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下女皇后の後宮記  作者: 海野はな


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38.徳妃の提案

 下女だったころは、春が待ち遠しかった。

 冬の良いところと言えば、日が短いので必然的に働くことのできる時間が短くなること、それから雑草を抜かなくてもいい事くらいだろうか。


 水は冷たいし、手はあかぎれて痛い。何をしていてもとにかく寒い冬。普段は明るい葉でさえ、気分が沈み込む、それが冬だった。


 お飾りではなく名実ともに皇后となることを決め、皇后としての仕事にも精を出すようになった今年の冬は、もう少し終わってほしくないと思うくらいに忙しかった。


「終わらな~い」


 と言いながらやっていることと言えば、麦ちゃんをむぎゅっと抱きしめることである。要するに、現実逃避中。


 だいぶ体は大きくなりつつもまだ子犬である麦ちゃんは、「遊んでくれるの?」とキラキラとした眼差しを向けている。あいにくだが、そのような時間はない。珠蘭が仕事に戻ろうとすると、あからさまに「ちぇっ」と不満を表明して尻尾を垂らしていた。


「娘娘がご自身で仕事を増やすからではありませんか」

「そうなんだけど」

「おかげで私たちも忙しいのですよ」

「それはごめん」


 明明がコトリと茶器を置く。少しずつ味方を増やしているとはいえ、信頼して全てを任せられる侍女や女官はまだ多くない。明明に皇后の侍女という役割以上のことをお願いしている自覚はあるし、雲英にいたっては走り回っている。年齢的にもうちょっと抑えたほうがいいかと思うが、年齢を口にすると雲英はいたく不機嫌になるし、なんだかんだ言いながらも忙しいのを楽しんでいるようだけれど。小言は増えるが実際に非常に助かっているので珠蘭は何も言えず、たまにこっそり拝んでいる。


 今、珠蘭の手元にあるのは女官と宮女の名簿だ。それぞれの階級とともに、春に任期を終えて出ていく者、任期が終わるが継続する予定の者、任期内の者、任期がない者とに分けられている。


「やっぱりかぁー」

「何がですか?」

「いやー、嫌な人って残るんだよな、と思って」

「はい?」


 下女の葉として二十年ほど後宮にいた。だから、後宮内の人間関係についてはけっこう詳しい。下女どうしは基本的に助け合って生きているので、いろんな情報が集まるのだ。


 珠蘭は室内に明明しかいないことを確認して、近くに呼んで名簿を指差した。


「例えば、この人は上にはいつも良い顔をして取り入って下の者から搾取する人。この人は自分の仕事を押し付ける人。この人はいつも威張っていたな」

「え、この人は私も知ってますけど、いつも笑顔で良い人そうですよ?」

「上には良い顔するの。下女としてはなるべく避けたい人だった」

「へぇ、知らなかった」

「逆にこの女官はすごく良い人で、下女たちが不当に怒られているのを止めてくれたりするの。だけどそういう態度が上から嫌がられるんでしょうね、なかなか昇進しない」


 奴婢という身分は人として扱われない。それは後宮でも同じことで、仕事を投げられたり不当に怒られたり、手を上げられたりすることだって少なくない。それでも大抵は「下女だから」で通ってしまうし、他の人も見てみぬふりをすることが多い。


 そんな中でも下女を庇ってくれる人もいる。残念ながら、そういう人はなかなか出世しない。仕事は下に押し付けていいところだけを取る要領のいい人がどんどん上がっていく。


 珠蘭がやりたいのは、ちゃんと仕事をしている人が正当な評価をされるようにすることだ。下女を叱りつつ自分もしっかり仕事をこなす人ならまだいいが、下女に仕事を押し付けてなんにもしない人は駄目だ。


「本当は下女にも何か目指せるものがあったらいいんだけど」


 下女はいくら頑張っても下女。上がることはないのだ。


「それなら、下女の中で階級を作ったらどうですか?」

「階級?」

「例えばですけど、下女の中で上の階級にある者は炭を多く渡すとか、暖かい服を支給するとか」

「……それいいね」


 いずれは下女であっても意見が言えるような環境にしたいと考えているけれど、いきなりそれは無理だと分かっている。でも、位が上がるごとに少しずつ豪華な日用品を支給するくらいのことならば、反感も少なさそうだ。


 草案をまとめ、あとは徳妃と相談だ。少しずつ、焦らずに少しずつ変えていくのだ。


「よし」


 珠蘭は昔の仲間たちの顔を思い出し、拳を胸の前で握りしめた。




 梅の花が咲き、少し寒さが和らいだころ、徳妃が長明宮にやってきた。呼ぼうと思っていたところ、徳妃の方から伺いたいという旨が届いたのだ。


「皇后さまにご挨拶を」

「楽になさい。ちょうどわたくしからも相談したいことがあったのですよ。お掛けになって」


 徳妃はおっとりしているように見えるが、意外としっかりと意見を持っている人だということを最近知った。相変わらず何を考えているのかは読めないが、そこに敵意は感じられない。特に淑妃が降格してからは珠蘭も後宮を回していく上で頼りにしている。


 お茶を出して軽く雑談をしてから、本題に入る。


「皇后さまがわたくしに相談したいこととは何ですか?」

「これなのですけれど」


 人事について改める制度案を出す。仕事ができる女官が正当に評価されるように、今までのものに少しだけ手を加えてある。ついでに昇格する人物についても案を出してある。


「まぁ、ずいぶんと詳しくお調べになったのですね。大変でしたでしょう?」

「大変でなかったとは言いませんけれど、これも後宮をより良くするにはどうすべきか考えましたの。率直な意見をお聞きしたいわ」

「それでしたら、ここはこうした方がいいのではないかしら。このままですと、李皇太后さまが何かおっしゃるかも」

「あぁ、たしかに……ではこれでどうかしら?」


 徳妃は改善すべき点や注意点を上げてくれる。後宮を良くしたいという点については意見が一致しているし、仕事上ではとても頼りになる。おかげでよくまとまった。後は皇帝に確認を取るだけだ。


「皇后さまは勉強熱心で感心してしまいますわ」

「皇后らしく居られるようにと考えていますけれど、なかなか難しいところですね」


 つい、正直な気持ちも漏らしてしまう。


「ところで、徳妃の用件はなにかしら?」


 徳妃が部屋を見回した。徳妃の侍女と明明が控えているだけだ。


「人払いしたほうが良いですか?」

「いいえ、このままで大丈夫です。ただ、まだ内密にお願いしたいのです」

「内容を聞かないと何とも言えませんけれど」


 ちょっと困った顔をすれば、徳妃は笑って「そうですよね」と言った。少し姿勢を正して珠蘭を見つめる。


「皇后さまにご報告いたします。この度、子を授かりました」

「まぁ!」


 珠蘭は思わず声を上げてしまい、慌てて口を抑えた。本来だったら粛々と受け止め、祝いの言葉を述べるのが皇后の仕事だったはずだ。一度息を吐いて気持ちを整え、徳妃に向いた。


「徳妃、大変めでたく存じます。体を大切になさい」

「感謝します」


 威厳を感じさせるように述べたあと、速攻で態度を崩す。


「それで、体調は大丈夫ですか? あぁ、このお茶、問題ないお茶だったかしら。菓子にお酒は入っていないわよね?」


 大変だ、それは、大変だ!

 茶と菓子を出した明明を見ると、大丈夫だというように小さく頷いた。よかった。

 それにしても子だ。どうしよう。皇帝の子が増えるのだ。わぁ、どうしよう。


「大丈夫ですよ」

「そうですか? あの、暑かったり寒かったりしていませんか?」

「大丈夫ですから、落ち着いて下さいませ」


 珠蘭の無邪気に慌てきっている態度に徳妃は微笑んで、目を細めた。


「皇后さまはわたくしの懐妊を喜んでくださるのですね」

「当然でしょう。楽しみですね。男の子かしら、女の子かしら。どちらでも可愛いでしょうね」

「わたくしから陛下にお伝えしてもよろしいでしょうか?」

「え? あ、そうでしたね、陛下はまだご存じないのですね。もちろんですよ、すぐにでも、は無理か、早めに伝えてください。きっと陛下も喜ばれます」


 後宮の女が妊娠した場合、まずは皇后に報告するのが決まりとなっている。皇帝への報告は、皇后もしくは皇后の許可を得て本人が行う。


「どうか、まだ内密にお願いします。狙われることがございますから」


 その言葉に、浮ついていた気持ちが一気に冷えた。そうだった、ここは後宮。そういうところだ。実際に、徳妃が以前妊娠していたときに毒を盛られた事があると聞いている。偶然を装って体当たりされそうになったこともある。その時は未然に防げたが、警戒するに越したことはない。


「わかっています。こちらから漏らすようなことはしません。とにかく、体を大事になさって」

「ありがとうございます。次は皇后さまに期待していますわ」

「……え?」


 徳妃は頬に手をあて、おっとりと微笑んだ。


「年の近い兄弟がいたら、仲良くできそうではありませんか?」

「それは、そう、でしょうか」


 珠蘭の表情を読んだ徳妃が手を振ると、徳妃の侍女が礼をして部屋を出た。皇后がそれに倣う必要はないが、珠蘭も明明を外に出した。


「皇后さま、陛下がまだ怖いですか?」


 ハッと目線を上げると、心配そうな顔をした徳妃と目が合った。


「例の一件以来、男性を怖く感じていると聞いています。あのようなことがあったのですもの、当然かと思いますわ。ですが、陛下とは今もまだ?」


 男性が怖いのはその前からだが、そこは言うつもりはない。皇帝と今はそういう関係にないことを徳妃に言ってもいいものか迷ったが、珠蘭は緩く首を横に振った。


「そうでしたか。相変わらず陛下は優しいですね」

「えぇ、それに甘えてしまって、申し訳なく思っております」

「仕方のないことですわ。心の傷が癒えるには時間が掛かりますもの。陛下と皇后さまがお決めになったことであれば、わたくしが口を出すことはないのでしょうけれど、何か協力できることがあればおっしゃってください」


 珠蘭の子を楽しみにしているという徳妃の言葉には、他意はないように感じた。以前は社交辞令か、それとも子がない珠蘭に対する嫌味かと思ったが、どうしてか今はそのように感じられなかった。


「では、ひとつ教えてください。克服するにはどうしたらいいと思いますか?」

「難しいですね。皇后さまは陛下と一緒にいたりお話するのも苦痛なのですか?」

「いいえ、それは、全然」

「でしたら、少しずつ触れてみてはいかがですか?」

「触れる?」


 徳妃は頷いた。たしかに、一緒にいても大丈夫だけど、触れ合うのは怖いような気がする。


「例えば手と手を触れ合わせるとか、肩を揉んで差し上げるとか、そういう接触に少しずつ慣れてみては?」

「なるほど」


 それくらいならばできる気がするとやる気になっている珠蘭。

 徳妃は提案しておきながら少し不安になった。徳妃から見ても、皇帝は皇后を特別視している。後宮には多数の女がいるが、皇帝があのような目をするのは皇后にだけだ。あまり触れ合いが過ぎればどうなるか……。


「そこまではわたくしの責任ではありませんわね」

「え?」

「いえ、なんでもございません。上手くいくことを願っていますわ」


 徳妃はフフフッと心の読めない表情で笑った。

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