三十、お茶会準備の心意気
早いものでラゼットがエルレンテ王宮に滞在して三日が経とうとしていた。短いようで長く濃い数日だったと思う。ロゼにとっては一生分の『心配』を使い果たしたことだろう。けれどそれも明日までの話、明日になれば正式な訪問日となっている。彼の迎えも追いつくはずだ。
(それまでに二人のために出来ることをしておきたい)
そのための出来ることが、主人公と攻略対象を引き合わせるためのお茶会である。もしかしたら自分はこの時のために産まれてきたのかもしれない、そんな義務感が襲った。
とはいえ思い付き、実はまだなんの用意も終えていなかった。ロゼにとっても今日は忙しくなることだろう。
決戦は本日午後三時を予定している。懐の懐中時計を取り出せば現在は八時を過ぎていた。張り切って王宮を抜け出したところだ。
三時なら日当たりの良い中庭が最適だろう。会場のセッティングはメイドたちに任せておけば問題ない。
(リーシャの愛らしさは太陽の下でこそ輝くのよ。もちろん月の下でも美しいけれど! 今日のリーシャは誰よりも輝くことでしょう)
彼女のためだけに用意された舞台、彼女のためだけに仕立て上げられたドレス――想像するだけで叔母として誇らしかった。おそらく先日仕立てたばかりのドレスを着るのだろう。嬉しそうに話していたことを覚えているのでロゼとしても早く披露してもらいたいところだ。そして横に添えられる見目麗しい皇子様――
(完璧過ぎる!)
なんて絵になる光景だろう。ここにカメラがないことが悔やまれる。なんなら国一番の絵師を呼ぶことも検討しておくべきだったと後悔した。
けれどそのためにはまず成すべきことがある。
(本当にレイお兄様が帰国していて運が良かった)
まさにその一言に尽きる。
今日ばかりはラゼットのことはレイナスに任せていた。お茶会の時間までは王宮内を案内してもらう予定だ。観光地として紹介することもあるエルレンテ王宮は広く、それを中まで案内するとなれば十分に時間を稼げるだろう。
(レイお兄様がいてくれるからこそ、わたくしも自分の仕事に集中出来るというものね)
不審な人物が街で行動を起こしているというのなら王宮にいてほしい。けれどラセット相手には普通の見張りでは不安が残る。その点レイナスが案内役であればラゼットも親切にもてなしてくれている他国の王子を置いて街に繰り出すことはないだろう。十九歳のラゼットは謙虚なのだ。
そしてレイナスはロゼにとって信頼に足る人物だ。どんなに強い兵が傍にいてくれるよりも、たった一人のエルレンテを想う身内が傍にいる方が心強い。滅亡の種はどこに転がっているかわからないのだから。
ラゼットも特別なお茶会のため、最高のおもてなしを用意すると話したところ納得してくれた。これで彼の安全は保障されている。
(リーシャは時間までに最高の状態に仕上げるよう頼んでいるし……)
完璧だ。あとはロゼが無事に買い出しを済ませて戻るだけ。これが他の誰にも任せることの出来ない最も重要な任務である。
ロゼがお客様のために考えたプランはその名も『お茶会は運命の出会い!?』作戦。ついに主人公と攻略対象の一人が対面を果たす場面となれば気合も入る。
(普通のお茶会で終わらせたりしない。運命の二人が出会うのだから最高の演出を用意する。それがわたくしの観光大使としての――いいえ、叔母としての使命!)
そのためには茶葉から菓子の一つにまで手は抜けない。じきに帰国してしまうラゼットのためにもエルレンテで最高のものを口にしてほしいと思う。菓子の類は毎年のようにコンテストを開催しているのでレベルも高い。
(ラゼットも甘いものは好きだと言っていたし、エルレンテはサンドイッチだけじゃないことを知ってもらわないと)
いずれ『アルベリスの皇帝陛下も認めた味』と宣伝してもらう予定なのだから。
~☆~★~☆~★~☆~★~☆~
各店の開店は十時からとなっている。飲食店に至っては十一時だ。
ロゼはまず、いつものように市場を回り始めた。ラゼットのことや運営会議に時間を取られ、こうしてゆっくりと見て回ることはとても久しぶりのように感じる。観光大使の大切な仕事を疎かにするわけにはいかない。
それにしても……
(ああ――、自由って素晴らしい!)
ラゼットには申し訳ないけれど隣に並ぶには緊張するものがあった。滅亡原因かもしれないという意味でも憧れの攻略対象という意味でも。
「なんだいロゼちゃん、今日はやけに良い顔してねーか?」
開口一番に指摘されるほど露骨だったのか。確かに身体は軽い気もする。
(決してラゼットのことが嫌いというわけではないの。それでもね、どうしても仕方のないこともあるのよ!?)
一通り言い訳そして表情を引き締めた。王宮に戻る前には鏡で確認したいところだ。
「まあその、久しぶりに開放感を味わっているところなので……。やはりベルローズは素晴らしいですね!」
「おいおい、素晴らしくしてくれたのはロゼちゃんだろーに。なあ、観光大使様?」
隣の店からも拍手が起これば何事かと喧騒に混じって好奇の目が向けられる。気恥ずかしくはあるけれど、その度にロゼは幸せを噛みしめていた。
街に出れば当たり前のように声をかけてもらえる。ラゼットにも認めてもらえたばかりだ。兄たちからも功績を称えられ国王からの認可も得ている。そして可愛い姪もいる。名実ともに観光大使と胸を張れる地位を築けたことは最高の幸せだ。もうずっと、幸せ過ぎて胸が溢れてしまいそうになる。
けれど胸に灯る違和感が消えないのは何故か。これ以上を求めるなんて贅沢なこともわかっているのに……どうしても彼だけがいない。
彼が認めてくれたのなら――
(……ねえ、ノア。わたくし観光大使になれたと思わない?)
観光大使と呼ばれるたびに在るはずのない姿を探してしまう。振り返ればどこかの陰に潜んでいるのではないかと思わせるほど優秀な人だった。
(貴方は今どこで何をしているの……貴方は、呼んでくれないの?)
街を歩くほど、ノアとの思い出が甦る。たった一日だけの小さなお忍び観光だった。けれどロゼにとっては色褪せない記憶だ。
一緒に食べたアイスも、花を選んだ店も。噴水も、なんでもない坂道だってノアの面影を残している。つい彼の姿を探してしまうのも何度目か。そして思い知らされる。
(ラゼットには偉そうに言っておきながら情けない。寂しいのはわたくしじゃないの……)
認めてしまえば苦しくなるばかりだった。
(もうっ! 大切な時なのだから雑念は禁止! ノアのことはわたくしの努力が足りないそれだけのことよ。いつかノアの耳にも届くようもっと頑張れということね)
だから――
いつかその日が来たのなら、姿を変えたエルレンテにとびきり驚いてほしい。琥珀の瞳をおもいきり丸くして驚いたと言ってほしい。帰ってきてよかったと微笑んで、とろけそうなほどの優しい笑顔を浮かべてほしい。
三十話目に突入してしまいました。私も驚いています。そして実はここからも一波乱ありまして……まだ続いてしまいます。長くなってすみません!
これも皆様が閲覧下さったからこそ。皆様に励まされてここまで来ることが出来ました。もう少しお付き合いいただけますと幸いです。物語も十万字をこえ長くなってまいりましたので、登場人物紹介も用意しておきますね!




