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信者に変装をした情報局の構成員たちは、森の中に敷かれた道を避け、暗闇に溶け込むように一路廃教会を目指していた。
時折行く先で遭遇する信者たちは、時に仲間だと思わせ油断したところを当身で昏倒させ、時に麻痺毒を塗布した吹き矢で無力化していく。
今のところ、ここまでは順調であると言えるのだろう。
であるにもかかわらず、少尉はどこか嫌な胸騒ぎを抑えられずにいた。
「……少ないな」
そう少尉は呟く。
さきほどから散発的に信者と遭遇するが、それらは単独であったり、精々が二人組。
あまりにも警戒の度合いが低いように思えてならなかった。
「騎士団の側に集中しているのでしょうか?」
「可能性はある。だが警戒は怠らないように、いつ伏兵が現れるとも……」
少尉は軍曹の問いに答えながら振り返ると、視線の先に居る軍曹のすぐ背後、森の深い闇に紛れてなにか大きなモノが蠢くのが見えた。
声を発することもなく、すぐさまローブの内側へと手を滑り込ませ、そのままの勢いで掴んだ投擲ナイフを投げつける。
軍曹の顔を掠めるように放られたナイフは、背後にある闇へと吸い込まれ、直後何か固い物に当たる音をして弾かれた。
投げたナイフの効果を確認するもさて置き、すぐさま背後へと飛び退り距離を開ける。
チラリと視線をやれば、軍曹や他の構成員達も黒塗りのククリを構え距離を置いていた。
警戒し見つめる暗闇の先から、のしりと月明かりの下へ姿を現した存在。
それは身の丈3mに迫ろうかという、巨体をもつ竜種の男であった。
他の信者たち同様にローブを纏い、その手には体長に迫るであろう巨大な大鉈が握られている。
どうやらこれでナイフを弾いたのであろう。
少尉らが距離を置いたまま観察すると、どうにも対峙する竜種の男の様子がおかしいことに気が付く。
焦点の定まっているようには見えない血走った目。
そして笑むように口角は上がり、その口元からは絶え間なく涎が流れ落ちる。
その見た目とは裏腹に、存外知的な者も多い竜種たちは、国の要職に就く者も多い種族だ。
だが眼前に聳える巨大なその姿からは、知性というものを感じさせず、ある種異様な空気を漂わせていた。
その竜種はぐるりと首を回し、自身を取り囲む集団を見るや否や、手に持つ大鉈で近づこうとするのを阻もうとするかのように狙いもなく振り回す。
その出鱈目な動きに接近しかねていると、仲間へと伝えようとする意図があるかは定かではないが、突如として天に向け咆哮する。
空気を激しく震わし、木々の葉を揺らすその大きな咆哮に、少尉はしまったと声を漏らした。
これだけ大きな声だ、他の信者たちに聞かれた可能性は高い。
急がなければならないだろうと判断し、声を潜ませることなく自身の上官へと言葉を飛ばす。
「先に行って下さい! 私はこいつをなんとかします」
少尉の言葉に一瞬だけ逡巡した上官であったが、この場を任せるのが最良と判断したのであろう。
小さく頷き、周囲の構成員達へ指示を行う。
「頼んだ。軍曹、お前も残れ」
上官の男はそう告げると、踵を返し一路廃教会へと向けて走り出す。
その姿を見送ることもなく、少尉はジッと凝視したまま対峙しククリと吹き矢を構える。
指示により残された軍曹も同様だ。
先を行く者たちを足止めしようという意思はないのか、竜種の男は残った二人へと、変わらず正気を感じさせぬ笑みを浮かべる。
少尉は構えた武器を握り締めると、一気に距離を詰めるべく地を蹴る。
それに対し大鉈を横薙ぎに一閃するが、ほんの僅かな距離で届かず空を切った。
接近するふりをして大鉈のギリギリ届かぬ距離で止まり、攻撃をやり過ごしたのだ。
軍曹はその背後へと回り、麻痺毒の塗布された吹き矢を放つ。
吹き矢が男の露出した首元へと刺さるのを確認し、すぐさま地を蹴って距離を取ると、先程まで立っていた場所を大鉈が薙ぎ払った。
更にその背後からは、少尉が最接近し同様に吹き矢を露出した足下へと放つ。
直接切り結ぶことをせず、ただこれを繰り返していく。
この者たちは騎士ではなく軍人だ。
なにも真正面から正々堂々と戦う必要はないし、いわゆる騎士道精神などといったものは持ち合わせてはいない。
身体が巨大であるため、麻痺の効果が出るのは時間がかかるであろう。
だがスピードはともかく、パワーの違いすぎる相手と対峙するのであれば、こういった小細工こそが正攻法であると判断した。
唸りを上げて大鉈を振り回し続ける相手へと、四度五度と同じことを繰り返す。
しかしなかなか麻痺毒が効果を現さないじれったさを感じると同時に、いつまでも同じ手に引っかかり続ける男の様子が、少尉は気にかかっていた。
「どう思う?」
「……おかしいですね。やはり普通じゃありません」
隙を見て少尉が軍曹へと問うと、同じことを考えていたのであろう、少尉と同様の感想を漏らす。
正気を失ったかのような目や、滅多矢鱈と振り回される大鉈。
そこからは欠片も知性の色を感じさせない。
時々上げられる声は言葉としては成り立っておらず、その様は理性を放棄したかのよう。
魔力に優れた種族であるため、それを使えばその小さな翼であっても空へと舞い上がることはできる。
空へと逃げれば、少なくとも吹き矢の的となる事など無いであろうに、それすらもする様子はない。
そもそもが見た目に反して特別好戦的な種族という訳ではなく、むしろ戦いを好まぬ種族だ。
信仰心というものを含めても、このような狂戦士と言い表せるような戦い方をするものであろうか。
そうこうする内に、手持ちの吹き矢が底を着く。
見れば軍曹も同様で、その手には吹き矢ではなく投擲用のナイフが握られていた。
麻痺の効果が現れないならば、殺害もやむなしと判断し、吹き矢の筒を投げ捨てククリの柄へと手を伸ばす。
その意図を察したのであろう、少尉が接近するための隙を稼ぐべく、軍曹は立て続けにナイフを投げつける。
一部は運悪く振り回された大鉈に弾かれるが、その多くを身体へと突き刺さり、傷口から血を滴らせる。
だが刺さったナイフも気にする素振りすらなく、竜種の男は大鉈を振り回しながら軍曹へと突進を始めた。
「……くっ!」
振り回される大鉈の攻撃を、周囲の木々を使いなんとか回避する軍曹。
そのかろうじて回避を続ける軍曹へと執着し疎かになった背後へと、少尉は素早くも音もなく接近。
自身の目線よりも遥かに高いその背に向けて、地を蹴って飛びかかり、深々とククリを突き刺した。
確かな手応え。
確実に刃は内蔵にまで届いているであろう。
しかしそれを意に介さないかのように、竜種の男はギロリと視線を向けると、空いた腕を振り回す。
寸でのところでククリから手を離して回避し、後方へと飛び退る。
だがその時、少尉は飛ぶ先の確認を怠っていた。
着地した足元に飛び出た太い木の根に足をとられ、バランスを崩して仰向けに倒れる。
「しまっ……!」
すぐさま顔を上げると、そこには手の届かんばかりの距離へと接近を許した敵の姿があった。
投擲ナイフを取り出す間もなく、ククリも既に手を離れ敵の背に。
咆哮を挙げ眼前へと迫るその姿に、自身の死が鼻先を掠めるのを感じた。
戦う為に訓練された者としては、許されぬ反応なのであろう。
少尉は眼前へと迫りくる死の存在に、固く瞼を閉じ身体を強張らせる。
しかしその訪れは想像したよりもずっと遅く、不思議に思い恐る恐ると瞼を上げると、敵の首元へと共に戦う軍曹が飛びついているのが見えた。
その手に持たれた黒塗りのククリは、頭部を胴から切り離さんとせんばかりに根元まで深々と突き刺さり、そこからは夥しい量の血が流れる。
助けられたのだと理解した少尉であったが、信じられぬことに敵の動きはそれで止まらなかった。
断末魔の悲鳴を上げるかのように吠えると、飛びついていた軍曹の頭を鷲掴みにし、傍に在る大木へと叩きつける。
その光景に我へと返り、少尉は軍曹を大木へ押さえつけるその背へと、再び飛びかかる。
刺さったままであった自身の武器を掴み、背を蹴る反動で引き抜く。
「うああああああああ!」
普段ならば決してせぬであろう怒声を上げ、両逆手で握り締めた武器を、半分落ちかけた首へと振り下ろす。
グサリと深く刺さるも、半分までいった所で、さきほど軍曹の刺したものとぶつかり金属の手応えと共に止まる。
少尉はそのもう一本へ、手を交差させた状態で伸ばし掴むと、そのまま交差させた両手を全力で開ききった。
体勢を崩し、地面へと落下する少尉。
そして動きを止める竜種の男。
数瞬の間を開け、ゴトリという音を聞いたかと思うと、その巨躯は崩れ落ち地面を濡らして行く。
早鐘を打つ鼓動を感じながら、なんとか重い身体をなんとか起こす。
まずは仲間の状態を確認しなければならない。
「……軍曹?」
近寄り掠れた声で気遣うも、反応は得られない。
着けていた手袋を脱ぎ、指を首筋へと当てる。
数秒ほどそうしていたか、手を離すと軍曹の着ているローブを捲り何かを物色すし始めた。
だが何かを思い出したかのように手を止めると、少尉は立ち上がり、踵を返して先を行く上官たちが向かった方向へと歩く。
数歩を歩き一瞬だけ振り返ると、次の瞬間には自らの役目を果たすべく、木々の奥へと走り始めた。




