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下女皇后の後宮記  作者: 海野はな


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34/64

34.芋掘り大会

 ずいぶんと寒くなってきた。

 吐く息はまだ白くないが、外に出れば手足は冷える。

 もうすぐ、冬が来る。


 珠蘭はこれからくる季節の厳しさを、よく知っていた。

 洗濯や掃除をすれば水は冷たく手はあかぎれだらけになり、畑での作物が期待できなくなるだけ食べ物も少なくなる。外の仕事が辛い時期だが、下女たちが仕事を休むことはありえない。


 何より、寒い。


 それは、「寒いね」「えぇ、寒いわね」の会話が続いて暖かい、なんて生易しいもんじゃない。下女小屋は本当に寒い。毎年死人が出る。


 死人といっても、さすがに凍死するわけではない。下女とはいえ少しは炭だってもらえるし、ペラペラだけれども布団もある。それでも、寒さというのは人の体力も気力も奪っていく。体力のない者から体調を崩し、一度崩してしまえばそのまま。特に衰えた世代ではちょっとの風邪が命取りになってしまう。

 それが、冬だ。


 冬の冷たさと同じ温度になった仲間を、何人見てきただろう。



「そこで、芋掘りをします」

「待て、何の話だよ?」


 珠蘭は夜に長明宮を訪れた皇帝に力説していた。


「下女にとって冬が大変なのは分かった。なんでそれが芋掘りになるんだ?」

「炭を配るためです。下女に暖かな冬を、とまではいかないでしょうけれど、せめて凍えて死ぬなんてことがないようにしたいんですよ」


 そのための炭だ。炭、本当に大事。今までどれだけ苦労したか。

 だけど、「はい、炭どうぞ」と無償で与えると上からの反発をくらうだろうし、なにより下女まで届かない可能性が高い。


「陛下には、困窮している民に与えるつもりがその途中で横領されてしまって下まで届かない、といった経験はございませんか」

「……ありすぎるな」

「ありすぎるんですか」

「李家がな、一部は余家もだが、まぁ、いろいろな」

「陛下、苦労していらっしゃいますね……」


 とにかく、皇后が「下女のみなさんにどうぞ」と炭を分け与えたとしても、実際に下女まで届かないのだ。

 正当なルートを通せば、まず女官長に渡し、侍妾に配分され、女官に配られ、宮女に配られ、ようやく最後の余りが下女となる。これでは最初に十あったはずの炭は、下女に届くころには一あるかどうかになってしまう。本当に必要で届けたい所に届かない。


「ですから、わたくしが直接下女に渡すにはどうしたらよいかを考えました。そこで、芋掘り大会です」


 ちょうど芋の収穫時期だ。それならば下女たちに芋を掘ってもらい、その収穫量によって褒美として炭を渡せばいい。と、珠蘭は考えた。

 幸いにも、ぴったりの場所があるのだ。皇帝の畑である。


 皇帝の畑といっても、直接皇帝が耕しているわけではもちろんない。皇帝の食事を作る厨房に近いところにあり、たまにそこで採れたものが皇帝の食卓に上がる。後宮とも表ともいえない微妙な位置にあるが、作物の世話をしているのはだいたい下女だ。


 当然皇帝が直接収穫することもないが、採れた芋は例年「皇帝の畑でとれた貴重な芋」という扱いとなり、家臣や民に下賜される。見た目も味もただの芋だが、「皇帝からの頂き物だありがたや」と大仰に受け取られる。


 この「皇帝の畑でとれた貴重なただの芋」は下女によって収穫されるのだが、下女から見れば皇帝の畑だろうが芋は芋で、例年収穫しながらそっとくすねる下女がいる。というか、わりとみんなやる。食事の少ない下女たちにとって貴重な冬の食料だからだ。

 多くが見逃されるが、何人かが見つかって捕まり、罰を受ける。


 何といっても「皇帝の畑でとれた貴重な芋」なのだ。皇帝の物を盗んだということになり、それは下手すれば極刑だ。実際はさすがにそこまでされることはなく、だいたいが見せしめのように皆の前で棒で打たれるのだが。


「それで、芋を掘ってその量によって順位を決め、褒美に炭を渡すのです。これなら直接下女に炭を渡せますし、芋をくすねて罰せられることもないでしょう。くすねられない分、収穫量も増えます。一石二鳥です。なんて素晴らしい発想なのでしょう」

「自分で素晴らしいとか言うな」


 どうだ、と言わんばかりの珠蘭に気圧(けお)されながらチラッと雲英を見れば、緩く首を横に振っていた。「説得はしましたが私には無理です止められません」と額に書かれている。

 そういえば、二鳥であっているだろうか、と変な方向に思考が働いた。


「ということで陛下。陛下の畑の芋掘りをわたくしに任せていただけませんか?」

「それは構わないが、芋をくすねられなくなれば、それはそれで下女たちが困るんじゃないのか?」

「そこは別に支給するつもりなので大丈夫です。下女にとっては芋はほしくても、それが陛下の畑の貴重だけどただの芋である必要はありませんもの」

「貴重だけどただの芋……まぁ、それもそうか。炭はどこで用意するんだ?」

「わたくしの私費で購入しますよ。俸禄をもらっていますからお金ならあります」


 皇后という役職についている珠蘭には俸禄という給料が支払われている。そこから衣を整えたり化粧品を買ったり、宮で働く者たちへの給料など必要経費を払うが、実家は黄国王家なので仕送りの必要もないし、贅沢品を求める性格でもない。お金はたまる一方だ。


「おい、それは」

「もちろんずっとそうするわけにはいきませんけれど、今年はまずそれでいいと思っています。芋掘り大会の名目も、退屈な皇后が下女を競わせて楽しむ、とする予定です」

「皇后の娯楽の一環、とするのか?」

「そうですよ。わたくしは高みの見物で皆にがんばれーと声をかけ、最後に、なかなかおもしろかったぞ褒美をとらす、と言って炭を渡すんです。皇后の娯楽に付き合わされた下女、ってことにすれば、女官たちからの反発も少ないでしょう?」

「それでいいのか?」

「いいですよ?」


 何か問題でもあるのかと言うように、珠蘭はコテリと首を傾げた。


 それでは珠蘭がわがままで傲慢な皇后に見えてしまう。本当は下女の為を思っているのに、まるで道化ではないか。そうさせたくないという思いが玉祥にはあった。だけど……。

 珠蘭は皇后の評判や名声など、どうでもいいのかもしれない、と玉祥は思った。実際に珠蘭はそう思っている。


 玉祥はフッと笑った。


 そういうものかもしれない。皇后も、皇帝も。

 民の為ならば、皇帝の評判も、名声も、確かにどうでもいいことだ。


「わかった、好きにやるといい。無茶はするなよ」

「良かった! じゃなくて、感謝いたします!」

「やっぱりお前、おもしろいな」

「え、何ですか?」

「なんでもない」



 〇〇〇



 風は冷たいながらも晴れて暖かいその日、芋掘り大会が開催されることになった。


「うーん、芋掘り日和ね」


 会場に入る前にこっそりと伸びをしたら、雲英に睨まれた。


「娘娘、皇后らしく、ですよ」

「わかってます」


 珠蘭がスッと背筋を伸ばすと、よろしいというように頷いた。


 珠蘭が会場入りすると、皇帝の畑には下女が大集合していた。といっても、さすがに全員が集まることはできず、各下女部屋から代表二名が集結している。全員集まってしまえば下女の仕事が滞り後宮が回らない。それに、皇帝の畑というだけあってそれなりの広さはあるが、それでもあくまで宮城の中なのだ。農村地域のように広大な芋畑というわけでもないのだから、下女全員で掘るほどの量ではない。


 それでもパッと見ただけで百人は越えているだろうから、大集合といっても間違いじゃないだろう。


 下女たちは不慣れながらも教わったらしい礼を取っている。


「皆、楽になさい」


 そう言われてもどうしていいかわかっていないらしい。監視役の女官が慌てて礼をやめさせている。


「礼をやめて顔をあげて、ということですよ。今日はよく集まってくれましたね。わたくしのためにこうして集まってくれたのですもの、よほどでなければ不敬を問うことはしませんから、気楽になさって」


 ニコリと優雅に微笑んでみせる。下女たちにとって、皇后を見る機会なんてほとんどない。顔も知らない人が多いくらいだ。できる限り皇后っぽく振舞わなければならない。本当は一緒に芋を掘りたいのだけれど。


 逆に珠蘭の方は一方的に下女たちを知っている。もちろん全員ではないが、懐かしい顔を見て、涙が出そうになる。


「さて、今日はどんな催しか聞いているかしら?」


 女官が一応説明しているはずだが、雲英が珠蘭に代わって大会要項を説明していく。皇后を楽しませたまえ、という意図が薄くなってしまっていたので、所々で茶々を入れた。当然雲英にはそれとなく睨まれた。


「褒美に何がほしいか聞いたところ、炭だと言われましたので、用意しましたの。掘った芋の多い順に炭を差し上げますから、頑張って芋を掘ってくださいませ。皆がどれほど取れるのか、楽しみにしていますわ」


 順位は部屋ごとで決まる。今日参加せずに仕事をしている下女が不利にならないように、その部屋の炭、という形で渡すことになっている。

 もし芋をくすねようとすれば、芋も炭もなしだと念を押し、開始を知らせる。


「それでは始めてくださいませ」


 下女たちが芋を掘り始めた。掘った芋が次々と籠にたまっていく。炭という褒美があるからか、競争だからか、次第に下女たちも熱中してきた。


(いいなぁ、わたしも掘りたい)


「娘娘、自分も掘りたいとか思っていませんよね?」


 雲英がニコリと微笑む。目は笑っていない。

 えぇ、思っていましたとも。珠蘭もニコリと微笑む。


「雲英はいつわたくしの心を読めるようになったのかしら」

「駄目ですからね」

「掘りたいと思うだけならいいじゃないの」

「娘娘の場合、やりたいと思うだけに留まらないので駄目です」


 スッと立ち上がった珠蘭に、雲英が慌てたように声をあげる。


「娘娘」

「掘りません。見て回るだけよ。皇后らしく、でしょう。わかっていますわ」


 一段高くなった所から降り、裾を少しだけ上げながら畑へ向かう。

 下女たちはおしゃべりしながらも必死に掘っている。最初は固かった表情も、少し緩んできたように見える。

 籠の中にごろごろと入れられた芋たち。さすが皇帝の畑だけあって、良い実り具合だ。


 珠蘭は一人の下女を見つけ、声をかけた。


「大きい芋が採れましたね」


 声を掛けられた下女は酷く驚いて、顔を深く下げてしまった。


「良いのです。続けてちょうだい。たくさん掘るのよ」

「ありがとうございます」


(静さん……)


 かつての下女仲間。今は、これが精一杯の声掛けになってしまった。

 皇后として贔屓することはできないけれど、彼女ももういい歳だ。彼女の所へ渡せる炭が多いといいなと、そっと願った。



 静の様子をしばらく見つめていると、ざわめきが起こった。何事かと顔を上げると、皇帝がいた。まさかの皇帝登場に女官は大慌てだ。ほとんどの下女は皇帝の顔を知らないが、女官につられて急いで手を止めて跪いた。


(呼んでないぞ)


「陛下? どうされましたか?」

「面白そうなことをしていると聞いたので、見に来てみた。皆、楽に。気にせず続けよ」


 一拍置いて、下女たちは周りを見ながらおそるおそる芋掘りを再開した。


「そう迷惑そうな顔をするな」

「あら。顔には出ないように気を付けていたのですけれど」

「本心が言葉にも出ている。そこは、来てくれて嬉しい、と言え」

「……」

「黙るな。執務を抜けてきたので、様子を見たらすぐ戻る。上手くいっているか?」

「えぇ、今のところ。楽しんでもらえていると勝手に思っています」


 芋畑から出る。皇帝と皇后が並んで歩けばその後ろに共がぞろぞろとつくので、単純に芋掘りの邪魔だし迷惑だ。


「余も掘りたくなってきたな」

「珍しく気が合いますね」


 駄目ですよ、とお互いの側近の声が重なった。


 皇帝はひとしきり眺めて、うんうん、と大仰に頷いて、しばらくして帰っていった。一体なんだったんだ。


 そんなことが途中であったが、大きな問題もなく芋掘り大会は終わった。

 炭の授与で下女には喜ばれたし、例年にない豊作だった……というのは出来がよかったわけではなく、下女がくすねなかった分多くなったというだけだが。

 最後に内緒ですよと言った上で、参加賞だと()かし芋を配った。とても喜ばれた。



「雲英、次の褒美は食料にするわ。何で争うのがいいかしら?」


 芋掘り大会開催に一番奔走した雲英が凄みのある笑顔になったのは、芋掘りが終わってすぐのことである。

下女たちで芋掘りをしました。なんとなく、ジャガイモかなと思っています。

ちょっと見に来てみただけ、という風を装っている皇帝は、結構無理して執務を抜けてきました。

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