全知全能と欲望
どうやら、大丈夫だったみたいだ。僕は自分の家のリビングで酢豚を食べながらその様子を見ていた。あの魔術にはちょっと欠陥が多いけど、問題無く使えたようで何よりである。
「治、何ボーっとしてるん?」
「ん、あ、ごめんごめん。考え事してた」
箸を持ったまま硬直していた僕に気付いたお母さんに言われたので、慌てて箸を動かして酢豚と米をかき込んだ。
「兄貴、最近ずっとボーっとしてない?」
「いやぁ、勉強とかもしてるからね。あはは」
乾いた笑いで誤魔化そうとした僕だったが、柚乃は怪訝な目をこちらに向けたままであった。
「この時期に上の空、ねぇ……」
にやりと笑みを浮かべる姉に、僕は嫌な予感がした。
「治にも、やっと好きな人が出来たんじゃない?」
「へぇ、そうなの兄貴?」
楽しそうに問いかけて来る姉に、秒で乗って来る妹。僕は溜息を吐き、この場にお父さんが居ないことを嘆いた。あの人が居たら多少は窘めてくれるのに。
「違うから。居ないよ、好きな人なんて……」
僕は昔から、恋愛的に人を好きになるってことがあんまり無かった。人間的に人を好きになるってことはあってもだ。正直、恋というものをあんまり理解してない。
「高二で好きな人居ないなんて嘘でしょ~? 人の心とか無いの?」
「あるよ! あるけど、別に居ないことだってあるでしょ全然」
「そう? 高校生の時の男なんてみんな猿みたいもんだし、普通は好きな人くらい居るでしょ」
「し、失礼な……」
僕だって男子高校生だけど、性欲はあんまり……いや、あれ? 前は僕もちゃんと性欲くらいはあった筈だ。何しろ、全知全能になって最初に考えたことはエロいことなんだぞ、僕は。
おかしい。どこで、僕はこうなった? 思えば、凄く美人な女の人を見ても、昔ほど緊張したりすることも無くなった気がする。
食欲は、ある。睡眠欲も、ある。性欲も、無い訳では……無いと思う。暫くは、向き合ってないけど。ただ、ウィーに近付かれ過ぎた時にはドキドキもしたし、消えたというよりも単純に薄くなったと考えるのが良いだろう。
「治?」
「ほら、やっぱり心当たりのある子が居るんでしょ?」
「ち、違うからね」
また思考に耽っていた僕は慌てて酢豚と米をかき込んだ。うん、美味い。酸っぱい系の料理はあんまり好きじゃないんだけど、お母さんはそれを知ってるからか、酸っぱさがマイルドになってて僕でも美味しく食べられる。
「うん、美味しい」
「ふふ、そうでしょ? 砂糖を少し多めにしたのよ」
「やっぱり? 酸っぱくなくて美味しいよ」
話を逸らされた姉はじーっと僕を見ているが、僕は無視して再び考えた。今度は、ちゃんと食べる手を止めないようにする。
原因は……何なんだろう。
別に、不能になったって訳でも無いんだけどね。朝起きたら元気になってることはあるし。ただ、自らそういうのを求める気持ちは無くなった、気がする。
原因を考えるなら、やっぱり全知全能だろう。ただ、欲望とか精神的な部分に触れたことはない。つまり、自然に起きてる現象ではある筈なんだけど。ストレスとか、なのかなぁ……意味分かんないことばっかり起きてるから、体が混乱しちゃってストレスを受けてるのかも知れない。
他に何かあるとすれば……僕の体が生殖の必要を失ってしまったとかだろうか。僕はある意味、既に個で完成してしまった存在と言えなくもない。だから、体が萎えてもうええわとなっている可能性も無くはない。若しくは、生殖をすること自体が相手や子供に危険を齎す状態になっているとかも、有り得るかも知れない。
「うーん……」
真偽は分からなかったが、十中八九全知全能のせいで起こっている現象を、全知全能に対して尋ねる気にはなれなかった。
「んっ」
ごくりと呑み込み、僕は食の満足感を得ていることに気付いた。三大欲求の中でも、食欲を失わなくて良かったと切実に思った。
♢
ご飯を食べ終わった僕は部屋に戻り、パソコンでカチカチと調べていた。結局、不安はまだ残っていたからだ。
「えぇっと……?」
ホルモンバランスの乱れ。テストステロンの減少。薬の影響……は無いな。寝不足も、多分違う。脳内伝達物質の異常……つまりどういうことだろう。
「ドーパミンが不足し、セロトニンが過剰になっているとやる気が無くなって性欲も無くなる……アドレナリンやノルアドレナリンの分泌が過剰になることで逆に性欲が無くなる……」
うーん。なんか、どうだろう。他のやる気に関しては別にそんなに無くなってる気はしないんだけど。でも、僕って元からやる気が無いタイプの人間だからちょっと分からないかも。
あ、でも図書館に行って勉強するとか最近してないし、そういう面で見るとやる気は失われてるのかも知れない。
「えっと、対抗策は……適度な運動、筋トレ」
はいはい、なるほどね。
「筋トレ、やりますか」
僕は今でも、不良達から逃げる時に僕が絵空と善斗の足を引っ張ったことを覚えている。アレは結構、苦い思い出だった。僕に足りないのは、明らかに持久力である。
という訳で……これからは、なんか有酸素運動でもしよう。ジョギングとかね。




