10
塔の上に作られた室内。若干かび臭く暗いそこで、シルヴィアはうつ伏せに倒れていた。
その身体はすでにボロボロで、身動き一つ取ることすら困難。
肉体を傷付けずにと言ったにも関わらず、司教によって何度も殴打され、その度に尋問を行われるが、答えられずにいると更に暴行を加えられた。
知らないと言っては殴られ、適当な嘘を言えば見破られ蹴り飛ばされる。
そんなことがどれだけ繰り返されたのか、すでにシルヴィアは指先一つ動かすのも困難となっていた。
恐らくは、骨の数本も折られているであろう。
強姦されていないだけマシと言えるのであろうが、少し前に飲まされた得体の知れない液体のせいか、目の焦点は定まらず視界は歪み、意識は朦朧とする。
どちらが床でどちらが天井なのかさえ判断もつかぬ状況に陥り、身体は血液と自身の吐瀉物によって酷く汚れていた。
意識を失っている間に去ったのであろう、司教は室内には居ない。
扉には不用心にも鍵がかけられてこそいないが、この身体では逃げ出すのもままならない。
おそらく司教は、それをわかたうえで鍵をかけていないのであろう。
朦朧とする頭でシルヴィアは考える、このままここに居ては、そのうち殺されるのを待つだけであると。
だがどうすれば良いというのであろうか。
碌に身体は動かず、助けを呼ぶ手段もない。
可能性があるとすれば、姿を消したシルヴィアに気付いた誰かによって、捜索してもらうこと。
だが捜索したとしても、どうやってここを見つけるのであろうか。
「チク……ショお……」
絶望的な状況を自覚し、僅かな抵抗とも言える呻きを漏らす。
再び薄れゆくシルヴィアの脳裏には、一足先に故郷へと還った、この世界での友人の姿が浮かんでいた。
▽
森の中に敷かれた小さな道から、少しだけ外れた木々の間を。
日も完全に落ち切った夜の森の中、気配を隠しながらグレゴールたち騎士団の面々は進んでいた。
視線の先、所々に灯る信者たちが手にした松明の灯りは、鬱蒼とした木々に阻まれグレゴールの下までは届かない。
襲撃を警戒しているのであろう。
男女三人の信者たちが、道の真ん中で片手に松明、片手に包丁や手斧といった粗末な武器を携えて周囲を見回している。
その所作から、戦闘の経験がない素人であることは明白であった。
「モニカは右、トマーゾは手前。私は奥の男だ」
それぞれに対処する相手を割り振り、非殺傷用の鉄棒を握る。
信者たちの内、二人が視線を余所へ向けているタイミングを見計らい、合図をして一斉に藪から飛び出した。
勢いよく飛び出したにしては小さな葉の擦れる音に、余所を向いていた二人の信者は気づかない。
残る一人は何かに気が付いたものの、灯りが届かぬ場所であるため、それが襲撃であることを察知するのが遅れていた。
訓練された者たちにはその数瞬で十分であり、こちらを向いていた一人の鳩尾へと、トマーゾと呼ばれた騎士の拳がめり込む。
「グェっ……」というくぐもった声を、殴りつけたのとは逆の手で口を押えて消す。
その様子に気が付く前に、背後から信者の女に対して女性騎士は首に腕を回し、同じく口に手を当て声が漏れぬようにしながら頸動脈を圧迫する。
それを察したという事ではないのであろうが、最後の大男がそちらを向いた時、グレゴールは既に手の届く程に迫っていた。
他の信者二人と違い、体格の大きな相手だ。
半端なことをしていては、耐えて大声を上げるかもしれない。
そうなれば、場合によっては始末しなければならなくなる。
そう判断していたグレゴールは、既に抜き放っていた鉄の棒を激しく首元へと打ち付けた。
大男は白目を剥いて、うつ伏せに倒れ込む。
骨の一本もは折れているかもしれないが、命を奪うよりはマシだと思って諦めてもらうしかあるまい。
振り返ると残りの二人の信者も既に意識を失っているようで、倒れ込んだ地面にはそれぞれが持っていた粗末な武器と、パチパチと燃え盛る松明が転がっていた。
見つからぬよう松明の火を消し、新たに表れた他の騎士たちと共に信者の身体を森の中へと隠す。
しばらくすれば目を覚ますであろうが、作戦中に起きるということはないだろうと判断し、縛り上げることはしない。
「一応は情報通りか……」
グレゴールは小さく呟く。
軍からの情報は今のところ正確であり、信者たちは完全な素人集団で武器もお粗末なものであった。
大まかに記された地図にも、今のところ破綻はない。
「この様子でしたら、そこまで時間はかからないでしょうね」
「油断は自身を殺すことになるわよ、トマーゾ」
慢心とも取れる同僚の発言を、モニカと呼ばれた女性騎士は小さく諌める。
「その通りだ、信者の中には竜種が居るという情報もある。油断するな」
グレゴールの言葉を受けた騎士たちからは、ピリとした空気を発せられるのを感じさせた。
道に時折現れる見回りを排除しながら進んでいくと、与えられた情報通り、視界の開けた先へと古い教会が姿を見せた。
そこが攫われた少女の居る場所であるのは疑いようもなく、グレゴールたち騎士団の面々は、森に潜みながらゆっくりと包囲を狭めていく。
警戒に立つ十数人の信者たちは、酷く緊張をしているようであった。
見回りが戻ってこぬことを察するには早いようにも思えたが、何がしかの異常を察知したのであろう。
見張りの中にはオークも居るようで、救出を行わんとする騎士団にとって、その相手をするのが最初の山場と言える。
「このままでは埒が明かないな。構わん、制圧する」
少しだけ見張りを観察するも油断する隙は訪れそうもなく、一刻も早い救出をすべくグレゴールは騎士たちに指示を出す。
それに合わせて騎士たちの幾人かがクロスボウを手にし、警戒をする信者たちに向けて矢を放つ。
とは言うものの、それはあくまでも牽制。
放たれた矢は信者たちの足元へと次々に刺さり、それによって見張りをする者たちに混乱が生じ始めた。
突然の出来事に戸惑い混乱する信者たちへと、計ったかのように一斉に飛び出す騎士たち。
すれ違いざまに信者たちの急所を鉄の棒で殴打し、一撃のもとに昏倒させていく。
それと同時に信者の手に握られた松明を叩き落とし、次々とその灯りは消されていった。
松明の明るさに目が慣れていた信者たちは、騎士団員の姿を捉えるどころか味方との距離すらも掴めない。
混乱し無闇矢鱈と手に持つ武器を振り回すため、一部で同士討ちを始めた者たちも居るようであった。
見張りの多くを無力化していく部下たちを尻目に、グレゴールはオークへとその進路を向ける。
動きこそそこまで早くはないものの、その巨漢は多くの者にとって脅威となる力を秘めている。
それは複数の亜人を内に抱える騎士団にとっても同じであり、オークが振り回す極大の棍棒のせいで、近寄ることに苦心しているようであった。
「替われ、私が前に出よう」
オーク相手に切り結んでいた獣人の団員へと声をかけ、その位置を交代する。
既に暗さにも目が慣れているのであろう、前へと出たグレゴールの存在を察知し、オークは手にした棍棒を思い切り横に薙ぐ。
グレゴールは咄嗟に地面へと伏せ、その棍棒の一撃を紙一重で避けた。
一瞬前まで自らの胸があった位置を、轟音で呻りながら通り過ぎるそれに肝を冷やす。
人が相手ならば、手にした武器で受けるという選択もありえただろう。
だが相手はオークだ、グレゴール自身も体格には比較的恵まれていたが、オーク相手にそれは自殺行為とも言える。
オークの身の丈は2mを超えるのが普通であり、その身長以上のパワーを誇る相手。
まともに受けていては、手にした武器ごとへし折られるのは容易に想像がついた。
勢いよく振られた棍棒の勢いを殺しきれなかったのか、それに振り回されるようにオークはその体勢を崩す。
その隙を逃さず飛びかかり、グレゴールは一撃で決めるべく、鉄の棒を顔面へと払い上げるように打ち付けた。
しかし渾身の力を込めた一撃も、それ一度で気絶させるほどの効果には至らない。
オークは再び棍棒を振り回し始めたため距離を取る。
既に周囲の鎮圧は終わり、残る見張りはグレゴールが対峙するオークのみ。
数人が加勢すべく取り囲み、じわりじわりと距離を詰めていく。
そのような状況であるにも関わらず、グレゴールは以前の自分であれば、騎士道精神を持ち出し一対一に拘ったであろうかと考え、自嘲気味に笑った。
オークは取り囲む騎士たちを見渡すと、この中では比較的組し易いと踏んだのであろうか。
この中では最も小柄な女性騎士へと、棍棒を振りかぶり襲いかかる。
襲いかかるオークに女性騎士は動じず、ギリギリまで引きつけてから振り下ろされる棍棒を紙一重で避け、懐に潜り込むとその胸元に鉄の棒で突きを見舞う。
強烈な一撃に呻くような悲鳴をあげよろめくが、沈黙するにはまだ足りない。
しかしそれによって十分隙は生まれており、グレゴールは怯んだオークへと一気に踏み込むと、その顔目掛けて再度渾身の力を込めて鉄の棒を振るった。
「すまんなマリアナ。私が一撃で決めきれなかったばかりに」
足下で昏倒しているオークを前にして、グレゴールは謝罪の言葉を述べる。
隙を生み出す一撃を見舞った女騎士は、若干はにかんだ笑みを浮かべ言葉を返す。
「いえ、お役にたてて何よりです」
グレゴールが放った二度目の攻撃により、ようやくオークは沈黙し、万が一を考えて針金を使い拘束する。
廃教会の表に居た人数は、周囲の警戒に当たっていた者たちを含めても情報の半分程度しか居らず、最も警戒していた竜種もその姿を現してはいない。
ならば廃教会内に潜んでいるであろうという話になり、今は突撃をするための準備を整えているところであった。
「準備は整ったな? では行くとしようか」
騎士たちが身構えているのを確認しグレゴールが合図を送ると、内二人が廃教会の扉を開け放つ。
中は複数の蝋燭によって、十分な明るさを保たれていた。
礼拝堂奥には揃いのローブを来た複数の信者たちが待ち構え、外に居た者たち同様に、包丁や手斧といった武器を携えている。
それだけを見ればここまでと同様。
しかし中で待ち受ける信者たちは、どこか外で対峙した者たちとは異なり、どこか異様な空気を湛えているように思えてならなかった。
戦闘を上手く描ける人って凄いなぁと感心するばかりです。




