3-3
三
綜士郎から見て、甲精一はよく分からない男である。
ふだんは皇国陸軍一の問題児、古今無双のちゃらんぽらん男である。第一中隊が誇る熟女好きのスカポンタンとは、まさに彼のことだ。
訓練軍務とサボるのは当たり前、反省文沙汰は枚挙に暇がない。目上に対しても常にため口を叩き、人をおちょくることにかけては天下一品である。特技は拡声器並みにデカい声が出せること。
しかし、たしかによく分からない男ではあるものの、意外と観察眼があり、他者の感情や、人間関係の機微に敏い一面を持っている。
「またここかぁ。綜ちゃんこの部屋好きね」
「内密の話をするんだ。ひと気のない場所の方がいいだろ」
「いやんえっち。俺に何する気!」
「どうやら伍長から二等兵に降格したいらしいな……」
そういうわけで、ふたりはお馴染みの会議室に場所を変えている。かつて八朔少尉割腹未遂事件が起こった部屋だ。付近に人通りがなく、密談するのに適している。
「よっこら石窟」と精一は椅子ではなく、長机に腰かけた。意味の分からない掛け声は無視して、綜士郎も椅子に座る。
精一は五十槻が女子であること、それから彼女が香賀瀬や楢井から受けた仕打ちについて、すでに承知している。神祇研の面々の行いについては、事件直後に綜士郎から精一へ伝えてあった。もちろん精一はそれらの一切を、五十槻本人も含めた他者へ漏らしてはいない。このキツネは軽薄な男ではあるが、誰かを本気で傷つけるような行いは意外としないのだ。一応綜士郎なりに、このアホ伍長を高く買っているわけである。
現に精一は、自身が五十槻の素性を知っていることを本人には悟られていない。そういう人付き合いの器用さがこの男にはあった。
「意外だな」
開口一番、綜士郎はキツネへそう告げた。続いて語るのは、藤堂大尉、八朔家お泊り事件についてである。
「お前、俺が八朔の屋敷に泊まったこと、誰にも言ってないんだな。てっきり中隊どころか連隊中に知れ渡ってるもんかと思ってた」
「いやぁ、神祇研の一件さえなければいいネタだったんだけどさぁ。いつきちゃん色々あったっしょ? そういう色っぽい噂が流れたら、さすがに堪えるでしょうよ」
こういうところである。なんだかんだ、軍務以外で精一が頼りになるのは。そういう気遣いをなぜふだんの仕事に活かさないのか。
「……お前のそういうところは助かるよ」
「どうも。それにしてもさあ、まつりちゃんはしばらく荒れてたよねぇ。毎朝遠回りしていつきちゃんを待ち構えてたとか草」
「やめろ、思い出させないでくれ……あいつ、マジでややこしかったんだから」
精一の気楽な言いっぷりに、綜士郎はげんなりと肩を落とした。事件の翌朝、まさか朝帰りの現場を獺越万都里に見られていたとは夢にも思わなかった。おかげで五十槻に異常な執着を持つらしいこの部下は、しばらく情緒不安定であった。
そして誤解を解こうにも。誤解の内容が内容なので、五十槻に釈明させるのも憚られるところである。なので綜士郎は自分一人でひたすらめちゃくちゃ頑張って弁明し、ようやく万都里の誤解を解くことに成功したのだった。それにしても。
「……なあ甲。獺越って、もしかして五十槻のやつを……」
「まあ十中八九、綜ちゃんの思ってる通りだよ」
「はぁ……また人間関係が面倒くさくなる……」
「まっ、もともとは俺が焚きつけたんだけどねーっ! まつりちゃんってば、いつきちゃんに対して分かりやすくツンツンデレデレしてっからさ~!」
「ほんまこいつは……!」
万都里のことはひとまず横に置いておく。
綜士郎は八朔の屋敷で起きた出来事を、精一へ詳しく説明した。
顛末が顛末である。精一はところどころ爆笑しつつ、綜士郎の話を聞き終えた。
「ヒーッ! 相変わらずめっちゃおもろいんよね、いつきちゃん周り! 娘にノリノリでデキ婚させようとする親とか草。お疲れ綜ちゃん!」
「くそっ、他人事だと思いやがって……!」
「ま、草生えたところで、いまのいつきちゃんの境遇はワロエナイんだけど」
キツネは細い目の目じりを拭って、長机の上で足を組みなおした。
「まあでも綜ちゃん、あのいつきちゃんが家族相手に怒れるようになったんだよ。それはそれで結構おっきい成長じゃん?」
「そうかもしれないが……」
「とはいえ、年頃の女の子が家族と仲違いして、家で居心地悪くなってるのはまあ、ちょっとかわいそうかもな。かといって、家庭の問題だからなぁ。介入はかなり難しいときた」
つらつら語る精一の言葉に、綜士郎は「そうなんだよな」と同意の相槌。
「……かといって、綜ちゃんがあまりでしゃばるのも、俺はあんまり良くないと思うなぁ」
精一の細い目が、綜士郎をじっと見つめている。その糸のような目を見返しながら、綜士郎も同調の言葉を口にする。
「たしかにそうだ。不本意だが五十槻の婿候補なんぞと見做されている以上、迂闊に俺があの家に近づくわけには……」
「そういう意味じゃないよ、綜ちゃん」
たしなめるような伍長の声は、少々真剣みを帯びている。綜士郎は怪訝な顔をキツネへ向けた。そういう意味じゃない、とは。
「いつきちゃんは綜ちゃんに依存してる」
精一の指摘に、ぐっと綜士郎は声を詰まらせた。胃の底がずん、と重くなる感覚。
正直、綜士郎も薄々そうだと自覚していた。神祇研の騒動の折にも綜士郎の犬を自称し、以降も過度のふれあいを要求してきたり、常に綜士郎のそばにいようとしている。
「あの子はいま、自分の拠り所を、八朔の神籠と、綜ちゃんのわんちゃんってところに求めてんだよな」
「わんちゃん言うな」
「まあまあ。んでさ……あの子は元々、香賀瀬のオッサンの支配を受けて生きてきた。きっと大人との関わり方を、支配という形でしか知らないんだと思うぜ」
「支配…………」
綜士郎は押し黙っている。青年は少女を守ることに必死で、彼女の中身なんてまるで見えちゃいなかった。香賀瀬の支配から解き放たれ、ほころんだ真顔で美味い飯を食って……それで、なんとなく上手くいっていた気がしていた。
「……そんな落ち込んだ顔するなよ。どんな形であれ、あの子にとって、綜ちゃんの存在が支えなのは間違いないよ」
「…………しかし」
「いまのいつきちゃんにとっての幸福は、誰かの支配を受けつつ、神域で大暴れして禍隠を皆殺しにすることだ。ただ、あの子は意外と強かでもある。神祇研のときにははっきりと、香賀瀬の支配を断ち切って綜ちゃんに乗り換えた。つまり、支配の枠組みを選ぶことはできるようになったってわけだ。現に今回も、自分が望まぬ形の支配を押し付けてくる家族相手に、いつきちゃんは反発してる」
つらつらと言葉を紡いで、精一はにんまりと笑った。
「ま、ある意味じゃ自我が育ってきてるってこった。自分をどう扱ってほしいかの、明確な像があるんだろうさ。ただ結局のところ、誰かの支配に回帰しようとしてるんじゃあの子のためにはならねえ。そういうのを依存っていうんだ」
精一の見解は、おそらく的を射ている。ここ最近の五十槻の様子を思い出しながら、綜士郎は嘆息した。少女は以前にもまして、綜士郎に従順だ。結局、自分が彼女のそばにいることは、当人のためにならないのではないか。
「俺は……あいつから距離を取った方がいいのかもしれないな」
「ちょい待ち。なんでそーなる」
綜士郎のつぶやきに、キツネはおどけた仕草でビシッと綜士郎へ指をつきつけた。深刻な話題のはずなのに、このアホはところどころ軽い。
「綜ちゃんが離れてったら、いつきちゃん、めーっちゃ傷つくでしょーが」
「仕方ないだろうが。あいつが支配の関係で依存を強めるってんなら、早めに距離を置くしか……」
「だーかーらー。それで楽になるのは綜ちゃんだけでしょ? いつきちゃんはただでさえ、信頼してた大人に手酷く裏切られてんの。そのうえ綜ちゃんまであの子から距離を置いたら、今度こそいつきちゃん、神域の中で特攻玉砕しちゃうよ?」
「う……」
じゃあどうしろと。綜士郎の苦悩を見透かしているように、精一はにやにやしている。
「綜ちゃんはそのままでいいよ。あの子の望む通り、これまで通り飼い主役をやってあげな」
精一の助言に、綜士郎は「は?」と不服の顔を浮かべた。しかし、それでは。
「それじゃ何の解決にもならんだろうが」
「いいや。いつきちゃんには──綜ちゃん以外の連中と、たくさん関わりを持ってもらおう」
キツネは長机の上から足をぶらぶらさせながら、気楽な口調で語った。
「あの子が神籠やら禍隠やらに執着するのは、たぶんそれ以外の生き方を知らないことが一因だ。そういうのを教わるのにはやっぱり、軍隊に所属してる人間じゃあ不適任だ。俺は、ほんとは家族にその役割を期待してたんだけどねぇ……」
やれやれと、精一は頭を振った。綜士郎もそこは同意である。本当は、家族との温かなつながりの中で、軍隊以外の世界を知ってもらいたかったのに。
「ま、安心しろい綜士郎。そこはこの精一くんに妙案がある。いつきちゃんにちょうどいいお友達を見繕ってやらぁ」
「おい、いかがわしい店の女とかじゃあないだろうな?」
「違う違う。いつきちゃんと同い年くらいの子たちだよ。俺、ちょっとアテがあってさ」
綜士郎は精一の提案を胡乱な顔で聞いているが、当人は「まあ任せときんしゃい」とあくまで軽い。
「ほんとに大丈夫かぁ……?」
「だいじょぶだいじょぶ。まあその件は俺に任してもろて……ただ、綜ちゃんはもう、あんま八朔のおうちには深入りしなさんな。上官の職分の範疇、さすがに超えてるでしょーよ」
「……分かってるよ」
「綜ちゃんだって負担でしょ。あの縦貫なんちゃらとかいう、けったいな作戦も準備が進んでるわけだしさ」
精一の言う通りだ。綜士郎は職務上、五十槻の問題を抱えている場合ではない。羅睺の門、および羅睺蝕に対する全国規模の作戦を調整している最中だ。無論、作戦の要は八朔の神籠である。
「……結局、あいつの家庭問題の解決策はなしってわけか……大規模な作戦が控えてるのにな」
「まったくもう綜ちゃんってば! いつきちゃんの問題を、なんでもかんでも自分が解決しようとすんじゃないよ! 信じて放置してあげな!」
「いや、お前、放置て……」
なおも不安そうな綜士郎に、精一は長机からぴょいと飛び降りると、彼の隣に並び、袖をまくった下士官服の腕でバスッと力強く肩を叩いた。
「背負うな。肩を並べてやれ」
その言葉で、綜士郎の中の張り詰めていたものが、やんわりとゆるんでいく。
知らず知らずのうちに、綜士郎は背負い込んでいたのだ。あのとき禍隠の屍の山から背負っておろした、八朔五十槻の存在をそっくりそのまま。それを精一に気付かされるのは、少しだけ癪だけど。
「……でもやっぱり俺は、五十槻の家庭環境が心配だ!」
「ほらもう、そういうところが過保護だし、いつきちゃんの依存を助長するんだよ? そろそろ見守ることを覚えなよ、綜ちゃんだけで面倒見るのは、限界があるんだからさ」
やれやれ、と精一は苦笑した。
「ったく、これからいつきちゃんに何かあるたびに、ぜんぶ綜ちゃんが出て行ってどうにかしてあげるの? そんなんじゃあの子、あんたがいなきゃ自分で何も解決できないままじゃん」
「うぐっ……」
「そういうことなら八朔のおとっつぁんの言う通り、いつきちゃんを嫁にもらってあげなって話。そんで綜ちゃんが一生面倒見てやるの」
「うっ……」
「結局、強制デキ婚にしろ過保護にしろ、あの子の内面の成長と意思をないがしろにしてるって点じゃあおんなじだ。自立の機会を奪うってのは、そういうことだよ」
「く、くそ……たしかにお前の言う通りだ!」
結局、八朔家の問題に第一中隊は介入しない。甲精一伍長の一存である。
八朔五十槻少尉には、同世代の友人との交流を通し、軍営では学べぬものを学んでもらう。
──この先、彼女が独力で諸事を解決する能力を、身に着けるために。
それにしても、このキツネはバカに面倒見がいい。そう指摘すると、精一は茶化した口調で「俺弟が六人いるんだー」などと言う。本当だろうか。甲家の親、頑張りすぎでは。
「ま、兄弟以外にも、昔、いつきちゃんと似たような知り合いがいてさ。俺ァあの子に、そいつみたいになってほしくないんだよ」
ふいっと綜士郎へ背を背けながら。精一は窓の外へ視線をやり、青空を見上げながら言った。
「あんな問題児が二人といてたまるかよ。いったいどこの誰だ、そいつは?」
精一の軽口に引きずられて、綜士郎はざっくばらんな調子で尋ねる。
甲精一伍長は「いつきちゃんには内緒だよ?」と念押ししたうえで、ふだんの軽率さを引っ込めて、淡々とした口調でその名を告げた。
「…………皇都雷神、八朔達樹」




