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02


 シルヴィアはその時点で、襲い掛かる疲労と対峙し、打ち負かされようとしていた。


 だが何のことはない、ベルナデッタの家へと到着するや否や、用意されていた大量の服へと、着せ替え人形よろしく幾度となく着替えさせられたためだ。

 大量に積まれた服を消化するのには午前だけでは足らず、昼食をご馳走なってからは休憩も取らず再び翻弄されるはめとなっていた。



「やっぱり灰色の髪には黒が似合うわよね。スズもそう思うでしょ?」


「はい、奥様のおっしゃる通りです」



 どこまで本気で言っているのか、スズはベルナデッタの言葉に対してずっと肯定を続けている。

 その言葉によってどんどん調子を上げていくのか、一向に終わる気配はない。

 それどころか、「やっぱり最初に見たのが一番いいかしら」と、午前中に着せた服を再び引っ張り出してくる始末であった。



「いや……もうこれ以上もらっても使い切れないんだけど……」


「なに言ってんの。毎日違うの着ればいいし、来年のだってあるのよ? こっちじゃ服なんて毎年買い替えるようなものじゃないんだから」



 この世界では服飾の類は、おしなべて高価だ。

 大量生産をする体制もなく、作られる服は全て職人や家人による手縫いであるため手間がかかる。

 多くの一般の市民にとっては、数着の服を大切に繕いながら何年も使うのが普通であった。


 シルヴィアは世間では知られていないとはいえ、まがりなりにも貴族であるため、季節ごとに新品の服を用意することは造作もない。

 しかし市街区を歩くには、あまりにも真新しい服を身に纏っていては悪目立ちする。

 毎日のように市街区へと出かけるアウグストやバルトロは、屋敷の中以外では着古したものを身に着けていることが多かった。



 午後も試着は延々と続く。

 スズがおやつ時と言ってお茶と菓子を持っきた時になって、ようやくベルナデッタは時間の経過に気付き、手にした服の数々を置くに至った。



「こんなところかしらね。まだ物足りないけど」



 スズが茶を用意していなければ、まだまだ続いていたことを窺わせる発言に、シルヴィアは眩暈を覚える。

 だがひとまずはようやく解放されたことに対して安堵し、ソファーへと腰かけは脱力していた。



「冬用はこれでいいけど、次は春用のがあるからね。年が明けた頃にまた来なさいよ」



 その言葉にシルヴィアは唖然とした。

 この拷問のような時間を、再び迎えなければならないのかと。

 自身の精神が女性であればこれも苦痛ではないのであろうかと考え、こめかみを押え現実から逃避する以外の道はないようであった。





「それでは服は明日にでも、お屋敷へと届くよう手配しておきます」



 若干事務的な口調で、スズは今日選んだ大量の服について伝えてくるのをシルヴィアはゲッソリとした様子で聞く。


 お茶が用意された時点で着替えから解放されたシルヴィアであったが、その直後には更なる苦痛が待っていようとは、想像だにしていなかった。

 茶の席で、ベルナデッタは自身の夫であるグレゴールとののろけ話を、延々と聞かせ続けたのだ。

 ある意味ではそちらの方が、シルヴィアにとって厳しい時間であったかもしれない。

 ベルナデッタはこの世界に召喚されてから、グレゴールとの出会いまでを長々と語り、気が付けばそろそろ夕暮れ時になろうとしている。



「わかりました。ではまた……年明けに……」


「またねー。次来るまでには、シルヴィーに似合いそうなのをまた見繕っとくから」



 絶望的な思いをする言葉を受け、ベルナデッタの家を跡にする。

 服をもらえるというのはありがたい、それは確かなことではある。

 だがこのような目に遭うのであれば、ずっと屋敷に引きこもっている方がマシなのではないだろうか。

 シルヴィアには半ば本気でそう思えてならない。


 押し付けられた大量の服を、今持ち帰れと言われなかっただけマシであろう。

 しかしあまりにも大量にあるそれを、いったいどこに仕舞えばよいというのか。

 トリシアに相談して、衣装用に一部屋都合してもらわなくてはならないのであろうか。

 などと考えながら、日の傾いてきた住宅街の道を一人帰途につくため歩いていると、



「カリーナ!!」



 背後から耳をつんざく、大きな声が。

 シルヴィアがその声に驚き後ろを振り返ると、両の目に涙を湛えた娘が一人、シルヴィアの方を向いていた。

 何事かと思い周囲を見渡すが、周囲には他に人影も無い。

 人違いであろうかと考えていたところで、娘はシルヴィアに近寄ると、唐突に抱きしめる。

 急な状況に目を白黒させていると、娘は肩を掴み激しい勢いで言葉をぶつけてきた。



「勝手に外に出ちゃダメだって行ったじゃない!? あなたは身体が弱いんだから、ちゃんと司祭様の言うことを聞いてないと!」



 この娘はいったいシルヴィアを誰と勘違いしているのか。

 当人であると信じ、疑ってはいないようであった。


 その剣幕に最初は圧倒され呆然としていたが、次第に落ち着き言葉を発する。



「す……すみません、誰か別の人と間違えているのでは? 私はカリーナという人ではありません……」



 そう告げると娘はキョトンとした顔をし、その直後には渋い表情へと変わりシルヴィアの言葉を否定した。



「何を言ってるのカリーナ、そんな嘘をついて姉さんを騙そうったってそうはいかないわよ。外に出たい気持ちはわかるけど、お願いだから姉さんの言うことを聞いて」



 まったく信じてもらえず、逆に説教をされてしまう。

 目の前にいる娘は、シルヴィアが自身の妹ではない可能性など、露ほども考えてはいないようであった。

 それほどまでに自分が、眼前に立つ娘の妹に似ているのであろうかと考える。

 だがこの娘の髪から覗く耳がエルフのものではなく、人のそれであることに気が付く。



「さあ、帰りましょう。そろそろ夕食の時間なんだから」


「え……ちょっと!?」



 騒ぎに気が付いたのであろう、周辺の家々からは住人達が顔を出し、シルヴィアたちを眺めていた。

 しかしその様子は皆どこかおかしい。

 一様に伏し目がちであったり、あるいは憐れんだ表情であったりだ。

 その状況を奇妙に思いながらも、どうしたものであるかと悩んでいると、背後から助け舟が来る。



「このような所でいったいどうされたのですか?」



 声の主はスズであった。

 何かを察して顔を出したところ、見知った顔がトラブルに巻き込まれているようであると思い、声をかけてくれたようだ。



「ああ、スズさん。助かります。この方が私を妹さんと間違えてるみたいで……」



 シルヴィアはスズに助けを求める。

 スズはそれを聞き娘の方を見ると、「ああ……」と若干悲しそうな声を出した。

 その反応は、今も尚周囲でシルヴィアたちを見続ける住民たちとよく似ている。

 娘はスズの姿を確認すると、軽い挨拶をしてなおも言葉を継ぐ。



「執事さんもこの子に言ってやってくださいよ。ちゃんと大人しくしてないと、また倒れてもおかしくないって」



 スズはその言葉を聞き僅かに逡巡するとシルヴィアに向き直り、意を決したかのように、



「そうですね、シル……カリーナさん、お姉さんの言うことはちゃんと聞かないとダメですよ」



 と信じられぬ言葉を返した。

 その言葉にシルヴィアが唖然としていると、スズは捲し立てるかのように続けて言葉を紡ぐ。



「クラリッサさん、妹さんはずっと家で留守番をされているので、少し気が立っておられるのだと思われます。ですのでどうでしょう? 少しだけ当家にお連れして、気晴らしをさせて差し上げては。その間は私が責任を持ってお預かりいたしますので」



 スズの言葉にクラリッサと呼ばれた娘は多少納得したのか、昂ぶった感情を徐々に治めていく。



「執事さんがそう言われるのでしたら……。いい、カリーナ? 執事さんの言うことをよく聞いて迷惑をかけないようにするのよ?」



 いったい何がどうなっているのか。

 クラリッサと呼ばれた娘が、どうしてシルヴィアを妹と勘違いしているのか。

 そしてスズがそれに同調している理由もわからない。

 しかしとりあえず、ここはスズに任せておくべきなのだろうと思い、話しの流れに身を任せることしした。



「う……うん。わかったよ姉さん……」



 そう答えると、クラリッサは大きく頷きスズへと頭を下げた。



「すみません、では妹を少しの間お願いします」


「かしこまりました。それでは確かに妹さんをお預かりいたします」



 丁寧に頭を下げ、ベルナデッタの家へ戻るべく振り返るスズ。

 シルヴィアはチラチラとクラリッサを振り返りながらその後を追い、小声でスズへと問いかける。



「ちょっとスズさん、これはいったいどういうことなんですか?」


「申し訳ありません、詳しい話は戻ってからお話しいたします」



 同じく聞こえないにであろう、小声で返す。

 後ろでは心配そうな顔をしたクラリッサが、その背中をずっと見送っていた。





「あら? どうしたのシルヴィー。帰ったんじゃなかったの?」


 邸宅へと入り扉を閉めると、ベルナデッタはすぐに気が付いたようだ。

 その問いにどう答えてよいものか、一から説明すべきかと考えているとスズが簡潔に説明をする。



「クラリッサさんがシルヴィア様を妹さんと間違われまして」



 その説明でおおよその事情を察したのであろう。

 ベルナデッタは悲しそうな顔を浮かべ、二人へと労いの言葉をかけた。



「そう……それは大変だったわね。それでどう対処してきたの?」



 スズがその問いに対して説明をしようとしたその時、背後の扉を叩かれる音がした。

 すぐさまスズが扉を開け来訪者を確認すると、そのまま家へと招き入れる。

 十人くらいであろうか、シルヴィアにとっては知らない人々であったが、よく見れば先ほど遠巻きに見ていた近所の人が数人混ざっている。



「ああ、皆さんお揃いで。どうされたんで……いえ、彼女のことですよね」



 ベルナデッタにはその人々が何を目的に来訪したのかは察しがついているようであった。

 来訪者たちも一様に浮かない顔をしており、さながらその空気は通夜の席のよう。

 玄関ホールを大勢の人が埋めている状況に、スズが申し出る。



「とりあえずここで立ち話をするのもなんですので、皆様応接室へ移動されてはいかがでしょう」



 その提案に異論はなく、全員が応接室へと移動することとなった。

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