12
激しい音と共に閂の掛けられた分厚い扉を破り、グレゴールたち騎士団の面々は、廃教会内部へと突入する。
その騎士団を待ち構えていたのは、外で戦ったのと同じく信者たち。
揃いのローブに包丁などの武器を持ち、礼拝堂の奥に立って騎士団の入ってきた入口を、一切驚くこともなく凝視していた。
しかし凝視していたという言葉が適切と言ってよいものか。
外で守っていた者たちとは異なり、教会内部に居る者たちは皆表情無く、その焦点は定まらない。
凝視というよりも、ただ呆然と眺めていると言い表すべきであろう。
痩せ細った老人や、まだ声変わりもしていないであろう少年。
ガタイの良い屈強な男に、豊満な身体つきをした年若い娘。
それらを含む老若男女の信者たち全員がだ。
突入してすぐに降伏を勧告しようとしていた騎士たちであったが、その異様な光景に息を呑む。
これまで経験したことのない、どこか狂気を湛えた空気。
正常な状態とは思えぬ信者たちの様子に、騎士たちの間で僅かな動揺が走る。
並々ならぬ様子に困惑したグレゴールであったが、すぐさま気を持ち直し一歩前へ出ると、声を張り上げ予定していた通りの言葉を放つ。
「投降せよ! すぐさま武器を捨て、攫った少女を返すというのであれば、その罪に対し温情を与える余地はある」
そう言い放ち反応を待つも、声が聞こえているのか否か、信者たちからは一切の反応が返っては来ない。
普通であれば罵声や動揺、あるいは悲壮感といった反応が少なからず返ってはくるもの。
だが眼前の信者たちからは、それらの感情が一切ない。
グレゴールは人ではなく、人形や死人を相手にしているような錯覚を覚えた。
このままでは埒が明かないと思い、手にした非殺傷用の鉄棒へと力を込め、警告の意味も込めて構える。
すると今までなんの反応も示さなかった信者たちに動きが見られた。
信者たちの最前列に居る眼つきの鋭い男が、これまでの無表情を崩して口角を一杯まで上げ、口元だけで大きなニタリとした笑みを作る。
気味の悪い笑みを作った男は、構えられた武器に反応したのか、自身も手にしたナイフを構え騎士団に向けて駆け出す。
それに呼応し、後方に控える他の信者たちも同じく武器を構え、騎士団目掛け攻撃を仕掛けんと床を蹴った。
「くっ……。鎮圧しろ!」
グレゴールの号令に従い騎士たちは武器を構え、迫る信者たちを迎え撃つ。
眼つきの鋭い男により振り下ろされるナイフの一撃を、鉄の棒で受け止める。
技術もなにもない、ただただ力任せの攻撃ではあるが、受けた一振りはあまりにも重く、その強さにグレゴールは驚愕した。
「(……なんなのだ!? この連中は!)」
グレゴールはその身を鍛え上げ、人種としての高みに迫ろうかという位置に居る。
だがその強靭な肉体を誇るこの身が、一介の信者に力負けしていた。
恍惚の笑みを浮かべる男のナイフは、打ち合うグレゴールの武器を弾かんばかりの破壊力で迫る。
身体の重心を移動させナイフを横に受け流すと、それにより体勢を崩した信者の鳩尾へと、グレゴールは鋭く重い拳の一撃を見舞う。
放たれたその一撃に、身体を吹き飛ばされ床へと転がる男。
続けて次の相手を探そうとするグレゴールであったが、自身の視界の端に、今しがた倒したばかりの男がゆらりと起き上がる姿が映る。
「(ばかな……っ! 常人が真面に受けてなお立てるだなどと)」
無意識のうちに手加減をしてしまったのか、それとも寸でのところで急所を外してしまったのか。
そのような可能性がグレゴールの脳裏をよぎる。
だが同じく信者たちからの攻撃を捌いている団員たちから、困惑の声が漏れるのが聞こえた。
「くそ! どうなってんだ!?」
「こいつら……まるで効いてる様子がねえぞ!」
「なんつー馬鹿力だ……」
どうやらグレゴールが抱いたのと同じものを、団員たちも感じたようだ。
女性や老人、子供に至るまでもが、その見た目に反しとてつもない怪力や打たれ強さを見せている。
次いで向かってくる信者たちの手足へと、グレゴールが鉄の棒を打ち付けると、その手には骨が砕ける感触。
しかし想像を絶するであろう痛みさえも意に介さずに、信者は動かぬ腕をダラリと下げたまま騎士たちへと迫りくる。
ある者は脚の骨を折られながらも這って進み、ある者は両の腕を折られ騎士たちへ噛みつかんとする。。
口元だけに笑みを湛えて迫る信者たちの異様に、騎士たちは慄いた。
「ぐぁっ!」
すぐ傍から苦悶の声が上がる。
信者の女が突いてくる包丁を受け流し、その胴を蹴り飛ばして声のした方向を見ると、騎士の一人が赤く染まった肩口を抑え顔を苦痛に歪めていた。
「一旦下がれ。援護する」
「申し訳ありません……師団長」
迫る相手を殴りつけ、武器を弾き、負傷した騎士が下がるのを助ける。
周囲に気をやれば、既に幾人かの騎士たちが負傷しているようであった。
このままではいずれ押し込まれるのも時間の問題か。
何がしかの恐怖や痛みを麻痺させる手段が使われているのであろうか、想像を遥かに超える抵抗を見せる信者たちの姿に、グレゴールは苦渋に満ちた一つの決断を下す。
「……っ! 総員、抜剣せよ!」
その声へと反応した騎士たちは、各々で隙を作り出し手にした鉄棒を投げ捨てると、腰に挿した中剣を抜き構える。
ここまでは可能な限り無力化し拘束をしようとしていたが、既にそうする余裕は無い。
抜剣した騎士たちの目に灯る色は、決意を持った鋭いものへと変わっていく。
▽
暗い室内で壁へと寄りかかり、シルヴィアは荒い息を吐く。
目を覚まし身体を動かすのを試みると、多少ではあるが自由がきくようになっていた。
飲まされた液体の効果が薄れてきたのであろうか、意識は徐々にハッキリとしてきている。
その代わり、身体を襲う暴行による激痛に苛まれてはいたが。
すがる壁に開けられた窓からは、秋の夜の冷たい空気と、誰かしらの叫び声や金属を打ち鳴らす高い音が入り込んでくる。
ただ事ではない事態となっているのは理解できるものの、その状況は掴めない。
多少動くとはいうものの、確認するために窓から顔を出す事すらままならないからだ。
「ああ、お目覚めですか」
どうにかして逃げ出せないかと、断続的に襲う痛みの中で考えていたシルヴィアであったが、そうもいかないようだ。
今まで姿を消していたはずの司教は戻ってくる。
暴行の後も僅かに残った反骨心で、言葉無く司教を睨む。
その様子を残念そうに見て首を横に振ると、司教は悲しげな声を出し嘆く。
「その御様子では、効果は得られなかったようですね。実に残念なことです」
「……効果だと?」
いったいそれが何を指しているのか、シルヴィアは考える。
暴力により従順になるという事を期待していたのかとも思うが、どうやらそれとは異なる意図をもって吐かれた言葉にも聞こえる。
「先程飲んで頂いたでしょう? あれですよ。我々は神判の聖水と呼んでおります」
「……聖水だと?」
「あれには信仰心を試す効果があるのです。敬虔な神の僕であれば、死をも恐れず神敵へと立ち向かう戦士へと生まれ変わり、そうでないならば身体を蝕む弱い毒に。残念ながら貴女は後者であったようですね」
「そいつは……残念だったな」
意識の混濁した原因となったであろう飲まされた液体、それにはやはり特別な作用が存在していたようであった。
随分と非科学的な物であると思うシルヴィアであったが、ここは異世界だ。
そういったモノが存在していたとしても、おかしくはあるまい。
だがもし仮に司教が説明する通りの効果を持つ代物であるならば、シルヴィアが司教の望むとおりの変容を遂げることはあるまい。
シルヴィアは到底神の存在など信じてはいないのだから。
「ですが気に病む必要はありません。信徒の皆が飲みましたが、その気高き信仰心を証明された者は半分にも満たなかったのです。その者たちと同様に、これから神の僕となるべく更なる信仰へ邁進していけばよいのです」
朗々と告げる司教は、窓へと歩み寄るとしばし外を眺め、「寒くなってきましたね」と言い木窓を閉める。
その時点で外の騒がしさは収まっていた。
「申し訳ありません、少し前まで外が五月蠅かったでしょう。どうやら神の意を理解せぬ者たちが、貴女を攫おうと押し掛けているようでして」
その言葉に耳を疑う。
司教の言う理解せぬ者たちというのが誰を指すのかはわからない。
だがおそらくは、シルヴィアの救出を目的として来ている人たちであろう。
誰かに気付いてもらえる可能性への期待を失っていただけに、その言葉に僅かな希望を見出した。
「助けが来てくれたのか……」
「助け? 何を言うのですか。あの者たちは真の信仰への道を進まんとしている貴女を、かどわかさんとしている者どもです。ですがご安心下さい、神を宿される貴女の身は、死をも厭わぬ信徒たちが全力でお守りするでしょう」
この男のいう事を、いちいち気にしていてはならないのであろう。
その突き抜けた信仰心や妄想は、常識による言葉などいとも容易く跳ね除けるかのようだ。
守ると形容された信者たちや、救出をしようとしてくれている人たち。
それらがどの程度の力や量を持つのかは知らぬが、今のシルヴィアにはただ助けを期待する以外の道は残されていそうにはなかった。




