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第10話「今は昔の集積地点」③

 私は急ぎ走り、いつか真白から告白を受けた件の公園へと向かっていた。


 運動不足の足を引っ張り、必死にコンクリートを踏み締めて行くと。やがて、背を伸ばした滑り台やブランコが目に入り、私は息を切らしてホッチキスの芯のような形をした出入り口のポールに手を掛けた。


 顎を伝う汗を拭い、乱れた前髪を整え公園内を見る。そして私は、向かいのベンチに座っている、もじゃもじゃ頭の男に気が付いた。



「――真白!」



 私が声を出すと、真白は立ち上がり、「詩子!」と言いながら、こちらへと駆け寄って来た。


 私は息を詰まらせ唾を飲みこむと、疲れた足を踏み出し、真白の方へと向かって行く。


 そうして私たちは、公園の真ん中で、縋り合うように顔を突き合わせた。



「――ひ、ひさしぶり……」



 私は息をあげて真白へ言う。真白も私と同じく「う、うん。……ひさしぶり、だね……」と声を震わせて、私たちは互いに目を逸らし合った。


 ――心臓の鼓動が、速くなっている。走って疲れたからじゃなくて、もっと甘美な、むずむずとしてしまうような、そんな感覚だった。


 ――ああ。私、まだ、コイツのこと、ちゃんと好きだったんだな。私は自分の中に生まれた感情に、改めて、彼への想いを実感する。


 だけど。あの時感じた不穏さも、間違いなく、私の胸の中には存在している。どれだけ彼のことが好きでも、それもまた事実だ。


 向き合わなくっちゃいけない。私は決心すると、息を深く吐き、荒れた呼吸を整える。



「……真白。……今日は、アンタと話したいことがあって、ここに呼んだの。……アンタも、そうでしょ?」



 私が強く彼に視線を向けると、真白も、私と同じくらいに強い視線で、「うん」と私に言葉を返した。


 何を話せば良いのか、どう言えばいいのか。私の頭の中は汚れた部屋のようにごちゃごちゃとしていて、それからまた声を出すのに、少し時間が必要だった。


 やがて。私は、ひとつひとつ、自分の心を整頓すると。深呼吸をしてから、真白に声をかける。



「……真白。……話って言うのは、もちろん、アンタと、アンタの家族のこと。……私たちの関係に関わる、大事なことなの」


「……うん」



 真白は答えながら、ギュッと唇を結んだ。その表情からは覚悟が滲んでいて、私は彼の態度に一層心を張り詰めさせると、声が震えるのをなんとか堪えて、ハッキリと真白へと言った。



「……なんて言えばいいのか、わからないけど。……正直に言わないと、絶対ダメだから。

 ――真白。……私ね。……アンタの家族を見て、その、凄く、萎えたの。……あんなのと関わっていかなきゃいけないなんてって思ったら、それだけで、アンタと一緒にいるのが、怖くて」



 私は真白から目を逸らさずに言う。真白はしかし、どうやら私の気持ちを理解していたようで、何も驚いた様子もなく、落ち着いた声で「うん」と頷いた。


 私も、何も驚かなかった。なんとなく、真白が私のそうした気持ちを察して、だから『別れる』と切り出したんだと、理解していたから。


 だけど、それだけじゃない。私が言わなくちゃいけなかったのは、むしろ、ここからだった。



「……それに。……私、アンタの、家族に対する風当たりを見て……それも、怖いって思った。……あの家族が頭おかしいって言うのはわかっているけど、アンタもアンタで、家族に対しては、別人のようだった。……なんと言うか、すぐに怒るって言うか。いつもなら掴みかかったりしないのに、そうするようになってたって言うか」



 私がそう言うと、真白は一瞬目を見開いて、苦々しく表情を下げながら、「――そう、か」と声を詰まらせた。


 ――ああ、そうか。私は彼の表情を見て、なんとなく、彼の心境を察した。


 自覚があるんだ。自分の、家族に対する態度が、悪辣だったって言うことに。

 そして何より、そこに彼は、罪悪感を抱いている。私がそこまで彼の心を理解すると、途端に真白は、「ごめん」と言って、私に頭を下げた。



「……君を、不安にさせた。……わかってはいたんだ。僕の、家族に対する言動はヤバいって。……本当に、ごめん。あんなのを見たら、誰だって怖くなるよ。……だから、とにかく、ごめんなさい」



 真白の謝罪はどこまでも誠心誠意で、私は彼の様子に少しだけほっと気が楽になった。


 だけど、まだだ。まだ、私は彼のことを、理解し切れていない。故に私は、「――ねえ、真白」と、彼の頭頂部を見つめながら声をかけた。


 真白がゆっくりと顔をあげる。私は彼と目が合うのを待つと、そのままじっと真白を見つめながら、凛と声を張り詰めさせて言った。



「それでもね。……私は、まだ、今でも、ちゃんとアンタが好き。

 ……わかってるの。アンタがあんな人間じゃないって。……だって、今まで見て来たアンタも、ちゃんと、本物のアンタだから」



 私はそして、真白の手を取り、彼と目を合わせたまま問いかける。



「――真白。アンタが、家族に対してだけ、ああなのは……ちゃんと、理由があるんでしょ? 私のような、家庭の外の人間からじゃ見えない、ちゃんとした理由が。……私は、アンタと向き合いたい。だから、その理由が聞きたいの。……ねえ、真白。どうしてアンタは、あんなにも家族のことを、毛嫌いしているの?」



 私の問いかけを聞き、真白が「あっ、」と声を詰まらせる。そして真白が一瞬私から目を逸らすと、私はすぐに、「こっち見て」と静かに言って、彼をこちらへと向かせた。


 真白は瞬時口をぱくぱくと開いてから、静かに呼吸を震わせ。やがて、ゆっくりと、私に語ってくれた。



「――僕の、家族は……ずっと、僕の話を、聞いてくれなかったんだ」



 真白の息遣いが途端に荒れ始める。私はギュっと彼の手を握り、どうかその感情に耐えて欲しいと視線を送る。



「――ち、小さい頃から……僕の家族は、話し合いって言うのが、できなかった。……母さんは、僕が悩んだり、愚痴を吐いたりすると、すぐに怒って、話を聞かなくなったし。……父さんは、最初は返事をしてくれるんだけど、それも段々と曖昧になって……すぐに寝息を立て始めて……。何より、アイツの言葉は、全部、自分の凄さを誇張したいって気持ちが見え隠れしてて、僕を思いやった物じゃないって、なんとなく、理解できて」



 ぽつり、ぽつりと、消え入りそうな声で、真白は声を紡いでくれた。


 繋いだ手が震えていた。涙袋の辺りがぴくぴくと痙攣していて、いつ決壊してもおかしくない様子だった。



「――兄貴は、論外だった。僕が家族に愚痴を吐けば、アイツも不機嫌になって、すぐに僕を否定して煽って来た。『そんなくらいで』だとか、『そんなんだから』だとか、そうやって、何度も何度も、人格を否定されて……。……日常会話ですらも、アイツはすぐに、割り込んできて。……好きなアニメの話なんてしようものなら、『誰も興味がない』だとか、『そうやって自分の話ばかりするからお前はキモイんだよ』って……。……何度も、何度も何度も、殴られて来たから……凄まれると、僕は、それだけで、何も言い返せなくて……。アイツは……アイツは、僕の人生の全部を否定してきて……だけど、小さい頃は……自分と兄貴の、どっちがまともかなんて、わからなかったから――」



 ぽつり、ぽつりと、真白の目から涙が落ちた。私は手元に落ちる涙に唇を結び、そのぬるりとした温度に、彼が抱えて来た物の重さを察してしまった。



「僕だって、同じだった。僕は小さい頃から頑固で、自分を曲げることが大嫌いだった。……そんな自分だったから、家族と衝突した時も、ずっと、自分が正しいって、思いこんでて。……すぐに頭に血が上って、僕は家族とまともに話し合うことができなかった。……僕たち一家は、全員、誰も、誰かと向き合う上で、致命的な欠陥を抱えていた。……僕たちは、家族の間でコミュニケーションを取ることが出来なかったんだ。……中学、高校って、年を取るにつれて、僕はそれを理解して……。……内心で見下していた周囲が、不真面目な癖に、そこに罪悪感なんて欠片も抱かない奴らが、実は僕なんかより、よほど周りのことを考えて生きていたんだって悟って。……自分の方がよほど醜いって気づいたから……僕は、そんな自分が嫌いで……少しずつ、少しずつ、僕は僕を変えて来て――」



 真白が顔を下げ、涙が更に手元へと落ちてきた。私は彼の言葉に、強い共感を示していた。


 独りで生きていた頃は、マジメであることだけが、私の取柄だった。そう思わないと、自分の価値がそれ以外に無いんだって、その事実と向き合わなくちゃいけなくなってしまうからだ。


 校則を破って衣服を崩したり、髪の毛を弄ったり、みんなで固まって歩いて、周りの迷惑も考えずにバカみたいに騒いで――そう言う人たちを、私は、ずっと、内心で見下していた。『なんであんな不真面目な奴らが、私より楽しそうに生きているんだ』って。


 だけど、その認識は間違いだった。いざ、陰キャから陽キャに鞍替えしてみると、彼ら彼女らが思った以上に他人と向き合っていることに気が付いた。


 一部のヤバい奴はいた。だけど、大概は周りを思い合って、そこまで問題じゃない範囲でルールを破っているだけだった。



 ――どうして、私とコイツが合うのか。その本質が、わかった気がした。


 コイツは、生き方が不器用なんだ。私と同じで。だからこそ、私と同じで、ひとつひとつ周りを理解して行かなきゃ、生きていけなかったんだ。


 だけど、私とコイツには違いがあった。それは、コイツには、頼りになる何かがいなかったんだ。


 本来なら、生きる指針だとか、考え方とか言うのを、親が子供に示してあげるべきなんだろうけど。だけど、コイツはずっと、親を頼りにできなかったから、自分で生き方を打ち立てるしかなかったんだ。


 真白の書いた物語が、どうしてああも思索に富むのか理解した。アレは、ずっと親子のコミュニケーションを断たれてきた、コイツの嘆きであり、生き方の癖なんだ。


 誰かに話すには重すぎて、気持ちの悪い言葉を。だけど、親子で話そうにも、受け止めてもらえなかった自分のコンプレックスを。真白は作品として、世に放っていたんだ。そうじゃないと、心のバランスを保つことができなかったんだ。



「僕は――必死に、必死に、自分を変えて来たのに……家族は誰も、変わってなんかくれなくて。兄貴が、おかしくなってからも……僕の親は、何も、家族の問題に、向き合おうとしてくれなくて。……だから僕は、家族に変わって欲しくて……でも、誰も、やっぱり、僕の言葉なんか聞いてくれなくて。……わかっているんだ。わかっているんだよ。こんな家族なんか無視して、一人で生きればいいって。……でも、僕は心が弱くて、それができなくて……」



 真白は声を掠れさせながら、ゆっくりと地面に膝を着いた。


 その姿は、あまりにも弱々しく。私はゆっくりと目を閉じると、彼の手を包み込み、姿勢を沈ませ、真白と視線を合わせた。



「――話を聞けて、よかった。……そっか。アンタが家族に怒るのは、ずっと、その気持ちを抑え込んでいたからだったんだね」



 私は優しく語り掛けると、やがて、彼の細く弱々しい体に手を回した。


 真白が、私の腕の中でピクリと震える。私は彼の温もりを感じながら、真白に呟いた。



「――ね、真白。……結婚しよう」



 真白の動きが止まり、「――え、」と彼は呟く。私は一層彼の体を抱く力を強くすると、困惑をよそに、更に続けた。



「私、もっとアンタのことを理解したいの。……だから、結婚して、家族になろう?

 ……子供が親に理解して欲しいって思うのは、当然だよ。家族に仲良くしてほしいなんて、誰だってそう思うよ。……でも、アンタの家族は、誰もそれを、聞き入れてくれなかったんだね。

 お疲れ様。今まで、よく耐えてきたよ。……アンタの家族がやってくれなかった分を、私が代わりにやってあげる。……ううん、違う。やってあげたいの。

 アンタの良いところも、キモイところも、全部丸って含めて、私はアンタのことを『好き』って言いたい。だから、アンタのもっと、心の奥の方まで、私はアンタを理解したい。だからね、真白」



 私は彼の背中をひと撫ですると、ゆっくりと体を離し、そして、彼の額に私の額を重ね合わせて、潤んで汚くなった顔を見つめて、笑いながら言った。



「私の目を見て、私の声を聞いて。……私と、向き合って」



 真白の眼が震えて、大きく開いた。すると真白は、また目を潤ませて、ぽつりと私に尋ねた。



「――僕で、いいのかい?」


「当然じゃん。アンタだから言ったんだよ」


「でも……でも、僕はキモイし、格好悪いし……」


「知ってる。イイじゃん、別に。私にとっては、アンタが信頼できることの方が、遥かに大事なの」



 私は真白に笑いかけると、もう一度彼の手を、優しく包み込み。



「私はね、真白。……アンタから、自分らしく生きるための強さを貰った。……だから私も、アンタのその弱さを受け入れたいの。アンタが、自分らしく生きられるように。……どう、かな?」



 私は少しだけ顔を赤くし、真白に問う。真白はしばらくぽかんと私を見つめてから、鼻水をすすり、涙をこぼしながら返した。



「――お願い、します。……僕も、君の事を理解して――君と、ずっと、一緒に生きたい」


「……うん。……うん。わかった。こちらこそ、よろしくね、真白」



 私は涙を流す彼に、精一杯の笑顔を向けた。

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