10
「おかえりなさいませ、旦那様」
男は自宅の玄関扉をくぐると、出迎えてくれた執事に上着を預けた。
その腰に差した剣はそのまま自身で持ち続ける。
別段執事を信用していない訳ではなかったが、常に武器を身に着けていないと気が落ち着かない。
長年を騎士として過ごしてきた、ある種の悪癖とも言えるものであった。
もっとも家の中でもするそれを、妻からは度々怒られてはいたのであったが。
「留守の間になにか変わったことは」
「いえ、ございません。ですが今はロイアー様がいらしています。奥様が応接室でお相手を」
「そうか、では挨拶をせねばならんだろうな」
告げて軽く身だしなみを整えると、客人の待つ応接室へと向かう。
男は酷く疲労していた。
二日前の夜に得体の知れぬ奪還任務へと従事し、そこから戻って以降ほとんど休む間もない。
帰還の報告もさせてもらえぬまま庁舎の一室へと連れて行かれ、そのまま起きた内容を事細かに聞かれ、ようやく解放されたのが昨日の朝。
それも聞かれたというよりは、尋問されたと表すのが適切に思える内容であった。
最終的に一切の口外をせぬよう念書まで書かされ、その後も続いて尋問される部下たちを放っておけず、最後まで付き合う破目となる。
一応妻には使いを出して連絡したものの、全てが終わったのはつい先ほどのことであった。
クタクタとなった団員たちもろとも、騎士団長の一声によって、そのまま全員に二日間の休暇を与えられたのは救いであると言える。
ただ結局は騎士団長と話し込んでしまい、ようやく我が家へと辿り着いた今は既に夕刻。
「結局あれは……いや、彼女は何だったのか……」
口の中へと篭る程度の小さな声ではあるが、疑問が衝いて出る。
奪い返した"荷"に関して気にはなる。
だがあれは明らかに、深く関わってはならない内容であるとしか思えなかった。
ただどちらにせよこれ以上先は、師団長の立場で触れられる範疇の話ではないのだろうと、豊かに蓄えられた顎髭を撫でながら自身を納得させる。
今はとりあえず、愛する妻と子供たちの顔が見たいと男は思う。
だがその前に来客に顔を出しておかねばならないであろう。
妻に任せきりにするべきではないと、自身も応接室へと向かった。
▽
開かれた扉から姿を現したのは、全身に青味を帯びた金属鎧を纏う大男であった。
その姿は、シルヴィアの想像する騎士の姿そのものといった風体。
蓄えられた長い髭により年齢を推測するのが難しいが、この男が話題に上ったベルナデッタの夫であろう。
その目にはベルナデッタよりも、二十近く年上のように映る。
入ってきた男と視線が合う。
そこでシルヴィアは、どうにも男の様子がおかしいことに気付く。
それは動揺しているとも取れ、あるいは驚きを隠しきれていないようにも見える。
「おかえりなさいアナタ」
ベルナデッタは男へと近寄り、頬に軽く口づけをする。
「ああ……ただいま。留守を任せたな」
返す言葉は少々歯切れが悪い。
見ず知らずの相手に対し、人見知りをするような歳でもあるまいが……。
だが直後には気を持ち直したのか、姿勢を正してシルヴィアへと挨拶をする。
「お初にお目にかかります。私は騎士団第二師団長を務めさせていただいております、グレゴールと申します」
右手を胸に当て、丁寧な礼をする。
シルヴィアも挨拶を返し名乗ると、グレゴールは再び微かに驚きの表情を浮かべ、何かを納得したかのように呟いた。
「そうですか、ディールランドの……」
「あの……なにか?」
「いえ、失礼いたしました。独り言ですのでお気になさらず。気に障られましたら謝罪を」
別段シルヴィアは気に障りこそしないものの、気にはなっていた。
先ほどからの様子も含め、なにか思う所でもあるのだろうかと。
ただ害意や敵意といった感情であるとは思えず、それが余計に疑問となっている。
そんなシルヴィアの思案を知ってか知らずか。
グレゴールはアウグストへと向き直ると、挨拶を交わし始める。
「ロイアー様、ご無沙汰しております」
「おう、結婚式以来だな。そういやお前さん髭なんて生やしてたか?」
久しぶりに会った相手であろうに、変わらず軽い口調で話す。
これはアウグストの個性によるものであると考えていたシルヴィアであったが、名前に様を付けて呼ぶ点が気にかかる。
シルヴィアが知らないだけで、実のところ高い地位に居るためであるのか。
「昔は少し生やしてたんだけど、一時剃ってたんだけどね。でも結婚してからすぐにまた生やし始めたのよ」
「お、おいベルナデッタ……」
ベルナデッタがニヤニヤとしながら面白そうに話に入り込む。
その悪戯めいた表情からすると、なにやら丁度良いからかいの種を持つようだ。
「この人、名前は厳ついのに童顔なのを気にしてるのよ。結婚して家族ができてからは、特に威厳を出そうとしてるみたい」
あまり悟られたくない事情なのであろう、グレゴールはその言葉に赤面する。
そのあまりにも可愛らしい理由に、シルヴィアは頬が緩むのを感じた。
そういえば学生時代に同じような理由で、髭を生やそうとしていたチームメイトが居た。
ただその彼は髭が薄かったため、逆に貧相に映っていたのを思い出した。
こういった悩みは世界の壁さえも超えて共通なのであろう。
その話題が功を相したのであろうか。
以降は和やかな雰囲気で話が進み、それは陽が落ち外が薄暗くなるまで続いたのだった。
▽
いつの間にか暗くなっていた外の様子に気付き、シルヴィアらはベルナデッタの家からお暇をした。
少々喋りすぎたであろうかと思いつつ、陽が完全に落ちきった夜の道を、アウグストと並んで屋敷への帰途に就く。
上街区まで戻ってくると、通りの隅に立つ外套には明りが灯り、柔らかな光が道を万遍なく照らしている。
市街区で見かけた街灯は、火を使った洋燈や松明であった。
だがここに立ち並ぶ街灯はシルヴィアの部屋に有ったものと同じく、揺らめく火の姿さえ
見えない。
アウグストに聞いてみれば、それは最初に想像した通り、魔力によって灯されているのだと。
夜ごとに管理する行政の職員たちが、一つ一つ点けて周るとのことであった。
こちらの世界における魔法や魔力といった存在は、こういった日常の生活に根差した、実用の物がほとんどであるようだ。
歩きながらもシルヴィアは、帰り際にベルナデッタからかけられた言葉を思い出す。
彼女はなにやら、一つ心配事をしていたようであった。
「シルヴィーは見た目可愛いから……それが余計に彼女を刺激するかもね」と。
おそらくそれは、こちらで男の体へと召喚された娘を指して言われたはずだ。
ある種の自画自賛とも言えそうなものではあるが、その容姿を見る限り確かに美人の類であると、シルヴィア自身自覚していた。
当然ながら、エルフとしての種族的な面が色濃く表れた結果であろう。
だがベルナデッタの指摘する通り、それが尚更癪に障る可能性は高い。
顔を合わせた時に、どう声をかけていけばいいのだろうか。
シルヴィアはそう考えると、家路を急ぐ足が僅かに鈍るのを感じずにはいられなかった。
屋敷へ帰り着くと同時に、シルヴィアはずっと玄関で待っていたと思われるフィオネに抱き着かれる。
それから食事の準備が出来ていると言うトリシアについて食堂に向かうも、未だその身は解放されずにいた。
朝食時同様にシルヴィアの隣を確保したフィオネは、変わらず機嫌よくニコニコとしている。
朝よりも若干近くなっているその間隔に、いったいどこが気に入られたのであろうかとの疑問を抱かずにはいられない。
例の人物はまだ、その姿を見せてはいない。
だがどう声を掛けてよいものかわからず、接し方に悩むシルヴィアにとっては、救いとも思え胸を撫で下ろした。
出てきた食事はこれといって変わったところもなく、あちらの世界で食べていたものと大差ない。
朝食や外の広場で食べた麺料理もそうであったが、基本的に異世界と言えど、その食文化には然程の違いもありはしないようであった。
ただ少なくとも、この屋敷で出る食事には大きな違いが存在する。
それは出される料理の質や、皿の豪華さ。
もっとも比較対象が、一般家庭の食卓であるため、それも当然と言えば当然であったが。
まずは前菜から出され、次いで魚。
それを食べ終えると口直し目的であろうか、二口分ほどの大きさをした氷菓が出された。
掬って口に運ぶと、イチゴによく似た風味が口に広がる。
よもやこの世界でシャーベットが食べられるとは思っても見なかったシルヴィアは、その意外な献立に驚きを隠せない。
「どうですか? ここの食事は美味しいでしょう」
ハウは笑顔で問いかける。よほどここの食事が自慢なのかもしれない、だがそれも頷ける。
事実夢中になって食べ進め、まだ足りないと皿を突きだす欲求に駆られそうになるくらいであった。
朝食もそうであったが、トリシアの腕は随分と達者であるようだ。
「ええ、とても。正直……驚いてます」
「そうでしょうね。私も最初に彼の作った料理を食べて以降虜にされてしまいましたよ」
「彼……ですか?」
「はい、今厨房に立っているのですが、ここの執事ですよ」
朝に続いてトリシアが作っていると思っていた。
実際には件の執事は戻ってきており、その人物がこの夕食を作っているのだと。
どうやら今のトリシアは、配膳に徹しているようであった。
「随分と食にこだわりのある人でして。さっきの魚もいったいどこから手に入れてきたものやら」
大陸中央の内陸地にある王都では、基本的に魚介類が貴重であると言う。。
シルヴィアにはその違いがわかりはしないが、おそらくは川魚を使っているのであろう。
しかし口にしたそれには特有の臭みもなく、ただただ一心不乱に食べるばかりであった。
氷菓に続いて肉が運ばれる。
骨付きの肉が皿に盛られているのだが、横に座るフィオネの皿を見れば、食べやすいように骨を外してあった。
付け合せのマッシュポテトらしき物には、小さな旗が突き刺さっている。
その見た目はお子様ランチそのものであり、シルヴィアはどこか可笑しなものを感じ、クスリと小さく笑う。
「ちょっと……もう限界です」
想像以上の味に舌鼓を打ち肉を平らげたシルヴィアであったが、その胃は限界を迎えていた。
トリシアからはデザートが残っていると言われはするものの、流石にこれ以上は入りそうもなく、断るべきかどうかを悩む。
「(本当ならもっと入るはずなのにな……。やっぱり身体が違うせいか?)」
アウグストやハウよりもずっと少なく盛られた料理ではあったが、華奢な少女の身体ではこのくらいの量で精一杯なのであろう。
以前の身体と比べれば、食べられる量は半分以下でしかない。
とはいえ最後の楽しみを断るのも忍びなく、トリシアを通じてデザートの量を抑えめにしてもらうようお願いをする。
その言葉を受けたトリシアは小さく微笑み、厨房の執事へと伝えてくれた。
運ばれてきたデザートを前にし、なんとか食べきろうと身構える。
しかしそれも杞憂に終わりそうではあった。
皿の上にはタルトと、数種に及ぶベリー。
サクリとした食感と果実の酸味に溺れ、シルヴィアはいつの間にか無心でデザートを口へと運んでいた。




