(2/2)ハタチ妻になって。
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金色の翅あるわらは躑躅くはへ小舟こぎくるうつくしき川
与謝野晶子
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そういうゴールデンウィークだった。何もかもが輝いていた。
天使が赤紫のツツジをくわえて、美しい川に漕ぎ出るような日々だった。
朝目が覚めて、2人でご飯を食べて、散歩に出かけて(タカハシは散歩が趣味だった)、夫のお気に入りの喫茶店でランチをして。
帰りはスーパーで献立を相談して。詩を暗唱しながら作って。かきたまスープとか。エビのチリソースとか。回鍋肉とか。
お風呂からでたらサイダーを飲んで。髪を乾かして。是也の『私設図書館』に2人でこもって。
高橋是也という人は家のほとんどの時間を読書して過ごしていた。テレビも7時のニュースくらいしかみない。ネットは一切見ない。
世俗のことも新聞で知る範囲のことしかわからなかった。
『これじゃあ女子高生と話合わないわけだわ』
やれやれ
と言ったとこだ。
夜枕を並べて紫陽は聞いてみた。
「どうですか? 新婚生活」
「うーん」
夫はスタンドライトの下で寝そべって本を読んでいた。開高健だ。
最近老眼が入ってきたらしく読書の際には眼鏡をかけるのだという。
「不思議な気持ちになるね」
「不思議って?」
「だからね……」パタンと文庫本を閉じた。
「朝目が覚めるとなぜか可愛い女の子が俺の隣で寝てるんだよ」
「うふふふ」
「その子はなぜか俺の作る朝ごはんを食べて、ずーーっと家の中にいるんだ」
「奥さんだからですよ」
「そうだったね」
紫陽の髪をなでた。
「このままずっと死ぬまで1人暮らしかな……と思ってたんだ」
もう。紫陽はニマニマしてしまうのだった。
「どんどん。増えますよ。人数」
ふふふふ。「寂しくないね」
突然起き上がった「あっ。そうだ! 紫陽」
立ち上がると引き出しからリボンのかかった箱を取り出した。
「遅くなったけど。ホワイトデーのお返し」
ええええええーーー!?
ホワイトデー! かんっぜんに忘れてたわ。だってほら。お返しには『婚姻届』というこれ以上ないもんもらったし。そんな考えてなかったわ。
掛け布団を取って敷布団の上に正座した「ありがとうございますっ」
パジャマのまま向かい合う形になった。
「うん。今さらごめんね。何せ公園で紫陽に泣かれて。すっかりプレゼントのこと後回しになっちゃったんだ」
そうでした。そうでしたー。3月の公園で「いつになったら『初めて』してくれるんだよ!?」とギャンギャン泣いたのでした!!
金のリボンをほどくと口紅が出てきた。
!?
いや……。
嬉しい……。
嬉しいけれども……。
クリスマスプレゼントが『クリスマスコスメ』だったじゃないですか。口紅付きの。
被ってね〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?
タカハシはバツが悪そうに頭を掻いた。
「いつもサトルに頼ってばかりだからね。いい加減独り立ちしないとと思って。ホワイトデーの日に買いに行ったんだ」
あ〜〜〜〜〜〜〜〜。マウンテンズのライブがあった日にですか〜〜〜〜〜〜〜〜。
サトルの『バレンタインデーのお返し』は完璧であった。何せグッズを全て揃えるような、紫陽が『心酔してる』と言っていいバンドのライブ。しかもアリーナ席を用意してきたのである。
そんでこの人は口紅一本ですか(しかも前のプレゼントと被っている)
やっぱサトルとタカハシでは恋愛偏差値が違いすぎる。
「え? 先生が選んでくれたんですか?」
口紅のグリップを回すと、グロスたっぷりのピンクのルージュが現れた。
「いや……それがね……。結局1時間ウロウロしても決められなくてね」
「はい」
「売り場の店員さんに紫陽の写真を見せて選んでもらったんだ」
「ええ〜。売り場のお姉さん何て言ってました?」
「『可愛い姪御さんですね』って」
紫陽は吹き出した「否定しなかったんですか?」「しないよ。17歳も離れているもの。『大学入学祝い』って言ったらすぐ信じてくれたよ」
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下京や紅屋が門をくぐりたる男かはゆし春の夜の月
与謝野晶子
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ぶっ。
たくさんの口紅を前に困惑しきってるタカハシが目に浮かぶ。
「ありがとうございますっ」
抱きついた。可愛い。不器用な中年可愛いっ。
「それとこれも」と手渡してくれた。
ペンギンの。金でできたしおり。頭から黒い紐が出ていて先にダイヤモンドのような飾りがついている。
◇
紫陽が初めて2階に上がった日の話をする。
1階は初日に全部屋見たけど、2階は結婚後だった。
「あ! スリッパ履いてマスクした方がいい」と眼鏡の紫陽は言われた。
マスク?
上がってみて驚いた。ホコリがつもっていたのである。
部屋にはギッシリ物が詰め込まれていた。
本棚(まだあるんかい!)衣装ダンス。ウォーキングクローゼットには背広と女物のワンピース。
三面鏡。カラーボックスにプラレールのレールが何十本も刺さっていた。
何ここ……。
部屋の全てが薄暗い。
窓を見ると開けている気配のないカーテンが垂れ下がっていた。今。昼の3時なのに。
うっかり何かを蹴飛ばしてしまった。
『ザリッ』と音がして足下の物が2センチほど動いた。
『雑誌だ……』
ピニールテープで縛った雑誌が足元に束になって置いてあった。
ギョッとする。
雑誌が動いた分新しい畳がのぞいていたからだ。
周囲の畳は黄色なのに……。
これあれじゃない? 全く動かしてないから雑誌の外側の畳だけが日焼けしてるんじゃない?
しゃがみこんで雑誌の日付を見ると『2001年6月号』とあった。
20年前じゃん!!!!
婦人雑誌だ。タカハシが20年も取っておく必要などない物だった。
ギシッギシッギシッと階段を踏む音がしてタカハシが登ってきた。
「ごめん。ごめん。無精でね。3ヶ月に1回くらいしか掃除機をかけないんだよ」
紫陽の気持ちと相容れない明るい調子。
タカハシはそのままスリッパで窓に寄るとカーテンをひらいて窓を開けた。
途端に太陽の光で部屋が明るくなる。
風が入ってきた。
「ヒュッ」
息を吸った。
いつの間にか息を止めていたらしい。
「はあっ。あのっ。もしかしてアレですか」
「あれ?」
「お母様が亡くなられてからそのままなんですか……」
タカハシがちょっとバツが悪そうに笑った。「どうも。俺は片付けが下手でねぇ」
ちがう!
ちがう! なぜならば1階は片付いている!!
むしろ物が無さすぎて無機質なくらいだ。生活品と本しかない印象だ。
それがなんだここは。
ありとあらゆる、ありとあらゆる思い出が置いてある。
ホコリの被ったサッカーボール。ホコリの被ったトロフィー。タカハシが着るわけもない女物のワンピース。
賞状が壁に貼られ、セロテープが黄色く朽ちていた。
3ヶ月に1回の掃除だって、あるものを極力動かさないように掃除機がけしているに違いない。
紫陽はフラフラと三面鏡に向かい座り込んで引き出しを開けた。
十数本の口紅が見えた。1つ取ってグリップを回す。40代くらいの女性がつけるような赤紫のはっきりとしたルージュが現れた。
「あっ。ちょっと。紫陽。それは使えないよ」
タカハシが慌てる。
振り向きもせず鏡の向こうに映る是也に言葉を返す。
「20年前の口紅だからですか」
どうして。使いもしない口紅を20年もどうして。
◇
これが。タカハシの『秘密』なのだった。
彼は親が死んでから20年。立ち直っていないのだった。まるで思い出と心中するかのようにこの家で1人。言わば『死人と暮らして』きたのだった。
サトルが父親の形見の鍵を簡単に持ち出せたのも道理だ。
生きていたときのまま2階に鍵が残されていたに違いない。
この。異常な『思い出の博物館』を見てサトルはどんな感想を持ったのだろうか?
どうして彼は『タカハシ。いい加減に整理しろよ』と言わなかったのか。真っ先に言いそうなのに。
その夜眠る夫の横で紫陽は寝付けずにいた。
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太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
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三好達治の『雪』だ。たった2行しかないから無限に想像を広げられる。
太郎と次郎は兄弟なのか?
兄弟ならなぜそれぞれに『屋根』があるのか?
何歳なのか? 太郎を眠らせるのは誰か? 母親なのか? この詩の話者(speaker)は誰か?
100人いれば、100通りの詩の読み方がある。
受け取ったとき、人はそれをどんな物語にして楽しんでもいいのだ。
それで紫陽は『雪』をこのように鑑賞していた。
『太郎』や『次郎』は本名ではなくて、『A君』『B君』みたいのもの。名前のない子供達につける記号のようなもの。
『太郎』と『次郎』は兄弟じゃない。
眠らせているのは『母親』でなく雪そのもの。
つまりこういう詩だと思っていた。
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太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
三郎を眠らせ、三郎の屋根に雪ふりつむ
四郎を眠らせ、四郎の屋根に雪ふりつむ
五郎を眠らせ、五郎の屋根に……
六郎を眠らせ……
七郎を……
村々を眠らせ、村々に屋根に雪ふりつむ
国々を眠らせ、国々の屋根に雪ふりつむ
世界を眠らせ、世界の全てに雪ふりつむ
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是也の頭上には、いつも見えない雪が降っていたのではないか。
◇
その夜。紫陽は夢を見た。
気づくと高校の制服を着て桜吹雪の中を立っていた。
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桜の樹の下には屍体が埋まっている!
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すさまじい花吹雪だった。
梶井基次郎の『桜の樹の下には』を思い出す。
「是也さんと会った渡り廊下だ!」
是也さんは? 是也さんはどこにいるの?
桜の樹の真下に、こんもりとした何かを見つけた。花びらで全てが覆われている。
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桜の樹の下には屍体が埋まっている!
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紫陽は走った。恐怖で『何か』に手を伸ばした。夢中で両手を使い花びらを薙ぎ払う。花びらが何百と巻き上がって紫陽の視界を塞いでしまう。顔をブンブンと横に振り、髪に袖に入り込む花びらを振り落としてまたそれの上をこすった。
徐々にそれは人の形に還った。
「是也さん!」
間違いない。是也だ。どうしてこんなところに横たわっているの。やめて。渡り廊下を歩いて。私にハンカチを差し出して。
顔の部分がすっかり出る。是也の髪の毛が『鬼太郎』に戻っていた。
あの。何の感情もない右目で空を見ている。
紫陽は必死に左腕を引っ張った。
「是也さん! だめよ! 時間に埋もれてしまってはだめ! 起きて! 起きて生きるのよ!!」
ハッとする。
違う。花吹雪じゃない。雪だ。雪が降っているのだ。フワフワとボタン雪のように音もなくそれは積もった。
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是也を眠らせ、是也の屋根に雪ふりつむ
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彼の頭上には絶え間なく雪が降り続いている。それは母親のワンピースの形をしている。花柄で、ピンクで、公園をふわりと舞う。
それはサッカーボールの形をしている。彼が思い切り蹴ると、友達の足が受け止める。
それは黄ばんだ表彰状の形をしている。『交通安全コンクール』に入賞したときのものだ。『たかはし これやくん』とひらがなで書いてある。
それはクラスメイトと逆方向の病院へ続く道の形をしている。
1人で『介護用のオムツ』や『着替えのパジャマ』を持って坂道をのぼる。
それは1人で見つめる天井の形をしている。四角いかさの被さる丸い蛍光灯。
来る日も来る日も1人の眠り。
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是也を眠らせ、是也の屋根に雪ふりつむ
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何も無くなってない。思い出は全部あるよ。思い出に音もなくホコリが降り積もる。
みんな生きてた時のまま。
僕の心は死んだまま。
「これやさんっ」という自分の大声で目が覚めた。
布団からはね起きて隣を見ると38歳になった夫が眠っていた。
髪の毛は切りそろえられ両まぶたがすっかり見えた。
唇に耳を当てた。大丈夫! 規則正しい寝息がする。
何もない。何も降り積もってない。
世界は静かで、音もなくて、時間ばかりが過ぎていく。
◇
『女友達と出かける』と嘘を言って銀座でサトルと落ち合った。
フルーツが有名な店に連れて行ってくれた。パフェにもパンケーキにもゴロゴロのフルーツがてんこ盛りになっている。
水色と白のストライプソファが可愛い。女の子たちでいっぱいだ。
サトルはチョコレートパフェに刺さっているシガービスケットを手で抜いた。
「な? 異常だろ〜〜?」
「違和感しかない〜〜〜〜〜〜〜〜」
フルーツサンドのイチゴとみかんがきれい。
紅茶もすごい上等だった。香り高い。普段飲んでるパックのやつと大違いだ。
「20年もそのままなんてどうして〜〜〜〜〜〜〜〜」
「だからあいつは『相当難しい』って言っただろうが。オレにしときゃあよかったのよ。オレは単純明快だぞ〜〜〜〜っ」
「単細胞なだけじゃん〜〜〜〜〜〜〜〜」
「うるせぇ」
ニヤニヤして電球が3個1セットになった照明を見ながらコーヒーを飲んだ。
「お前タカハシの人生に『革命』起こすんだろうが。(立ち上がって『パーン!』と紫陽の肩を叩いた)まあガンバレよ!」
「え? なんか解決策ないの? タカハシ思い出に溺れて生きてるみたいに見えるけど。いいの? そりゃあうちだってお父さんの遺品は色々とってあるけど、お母さんと相談してだいぶ捨てたよ? 雑誌1冊すら捨ててないって異常じゃない?」
「解決策なんかあったらとっくに捨てさせてるわ」
「それはそうだけれども!」
思わずテーブルにうっつぶしてしまう。
「なんか良くない気がする〜〜〜〜〜」
まだハタチの。人生経験なんてほぼない女子大生には重すぎる課題であった。
「カブラギさぁ」
「シヨウでいいよ」
「元カブラギさぁ。お前結婚したんだからな。相手の『いいとこだけ』みるわけにはいかねーんだよ」
「シヨウでいいって言ってんのに」
「相手の『傷』とかそれこそ『家族』とかも背負うのが『結婚』なの。DVまでいくと違うけどなぁ。お前なんかフワフワ『王子様とお姫様は幸せに暮らしました』とか言ってたけど、その『幸せに暮らしました』がどんだけ大変か今から味わうがいい。オレはやだね〜。結婚なんか一生しねえ」
「前私にプロポーズしたじゃん」
「お前とは結婚する」
なんなんだよ。
結局サトルに高級デザートを奢られただけで、タカハシの家に帰ってきてしまった。
2階まで行ってフレアースカートのまま座り込む。
是也さんのお父さんとお母さん。どうすればいいんでしょうねぇ?
ひんやりとした和室からは何の返事もなかった。
◇
とうとうゴールデンウィークが終わってしまった!
紫陽はタカハシとの話し合いで『大学を卒業するまでは実家住まいとする』と決めたのだった。
結婚式も2年後。大学卒業前に引っ越しをして。社会人をこの家で開始することにした。
紫陽はタカハシとラブラブ新婚生活がしたかったのだが『親といられる時間は短いから。学生の間は親孝行しなさい』と説得されたのだ。
つまり。髙橋紫陽は『通い妻』になったのだった。
木曜日のバイト終了後タカハシの家に行き、2人で『天野ゼミ対策』をする(天野啓治というレポートの採点が厳しい教授がいる)。金曜日もタカハシの家に泊まる。土曜日のランチをタカハシと2人紫陽の実家で食べる。タカハシは1人で家に帰る。
おおむねこういうルーティンに決まった。
自転車15分というのは実に便利な距離だ。雨の日はちょうどいいバスが出ている。
タカハシの望みは『できるだけ自由な学生生活を送らせてあげたい』ということだった。
バイトも今まで通り。友達とも遊べる。勉強する時間もいっぱいあって。おしゃれもできて。自分1人の時間も大事にできる。
『そういう2年間を送りなさい』と言ってくれた。
後年、紫陽はこの『執行猶予期間』のありがたみを痛感するのだがそれはもっと先の話だ。
ハタチの生命力いっぱいの新妻は寂しかった。
わかりますけれども。
毎日一緒にいたい。
ゴールデンウィークの最終日。タカハシの背中で自転車に揺られながら紫陽は与謝野晶子の歌を詠んだ。
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このおもひ何とならむのまどひもちしその昨日すらさびしかりし我れ
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バッグの中にある『タカハシの家の鍵』だけが紫陽の心をぽうっと温めていた。
◇
大変だったのはゴールデンウィーク明けである。
紫陽のバイト先。弁当屋『おなかいっぱいたべたい』に女子高生どもが押し寄せてきたのだ!
15人はいる。息を弾ませて、池でエサをもらう鯉のように口をパクパクした。
「お姉さんっ。タッ高橋先生と結婚したって本当ですかっっっ」
「うん。そうだよ」
「「「おおおおおー!!!!」」」
ため息とも唸り声ともつかない音が店内に響き渡る。
「え? なんでタカハシと結婚しようなんて思ってたんですか!?」
「お姉さん高校ここですよねっ!? 在学中から付き合ってたってことですか!?」
「まっさかぁ。あの『真面目が服着た男』のタカハシがぁ〜」
「どっちから告白したんですかっ!?」
「今一緒に暮らしてるってことですか?」
ひばりのヒナのような女子高生どもが一斉にピーチクパーチク騒ぐので質問内容を聞き取るのも一苦労だ。
「え? 是也さんはなんて説明してるの?」
『キャーっ「是也さん」だってぇ♡』と女子高生どもがはしゃいだ。
話は数時間前にさかのぼる。
朝、クラスに入ってきたタカハシに全員が釘付けになった。
クラス名簿を持つ左薬指にシルバーリング。
そのまま壇上に上がると反射的に日直が「起立!」「礼!」「着席!」と声をかけた。
つられてみな従った。
で、1番前の朝比奈玲が座らなかった。
「ん? 朝比奈? どうした」タカハシがいぶかしがると真っ直ぐ指をさした。
「先生っ結婚したんですかっ」
クラス中圧倒的沈黙。ややあって。
「……うん。結婚しました」とタカハシがニッコリした。
全員が前のめりになった。
「え!? 奥さん私たちの知ってる人ですかっ」
社会科の藤代愛美か、美術の高井戸まほか、古文の本庄麗奈か。
「知ってる人です」
おおおおおおー!!! やっぱり教職員かぁ!?
「何先生ですかっ」
「先生ではありません」
え?
タカハシは窓ガラスを細く長い繊細な指でさした。
「そこのお弁当屋さんの店員『鏑木紫陽』さんです」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
『ガシャンガシャンガシャン!』床に落ちまくるペンケース。頭を抱える子。空を舞うノート。「嘘でしょっーーーー」激しく叩かれる机。勢い余って椅子ごと後ろにコケる生徒。
もう朝の会にならなかった。
◇
なんでその後女子高生どもが弁当屋に襲来したかといえば、何質問してもタカハシがニコニコしながら
「そんなこと聞いてどうするの?」
しか言わなかったからだ。さすがタカハシ。ATフィールド厚さ20センチ。鉄壁の守りである。
そこで新妻の口を割らそうと女生徒どもは走った。紫陽は困ってしまった。
「ここお弁当屋さんだから……ね」
「バイト上がりはいつですかっっ」
でカフェ『panda panda』にて緊急の『高橋先生の奥様を迎える会』が開かれたわけだ。
好奇心でパンパンになった女子高生たちにギューギューに挟まれた。紫陽はできる範囲で答えた。
20歳の誕生日に学校に押しかけて告白したこと。
何をやろうが全然相手にしてもらえなかったこと。
接点を作るためにタカハシに頼りまくって、まんまと大学の宿題を見てもらえるようになったこと。
最後は『ボランティアでいいから付き合ってくれ』と泣き落としたこと。
女子高生たちはコーヒーだ、ケーキだ、サンドイッチだで口を忙しく動かしながら聞き入った。
一方的に、お姉さんがタカハシに突撃してるやんけ。
このお姉さんがぁ〜!?
隠しきれないFカップを谷間もあらわにプルンプルンさせ。唇はグロスたっぷりのピンク。交差する太ももは生命力でパンパン。髪をてっぺんでシニヨンにしているのでうなじがすっかり見える。色っぽい。
こんなフェロモンの塊みたいなお姉さんがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?
朝比奈が恐る恐る言った。
「あの……こんなこといってはなんですけど……『得体の知れない鬼太郎』のどこが良くて好きになったんですか?」
全員の総意だ。
紫陽はアイスカフェラテをチューっと飲んだ。
「まあ。是也さんの良さがわからないなんてあなたたちもまだまだ子供ってことよねぇ」
全員がのけぞった。左手のシルバーリングがまぶしいっ。
◇
そこから紫陽のLINEに火が吹いた。
あっちこちの『女子会』に呼ばれ質問攻めである。
紫陽は左手の結婚指輪をキラキラさせて新妻の幸せを見せつけた。
タカハシは『得体の知れない鬼太郎』なので『夫としてのタカハシ』についてみんな聞きたがった。
「うーん。優しいよぉ」
紫陽。幸せがこぼれ落ちちゃってるぞ。
『新居に遊びに行きたい』という申し出も多数あったが『通い妻である』ことを理由に断った。
「えーっ。いつ一緒に住むのよー」
「卒論終わったら」
タカハシは(元)女子高生どもに家を物色されたくないに決まってる。
極端な秘密主義。異様な『思い出の博物館』
まだまだタカハシは紫陽にとって『わからない男』だった。
◇
結婚式は2年後だけど、『写真館』で写真を撮ろうということになった。
ウエディング専門店だから何百着も貸しドレスが揃っている。
衣装選びの日にスタジオに到着した紫陽は驚いた。
新郎のタカハシ…………とサトルがいるやんけ!
「こんっっなプライベートな時間に押しかけてくんなっ」
紫陽は怒った猫のように髪の毛を逆立てて『シャーッッ!!!』とした。
サトルは怒る新婦の前でニヤニヤする。
「この写真館よー。オーナーとオレの親が友達なんだよー」
おっっっっお前ほんと、どんっだけ知り合いいるんだよっ。この調子だと『大統領とも知り合い』とか言いだすんじゃないの!?
サトルのお陰だろう。明らかに『超VIP』の扱いを受けた。支配人がわざわざでてきて「悟くんっおめでとうっ」とか言っちゃって(違うっっっ違うって!)
サトルはニヤニヤしている「見学させてもらいます。オレの本番の時もよろしくお願いしますねー」
本番なんてあるのかお前に。
ゴージャスなシャンパンとかキャビアとか生ハムとか出てきて、この店トップの女性店員がつきっきりで対応してくれた。
何百着のドレスを前に紫陽は迷いまくった。
Aラインも可愛い。プリンセスも可愛い。先が人魚みたいになってるやつも可愛い。
どんどん出してどんどん着てどんどん是也に見せる。
何を見せても「いいんじゃないかな」しか言わないけれども。
で。
サトルの方を見たら。
あいつクラッカーにのったキャビア食べながらスマホしか見てねぇっ。何しに来たんだっ。
「ねー! サトルはどう思うぅ〜!?」思わず甘えた声になってしまう。
スマホから一切目を離さず右手を『ヒラヒラ』と振った。
「何でもいいんじゃね〜〜?」
タカハシは本当にドレスのことなど何もわからない。
サトルは色々知っているが紫陽のドレスに興味がない。
なんなんだよっっっっ。
◇
ようよう3着のドレスにすると次にタカハシのタキシードを決める段になった。
なんとサトル。
ここでスッと立ち上がったのである。
『トイレかな?』と思う2人をよそにツカツカとラックのところへ行くと
ガシャン! ガシャン! ガシャン!!
とラックから3着のタキシードを外した。
そのまま『パンっ』とテーブルに載せる。
「タカハシ。選べよ」
うっそ〜〜〜〜〜〜〜〜っ。
コイツ! タカハシのタキシードを選ぶためにわっざわざここまで来たのか。
お前本当に愛人じゃないだろうな!?(こんな図々しい『愛人』いる!?)
タカハシはしばらく右手をアゴに当てて考え込んだ。
「どれも派手すぎるんじゃないかなぁ……」
「じゃあこれ」
バン! 4着目を置いた。渋いが、おしゃれ。個性はあるのに浮いてない。
「是也さん。着てみましょうよ」
「うん」
着てみた。あつらえたみたいにピッタリ!!
サトル〜〜〜〜〜〜〜〜。お前最初の3着『かませ』で置いたろ? 最初からこれにする気だったんだな?
こうしてタカハシのタキシードは10分で決まった。
タカハシが何十遍も言う『サトルには敵わない』が身に染みる。敵わないわ……コイツには……。もういい。夫に愛人がいてもいい。
「じゃあこれで撮影当日お願いします」と2人で言いかけるとサトルがまた立ち上がった。
『今度こそトイレかな?』と思った矢先にまたガシャン! とラックからハンガーを外した。
「お前はこれ」
はっ!? ドレスじゃん!!!!
「いやサトル……可愛いけど。ミニスカだよ。ウエディングドレスにしてはちょっと遊びがありすぎなんじゃ」
「カブラギ。お前いくつだ」
「もう『鏑木』じゃないです。20歳ですけど」
「ハタチならこれを着ろ。今着なくていつ着るんだ」
仕方なしに合わせてみると「わぁぁぁぁ♡」ってなった。
紫陽の肉感的で生命力パンパンのボディにそれはとても似合っていた。
胸の谷間をばっちり見せて、腰はキュッと細くて、ムチムチの足がミニスカートから伸びてる。
「若いっていいわね〜」
ベテラン店員さんですらうっとり。このままウエディング雑誌の表紙に載ったっていいくらいだ。
確かに。これは今しか着れないわ。40歳になったら着れない。
『あ……でも……写真代が高くなってしまう』慎ましい紫陽は心配した。母子家庭で無駄遣いせず生きてきたのだ。
「オレの結婚祝いだ。好きなだけ着ろ」
慌てて鏡に映るサトルに向けて振り返った。
「いやっ。サトルッ。十万以上かかるしっ。そんなお祝いもらえないよっ」
「サトル。ご挨拶にいくときのスーツも『祝いだ』ってプレゼントしてくれたろう」
「ああ。アルマーニ?」
げえええええええええええ!!! あれアルマーニなのかよぉぉぉぉ!!!! どおりで仕立てがいいと思ったわぁ!
背中に汗が流れる。
「とっとにかく。ここは払っていただくわけにはまいりません」紫陽が戦闘態勢に入った。
その時支配人が言いにくそうに紫陽とタカハシの前に進んだ。
「恐縮でございますが。すでに久保様。お父様の方ですが……前金ということでお支払いの手続きを済ませられてまして……」
ええええええーーー!?
サトルが腕を組んでニヤニヤした。
「馬鹿夫婦。無駄な抵抗はやめろよ」
◇
タカハシと紫陽は仕返ししてやることにした。
撮影当日。嫌がるサトルをタカハシが撮影現場に連れてきたのだ。
「撮影はオレいらねーだろーがっ。オレはタカハシがクソダセェタキシード着なきゃそれでいいんだよっ」
「まあまあ」
なだめられながら現場に入ってきた。
プロにメイクされた紫陽がドレスを着て待っている。
「サトル……?」
一瞬サトルの動きが止まった。
シャラシャラとウエディングドレスの裾を引きずった花嫁がサトルの前に立った。
ベールが表情をすっかり隠し、そよ風のように揺れた。
白い手袋をしたままベールをそっと上にあげる。
いつもの『ギャルギャルしい』メイクではない。清楚で百合のようだ。
「……きれいかな……?」
20歳のふっくらした頬。顔全体がやや上気してグロスに濡れた唇が少し開いている。
「………………ばーか」
あの時のなんとも言えないサトルの照れた顔。生涯忘れないだろうと思った。
撮影中はいつものサトルだった。深々としたソファーに座りながら2人をニヤニヤみている。
足を組んで膝に両手を添えていた。
「香港のウエディングフォトみたいにしろよ!」と言われたので恥ずかしいけどポーズを頑張った。
最後の1枚。例の『ミニスカウエディングドレス』でスタジオに現れた瞬間にだ。
是也と紫陽で思いっきりサトルをソファから引っ張りあげた。
「何すんだ! おいっ。オレは関係ないだろう!!」
そのまま背中をグイグイカメラ前まで押す。
「関係あるよ。家族じゃん。一緒に写ろうよ!」
「バーカ! 家族じゃねえ。他人だ! 血も一滴も繋がってねえ!」
2人でサトルの両腕をギューッと抱きしめた。是也がサトルの右側。紫陽が左側。
「サトル! カメラを見て!!」
タカハシがサトルの肩を抱いて、紫陽が右腕に絡み付く。右手でカメラを指す。
だって。私たち! 血のつながらない家族でしょう!?
鏑木紫陽は10歳で父を亡くして。
高橋是也は18歳で家族全てを亡くして。
久保悟はタカハシと同い年の生まれてこなかったお兄さんがいるでしょう?
そんな私たちが。今日。新しい家族を作るんでしょう?
バシャバシャバシャッ。
カメラのフラッシュが辺り一面を真っ白にかえる。
その銀世界の中で『ハタチ妻』は美しく笑った。
(終)
お読みいただきありがとうございました!
アジる→アジテーションの略。演説する。
悋気→嫉妬のこと
下の " ☆☆☆☆☆ " より評価していただけると、嬉しいです!
よろしくお願いします(^ ^)
【次回作】
『何から何まで異様な男〜夫の親友が夫を溺愛してきて困ります。こっちは新婚なんですなんとかしてくださいっ!!〜』
無事に新婚生活をスタートさせた紫陽。穏やかなタカハシと平和な日々を暮らしたい。が、夫には久保悟という親友がいたのだ!!
こいつはあだ名が『どうかしちゃったミッキーマウス』。何から何まで異様な男。
次々騒動を引き起こし新妻の紫陽はブンブン振り回される。
なんでそんなにタカハシが好きなの!!?
お前まさか愛人じゃないだろうな!?
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2021年5月24日初稿




