十七、観光案内ボランティア
「きっとフリージアですよ。花壇も整備し直して、今は街中で咲いていますから」
「フリージア?」
「やっぱり馴染みがありませんか?」
「そのようだ。俺が知る花はバラくらいのものさ」
「アルベリスの紋章にも使われていますからね。ふふっ――」
「ん? 何かおかしかったか?」
「すみません。それが、私たちも最初同じことを言ったんです。街中に咲かせるのならバラの方がいいのではと。だって、さすがにみなさん知っていますよね? あ、あれがフリージアですよ」
オディールの視線を辿れば黄色い花が咲いていた。鋭く伸び葉はまるで剣のよに凛々しく、稲穂のように小さな花が連なっている。バラのような華やかさはないが可憐な印象を受ける。
「提案された方が『バラの街になんてしてごらんなさい。国家の紋章にバラを使用しているどこかの国に喧嘩を売っているみたいじゃない。権利問題で難癖でもつけられたらどうするの! わたくしたちはもっと謙虚に、慎ましやかでいいのよ!』と猛反対して説き伏せたんですよ」
「それは、どう考えてもうちのことだよな」
「あはは……」
ちなみにエルレンテの紋章は咲き誇る花と盾。これだけでもう負けている気がするとも呟いていたが、オディールには何が負けているのか理解出来なかったそうだ。
「その結果があの花というわけか」
「バラのような華やかさはありませんけれど、種類も豊富なんですよ。それにベルローズは一年中穏やかな気候ですから、いつでも花が見られます。バラよりもうちの国にはあっているかもしれませんね。カップルで見ると平和な国にあやかって幸せになれるとか!」
これもあの方の受け売りなんですけどねとオディールは耳打ちする。
「私はこの地区担当なのでここから離れることが出来ませんが、時間があるのならセレネの丘へ行くのもお勧めです。あそこからは城下が一望出来ますよ。そういえば、滞在先はもう決まっていますか?」
「いや、まだだ」
「宿は通りにもたくさんありますけど、私のお勧めは一本むこうの通りに入ったマルクスさんの宿なんです。接客はエルレンテ一だと評価されていますし、店主の出す料理は格別ですからぜひ食べていただけたらと」
「成程、それは良いことを訊いたな。ぜひそうさせてもらおう」
「あとは広場に行くのもお勧めです。舞台がありますから大道芸や楽器の演奏、いろんなものが見られて退屈しません。椅子も用意されていますから、ゆっくりできますしね」
別れ際にまでしっかりと見どころを語っていくのだからベルローズに関する知識はそうとう深いのだろう。
フリージアの香り、甘いお菓子の香り、自国の商品に溢れた活気ある市、絶え間なく響く陽気な音楽――宿へと向かう道のりで湧きあがるのは疑問ばかりだ。
この国は本当にエルレンテなのだろうか。まるで別の国に足を踏み入れてしまったような感覚に陥ってしまう。それほどまでに出来過ぎていた。
導き出される結論は一つ、誰かがエルレンテを変えた。
ではいったい誰が、どこの誰がエルレンテを変えた?
彼の国の大臣ですらここまでの成果を出すことは難しいだろう。それが観光大使という存在なのだろうか。
「スリだ! おい誰か、その男を捕まえてくれ!」
思考を遮ったのは荒々しい声である。喧騒を縫って届いた叫びに顔をしかめた。それは彼だけではないようだ。
「スリ?」
聞き捨てならないと、人ごみに紛れていたはずの少女が同じく足を止めている。
「もう……今日もベルローズは平和と報告するはずだったのに、残念ね」
逃げるのでも怯えるでもなく、ため息を吐いたばかりの唇をむっと歪めて犯人の前に立ちはだかるので目を疑う。
(黒、いや緑か……?)
深い緑色は黒髪のように鮮やかだ。腰よりも長く、三つ編みにしていた。チョコレートのような色合いの服に映えるのは赤いふちの眼鏡で、レンズの奥の瞳は深い赤――まるでワインを連想させるほどの濃さだ。容姿は整っているし、美人と言えるだろう。けれど普通の少女である。
「おい、あんた!」
静止を振り切り、可憐な笑みを浮かべるばかりだ。
「お構いなく」
少女は犯人を見据えている。相手もそれに気づいたのだろう、少女に向けて警告する。
「おい、怪我したくなかったらどきな!」
「貴方が大人しく盗んだものを返却し、罪を償うというのであれば構いませんけれど」
「馬鹿にしやがって!」
さすがに止めるべきかと踏み出せば、それよりも早く少女は犯人を取り押さえてしまった。
手に抱えている分厚い本で拳を受け止め勢いを殺し、相手の力を利用して転ばせていた。すぐさま背後に回り腕に関節技を決めるという鮮やかな手口である。
「みなさん、犯人は確保したのでご安心ください。あ、衛兵さん、ここですよ!」
騒ぎを聞きつけて飛んできた衛兵の仕事を奪っていた。
口笛や拍手に埋もれる少女は何者だろう。犯人が衛兵に確保されるのを見届けると本を開き何かを記入している。
「スリ確保――と」
おそらく事件の詳細を記入しているのだろう。書き物を終えると声をかけるのもはばかられるような速足で走り去ってしまった。
いよいよ宿に着いたなら訊いてみることにしよう。
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「深い緑の髪をおさげにしていて、赤いふちの眼鏡をかけた少女を知っているかい? あと観光大使という者についても知りたいのだが」
さっそく店主に話を持ちかける。もちろんここはマルクスという人間が営む宿だ。
「ああ、ロゼちゃんのことですね」
「ロゼちゃん?」
すぐに名前が判明した。どうやらその二人は同一人物でロゼという名前らしい。
「彼女はドーラさんとこの――なんだったかな? 確か……妹の姪の息子の叔父の娘の、友達の……娘さん? まあそんな感じの遠縁の子で、出稼ぎに来ているんですよ」
だいぶ遠すぎで混乱しそうだ。おそらく喋っている方も混乱しているとみた。この情報は忘れても問題ないだろう。
「彼女、何者だい?」
「ロゼちゃんを知らない、ということは他国からのお客様でいらっしゃいますか」
「その通りだが、彼女そんなに有名なのか?」
「街で顔を見ない日はないくらい有名な子ですよ。この街のために必死になってくれる、本当に良い子です。お客様は、まだベルローズに滞在する予定でいらっしゃいますか?」
「数日はな、そのつもりでいる」
「でしたらその目で確かめるのが一番ですよ。きっと驚かれます」
楽しみは後にとっておけとでもいうのか、のらりくらりと話を逸らされる。まあいい。そうまでいうのなら、そのロゼとやらの活躍をこの目で見てやろうと思った。
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朝一番に宿を出る。
さあ噂の少女はどこにと意気込んでみれば、手間をかけるでもなく見つかった。朝の市場を普通に歩いていたのだ。またあの分厚い本を抱え、一軒ずつ声をかけながら歩いている。
花屋では眼鏡の奥で瞳を輝かせてはバラを受け取っていた。横顔から覗く瞳は澄んでいて、ワインではなく宝石を思わせる。
いくつか言葉を交わしながら通りを進み、所々で本にメモを取っているようだ。
大人しそうな外見に似合わずかなりの体力の持ち主であることがまず判明した。さらに昨日の犯人確保の場面から想像するに、実力も兼ね備えているらしい。けれど表情は年相応の少女そのものだ。
落とし物を拾っては持ち主を捜し、迷子を見つけては両親を探し――どこが目的地なのか、何が目的なのか見当もつかない。けれど目が離せないことも事実だった。
お待たせ致しました。成長したロゼが登場しました!
次回よりロゼのターンがやって参りますので、またお会いできれば幸いです。
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