第百二十一話 悪意と憎しみに満ちた夜【Gilbert】
北海道、寒すぎて窓も玄関も凍って家から出られない件。
夜も更け、王妃宮は静まり返っていた。
昼間は貴族派が大勢集い騒がしかったが、いまは明かりも消え、王妃宮の入り口に築かれた防塞の篝火が灯るだけ。
その闇に乗じ、ギルバートは軟禁されていた部屋から抜け出し、ひとり王妃の執務室に忍びこんでいた。
「ない……ここにも、ない。一体どこに……」
王妃の寝所は、エレノアが不在の間に確認していた。
寝所には王冠も王笏も見当たらず、あるとしたら執務室しかないと思ったのだが見つからない。
まさか国宝を持ち歩いているのだろうか。だとすると取り返すのは簡単なことではない。
お付きの侍女が所持しているのか、護衛に持たせているのか、それともあの禍々しいオーラを放つ魔族が手にしているのかでも変わってくる。
一旦部屋に戻り、別の手を考えるか。そう考えた時――
「何をしているの?」
背後から声がして、ギルバートは勢いよく振り返る。
そこには母・王妃エレノアが入り口を背に立っていた。
「何をしているのと聞いたのよ、ギルバート」
「母上……」
コツコツとヒールを鳴らしながら、エレノアが近づいてくる。
目の前まで来ると、エレノアはため息とともに軽く頭を振った。
「あなたは王子で、次期国王なのよ? それがこんな夜中にコソコソと、盗人のような真似をするなんて。まったく嘆かわしい」
盗人はそちらではないか、とギルバートは奥歯を噛みしめる。
父王から王冠と王笏を奪い、命と共に王座を奪おうとしているエレノアこそが盗人だ。王妃という立場にありながら国賊だ。それこそ、息子として嘆かわしい。
「俺は王にはなりません」
きっぱりと、ギルバートは母の野望に拒絶を示した。
しかしエレノアは気にした様子もなく扇を広げ肩を竦める。
「そう。でも、あなたの意思は関係ないわ」
「母上」
「それに王の座になど、もう大した意味はないのよ」
予定が狂ってしまったのだ、とエレノアはなぜか楽しげに言った。
何が楽しいのか、ギルバートには少しも理解できない。
「俺には、母上が何を考えているのかわからない……」
握った拳を震わせながら、ギルバートはエレノアを真正面から見据えた。
「もうこのようなことはお止めください、母上!」
エレノアのしていることは全て、国に対する反逆だ。王族として恥ずべき行為だ。
第二王子でも、兄のスペアであっても、ギルバートは己が王族であるという誇りは持ち続けてきた。それに伴う責任も、である。
それなのに、自分の母親が父を、兄を、国を裏切るなんて。とても許せることではない。
「俺と兄上を争わせて何になるというのですか。ただ国が無駄に荒れるだけだ」
それでもギルバートはエレノアを見捨てることはできなかった。
決して愛情溢れる人ではなかった。母親の温もりをくれる人ではなかった。
だが、父を含め周りが誰もギルバートに期待をしていなかった時も、エレノアだけはギルバートに期待をしていた。それが利己的なものであっても、誰かに期待されるという事実はギルバートにとって、支えでもあったのだ。
「母上。王冠と王笏を父上に返してください。今ならまだ間に合う」
母の罪は一緒にかぶる覚悟だ。罰もともに受けよう。
それが済んだら王宮を出て、政から遠く離れた土地で、ひっそりと暮らせたら。
母が異常なまでの執着を手放すことが出来たなら、普通の親子として、これまで持てなかった家族の時間を過ごしたい。
多くを捨てなければならないが、ギルバートはそれでも良かった。しかし――
「間に合う? 間に合うですって?」
エレノアは弾かれたように笑いだした。
まるで痙攣を起こしたような、激しい笑いだった。
「一体何に間に合うというのかしら!」
「母上」
「これは必然。仕方がないことなの。手遅れなのよ。私が生まれてしまった瞬間から、もうとっくに!」
エレノアの笑いは止まらない。
だがその姿はギルバートの目にはなぜか、泣いているようにも映った。
ギルバートが戸惑いを感じた時、バルコニーから物音がした。
途端にエレノアは笑いを止め、バルコニーを振り返る。
「来たわね」
ゆっくりと、エレノアがバルコニーに歩み寄る。
「母上……?」
「残念ながら、あなたの覚悟とやらが決まるのを待ってあげられる時間はもうないの」
そう言うと、エレノアはバルコニーの窓を開け放った。
風が吹きこみ、カーテンが大きく揺れる。
「あなたが自ら私に従いたくなる、素敵なプレゼントよ」
そこには、大きな黒い羽を広げ、魔族の男が立っていた。
禍々しく反り立つ角が、恐ろしいほど整った美貌が、月の光に照らされぼんやりと光っている。
そして魔族の腕の中では、ぐったりと目を瞑るセレナがいた。
「セレナ……!」
瞬時にイフリートを召喚したギルバートだったが、突然斬撃のようなものが撃ち込まれ、イフリートはかき消されてしまった。
鞭のようにしなる魔族の尾が、鋭く斬撃のような衝撃波を走らせたのだと気づいたのは、床が抉れているのを見てからだ。
「母上……! 一体セレナに何を⁉」
ギルバートの怒号に、エレノアは扇で顔を隠しながらひとつため息をつくだけだ。
「何をそんなに怒っているのかしら。聖女を保護してあげただけよ」
「保護? ふざけるな。おい、魔族! セレナから離れろ。そいつに手を出すな」
魔族はギルバートを一瞬見ただけで、動かない。
お前を相手にする気はない、と赤い目が語っている。
「母上、セレナを返してください」
「可愛いギルバート。それはあなた次第よ」
エレノアは扇を閉じると、その先端をギルバートに突きつけた。
「聖女を守りたければ、覚悟を決めなさい」
母のその言葉に、ギルバートは落胆を超えて絶望した。
前回は脅しだった。しかし今度は違う。実際にセレナを人質にとったのだ。
実の息子を、ギルバートを、操り人形にする為に。
エレノアの言う通り、もう手遅れなのだと思った。
「母上……。今度こそ教えてください。あなたは一体何をするおつもりですか。この国を、どうしたいのですか」
ギルバートの悲哀のこもった問いかけに、エレノアは口の端を持ち上げた。
悪意と憎しみに満ちた夜が、更けていった。
なんかギルバートが可哀想でいじめてるみたいな気持ちになってきてつらい。




