……であれば。女性にすぐに手を出す不誠実な男ほど、その2つが曖昧になってしまう」
お父さんの目が、少しだけ鋭さを増した。それは怒りや不満からではなく、深淵を見抜くような、そんな雰囲気から来る鋭さだった。
「古い考え方ですが――私は、男というのは、常に結婚を見据えて恋をしなければならない、と思っています。女性を守るためにも。
恋とは、愛とは、信頼関係です。『この人と人生を共にするんだ』と言う覚悟が必要なことなのです。……決して、トキメキを得るための娯楽ではない」
お父さんの言葉に、僕はこくり、こくりと深く頷いた。
――女性にとって、恋愛とは、人生を決めかねない大きな出来事なのだ。
多くの場合、その先には子供を作ると言う行為が含まれている。これは男女両方の性に組み込まれた、性欲と言う生物としての本能だ。
妊娠と言う過程を踏めば、否応なしに女性は決断を迫られる。……男との一番の違いは、まさにここだろう。
だからこそ、男には覚悟を求められる。相手になった女性と共に、2人の人生を構築していく覚悟だ。
恋愛とは、他人の人生を歪める行為に他ならない。本来恋と言うのは、娯楽のように楽しんで良い物ではないのだ。これは、男に限る話ではない。
「だからこそ、真白さんで良かったと思ったのです。……あなたは、遊びで恋愛ができるタイプではない。詩子があなたを選んだのも、あなたが積み上げた信頼があるからでしょう。……親の立場から見て、これ以上に嬉しいことはないですよ」
詩子のお父さんはそう言って、肩の力が抜けたような、そんな軟らかい笑みを僕へと向けた。僕は彼の安心しきったような様子に、だからこそ、一層身が引き締まるのを感じた。
「……それで、結婚はいつなさるのですか? 大学を卒業したらすぐに、という感じですかね?」
「あ……い、いえ。結婚は、まだ当分しないです」
「えっ、あっ、そ、そうなのかい? いや、雰囲気からてっきり、もうすぐにでもするのかなって……」
「す、すみません……。……詩子とも話し合ったのですが、まずは同棲をして、お互いの生活習慣を合わせようって。……下手に結婚をして、合わなくてバツが付いてしまったら、詩子に余計な苦労を掛けてしまいます。だから、どれだけ結婚する雰囲気になったとしても、その轍だけは避けられないって。……だから、ご両親にお願いしたいのは、どれだけ僕たちがそう言う雰囲気になっていたとしても――いざと言う時に、詩子が戻って来る事に何も触れず、受け入れて欲しいという事です。……不安にさせるかもしれませんが、どうかその点をお願いします」
僕が言うべき事を言って頭を下げると、詩子のお父さんは、少しぽかんとした後に、またくすりと笑い、「大丈夫ですよ。……そう言うのは、弁えていますので」と、朗らかに答えた。
「……さて、そろそろ家に帰りましょうかね。お話したいことは、全て話せたので」
詩子のお父さんがそう言って「はっはっは」と笑う。僕は彼の楽しそうな笑みに「ええ」と笑うと、彼と共に家への帰路を歩き始めた。
――と、途端。突然僕のスマホが鳴り、僕は「ん?」とポケットから電話を取り出す。
「どうかしましたかね?」
詩子のお父さんが話しかけて来る。僕は「いえ」と一声かけてから、画面を見ると、
そこには、「兄」と一文字、着信を告げる単語が表示されていた。




