再戦(1)
俺と女剣士のサユリさんは、街外れの荒涼とした崖の前にいた。
俺は今日偶然にも図書館でサユリさんに出会うと、仲間になってもらうようにお願いしたのだ。彼女は快く承諾してくれた。
色々と、この異世界の事や勇者の使命について語り合っていたところ、やはり俺の力不足の事が話題に登った。そこで、俺はサユリさんに稽古をつけてもらうことになったのだ。
サユリさんは、腰に一振りの太刀を携えていた。彼女は、無造作に切り立った崖に近づくと、何の予備動作もなく、いきなり凄まじい光の一閃を放ったのだ。俺が、それを居合の剣撃であることを悟ったのは、眼前の崖の一部が大きく砕けて降ってくるのが見えてからだった。
「うわぁ、サユリさん。岩が降ってきたっすよ。それもたくさん。危ないっす!」
俺は、思わず声をあげた。しかし、サユリさんは一刀を片手に、その場に留まっていた。今にも彼女が崖崩れに飲み込まれようとしていた時、異様なことが起こった。
サユリさんは、ゆらりと舞を踊るようにゆるやかに動き始めたのだ。それと同時に、落ちてくる岩々が、一瞬、停止したように見えた。サユリさんは岩の間を舞うように、ゆっくりと岩雪崩の中で踊っていた。恐ろしい勢いで落ち崩れる岩の早さと、まるでそよ風に揺らぐ桜の枝のようなゆっくりとした動き。両極端な速度の時間の流れを、俺は同時に見せられて──いや、魅せられてしまった。
しかし、それも、一瞬のこと。次の瞬間には、ブワっと土埃が散ると、濃い煙が辺りを包み込んだのである。
「うわっ。ゲホッゲホッ。な、何が起こったんだ?」
俺が当惑していると、土煙の中からサユリさんがゆっくりと歩いて出てきた。
「サユリさん、怪我は。大丈夫ですか?」
俺が慌ててそう訊くと、
「なんのなんの、平気でござるよ」
と、傷ひとつ無い姿を表したのだった。
「サユリさん、今のは?」
「うむ。鳳凰院流剣舞『白鷺の舞』にてござる」
と、にこやかに応えてくれた。
「白鷺の舞、……ですか」
「そうでござる。鳳凰院流の剣は、舞の剣。踊るが如く、舞の如く、敵陣で剣舞を踊る流派でござる。この剣舞の前では、何人も逃げること能わず。一瞬の舞は、ことごとく敵を捉え、微塵と化す。その身のこなしは鷺の舞うが如くにして、その剣戟は鋼を砕くが如く也」
「鋼を砕く? じゃ、じゃあ、さっきの岩も? この土煙はサユリさんが?」
「そう。それがしが一瞬のうちに捉え砕いた、岩々の成れの果てでござる」
と、サユリさんは、何でも無いように言った。しかし、これって凄い技じゃぁないのか。
「こんな凄い動きをして、身体は大丈夫なんすか?」
「なんの、なんの。『白鷺の舞』は、剣舞の初歩の初歩。この程度の怪我なら、何とも無いでござる」
と、サユリさんは、あっさりと言ってのけた。俺が驚愕して口をあんぐりと開いていると、逆にサユリさんから、次のように話しかけられた。
「ところで、それがし、勇者殿の技も見てみとうござる。よろしいでござるか」
「え? 俺の技? 俺の技なんて、サユリさんの技に比べたら、お遊戯みたいなもんっす。恥ずかしくて見せられないっす」
俺は謙遜でもなんでもなく、本気で焦った。強さのレベルが違いすぎる。俺の技なんて、恥ずかしいの一言だ。
「そうでござるか。しかし、勇者殿の力量を知らねば、修行をどこから始めたらよいか、分からぬのでござる」
そう言われると、返す言葉がない。
「う~ん、じゃぁ、ちょっとだけっすよ」
俺はそう言って、一部が崩れ落ちた崖に向かった。そのまま勇者の木刀を上段に構えると、意識を集中し、袈裟懸けに振り下ろした。
「必殺、破砕渦動流」
勇者の木刀の太刀筋から、細かな亜空間の刃が渦を巻きながら崖に向かって迸った。その、渦巻きの前に、崖には直径十メートルくらいの穴が穿たれたのだ。
俺はドキドキしながら、そぉっと後ろを向くと、サユリさんが感嘆の声を上げてくれた。
「素晴らしいでござる。勇者殿の力量、しかと見せてもらったでござる。いや、感服したでござる」
お世辞でも嬉しい。俺は少し目が垂れ下がるのを意識しながら、頭を掻いた。
「いやぁ、俺が凄いんじゃなくって、この『勇者の木刀』が凄いんす。俺自身の力は、ほとんど無いみたいなもんっすよ」
まぁ、実際問題、そうなんだからしかたがない。俺は思ったことを正直に言葉にしたつもりだった。
「いやいや、本当に素晴らしいでござる。その技は、遠距離で多数の敵に対抗する技でござるな。して、勇者殿。その木刀を拝見させてもらっても、よろしいでござるか?」
そう言われて、俺は素直に勇者の木刀を手渡した。
サユリさんは、両手で恭しく木刀を受け取ると、刀身を光に翳して見ていた。彼女は、そうやって木刀を吟味していた。だが、しばらくすると、少し曇った顔で俺の方を向いた。そして、両手で恭しく木刀を差し出した。
「勇者殿。その木刀は、確かに強力な力を内に秘めているでござる。だがしかし、少し手入れが疎かのようでござるな。刀身に細かいキズや、血の跡などが残っているでござる。もし、万全の状態ならば、その剣は、この崖を消し飛ばすほどの力を見せてくれるものと存じる」
(ええー! そんなに凄い威力を秘めていたのか!)
彼女の言葉に、俺は、冷や汗が背中を伝わるのを意識した。同時に、そんな大事な勇者の木刀を粗末に扱ってきた自分が、恥ずかしくなってきた。
「ううう、恥ずかしいっす。この木刀がそんなに凄いものとは知らなかったっすよ。サユリさん、どうやってお手入れをすればいいっすか? 木刀だから砥石で研ぐわけじゃぁ無いっすよね」
それを聞いたサユリさんは、少し頭を傾げると、
「そうでござるなぁ。良く清められ聖別された布で、心を込めて刀身を磨くのが良かろう。布は巫女殿に清めて貰うのがよろしいかと」
「そ、それだけで良いんすか?」
「そう。それこそが大事なのでござる。サンダー殿も、身体を清められると喜ぶでござろう。それと同じでござるよ」
(そうか、そうなんだ。ごめんな、勇者の木刀。これからは、ちゃんとお手入れしてやるからな)
俺はそう思いながら、戻って来た勇者の木刀に頬ずりしていた。
「それがしの振るう剣舞の強さは、単に肉体の力や早さに頼るものではないでござる。まず、研ぎ澄まされた精神の強さが必要でござる。もし、勇者殿が少しでも剣舞の技を会得したいと願うならば、心を鍛え、集中力を育てるために、座禅を組むところから行ってはいかがでござろうか」
サユリさんは、俺にそうアドバイスしてくれた。
(座禅かぁ。まずは心構えからだなぁ)
それを考えると、俺のチームは邪念だらけだもんなぁ。毎日が煩悩にまみれている。少し気を抜くと、いつ間違いが起きても不思議じゃないような、そんな環境だ。
(心を無にするなんて、俺に出来るんだろうか?)
俺がそんな風に考え込んでいると、肩を叩いて話しかけてきた者がいた。
「いよう、勇者さん。どないでっか?」
この関西弁は、煩悩その一──くの一のシノブちゃんである。
「誰かと思ったら、シノブちゃんかぁ。びっくりしたっす」
「どや、修行の方は。進んでっか? この姐ぇちゃん、もんのすんごい強いやろ」
「そうそう、シノブちゃんの言った通り。すげえ強さだよ。崖崩れの岩の中を踊りのような身のこなしで動いて、落ちてきた岩々を一瞬で粉微塵にしたんすよ」
「そりゃ、凄いわなぁ。うちも、ちぃとは恩恵に与りたいわ。サユリさん、うちにも稽古つけてんかぁ」
シノブちゃんは不躾にそう言うと、サユリさんに擦り寄った。
「シノブちゃん。サユリさんは、まだ体調が万全じゃないんだ。無理をさせちゃ駄目だよ」
俺は、彼女の傷を思いやって、そう言った。
「かたじけない。それがしの傷まで心配して下さるとは。あなた方は、良い勇者殿に出会いましたのう」
「そんなに褒められたら、つけあがってしまうでぇ。で、何から始めるんや? 腹筋か? 腕立てか? それとも、マラソンか?」
目を輝かせて、肉体鍛錬のメニューを聞き出そうとするシノブちゃんに、
「いや、最初は座禅からだよ」
と俺が代わりに応えた。身体を動かしたくてウズウズしているシノブちゃんは、その言葉に少なからず衝撃を受けたようだ。
「ざ、座禅とな。……うち、座禅とか、じっとしとるんは苦手なんやがなぁ……」
まぁ、そうだろうねぇ。期待に違わぬ反応を見せたシノブちゃんは、ガックリと肩を落としていた。
「技の鍛錬は、まず心の鍛錬からでござる。心乱るる時、技もまた乱れる、でござる」
項垂れるシノブちゃんに、サユリさんは優しくそう言った。
「座禅かぁ。うちも、師匠にはそう言われたんやがなぁ。全っ然、身につかんかったわぁ。どないしょうか」
シノブちゃんががっくりと肩を落としていると、近くにやってきた流星号が、声をかけた。
「姐御、おいらも一緒にやるんで、頑張ってみましょうぜぃ。魔導師の姐御を出し抜くチャンスっすよ」
「何や流星。うちは、なにも魔導師さんと競争しとる訳とちゃうで。でも、一緒にやってくれるって言ってくれて、おおきにな。流星がそないに言うなら、うちも、ちょっとだけ頑張ってみよか」
「その意気ですぜぃ、姐御」
「では、皆で鍛錬を始めるでござるか」
「大人数になったっすが、お願いします」
ということで、俺達の修行は、まず座禅から始まることになった。




