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07


 ここに至り、シルヴィアは自身がただ突っ立って、事態を傍観するという愚を犯してしまっていた事に気付く。

 黙って見ていないで、邪魔にならぬよう遠くに逃げていれば良かったというのに。


 迫りくる男の向こうでは、二人が同時にデルフィーナへと斬りかからんとする光景。

 そちらからの助けは期待できない。

 なんとか時間を稼ごうと、自身の反省もさて置いて、一応護身用として常々携帯している短剣を取り出す。

 短剣を突きだそうとするも、そのような付け焼刃の抵抗など無意味とばかりに、易々と中剣の一撃によって弾き飛ばされた。



「あっ……!」



 デルフィーナはさしたる労もなく切り伏せていたが、一人前には遠く及ばぬシルヴィアにとって、男たちは到底歯が立たぬ相手であるには違いない。

 武器を弾かれた拍子に尻餅付いたシルヴィアへと男が迫る。

 だが命まで奪う意思はないのか、男はヌッと手を伸ばし、髪を掴んで吊り上げた。


 痛みに声も出せぬシルヴィアが男の背後を見ると、デルフィーナは二人を相手に、中剣と短剣の二本でいなし続けている。

 戦闘中であるにも関わらず、顔は少しだけシルヴィアの側を向き、余裕気に笑む。


 その表情を見て、シルヴィアは瞬間悟る。



「(ああ……大丈夫なんだな……)」



 デルフィーナその人だけではない、おそらくは自分自身も含めて。

 何も心配することはないと言わんばかりの表情を見て、シルヴィアは自身が置かれた状況を若干冷静に見れるようになっていた。



「……? なんだその顔は!?」



 だが男にとっては、シルヴィアがした安堵は癪に障るものであったようだ。

 声を荒げ、シルヴィアの髪を掴んだ手で引きずり倒そうとする。

 しかし掴んで振り下ろしたはずの男の腕は、ただむなしく空を切った。


 シルヴィアの視界には、自身の少々長く伸びた髪を掴む男の手。

 その手は確かに、束となった髪を掴んでおり、痛みから僅かに滲む涙でぼやけながらもしっかりと見えていた。

 だが自身は引きずり倒されていない。

 ならばどうしてと思い掴んだ手の先を見れば、手首から少し先、肘に達しようかという部分でそれは途切れていた。

 途切れた先からは、夥しい流血が。


 事態を理解したのは男も同様で、声にならぬ苦悶の叫びと共に、肘下から撒き散らす鮮血。

 ただ痛み、混乱し転げ回り始める。




「……遅いよ……何本か抜けた」


「申し訳ございません。そこまで害そうという意思は感じられませんでしたので、少々行動が遅れてしまいました」


「一応助けてくれた訳だし、礼は言うけど」



 少し視線をずらすと、シルヴィアの真横にはいつの間にか一人の男が。

 一見若そうに見えるその男は、このような状況であるにも関わらず、丁寧な礼と共に謝罪する。

 外見上は若いのだが、まず間違いなくその中身はブランドンだ。

 その物腰などは普段からよく知る執事のモノとそっくりであり、その点を隠すつもりもないようであった。

 おそらくはシルヴィアの頭上に聳える外壁から飛び降りてきたのであろう。


 若い男に変装したブランドンは転げ落ちている中剣を拾うと、そのままのた打ち回る男に近寄り、スッと刃を胸に差し込み止めを刺す。

 どちらにせよ大量の出血をしていた、一思いに殺してしまうのも、ある種の温情と言えるのだろう。

 などと考え始めたシルヴィアは、自身が徐々に向こうでの感覚を薄れさせているのを自覚する。




「加勢は必要ですかな?」


「いいから大人しく見ておれ」



 少し離れた所で、未だ二人を相手に切り結んでいたデルフィーナへと、ブランドンは助力が要るかを問う。

 しかしシルヴィアの目にもデルフィーナは随分と余裕そうに見え、案の定アッサリ不要であると答えた。

 その言葉に、「失礼いたしました」と一礼し返すと、ただ直立して待機する。


 よくよく見ても、やはり劣勢なのは男たちの側。

 薙ぐ剣を短剣で逸らし、振り下ろされる一撃を半歩の動きで避け、時折挑発するように剣の柄で小突く。

 ただ遊びで相手してやってると言わんばかりの戦い方に、シルヴィアは唖然とする。

 命の奪い合いであるはずなのに、その様子は子犬と戯れる大人の如きだ。


 だがそれも飽きたのか、あるいはシルヴィアがしっかりと見れるタイミングを待ったのか。

 男の片割れが仕掛けた突きを弾き飛ばすと、そのまま当身を食らわせて昏倒させる。

 その様子を見て、最後の一人となった男は自棄になったのであろうか。

 雄叫びを上げ、闇雲に突進を仕掛けた。

 それをも平然とデルフィーナは回避し、すれ違いざま剣の柄で顎を打ち上げ、前の男同様に意識を奪う。



「一応は二人残したが、問題はなかったであろう?」


「十分です。情報を引き出すにはこれだけ居れば」



 一瞬罪を償わせるために生かしたのかと思ったシルヴィアであったが、二人の会話を耳にしてかぶりを振る。

 そんな生易しい人たちであるはずがない。

 あくまでもシルヴィアの想像ではあるが、下手をすればここで死んでおいた方がマシと思えるような目に遭うのではと考える。



「では我々はこやつ等を連れて先に戻ります。何人かの護衛は残して行きますが」



 そう言うと、ブランドンは小脇に男をヒョイと担いで歩き出す。

 するとすぐさまに、何処からか数人の人影が現れ、残る男の片割れや死体を担いで去って行った。

 神出鬼没のその姿に、シルヴィアは感嘆と同時に呆れさえ覚える。




「すまぬな、巻き込んでしまって」



 ブランドンたちが刺客を運んでいった後、デルフィーナは地面を靴の裏で蹴りながら、シルヴィアへと謝罪の言葉を漏らす。

 おそらくは流れた血の上に砂を被せようとしているであろう。

 表面的には隠せても、後でバレるのではないかとシルヴィアは思いはしたが。



「いえ……。ということは、やはり今起こっている火事は……」


「無論、我から護衛を遠ざけようとして起こしたものであろうな。易々とそれに乗ってやる訳にはいかんが」



 案の定と言えるのであろう。

 あまりにもデルフィーナが狙われるタイミングが合いすぎており、それ以外の可能性を考える余地すらない。

 ただ軍の人員をバラバラにし、混乱させるという点に関しては成功したようであった。

 もっとも、デルフィーナの側に居る護衛に関してはそうはいかなかったが。

 当然といえば当然なのだが、案外目論んだ人間はそこを知らずに……あるいは考えずに、行動に起こしたのかもしれない。



「この穴だらけな計画、仕出かしたのは間違いなく――」


「出来ればそれ以上先を聞くのは遠慮したいのですが……」



 平然とした顔で、デルフィーナは首謀者と思われる人物の名を口にしようとする。

 だがシルヴィアはそこから先を聞かされては困ると思い、無礼を承知で言葉を遮った。

 ここまでの話やその口調から察する限りではあるが、おそらく今回の一件にはデルフィーナの身内が絡んでいる。

 その名を直に聞いてしまえば、それこそ逃げ場をなくしてしまうように思えてならなかった。



「なんだ、血みどろな王族の内情を覗き込む絶好の機会なのだぞ?」


「俺は何も聞いてません。何一つとしてです」



 愉しげに話し続けるデルフィーナの言葉を、必死に頭から追い出す。

 王族の内情などという言葉が聞こえた気がしたが、気のせいであると思うことにした。

 僅かに、かつて処刑場で見かけたとある人物の姿が、シルヴィアの脳裏にチラつく。



「お、さてはヤツの姿を思い出したな? それが正解だ。いかにも悪事を働きそうであろう?」


「……デルフィーナ様は、どうあっても俺を巻き込むつもりのようですね……」



 あまりにのしつこさに、半ば匙を投げる。

 どうやって察したかは知らぬが、確かにシルヴィアは一人の人物を想像した。

 教団の司教を処刑する場で、威圧するようにと演説をぶった王太子を。

 だがあの場にシルヴィアを呼んだのは、間違いなくデルフィーナだ。

 その存在を知らしめるという目的も含まれていたのであろう。




「殿下!」



 デルフィーナの執拗な攻勢を受け流している背後から、大きな声が響く。

 振り返ってみれば、姿を現したのはついさきほど火事の現場へと駆けていった男であった。

 その服は所々が煤に塗れており、燃え盛る中で奮闘した様子が垣間見える。



「戻ったか。首尾はどうなっておる」


「上街区、高宮区に関してはあらかた鎮火しております。市街区は木造の建物が多く手こずっておりますが、直に収まるかと」



 軍人の男がする報告に、デルフィーナはとりあえずの安堵を示す。

 やはり自身が関わって引き起こされた出来事であるだけに、相応に抱え込むものがあるようだ。



「ところで殿下、そのお姿はいったい……」



 当然のように気付いたのであろう、デルフィーナの変わり果てた姿に。

 デルフィーナ自身は怪我の一つも負ってはいないが、その服は返り血によって血みどろとなっている。

 それに周囲からは血臭が漂っている、何かが起きたというのは一目瞭然だ。



「何でもない。それにお前は何にも気付いてはおらん、よいな?」


「……承知いたしました」



 承知したとは言うものの、あまり納得はいってないのがありありとわかる。

 だが説明することのできぬ事情があると察したのか、必要以上には食い下がってはこない。



「では、これにて失礼いたします」


「ご苦労だった。我も帰る、後は任せたぞ」



 それだけ告げると、デルフィーナは男を置いて正門の方向へ向けて歩き出す。

 シルヴィアも男へと一礼すると、その後を追いかけていく。



「……あの説明でよろしかったのですか?」


「下手に誤魔化すよりは、こちらの方が確実だ。何かが有ったとわかっていても、それが自らが知るべき事ではないと理解したはずだ」



 答えながら、敷地正門の側に置かれた馬車へと乗り込む。

 どうやらこの騒動の中にあっても、デルフィーナを待ち待機し続けていたようだ。

 続けて乗り込み、その扉をバタンと閉めたところで、ニヤリと笑んだデルフィーナは若干上機嫌で告げる。



「この一件で愚か者が暴走をしたが、逆にこれで弱みを握ったとも言える。来年以降の予算は増額が見込めるやもしれん。悪い事ばかりではないな」


「……その予算でご自身の護衛を増やされてはいかがでしょうか」


「護衛役はともかくとして、人を増やすというのは賛成だな。まったくもって人手が足りておらん」



 いつの間にか進み始めた馬車の上、カラカラと笑いながら聞かされる話に、シルヴィアは呆れを通り越して感心を始めていた。

 このような楽観性がなければ、こういった血生臭い役職で上に立つことは叶わないのであろうと。

 というよりも、ある種の非常識さがなければ、真っ当な精神を保ち続けるのは難しいのであろう。



「まぁ……予算はともかくとしてだ」



 走る馬車の窓から外を眺めながら、デルフィーナは顎で外の景色を指す。

 それに反応しシルヴィアが窓から覗いた先には、一部から白い煙の立ち上る屋敷の光景。

 馬車はいつの間にか、行政関連の施設が集まる高宮区から、住宅の在る上街区へと移動していたようだ。

 そこが誰の持ち物かは定かでないが、今の騒動で被害に遭った場所の一つのようであった。



「この辺りはまだマシだ。ほとんどが石造りの建物ばかりだからな。だが一般庶民の暮らす市街はそうもいくまい」



 ついさきほど報告をした軍人の男は言っていた、市街区は木造の建物が多いと。

 つまりは火の手が回り易く、被害も拡大した可能性が高いということだ。

 シルヴィアはふと、そちらで暮らす何人かの知り合いの安否が気にかかった。



「これだけの騒動を引き起こしたのだ、相応の報いは受けてもらわねばならん」


「そう……ですね」


「もしヤツを断罪する日が来たならば、お前にも知らせるとしよう。ヤツの顔が苦渋に染まる光景、特等席で見せてやる」



 その声質は平坦そのもの。

 だが心の奥底には、激情の火種が燻っているように思えてならない。

 デルフィーナが内に静かな怒りを湛えているのは間違いないであろう。

 その姿は一度だけ見た王太子と兄妹であるとはとても思えず、シルヴィアをして信頼しても良い人物なのではと思わせるものであった。



 しばらく進んでいくと、ある所でデルフィーナの指示によって馬車を止められ、シルヴィアはそこで下ろされた。

 その場所は上街区の中でも、城下の一部を見渡せる広場のようになった場所で、眼下には市街区の家々が立ち並んでいる。



「……酷いものですね」



 見下ろす街並みのあちらこちらから、火の手の燻っているであろう煙が立ち上っている。

 今はそのほとんども消し止められたようではあるが、それなりに被害が広がったのであろう。

 遠目からでも見えるのは焼け焦げた家々に、焼け出された人々、それらの人々を救助して回る兵士たちの姿。

 道の隅には、布を全身にかぶせられ横たわる影。

 それが何であるかなど、言うまでもない。



「我等の存在を、誰もが必要であると言ってくれるとも限らん」



 陰惨な光景に拳を握りしめるシルヴィアの背後で、デルフィーナはどこか寂しそうに呟く。



「当然快く思わぬ者も存在しよう。だが例え罵られようと、後ろ指さされようとも。我らは民を護る力としての立場から、その誇りを失うことはない」



 それは決意なのであろうか。

 最初にシルヴィアが問うたように、その存在意義を疑問に思われようとも。

 自身を民の為の剣と成そうという。



「……デルフィーナ様……」


「……と、どこかの部隊の司令官が言っておった。はて、誰であったか?」



 その言葉に腰砕けになる。

 折角格好のつくであろう言葉を言っていたというのに、これでは色々と台無しだ。



「ご自分の言葉じゃないんですか……」


「当然であろう。我はそこまで殊勝な心がけをするほど、根が真面目な性格ではないからな!」



 ハハハと笑うデルフィーナの言葉に、シルヴィアは気が抜ける想いであった。

 だがどこか、今の言葉がどこかの誰かによって言われたものではなく、本当はデルフィーナ自身の言葉であるように思えてならない。

 ただ単に、気恥ずかしさから誤魔化しただけなのではと。




「とりあえずはこれで用事が済んだと言ってよいな。我はもう少しここに残る、お前はこのまま馬車で帰るとよい」


「よろしいのですか……?」


「無論だ。急用も思い出したことであるしな」



 シルヴィアの肩にポンと手を置く。

 その感触は優しく、信愛の情すら感じさせるものだ。



「お前とはこれから先、永い付き合いになるであろう。またいずれな」


「永いとは仰いましても、少々寿命が違いすぎますが」


「……そうか? そんなことはないはずだ。なにせ……」



 デルフィーナは自身の赤茶色をした短い髪を手櫛で掻き上げ、シルヴィアへとどうだとばかりに見せつけた。

 掻き上げた髪の隙間から見える彼女の耳は、シルヴィア程ではないにしろ、人よりも僅かに長い。



「王族は色々な種族の血が混ざっておるからな。我などはエルフの血が色濃く出ておる、寿命もまた然りであろう。意外かもしれんが、王族も純血主義ではないのだぞ?」



 デルフィーナはそれだけ告げると、今度は少し強めにシルヴィアの背を叩く。

 「ではまたな」とだけ告げられ、シルヴィアは馬車へと押し込められた。

 唖然としたまま馬車の扉は閉められ、間髪入れず走り出す。

 ハッとして窓から頭を出すと、広場の中央には馬車へ向け手を振る、服を血で汚したデルフィーナの姿。


 その姿は、愉快そうにも寂しそうにも見える。

 遠ざかりゆく姿を見つつ、これから先もデルフィーナに振り回され続ける予感をヒシヒシと感じる。

 もっとも、今はあまりそれを迷惑とも思わない感情を感じ始めてはいたのではあったが。

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