10話 そうして僕たちは
「わぁ、きれい!」
一番高い丘のうえで、僕たちはまわりの景色に見とれてしまっていた。まぶしい陽射しに遠くの森の緑が、雲が輝いている。目的地へはまだかかる。この場所で休憩をとることになった。
「コートはどう? フラム」
「良い感じだよ。動きやすいし雨も防げる」
「新調したから不安だったけど、大丈夫そうね」
エマは微笑む。実体化が長くなった僕のために、彼女はコートを買ってくれた。雨にかぎらず、人間の街を歩いても大丈夫なように。
あの日からひと月が過ぎた。
僕たちは、旅を続けている。
廃坑で目を覚ましたとき、エマは小鬼と遭遇したあたりからの記憶をすべて失っていた。しかも一緒に廃坑から脱出すると、入り口には見覚えのある男たちが右往左往していて、彼らはあの街で一緒に戦った『魔術師』だった。が、みな何事も憶えていなかった。魔術を扱った経験も、魔術師として戦った記憶もないらしい。
一八年後からきたと告げたあのエマは「私たちは死ぬ」と言っていた。たぶん彼女が言った死ぬとは『改変前の未来から来た』自分たちの『意識』が消滅すること。――過去が書き換われば、意識転送された自分や仲間は存在しなくなる。そういう意味だったのだ。
未来の意識が消えるだけで現在の意識や肉体は基本死なない。……けれどあのときにエマはアニマの火を失うから、エマに限れば残った肉体も意識も死を迎える、はずだった。
……正直、いまでも信じられない。ほんとうに僕の火が彼女のコアで燃え続けているなんて。奇跡のようだった。
彼女に『移植』したアニマの火は、いまやエマの魂の火。きのう確認したかぎり拒絶反応もなくその量も増え、彼女独自のものに変化をしはじめている。
あの日に起きたことはまだあって、僕はコートの袖をそっとまくり、左の腕に目を落とした。
化け物にうばわれた僕の左腕にはいま『義手』がついている。サラマンデルがもつ赤色ではなく薄青の炎を纏ったエーテル製の腕。これは『未来』のエマが使っていた魔術でつくられている――
「腕が気になる?」
「……ううん、違和感とかはないよ」
「よかった。でもびっくりしたなあ。私が魔術を使えるなんて」
左腕を失う大怪我を負った僕に、エマはとっさに魔術で義手をつくってくれたのだ。手のほうが勝手に動いたそうだ。『未来』のエマは消え、エマは魔術をあつかう技能をなくしたはず。……にもかかわらず彼女はあれ以降も魔術を扱えるようになった。
僕の青い腕を見つめ、エマは言った。
「フラム、あなたの腕を見ると私よく思うの。あなたが説明してくれた『不思議な出来事』も『未来だった世界の私』もね、私にとっては嘘みたいな話。でも、やっぱり本当にあったことで、本当にもうひとりの私は居たんだなって、腑に落ちるの。『別の私』が残してくれたものが、あるから」
エマは「なんだか頭がこんがらがっちゃいそうだね」と冗談っぽく苦笑いして、近くにある倒木に腰をおろした。
……そう。『未来』から来たエマの痕跡は、いまを生きる僕たちを助けた。死んだとは言うものの、あのエマはいまも僕たちと旅をしているのかもしれない。
エマとの旅『調和の儀』はこれからも続いていく。ただし事の顛末を知ったドラークさんは、僕とエマの関係をしぶしぶ認めてくれた。――『婚姻』というしきたりのうえでやられてしまっては文句を付けようがない、とか。世間におおっぴらにはできないけれど。
おたがいの行き違いもなくなって、僕たちは両思いに……。
いや、成りゆきとはいえあの契りをかわしたわけで、それはつまり――
「どうしたの、その顔?」
エマが僕の視線に気づいた。いま僕はどんな表情でいるんだろう……。
彼女は、なにかを察するように目を見ひらいて、それから優しく細めた。
「廃坑のあれのこと? そういえば、私まだちゃんと返事していなかったね」エマは立ちあがり、言った。
「私も、あなたを愛してる。だからフラム、……責任とってよね」
「せき……! も、もちろんっ」
彼女の表情、甘い言葉に僕の舌はもつれて、身体が、熱くなっていって――
僕のコートはふたたび、一瞬で炎と、消し炭に変わる。
「もう、フラムったら」
エマはそれを見て、くすくすと笑った。
未来が変わり、破滅をまぬがれた世界は、きょうも人間と魔が平穏にいがみ合う。両者とも何ひとつ知らぬまま、永遠に流れる時に身を任せていく。
そうして僕たちは、これまでどおり無名の冒険者だ。
fin.






