第8話「理想の関係とは、仲が良いことではなく、うまく喧嘩が出来る関係のことである」①
私はマク○ナルドの隅の席で、友人の清水心春と共に黙って座り込んでいた。
つい先ほどまで、詩子の友人である優花里と玲菜から、事の詳細を聞いていたところだ。私は2人の話を聞き、詩子と真白に一体何があったのかを察していった。
どうやら、真白の家族とトラブルがあり、それが原因で別れたらしい。それだけならよくある別れ話だが、その後詩子は、魂が抜けてしまったかのように、反応に乏しくなってしまったらしい。
2人からは、詩子を元気づけて欲しいと言われたが。正直なところ、私は、アイツに会う気が起こらなかった。
だって、どんな顔をして会えばいいのか、わからない。私とアイツは、今は『友達』という関係になっているけれど、だからと言って、私がアイツを『友達』として見ていられるかは、まったくの別問題だ。
――いや。そもそも、無理な話だ。だって、私は未だに、アイツへの未練を、断ち切れないでいる。
そんな私が、アイツと会って話をしようとしたところで――お互いに気まずくなるだけだし、何よりも、私が辛い。
……こんな感じで、もう、半年近く、アイツを避けているんだよな。私は机に肘をつき、大きく、大きくため息を吐いた。
「……ねえ、由希」
と。悩む私に、傍らの心春が声をかけて来た。
「――どうする?」
心春はどこか憂いを帯びたような目で、私に尋ねて来る。私は「どうする、って言っても、」と眉間にしわを寄せると、矢継ぎ早に、心春は私に切り返してきた。
「だって、その……チャンス、だよ。お互いに、もう一度、やり直す」
心春の言葉に、私は思わず深く考え込んでしまった。
――心春もまた、私と同じく恋に破れた人間だ。
私は詩子のことが好きだったが、心春は、アイツの彼氏であった、真白の事が好きだった。
いや。と言うか、今も好きなのだろう。振られて半年以上が経つが、今でもちょくちょく、アイツの話題を口にしてくる。
女の恋は上書き保存、などと言うが。人間は定例通りにならないのが当たり前で。お互いに、どうも重たい感情を引きずってしまっているようだ。私はもう一度ため息を吐いて、今度は後ろのソファに体を預けた。
「……どうしよっかな、本当に」
「でも、会うべきだよ。そしたらさ、うまくいけば、私たちに振り向いてもらうことだってできるかもじゃん。アイツも、真白も、今はきっと辛い状態だろうしさ。狙い目だよ、間違いなく」
「……まあ、そりゃ、そうだろうけどさ」
私は体を起こして、机に肘をついて呟く。
――そう。今がちょうど、チャンスなのだ。
女同士の私はともかく、特に心春からすれば、もう一度好きになってもらえるチャンスなのだ。私からしても、アイツと仲直りをして、もう一度、関係をやり直すいい機会だ。
うまくいけば、真白を遠ざけて、私に興味を持たせることだってできるかもしれない。なにせ、詩子は恋愛嫌いだ。真白はたまたまアイツのお眼鏡に叶っただけで、基本的に、アイツは男と付き合うことそのものを拒否している。
だとしたら。時間はかかるかもだけど、長く付き合っていけば、アイツも私に興味を持つかもしれない。
なにより、今は以前とは状況が違う。アイツも、私の好意には気付いているのだから、私を意識してくれるかもしれない。
そこまで考えてから。私は、片方の手で、額にかかる前髪を、ゆっくりと掻き上げて、
「……でも、本当に、それでいいのかな」
ぽつりと、そう呟いた。
心春が黙り込んで、困ったように私を見つめる。私はもう一度ため息を吐くと、瞳を揺らして、心春から目を逸らした。
――と。途端、心春は私のポケットを勝手にごそごそと漁って、私のスマートフォンを取り出した。
「ちょっ、何するんだよ、いきなり」
「しよう、連絡」
「……ハァ?」
「らしくないよ、こんなところでうじうじしちゃって。由希は、こういう時いつだって男らしいんだから。迷っているくらいなら、さっさとやっちゃおうよ」
心春は固い表情で私を見つめて来た。私は彼女の言葉に、きゅっと唇を結ぶ。
――らしくない、か。私はその言葉をもう一度反芻すると、またため息を吐き、肩を竦める。
「……そうだよな」
私は心春の言葉を肯定して、もう一度考える。
――その通りだ。まったくもって、私らしくない。
そうだ。こういう時、私が何をするかなんて、決まり切っていることじゃないか。私は決心をすると、心春の取り出したスマートフォンを、固く掴んだ。
「――私なら、こうするよな、そりゃあ」
そして私は、L○NEを開いて――私の友人へと、電話をかけた。
◇ ◇ ◇ ◇
大学の校門前。僕はスマホをいじりながら、とある人物を待っていた。
昨日、突然、詩子の親友である天音由希さんから電話がかかって来た。
何の話かはなんとなく察してはいたが、彼女は僕に電話をすると、「明日、一限目が終わったら校門前で待ってろ」とだけ言い、僕は現在それに従っている。
幸い、この後の授業は出なくても問題ない。僕はコンクリートから跳ね返る熱気に「あつ……」と声を漏らすと、突然、車のクラクションの音が辺りに響いた。
「おい、河野!」
それと同時に、かなり久しぶりに聞いた声が僕の名を呼ぶ。僕は後ろを振り返ると、「あっ、」と、窓から顔を出すその人物を見つける。
「天音さん、やあ」
「おう、久しぶり。ちょっと、まあ、話したいことがあったからよ」
僕は彼女の言葉を聞くと、ゆっくりと、乗っている紺色の軽自動車へと近づく。
「車、持ってたんだね」
「いや、これ兄貴の。まあんなこたいいからさ、早く乗れよ」
天音さんは、助手席の向こう側からこちらを見つめて手招きをする。僕は少しばかり緊張しながらも、ゆっくりとドアを開けて、「じゃあ、うん」と助手席へと乗り込む。
と、僕がシートベルトをする前に、天音さんは勢いよく急発進をした。僕はビックリして、思わず笑顔が張り付いてしまう。
「ちょっ、勢い凄いね」
「あ? こんなモンだろ」
天音さんは肘掛けに片腕を置きながら、片手でハンドルを握り、ぐるん、ぐるんと勢いよくそれを回す。
僕は車に揺られながらも、慌ててシートベルトを取り付けた。もしかしてだけど、天音さん、運転荒い?
「まあ、それよりさ、河野」
僕は天音さんに話しかけられ、ドキリとしてしまう。一体何の話なのかは、なんとなく想像が付いたからだ。
僕は緊張しながらも、覚悟を決めて天音さんの言葉を待つ。しかし、口火を切った彼女が放ったのは、予想外の言葉だった。
「ちょっと、私の家来い」
◇ ◇ ◇ ◇
そうして僕は、少し町から外れた住宅街へとやって来た。
あの後は特に何も話さず、僕は天音さんを気にしながらも、窓の外の景色を眺めていた。過ぎ去っていく光景に色々と思いをはせていると、「着いたぞ」と言い、天音さんが車を止めた。
天音さんの家には、道場が併設されていた。木製の少し大きなその建物を見ると、僕は「へぇ、」と感慨深くぽつりとつぶやいた。
「道場やってたんだね。なんか、吉田くんに鉄山靠をしていたのも納得したよ」
「アンタ、あの技知ってるんだね」
「兄貴が空手をやってて。それで、多少はそう言う知識を持っている」
「アンタは習ってなかったの?」
「痛いのが嫌だったから」
「はは、軟弱者がよぉ」
天音さんは笑うと、道場のドアを開けて、中へと入った。
道場内は板張りではなく、ふちの無い畳がぎゅうぎゅうと敷き詰められている様相だった。どうやら空手の試合場を想定した物みたいで、リングの中と外とで畳の色も違っている。
「それで、なんでここに?」
僕が天音さんに尋ねると。彼女は突然、僕の足元に何かを投げて来た。
ヘッドギアと、空手用のグローブだった。僕は「え?」と呟き、足元のそれらへ目を移す。
「着けろ」
と、天音さんはグローブとヘッドギアを装備しながら、僕にただそうとだけ言った。僕は「え?」ともう一度言うと、天音さんは有無を言わさぬ雰囲気で、「いいから、早くしろ」とだけ言った。
「ちょっ、と……待って。もしかしてだけど、」
「ん。今からお前をボコす」
天音さんは、殺気にも似たオーラを放ちながら僕へと告げた。僕は突然の死刑宣告に身震いしながら、一歩、彼女から距離を取る。
「いや、なんで。いくらなんでも、怖いんだけど」
「――お前、詩子と別れただろ?」
僕はその一言で、ピタリと足を止める。そして、天音さんから目を逸らして、奥歯をぐっと噛み締める。
「私さ――ぶっちゃけ、アンタのこと、ムカついてんだよね。突然横からしゃしゃり出て来たかと思えば、いつの間にか、アイツの気持ちをかっさらって行きやがって。……そりゃあ、男と女なんだから、私よりそう言う可能性があるのもわかるよ。でも、だからって、私のが先に好きだったのは事実なんだから」
天音さんはそう言うと、指の骨をポキリ、ポキリと鳴らして僕を見据える。
「私だって色々考えたんだ。それで、こうするしかないって、アイツとの関係を断った。
その挙句がコレかよ。……ふざけんなよ、テメェ。家族がやべぇだの何だの知らねぇけど、その程度のことで、私の行動も、アイツの気持ちも、全部、全部否定しやがって。
やっぱ、男ってのは根性がねぇとダメだわ。意気地なしはいざって時に、最悪の決断ばかりしやがる。ぬるま湯ばっかに浸かって痩せ細ってるから、そんなことになるんだよ。
つーわけで、今から気合い入れなおす。痛いだろうけど、まあ、知ったこっちゃねぇな」
天音さんは首をぐるぐると回してから、僕を食い殺すような目で睨みつける。僕はぞくりと身震いしてから、天音さんにまた話しかける。
「えっ、と――その。女の子を殴るのは、なんかやり辛いって言うか……」
「安心しろ。アンタのパンチなんか、私からすればガキ同然だから。……どうすんだ? 逃げんのか、それとも、テメェの人生に向き合うのか」
天音さんの言葉で、僕はもう一度奥歯を噛み締める。
――逃げるかどうかなんて、決まっているじゃないか。
「……わかったよ」
僕は眼鏡を外してから、足元のヘッドギアを拾い、頭に着ける。そしてグローブを手にはめて、天音さんに身構える。
「元より、逃げる気はないよ。これは、きっと僕に必要なことだ。……むしろ、望むところだよ」
「言うじゃん。……んじゃあ、かかって来いよ。根性見せやがれ、この貧弱クソ野郎!」
天音さんの言葉を聞き、僕は一瞬目を閉じる。
そして、思い切り拳を握って、「うああああああっ!」と叫び、彼女に殴り掛かった。




