04
早朝、まだ陽も昇りきらぬ頃。
シルヴィアは屋敷裏手にある通用門の横で、小さなナイフを片手に木片相手に悪戦苦闘していた。
時折首を捻っては少しだけ削り、たまに手を滑らせて危うく怪我をしそうになる。
そんな光景を、横に立つブランドンはハラハラしながら見つめる。
「それにしても、どういった心変わりですかな。今までそのような事に興味があるとは、存じ上げませんでしたが」
「理由なら知ってるんじゃないのか? どうせ報告は受けているんだろ」
「……一応は。ですがご自身でなさるとは思ってもみませんでした」
ブランドンはその立場上、シルヴィアの護衛役からその都度行動の内容についての報告を受けている。
今この場でシルヴィアがやろうとしている行動の理由についても、その報告からおおよその見当は付いているはずであった。
「上手な人がやってるのを見るとさ、自分でも出来るような気がしてくるんだよな」
「お気持ちはよくわかります、私にも何度か似たような経験がありますので。ですがやってみるとなかなか……」
「だよな。なんでこう上手くいかないのか」
先日偶然出くわしたドナートがしていた彫刻。
それに妙に感化のされてしまったシルヴィアは、自身でもやってみたいと思うようになっていた。
何処からか引っ張り出してきたナイフに、市街区の材木商からタダ同然で譲り受けた木片。
それらを使ってシルヴィアが作ろうとしているのは、何がしかの装飾品。
何がしかのというのは、当の本人ですら何を作ろうとしているのか、よくわかっていないためだ。
上手くいかないのも、ある意味で当然と言えば当然か。
「で、何をお作りになられているので?」
「そうだな、この形だと……人の像とかどうかな?」
「初めて作るにしては、些か難易度が高いのではないかと思われますが」
初心者であるということすら忘れ去った無謀なシルヴィアの言葉に、ブランドンは半ば呆れの混ざった溜息と共に返す。
その感想もごもっともであり、シルヴィアは二の句を継げずにいた。
しばしそのようにして時間を潰していると、門の向こうからゴロゴロと車輪の転がる音が響き始める。
顔を上げると、視線の先に見えてきたのはドナートの姿。
この日は数日に一度の、食材を搬入する日であった。
「おはようございます、ドナートさん」
門の前へと来たドナートが証明となる木札を提示した後、扉を開けて挨拶したのはシルヴィア。
その姿に、ドナートは少々驚きを示す。
「お……おはようございます。……えっと、シルヴィア様でしたか」
どうやら今度はドナートも覚えていたようだ。
体格から性別の区別はつくであろうが、おそらくは相変わらず顔が判別できてはいないであろう。
だがその点に関しては、シルヴィアとて同様だ。
持ち込んだ食材の検品をブランドンがしている間、シルヴィアは先日の件に関しての礼をする。
実際あそこでドナートに出くわさなければ、しばらく迷い続けていたであろう。
その後護衛役に泣きついて家に送ってもらうという、少々情けない姿を晒す破目になっていたはずだ。
シルヴィアは礼をした後で、自身も彫刻をやってみたが、上手くいかないと話す。
ドナートのように上手くなりたいものだと話すと、彼は照れくさそうにしながら謙遜を示した。
あのような達者な技能があるのだ、普段から称賛されることは多いであろう。
だが基本がシャイな性格なのか、シルヴィアの褒める言葉にも頬を染めるばかり。
シルヴィアが手にした木片を見せると、ドナートは一目見て、もっともなアドバイスをする。
「とりあえず……まずは下書きをした方がいいと……思います」
「やっぱり一発勝負じゃ無理か」
シルヴィアは木片に大まかな目印すらせず、いきなりナイフで削り始めている。
素人がそんな真似をしても、当然上手くいこうはずもない。
ドナートのした助言は、まず初心者らしくやればいいといった意味合いが込められており、そこに反論の余地はなかった。
「人の形なら……まずは直立したのからやった方がいい……です」
「ポーズ取らせるのは無理かな」
「慣れないうちは難しいですね……」
お手本を求めると、ドナートは大雑把に削り始める。
みるみるうちに、かなりデフォルメされた形状ではあるが、人らしきシルエットが浮かび上がっていく。
その光景にシルヴィアは見入り、先日ドナートを見ていた子供たち同様に目を輝かせていた。
だが残念ながら、いつまでもそうしている訳にはいかないようだ。
「お二人とも、検品は終わりましたよ」
ブランドンの声が背後から聞こえ、シルヴィアはハッとする。
今のドナートは食材を配達している最中であり、自身の欲求に突き合わせて良い相手ではない。
この一年以上ずっと貴族として、どちらかと言えば傅かれる側であったため、多少の我儘が身についてしまっていたようだ。
言葉にはせずとも、その事実を密かに反省する。
「すみません、忙しいのに我儘を言ってしまって」
「いえそんな。僕も……褒めてもらえて嬉しかったです」
ドナートはテレながら微笑む。
好きなことを認められ乞われるというのは、やはり気分の良いことであったようだ。
ブランドンから木札にサインをしてもらったドナートは、再び荷台を引き会釈しながら次の配達場所へ向け去って行った。
「随分と仲良くなられたようですな」
「ああ、ちょっと内気だけど、誠実そうでいい人だよ」
ブランドンの問いに、シルヴィアは迷いなく答える。
外見上はやはりオークらしく、凶悪な牙から来る印象によって恐ろしさを感じるのは否定できない。
だが接してみると思いのほか純朴な青年であったため、今ではその印象もかなり薄まっている。
あの大きな指から生み出される作品も含め、シルヴィアは好感を抱いていると言っても過言ではなかった。
「もしやとは思いますが、教えを乞いにまた行かれるつもりではないでしょうね」
「…………まさか」
「シルヴィア様……?」
随分と間を置いての否定に、ブランドンからの疑いの眼差しが刺さる。
だがその疑惑は正しく、シルヴィアは今まさに、どのような理由を付けてドナートの住む場所へと行こうかと考えていた。
過去には自身が危険な目に遭った地域であるというのに、懲りないと言われても仕方がない。
しかしそれほどまでに、ドナートの彫る彫刻が興味深かった。
「あれだけの腕を持ってるんだ、埋もれさせておくのも勿体ない」
「その点は同感ですが、あまり首を突っ込み過ぎないでいただけると……」
ブランドンの呆れ混じりな言葉に対し、シルヴィアは小さく「……善処します」とだけ答えた。
▽
「で、ここを右に曲がって……二つ先を左か」
数日後、再び市街区へと来たシルヴィアは、一人ドナートの住むであろう地区へと歩いていた。
手には簡易的な地図の描かれた紙が一枚。
それを何度となく見返しながら、目印となる物を探りつつ進む。
「どんだけ入り組んでんだよ。地元の人はよく覚えてるもんだ……」
増設に増設を重ねたと思われる街並みは、通る者を迷わすために造られたと言わんばかりの難解さ。
今はなんとか手元の地図を頼りに進めているが、もし一つでも道を間違えようものなら、すぐさま迷うことは確実であった。
「いっそベルナデッタに付いて来てもらえばよかったか? でも子守りが大変そうだったしな……」
シルヴィアの手にある地図は、ベルナデッタによって渡されたものだ。
例によってベルナデッタから夏用の衣服を譲り受けに行ったシルヴィアは、帰宅前にドナートの住む地区への道を尋ねた。
案内しようかと申し出たベルナデッタであったが、彼女の子供がグズり始めたためそれは叶わなくなる。
執事であるスズも所用で手が離せず、そこまで治安の悪い地域ではないというのもあり、地図だけを書いてもらい一人で移動することとなったのだ。
危うく道を間違えそうになるのを繰り返しながら、地図を頼りに進むシルヴィアの視線の先、道の向こうに、見知った姿を発見する。
この辺りで知った相手と言えば、ドナート以外には存在しない。
変わらずベルトに彫刻したメダルをぶら下げたドナートは、大きな袋を二つ肩に担ぎゆっくりと路地を歩いていた。
「ドナートさん!」
後ろから追いかけ、声を掛ける。
すると声に反応して後ろを振り向いたドナートは、大きな牙の生えた口をポカンと開け、驚きを露わにした。
当然であろう、再び来ることもないと考えていた相手が、その姿を現したのだから。
いや、むしろ再び来るという発想すらなかったであろう。
「シルヴィア様……どうされたんですか!?」
「ちょっと所用で近くまで来たんで。……随分と重そうだけど、買い出しですか?」
「え、ええ……。近所に住んでるおじいさんに頼まれまして」
ドナートの肩に担がれた大きな麻袋は、近隣の住人から頼まれた品であった。
以前に見かけた時も、老婆に何かしらの手伝いをしていただけに、ドナートはおそらく頼まれごとをされ易い性質なのであろう。
「手伝……うのは無理か」
「難しいでしょうね。これ一つでシルヴィア様一人分くらいはありますし」
中身が何かはわからぬものの、それは確かにとても重そうであり、シルヴィア一人分以上と言われても十分納得のいくものだ。
ただシルヴィアは、その言葉を聞いて少々悪戯心が沸き起こる。
「そうかもしれませんけど、そんな重そうな物と同じだなんて言われると、私としては心外ですね」
「……あっ! も、申し訳ありません。なんて失礼なことを……」
ドナートは慌てた様子で頭を下げて謝罪する。
少しだけからかってみたつもりのシルヴィアだったが、ドナートの薄茶色をした顔が青ざめていくのを見て、やり過ぎたと気付く。
考えてみれば自身は貴族の末端に位置する者だ。
それに対して無礼を働いたと感じた一般の人が、どれだけ怯えるかなど想像するのは容易いはずであった。
「い、いえ! こちらこそすみません。ちょっとした冗談のつもりだったんですが……」
荷物を置いて頭を下げ続けるドナートに、やはり深く謝罪するシルヴィア。
薄暗い路地の中央で、エルフとオークが頭を下げ合う光景は、傍目にも不可解な物であった。




