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06

 ベルナデッタの家で歓談し、そのままそこで暇を申し出たジーナは帰途についていた。

 とはいえ帰る先は自宅ではなく、その近隣に借りた目立たない、しかしクラリッサの家が見える場所に建つ民家だ。

 シルヴィアがこちらで過ごすようになったため、上官からの指示で再び監視任務に従事することとなっていた。


 今回は以前とは異なり、共に任務へと従事する者はなくジーナ一人だ。毎日誰かしらが食事などを届けてはいるのだが、夜間は基本的に寝ずの番であり、ベルナデッタの家へと行っている間に様子を見ながら仮眠を取る。

 しばらくこんな生活を続けていたため、実際のところジーナの体力は消耗していた。

 長期の潜伏などにも耐えれるよう訓練を受けているとはいえ、このような生活を続けていてはそのうち限界が来る。

 珍しく直々に命令を下した情報局総監であるデルフィーナが、少々済まなそうな顔をしながら指示したのを思い出す。

 複数の地方領がキナ臭いとの情報を得たため、人手をそちらに割かざるを得なくなったのが原因ではあるのだが、一人でこなすには負担の大きい任務だと認識はしていたのだろう。





「これが終わったら絶対に休暇申請してやる……」



 拠点となる民家へと戻り扉を閉めると、夕日の入り込む薄暗い室内で一人ジーナは小さな声で決意を込めて呟いた。

 中尉への昇進以降、責任と任務内容の重さばかりが増して金銭に反映されていない。せめて任務後の休暇くらいはしっかりと貰わなければ割に合わないと常々感じていた。



「それがいいだろう。休養の自己管理も重要だ」



 誰も居ないはずである民家の奥、暗がりから低い男の声が聞こえる。

 ジーナは一瞬上着の下に隠し持っていた暗器へと手を伸ばしそうになるが、その声には聴き覚えがあり、この場に居たとしてもおかしくはない人物であると悟る。

 暗がりから足音も無く表れたのは、高い身長に無造作に下ろした白髪をした中年の男だった。



「……大尉、あまり驚かさないでください」


「そこまで驚いたようには見えんかったがな。軍の用意した拠点とはいえ何が起こるともしれん、そこまで油断もしてはいないだろう」



 淡々とした口調で告げる。男はジーナと同じ情報局に所属する局内ではビアンコと、或いは外でブランドンと呼ばれる男だ。

 今日は普段のように黒タキシードにオールバックではなく、普通の町人風な恰好をしている。

 いかにも執事然とした恰好のままで来るには、あまりに目立ちすぎるのだろう。



「連中の行動について何か気になる点はあるか?」


「いえ、今のところは何も。シルヴィア嬢の滞在している家を二人の男が監視しているだけのようです。いかにもな素人の動きなので、何者かに雇われているゴロツキであろうとは思うのですが」



 ブランドンは、今も外をうろついているであろう不審者たちについて問う。

 だが今現在これといって遠目から見ているだけで動きはなく、目的も定かではない。そもそも狙いが本当にシルヴィアであるのかも定かではなかった。

 捕まえて尋問でもすれば早いのであろうが、金で雇われているだけなら大した情報など得られそうにはなく、逆に裏に居るかもしれない人物を警戒させるだけになる。





「シルヴィア様に接触したようだな。連中についてはお伝えしたのか?」


「はい、こちらが人員の都合がつかない以上、ある程度当人にも警戒していただかなければと判断しました」



 いつから見ていたのか、ジーナがシルヴィアと会っていたのを知っているようだ。隠すつもりはなかったが、見られているという事実に気付かなかった事にジーナは猛省する。

 シルヴィアと顔を合わせ、不審者の存在を告げたのはジーナの独断だった。

 もう少し監視警戒をする要員が確保できているならば、当人が知らないままであってもこちらが警戒して対処すれば良い。しかし現状ジーナ一人だけしか居ないため、黙っているのは重大な危険性を孕んでいると判断して行動した。



「それは別に構わん、手が足りんのは事実であるしな……。済まないが現時点ではまだ増援を寄こすことはできん」


「なんとか対処してみせます」


「頼んだ。人手不足も深刻だな、局の増員を申請してはいるのだが、なかなか許可も下りなければ予算も足りん」


「おまけに適性のある者が少ない……ですか」



 人手不足は長年の課題として存在する。どうしてもその性質上、情報局は登用する人間を選ばなければならない。戦闘の実力以上に、人に紛れる容姿をしていたり情報の扱いに機微な者でなくてはならないからだ。

 他にも自然な演技をこなせたり、相手を籠絡する話術など求める素養は多岐に渡った。

 そういう意味では、ジーナは以前の任務で失った軍曹の存在を非常に惜しく思っていた。ジーナだけではなく、少佐もその才能を買っていただけに大きな損失だ。

 そのうち自分を追い抜いて上へ登っていくはずだったのだろうとジーナは考える。前途有望な若者を自身の判断ミスで死なせてしまった責任を思うと、今でも重くのしかかるものを感じた。

 だがその感傷も任務を終えて休暇に入ってからだと思い、頭から追い出すべく小さくかぶりを振る。



「何かしらの行動を起こそうとする兆候が見られれば報告しろ。もしも急に状況が変われば……自己の判断で行動して構わん」


「了解しました。では大尉、万が一に備えて幾つか装備を申請したいのですが……」



 ジーナはもし戦闘になった場合を想定して、いくつかの装備を要求した。

 今現在手元にあるのは、辛うじて服の下に隠れるであろう短剣や、針状の暗器など小さなものばかりだ。

 相応に訓練されている以上、そこいらのゴロツキ程度ならば数人居ようとこの装備でも問題はない。しかしそれ以上の人数、或いは訓練された輩が相手となった場合は余りにも心もとない。

 多少の中距離射程武器などが有るだけでも心強い。使う機会が無ければそれはそれでいいのだから。



「承知した。早ければ今夜中にも誰かに持ってこさせよう」


「お手数をおかけします」


「構わんよ。本来ならば君一人に押し付ける内容の任務ではないのだからな」



 それだけ言い残し、ブランドンは扉から出て去っていく。後に残ったのは、人が動き舞った埃と麻袋に入れられた数日分の食糧のみ。

 食料を持って来るついでに状況確認の役割を買って出たのだろう。シルヴィアのことは、普段自身が面倒を見ている存在であるだけに気にはなっていたようだ。


 麻袋に入れられていたリンゴを手に取って齧り、少しだけ開けた木窓からクラリッサの家を見る。

 今のところ視界内に不審な人物は見当たらず、普段通りの閑静な住宅街の光景が広がるのみだ。

 ジーナは一人、自身が護衛する少女について考える。

 前回略取された時には、何がしかの理由により教団に生贄とされそうになっていたと後日に聞いた。今回もシルヴィアが狙われているかは不明だが、随分とトラブルに巻き込まれる娘だとは思う。

 自身にそれを知る権限はないが、シルヴィアには一介の貴族位にある少女以上の価値が存在するのだろうか。そんなことをジーナは考えていた。





 市街の通りから一本入った路地。建物が影を作り、あまり目を向ける人も多くはない。

 そんな場所に傍から見ればガラの悪い、決して堅気には見えない男たちが一軒の民家へと視線を向けていた。

 そういった事を専門に行うような輩には見えない。影になった場所とはいえ、気付く人は普通に気が付くであろう。

 事実男たちの存在を、監視を行っているジーナ以外にも若干名の住民たちが察していた。

 その辺りに気を配れず隠れ切れていない点からも、男たちが堅気ではなくとも訓練を受けた様な者でないのは明らかだった。



「しかしよ、本当にこんな楽な仕事をするだけで組織に入れてもらえるなんて、話が上手すぎやしねえか?」


「そうか? 入るための試験なんてこんなもんだろ」



 二人の男は今まで、永い期間細々とした悪事に手を染めており、それで生計を立てていた。

 だがある時表に出てこない商品を売買するという組織の噂を聞いて、自ら接触を図ったのだった。自らの稼ぎを多くするために、裏社会で伸し上がらんとするために。

 細い伝手を頼りになんとか接触した組織に、加入の条件として言い渡されたのが、一人の少女を監視するという内容であった。

 何を目的に一人の少女を監視するのかは聞かされていない。聞いても答えては貰えないであろうし、下手に今の時点で首を突っ込んでも碌な事にはならないだろうと、直感的に察していた。


 監視の目的はどうあれ、これは男たちにとっては成り上がる為の絶好の機会だった。

 気合を入れてやってはいるのだが、故に自身の行動を冷静に評価できず若干空回りしているようではあるのだが。



「状況はどうなってる」



 背後から唐突に聞こえてきた声に、男たちはビクリと身体を震わせてゆっくりと振り返る。

 そこには至って普通の街娘然とした恰好をした女が立っていた。

 時折男たちの様子を見るために表れる女ではあるのだが、顔を見せる時はいつも神出鬼没であった。実際には単純に後ろから近付いただけなのであるが、男たちに近寄る気配を察するというだけの神経を持ち合わせていないだけであるのだが。

 女は表情や仕草こそ普通ではあるのだが、その口から放たれる言葉は酷く粗野で、嫋やかさを感じさせない。

 その女はシルヴィアとクラリッサが広場で食事をしている時に、離れた席から様子を窺っていた二人組の男女の一人だった。



「は……はい、これといっては。でもそういえば、女が一人来ました」


「……女だと?」


「ええ、大きい方の娘が家を出てすぐに。少ししてからその女と一緒に別の家へ行きました」



 男たちは自身の見たものを、しどろもどろに報告する。

 その二人が別の家……ベルナデッタ邸へと移動し、しばらくしてから来客の女が一人で出て帰って行ったと。



「それで、その先に帰った女はどこへ行った」


「い、いえ……そこまでは……」



 街娘風の女は内心舌打ちし、初めて感情らしい感情を動かした。その人物がどういった素性で、どんな目的を持っているかも定かではないのに、みすみす監視もせず帰らせた男たちに苛立った。

 この男たちをここに配置したのは自身の上司に当たる人物だ。さして緊急でもなく、明確に脅威となるとは限らないものであったが故に、新入りの加入テストに丁度良いとして使われた。

 だがこれは失敗であっただろうか、と女は思う。この二人はあまりにも素人に過ぎた。



「まあいいだろう、お前らの役目はここまでだ。戻ってこれから言う言葉を伝えれば試験は終了だ」


「へい、ありがとうございます」



 街娘風の女は、男たちにこれから向かう先と合言葉を伝える。

 男たちはそれを聞き、これで俺たちも組織に入れるなどと言い合いながら小さく喜び合っていた。

 女が行動を促し男たちをその場から去らせると、自身も別の監視場所を探して移動を始めた。この場所は一見すれば目立たぬが、見る者が見れば立っているだけで違和感を覚えてしまう。


 男たちは既に視界に小さく映るのみ。おそらく女はこの先彼らと顔を合わす事はない。

 伝えた場所に行き、伝えた通りの合言葉を口にすれば、女の仲間が然るべき"処理"を行ってくれるはずだからだ。

 女の視界からは男たちの姿は既になく、それすらも気にせず踵を返す。彼等の試験は不合格に終わったようであった。

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