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──(かけ)まくも(かしこ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの大前に

  神實(かむざね)八朔(ほずみ)五十槻(いつき) (かしこ)み恐み(もうさ)

  清浄(きよら)なる霹靂(かむとけ)あらわし 千早振(ちはやぶ)神寶(かんたから)剣刀(つるぎたち)()

  四海(よつみ)の外より(きた)禍隠(まがおに)どもの(ことごと)くを

  祓いたまえ 清めたまえ


 椋野山の上空から。五十槻は山中に輝く、不気味な赤い光を視認した。紫の虹彩の内側で、瞳孔がギュッと異様に収縮する。

 宙に浮く赤い正円。羅睺(らごう)の門だ。

 仮面の内側で、五十槻の口が歓喜に歪む。八朔の神籠の血潮に刻まれた悦楽は、門を破壊すること、そして禍隠を殺すこと。

 五十槻は軌道を変えるため、空中でいったん神籠を解く。光速から投げ出され、少女の身体には急激な空気抵抗と、落下の重力がのしかかってくる。ばららっ、と軍服へ降り注ぐ雨粒。

 眼下には銃声が響き渡り、木々がうねり、山の地面が胎動している。先行した神籠三名が、さっそく禍隠へ攻勢をしかけているようだ。

 目標の赤い光を見据えながら、五十槻は逸る気持ちを抑え、再び神籠を発動しようとする──けれど。

 

(あれは……?)

 

 八朔の神籠は非常に視力が良い。動体視力にも優れ、夜目も利く。だから雨天のさなか、門より少し離れた地点に見えるものも捉えてしまった。

 

(人……?)

 

 山間の沢のような場所に、倒れ伏している人間がいる。遥か空中からでは遠目すぎるが、地面に投げ出された白い腕は間違いなく人間のものだった。

 さきほどの藤堂大尉の周辺解析では言及されなかった事象だ。雨で捕捉しきれなかったのだろうか。

 ともかくここからでは、倒れている人が生きているか死んでいるかすら分からない。身動きはしていなさそうだ。五十槻は落下しながら瞬時に思考を巡らせる。

 ひとまず最優先は、やはり門の破壊である。それから藤堂大尉の指示通り、先行の三名に加勢し禍隠を殲滅、その後、要救助者の保護に向かうべきだろう。ただ、倒れている者の怪我の度合いが重篤であった場合、禍隠の討伐に時間をかけていると命取りになってしまう。なるべく速やかにすべてを終えなければ。

 そこまで考えて、五十槻は再び神籠を発動した。重く垂れこめた雨雲の下に紫の雷光が閃き、続けて二度目の雷鳴が轟き渡る。目標は──門。稲妻は不規則な軌道を描き、そして。

 不気味な赤い正円の中心へ、閃電が突き刺さった。

 

「おっ、いつきちゃん!」

「来たなハッサク!」

 

 門の周囲で禍隠を相手取っていた精一と万都里(まつり)が、待ちかねたように羅睺の門の方を見た。彼らの視線の先で、けたたましい雷鳴が響くとともに、紫の光と赤い光とが拮抗している。

 

「八朔少尉……なんか今日はやたら派手にやりあってんな?」

 

 同様に数体の禍隠を生き埋めにしていた崩ヶ谷(つえがたに)中尉も、門の方角へ首を傾けている。今日の八朔の神籠は、何を焦っているのか、ふだんより出力が大きいようだ。

 そんな同僚らの注目を集めつつ、五十槻は門の中央へ突き立てた軍刀へ、いっそう神籠の力をこめる。

 

かけまくも(かしこ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの大前に、神實(かむざね)八朔(ほずみ)五十槻(いつき)(かしこ)み恐み(もうさ)く!」

 

 羅睺の門を成す赤い光の輪郭に足をかけ踏みしめつつ、五十槻は朗々と祓神鳴神(フツカンナリノカミ)を寿いだ。

 

(にく)き禍隠出だす(こと)つ世の(かど)を打ち毀し、永久(とこしえ)に閉ざしたまえ!」

 

 いまわの際の門から、悪あがきのように黒い粘液がどろりとこぼれ出る。粘液は五十槻の腕や足に絡みつくけれど。

 迸る紫の神雷が、(ことごと)くそれを灼く。周囲で唸り声をあげていた禍隠の群れも、同じく。

 そして羅睺の門にビシリと赤いヒビが入った。爆発のような轟音を上げ、閃光を発し。門は構造を維持できず、あっけなく崩壊した。

 

「よし!」

 

 これで敵方の拠点は潰えた。門の破壊を確認し、五十槻は間断なく後背を振り返る。

 

「ハッサク! 怪我はないか!」

 

 さっそく万都里が銃を構え周囲を警戒しながら、そばへ駆け寄ってきた。軍帽の下、飴色の髪はじっとり濡れている。「ええ」と返事をしながら、五十槻は先刻、山の上空で見た状況を手短に伝えた。

 

「この付近に、生死は分かりませんが、倒れている人がいます。なるべく速やかに禍隠を殲滅し、状況確認を行うべきかと」

「なんだと? 近隣住民は全員避難したはずじゃ……いや、言ってる場合じゃないな! クソ猿め、邪魔だ!」

 

 突然樹上から現れた猩々(しょうじょう)型の禍隠の眉間へ、小銃で冷静に一発くらわすと、万都里は他ふたりへ向けて声を張り上げた。

 

「おい崩ヶ谷! 甲! このあたりに怪我人がいるかもしれんらしい! ハッサクが空から見た!」

「分かった! なら二人は急いで救助に向かってくれ! 残党は俺と精一が片付ける!」

「お二人で大丈夫ですか、崩ヶ谷中尉、甲伍長!」

 

 五十槻の見たところ、禍隠は結構な数が残っている。特に先程万都里が仕留めたような猩々型は、木々の間を器用に跳躍して、まるで本当の(ましら)のようにすばしこい。しかし、崩ヶ谷も精一も、五十槻の心配なぞどこ吹く風である。

 

「だいじょうぶだいじょうぶ! 心配すんな、おじさんたちに任せなさい!」

「だってふたりは!」

「クズキュア!」

「く、くずきゅあ……?」

 

 よく分からないネタを息ぴったりに唱えて、自称おじさん達は野太い雄たけびを上げながら禍隠を迎撃している。鞭のようにしなる木々に、禍隠をざぶざぶ飲み込む土砂崩れ。

 

「いったい、くずきゅあとは」

「巷の女児の間で最近流行っている絵本に登場する、二人一組の正義の味方『ヤシキュア』の名前のもじりだろう、たぶん。それより怪我人とやらのもとへ案内しろ、ハッサク!」


 なぜ獺越さんは、巷の女児の流行りに関しての知見があるのだろう。


 五十槻は疑問に思ったが、そこを掘り下げている場合ではない。気を取り直して、五十槻は沢の方向へ紫の瞳を向けた。

 

「こちらへまっすぐ進んだところです。獺越さん、手を離さないでください」

「ああ……は? 手?」

 

 徒歩で行くと思っていたのだろうか。五十槻の声掛けに、万都里は少々面食らったような顔をしている。構わず五十槻が手を取ると、年上の同期は明らかに動揺した声で「はわッ」とうろたえた。

 件の要救助者のところまで行くのに、一番早い移動手段は、やはり──。

 

「獺越さん、舌を噛まないように口を閉じていてください!」

「ハハハ、ハッサク! おおお、お前から手を繋ぐなら、五分前にはそう宣言してもらわないとオレは……おわッ!」

 

 そして発動する八朔の神籠。万都里の無駄口を置いてけぼりにするかのように、紫の電光が山中に稲妻を描く。

 ふたりいっぺんに雷電に乗じ、そして五十槻は目的の沢付近で神籠を解いた。

 じゃぷ、とぬかるんだ地面に着地して。それから光速移動に慣れていない万都里がつんのめるのを、さりげなく支えてやって。

 

「ここです」

「ま、待て……オレちょっと気持ち悪い……」

 

 五十槻は振り返りながら万都里へ告げるが、彼は目元を押さえ、少々気分が悪そうな面持ちをしている。

 八朔の神籠は初心者には厳しい。五十槻も神籠の訓練を始めた頃は、あまりの眩しさと速度に身体がなかなか慣れなかったものだ。

 万都里は「オレはいいから怪我人を探せ」と、立ち竦んだまま呻くような声で五十槻へ告げる。同期の言葉にうなずいて、五十槻は周囲の禍隠を警戒しつつ、上空からの記憶を頼りに周囲を見渡した。

 雨は()まない。相変わらず激しい雨粒を、木々へ、地面へ、人へ──五十槻へ叩きつけている。

 

「これは……」

 

 まず目に留まったのは、猩々型の禍隠の死骸だ。沢を覆うように繁茂した藪の中に、埋もれるように倒れている。草木に埋もれていたため、空中からでは視認できなかったのだろう。

 その禍隠の死骸は異様なことに、下半身が消し飛んでいる。まるで、超高温で灼かれでもしたかのように。

 五十槻は先刻、雷の神籠で多数の禍隠を焼死させたばかりだ。けれどおそらく、目の前の個体は五十槻の攻撃を受けた禍隠ではないだろう。下半身が無いまま一瞬でこの沢まで移動してきたとは、どうしても考えにくい。

 よく見てみると、禍隠が倒れていた茂みは、部分的に燃え尽きたような形跡がある。大雨のため、火は大して燃え広がらず、すぐに消えてしまったのだろう。

 訝しみながら、五十槻の足取りは沢へ近づいていく。

 上空から見えた人間の身体は、そこにあった。

 ふだんより水嵩の増しているらしい沢のほとりに、大人の女性が倒れている。濡れた長い黒髪を濁った沢の水に浸し、体勢は伏臥(ふくが)の状態だ。禍隠がいた茂みから、這いずってきたように見える。

 幸い、口許は水から離れている。一縷の望みを持って、五十槻は女性へ駆け寄った。そばへしゃがみこみ、「大丈夫ですか」と呼びかける。けれども女性はぴくりとも動かない。肩口を叩いても、揺すっても、反応はない。首筋に手を当ててみる。やはり肌はひんやりとしているし、脈はない。

 いや、と五十槻は唇を噛み締める。まだ諦める場面ではない、と少女は思った。もしかしたら、心肺蘇生の処置を行えば助かるのではないか、と。

 五十槻は女性の肩を掴むと、慎重に彼女を仰向かせた。恐怖にこわばった死に顔が、ごろりと五十槻の方を向く。

 

「あ……」

 

 そこでやっと、五十槻は悟った。彼女がもう死んでいることを。

 そして紫の瞳は、網膜に焼き付けてしまった。沢に浸る、死体の下半身を。

 身体が仰向けになったことで着物がめくれ、露わになる『それ』。

 少女の喉元に、酸っぱいものがこみ上げた。

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